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尉繚子 しょうぐんれい第二十

所謂踵軍者、去大軍百里、期於會地。爲三日熟食、前軍而行、爲戰合之表、合表乃起。踵軍饗士、使爲之戰勢。是謂趨戰者也。
所謂いわゆるしょうぐんとは、大軍たいぐんることひゃくにして、かいす。みっ熟食じゅくしょくつくりて、ぐんさきだちてき、戦合せんごうひょうし、ひょうあわせてすなわつ。しょうぐんきょうし、これ戦勢せんせいさしむ。趨戦すうせんものなり。
興軍者、前踵軍而行、合表乃起。去大軍一倍其道。去踵軍百里、期於會地。爲六日熟食、使爲戰備。分卒據要害、戰利則追北、按兵而趨之。踵軍遇有還者誅之。所謂諸將之兵、在四奇之内者勝也。
興軍こうぐんとは、しょうぐんさきだちてき、ひょうあわせてすなわつ。大軍たいぐんることみち一倍いちばいにす。しょうぐんることひゃくにして、かいす。むい熟食じゅくしょくつくり、せんさしむ。そつわかちて要害ようがいり、たたかなればすなわぐるをい、へいあんじてこれおもむく。しょうぐんかえものるにえば、これちゅうす。所謂いわゆるしょしょうへい四奇しきうちものつなり。
  • 興軍 … いわゆる遊撃部隊のこと。
兵有什伍、有分有合、豫爲之職、守要塞關梁而分居之。戰合表起、即皆會也。大軍爲計日之食起。戰具無不及也。令行而起、不如令者有誅。
へいじゅうり、ぶんごうり、あらかじこれしょくし、要塞ようさいかんりょうまもりてこれ分居ぶんきょす。たたかあわせてひょうてば、すなわみなかいするなり。大軍たいぐん計日けいじつしょくつくりてつ。せんおよばざるし。れいおこなわれてち、れいごとくならざるものちゅうり。
凡稱分塞者、四境之内、當興軍踵軍既行、則四境之民、無得行者。奉王之命、授持符節、名爲順職之吏。非順職之吏而行者誅之。戰合表起、順職之吏乃行、用以相參。故欲戰先安内也。
およ分塞ぶんさいしょうするは、きょううち興軍こうぐんしょうぐんすでくにあたりて、すなわきょうたみくをものし。おうめいほうじ、せつじゅするを、づけて順職じゅんしょくす。順職じゅんしょくあらずしてものは、これちゅうす。たたかがっひょうおこりて、順職じゅんしょくすなわき、もちいてもっあいさんす。ゆえたたかわんとほっせば、うちやすんずるなり。
天官第一 兵談第二
制談第三 戦威第四
攻権第五 守権第六
十二陵第七 武議第八
将理第九 原官第十
治本第十一 戦権第十二
重刑令第十三 伍制令第十四
分塞令第十五 束伍令第十六
経卒令第十七 勒卒令第十八
将令第十九 踵軍令第二十
兵教上第二十一 兵教下第二十二
兵令上第二十三 兵令下第二十四