李衛公問対 巻上〔十四〕
太宗曰、蕃兵唯勁馬奔衝。此奇兵歟。漢兵唯強弩掎角。此正兵歟。
太宗曰く、蕃兵は唯だ勁馬奔衝す。此れ奇兵か。漢兵は唯だ強弩掎角す。此れ正兵か。
- ウィキソース「唐李問對/卷上」参照。
- 蕃兵 … 異民族の兵士。「蕃」は、えびす。異民族の総称。『直解』では「番兵」に作る。同義。
- 勁馬 … 強い馬。駿馬。「勁」は、強い。
- 奔衝 … 敵陣に向かって一直線に突撃する。「奔」は、ぱっと勢いよく駆けること。「衝」は、勢いよく突くこと。
- 奇兵 … 敵の不意を討つ役割をする軍隊のこと。
- 漢兵 … 漢族の兵士。わが漢軍。
- 強弩 … 強い力をもった弩。ウィキペディア【弩】参照。
- 掎角 … 前と後ろの両方から敵にあたること。「掎」は、鹿を捕えるとき、後ろからその足を引っ張ること。「角」は、前から鹿の角を掴むこと。「掎」は、底本では「犄」に作るが、『直解』に従い改めた。『春秋左氏伝』襄公十四年に「晋人は之を角とり、諸戎は之を掎ひき、晋と之を踣せり」(晉人角之、諸戎掎之、與晉踣之)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/襄公」参照。
- 正兵 … 正々堂々と陣を組んで敵と戦う軍隊のこと。
靖曰、案孫子云、善用兵者、求之於勢、不責於人。故能擇人而任勢。
靖曰く、案ずるに孫子云く、善く兵を用うる者は、之を勢に求めて、人に責めず。故に能く人を択んで勢に任ず、と。
- 案 … 考えてみると。思うに。『直解』では「按」に作る。
- 善用兵者~故能擇人而任勢 … 『孫子』勢篇の言葉。「善用兵者」は、『孫子』では「善戦者」に作る。
- 善用兵者 … 軍隊を巧みに動かす者。戦争を巧みに行なう者。
- 求之於勢 … 勢いに乗って勝利を得ようとする。
- 不責於人 … 兵士一人の働きに頼らない。「責」は、ここでは「求」の意。底本では「貴」に作るが、『直解』に従い改めた。
- 能択人而任勢 … 人を選択し適所に配置して、勢いに乗ることができる。
夫所謂擇人者、各隨蕃漢所長而戰也。
夫れ所謂人を択ぶとは、各〻蕃漢の長ずる所に随いて戦うなり。
- 択人者 … 人を選択し適所に配置するとは。
- 各随蕃漢所長而戦也 … 異民族の兵士と漢族の兵士、それぞれの長所に随って戦わせるということである。
- 蕃漢 … 異民族と漢族。『直解』では「番漢」に作る。
蕃長於馬。馬利乎速鬬。漢長於弩。弩利乎緩戰。
蕃は馬に長ず。馬は速闘に利あり。漢は弩に長ず。弩は緩戦に利あり。
- 蕃長於馬 … 異民族の兵士は騎馬に巧みである。「蕃」は、『直解』では「番」に作る。
- 長 … 得意である。巧みである。優れている。
- 馬利乎速闘 … 騎馬は速やかに闘うのが有利である。
- 漢長於弩 … 漢族の兵士は弩が得意である。
- 弩利乎緩戦 … 弩は持久戦に威力を発揮する。
- 緩戦 … ゆっくり戦うこと。持久戦。長期戦。
此自然各任其勢也。然非奇正所分。
此れ自然に各〻其の勢に任ずるなり。然れども奇正の分るる所に非ず。
- 此自然各任其勢也 … これは自然に両者が勢いに任せて戦っているのである。
- 非奇正所分 … 奇と正とが分かれているのではない。奇と正との違いなどはない。
臣前曾述蕃漢必變號易服者、奇正相生之法也。
臣、前に曾て蕃漢必ず号を変じ服を易うると述べたるは、奇正相生ずるの法なり。
- 臣 … 臣下が君主に対し、へりくだっていう自称の言葉。わたくし。
- 蕃漢 … 異民族と漢族。『直解』では「番漢」に作る。
- 変号 … 旗印を変える。「号」は、旗号。旗印。
- 易服 … 服装を替える。敵が間違うように、漢族と異民族との衣服を取り替える。
- 述 … 述べる。底本では「部」に作るが、『直解』に従い改めた。
- 奇正相生之法也 … 奇と正とが互いに生じて変化する法則である。
馬亦有正。弩亦有奇。何常之有哉。
馬も亦た正有り。弩も亦た奇有り。何の常か之れ有らんや。
- 馬亦有正 … 騎馬による戦いも正兵となることがある。
- 弩亦有奇 … 弩を使った戦いも奇兵となることがある。
- 何常之有哉 … どうして固定したものがあろうか、いや固定したものなどない。
- 何~之有 … 「なんの~かこれあらん」と読み、「どうして~があろうか、いや~はない」と訳す。反語の意を示す。
太宗曰、卿更細言其術。
太宗曰く、卿、更に細かく其の術を言え。
- 卿 … 君主が重臣を尊んで呼ぶ言葉。そなた。なんじ。お前。あなた。
- 更細言其術 … その戦術について、さらに詳しく説明してほしい。
靖曰、先形之、使敵從之。是其術也。
靖曰く、先ず之に形して、敵をして之に従わしむ。是れ其の術なり。
- 先形之 … 先ずこちらの陣形を見せてやる。
- 使敵従之 … この陣形に基づき、敵に作戦を立てさせる。
- 是其術也 … これがその戦術である。
太宗曰、朕悟之矣。孫子曰、形兵之極、至於無形。又曰、因形以措勝於衆、衆不能知。其此之謂乎。
太宗曰く、朕、之を悟れり。孫子曰く、兵を形するの極は、無形に至る、と。又曰く、形に因りて以て勝を衆に措くも、衆知ること能わず、と。其れ此れの謂か。
靖再拜曰、深乎、陛下聖慮。已思過半矣。
靖再拝して曰く、深いかな、陛下の聖慮。已に思い半ばに過ぎたり。
- 再拝 … 二度御辞儀をする。丁寧に御辞儀をすること。
- 深乎、陛下聖慮 … 陛下のお考えは、たいへん深いところまで達しています。
- 聖慮 … 天子の考え。天子への敬意と賞賛を含む言葉。
- 已思過半矣 … 陛下はどんな書物でもあっという間に大半以上理解してしまう。「思い半ばに過ぐ」は、ほぼ推察できる。大半以上わかる。故事名言「思い半ばに過ぐ」参照。