孫子 勢篇
01 孫子曰、凡治衆如治寡、分數是也。
孫子曰く、凡そ衆を治むること寡を治むるが如くなるは、分数是れなり。
- 勢篇 … 武経本では「兵勢第五」に作る。
- 治衆如治寡 … 多くの兵を統率するのに、少数の兵を統率するように整然とできるのは。「衆」は、多数の兵。大軍団。「寡」は、少数の兵。小部隊。
- 分数是也 … 部隊編成によってである。
闘衆如闘寡、形名是也。
衆を闘わしむること寡を闘わしむるが如くなるは、形名是れなり。
- 闘衆如闘寡 … 大勢の兵を戦闘させることが、少数の兵を戦闘させるように整然とできるのは。
- 形名是也 … 旗・幟・鐘・太鼓など、指令の伝達方法によってである。
三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也。
三軍の衆、必ず敵を受けて敗無からしむる可きは、奇正是れなり。
- 三軍之衆 … 全軍のすべての部隊。「三軍」は、一国の軍隊。全軍。一軍は一万二千五百人。三軍は三万七千五百人。
- 可使必受敵而無敗者 … 必ず敵を迎え受け、決して負けることのない態勢にすることができるのは。
- 奇正是也 … 奇法(情況の変化に対応し、敵の思いもよらない戦術)と正法(基本的な定石通りの戦術)とによってである。
兵之所加、如以碬投卵者、虚實是也。
兵の加うる所、碬を以て卵に投ずるが如くなるは、虚実是れなり。
- 兵之所加 … 敵を攻撃する場合。
- 如以碬投卵者 … 石を卵に投げるように、敵を容易に撃破できるのは。「碬」は、砥石。竹簡本では「段(碫)」に作る。「碫」は、硬い石の意。
- 虚実是也 … 実(充実した戦力)で虚(敵の隙)を攻撃する戦術によってである。
02 凡戰者、以正合、以奇勝。
凡そ戦いは、正を以て合し、奇を以て勝つ。
- 凡戦者 … およそ戦闘というものは。
- 以正合 … 基本的な戦術で合戦する。
- 以奇勝 … 敵の思いもよらない戦術で勝つ。
故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河。
故に善く奇を出す者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し。
- 善出奇者 … 敵の不意をつく作戦を次々と行なう者は。
- 無窮如天地 … その戦術は、天地の運行のように窮まることなく変化する。
- 不竭如江河 … 長江や黄河の水のように尽きることがない。「竭」は、尽きる。
- 江河 … 長江と黄河。武経本では「江海」に作る。
終而復始、日月是也。
終わりて復た始まるは、日月是れなり。
- 日月是也 … 太陽や月のように没してはまた現れるのと同じである。
- 日月 … 太陽と月。
死而復生、四時是也。
死して復た生ずるは、四時是れなり。
- 復 … 武経本では「更」に作る。
- 四時 … 「しいじ」と読む。「しじ」の延音。四季の移り変わり。春夏秋冬。
聲不過五、五聲之變、不可勝聽也。
声は五に過ぎざるも、五声の変は勝げて聴く可からざるなり。
- 声 … 音階。
- 五 … 五声。宮・商・角・徴・羽の五音階。五音とも。ウィキペディア【五声】参照。
- 五声之変 … 五音階の組み合わせによる変化。五音階の組み合わせによる旋律。
- 不可勝聴也 … 多すぎて残らず聴きつくすことができない。
- 不可勝 … 「~はあげて…すべからず」「~は…するにたうべからず」と読み、「~は(多すぎて)…しきれない」と訳す。
色不過五、五色之變、不可勝觀也。
色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観る可からざるなり。
- 色 … 色彩。
- 五 … 五色。青・黄・赤・白・黒の五種の色。五彩。
- 五色之変 … 五色の組み合わせによる変化。
- 不可勝観也 … 多すぎて残らず見つくすことができない。
味不過五、五味之變、不可勝嘗也。
味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗む可からざるなり。
- 味 … 味覚。
- 五 … 五味。酸(すっぱさ)・辛(辛さ)・鹹(塩辛さ)・甘(甘さ)・苦(苦さ)。
- 五味之変 … 五味の組み合わせによる変化。
- 不可勝嘗也 … 多すぎて残らず味わうことができない。
- 嘗 … 『孫子集注』(明嘉靖刊本、『四部叢刊 初篇子部』所収)および武経本では「甞」に作る。異体字。
戰勢、不過奇正、奇正之變、不可勝窮也。
戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮む可からざるなり。
- 戦勢 … 戦闘の態勢。
- 奇正 … 奇法(情況の変化に対応し、敵の思いもよらない戦術)と正法(基本的な定石通りの戦術)。
- 奇正之変 … 奇法と正法の組み合わせによる変化。
- 不可勝窮也 … 多すぎて全部を窮め尽くすことができない。
奇正相生、如循環之無端。
奇正の相生ずることは、循環の端無きが如し。
- 奇正相生 … 奇法と正法とが互いに生まれ出てくることは。
- 如循環之無端 … 丸い輪が廻って終点のないようなものである。
孰能窮之。
孰か能く之を窮めんや。
- 孰能窮之 … 誰がそれを窮めることができようか。「之」は、前句の「端」を指す。
- 窮之 … 武経本では「窮之哉」に作る。
03 激水之疾、至於漂石者、勢也。
激水の疾くして、石を漂わすに至る者は、勢なり。
- 激水之疾 … せき止められていた水が激しく流れて。
- 至於漂石者 … 重い石をも押し流してしまうのは。
- 勢也 … 水の流れに勢いがあるからである。
鷙鳥之疾、至於毀折者、節也。
鷙鳥の疾くして、毀折に至る者は、節なり。
- 鷙鳥之疾 … 鷹や隼などが急降下して。「鷙鳥」は、鷹・隼・鷲などの猛禽類。
- 至於毀折者 … 獲物の骨を打ち砕くのは。「毀折」は、打ち砕くこと。
- 節也 … 節目である。
是故善戰者、其勢險、其節短。
是の故に善く戦う者は、其の勢は険にして、其の節は短なり。
- 是 … 武経本にはこの字なし。
- 其勢険 … 敵を攻撃するときの勢いが激しいこと。
- 其節短 … 敵を攻撃するときの節目が瞬時であること。
勢如彍弩、節如發機。
勢は弩を彍くが如く、節は機を発するが如し。
- 勢如彍弩 … 敵を攻撃するときの勢いは弩の弦を引き絞るようなものである。「弩」は、機械じかけで射る強い弓。
- 節如発機 … 節目は瞬間的に引き金を引くようなものである。
04 紛紛紜紜、鬪亂而不可亂也。
紛紛紜紜として、闘い乱れて乱す可からず。
- 紛紛 … 乱れるさま。ごたごたするさま。
- 紜紜 … 多くの物が入り乱れているさま。
- 闘乱而不可乱也 … 両軍が入り乱れて混戦となっても、軍の統制を乱してはならない。
- 也 … 武経本にはこの字なし。
渾渾沌沌、形圓而不可敗也。
渾渾沌沌として、形円くして敗る可からず。
- 渾渾沌沌 … 「渾渾」は、水がさかんに流れるようす。「沌沌」は、水がぐるぐる巡るさま。ここでは混戦となって軍隊の陣形が次々と変わること。
- 形円而不可敗也 … 陣形が目まぐるしく変わっても、敵に隙を与えて敗北してはならない。「円」は、循環の意。陣形が次々と変わることを指す。
- 也 … 武経本にはこの字なし。
亂生於治、怯生於勇、弱生於彊。
乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は彊に生ず。
- 乱生於治 … 軍が乱れるのは、整然と統制された状態から生じる。
- 怯生於勇 … 兵士が臆病になるのは、勇敢な心理状態から生じる。「怯」は、おびえること。怯懦。
- 弱生於彊 … 戦力の脆弱さは、強さに満足することから生じる。「彊」は「強」と同じ。
治亂數也。勇怯勢也。彊弱形也。
治乱は数なり。勇怯は勢なり。彊弱は形なり。
- 治乱数也 … 軍隊が治まるか乱れるかは、部隊の編成の技術に由来する。「数」は、ここでは軍の編成のこと。
- 勇怯勢也 … 勇敢になるか臆病になるかは、軍隊に勢いがあるかどうかに由来する。
- 彊弱形也 … 軍の戦力が強いか弱いかは、軍隊の態勢に由来する。
故善動敵者、形之敵必從之、予之敵必取之。
故に善く敵を動かす者は、之に形すれば敵必ず之に従い、之に予うれば、敵必ず之を取る。
- 善動敵者 … 敵を巧みに誘導する者。
- 形之敵必従之 … 敵にわざと隙のある形を見せると、敵は必ずその形に応じた態勢をとる。
- 予之敵必取之 … 敵に何かを与えようとすると、敵は必ずそれを取りに来る。
以利動之、以卒待之。
利を以て之を動かし、卒を以て之を待つ。
- 以利動之 … 利益のある物を示して敵を誘い出す。
- 以卒待之 … 部隊を配置して敵を待ち構える。
- 卒 … 武経本では「本」に作る。
故善戰者、求之於勢、不責於人。
故に善く戦う者は、之を勢に求めて、人に責めず。
- 善戦者 … 戦いに巧みな者。戦上手。
- 求之於勢 … 勢いに乗って勝利を得ようとする。
- 不責於人 … 兵士一人の働きに頼らない。「責」は、ここでは「求」の意。
故能擇人而任勢。
故に能く人を択びて勢に任ず。
- 能択人而任勢 … 人を選択し適所に配置して、勢いに乗ることができる。
任勢者、其戰人也、如轉木石。
勢に任ずる者は、其の人を戦わしむるや、木石を転ずるが如し。
- 任勢者 … 勢いに乗る者。
- 其戦人也 … 兵士を戦わせる様子。
- 如転木石 … 木や石を転がすようなものである。思いがけない力を発揮することの喩え。
木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行。
木石の性は、安なれば則ち静に、危なれば則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。
- 木石之性 … 木や石の性質。
- 安則静 … 平坦な所に置けば静止している。
- 危則動 … 傾斜した所に置けば動き出す。「危」は、険しく傾いている所。
- 方則止 … 四角い形であれば静止している。
- 円則行 … 丸い形であれば転がり出す。
故善戰人之勢、如轉圓石於千仞之山者、勢也。
故に善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仞の山に転ずるが如きは、勢なり。
- 善戦人之勢 … 巧みに人を戦わせるときの勢い。
- 円石 … 丸い石。武経本には「円」の字なし。
- 千仞之山 … 高い山から。「仞」は、長さの単位。八尺(一説に七尺)。「千仞」は、一仞の千倍。非常に高いこと。
- 転 … 転がす。
- 勢也 … これが戦闘の勢いというものである。
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