李衛公問対 巻上〔十一〕
太宗曰、春秋楚子二廣之法云、百官象物而動、軍政不戒而備。此亦得周制歟。
太宗曰く、春秋に楚子の二広の法に云く、百官物に象りて動き、軍政戒めずして備う、と。此れ亦た周制を得たるか。
- ウィキソース「唐李問對/卷上」参照。
- 春秋 … 『春秋左氏伝』。
- 楚子 … 楚の荘王。在位前614~前591。春秋五覇の一人。楚子の子は、子爵の国に封ぜられたための称。ウィキペディア【荘王 (楚)】参照。
- 二広 … 楚の軍隊の名。左右の二軍をいう。『春秋左氏伝』宣公十二年に「其の君の戎は、分ちて二広と為す。広に一卒有り、卒に偏と両とあり。右広初めて駕し、数えて日中に及べば、左は則ち之を受けて、以て昏に至る」(其君之戎、分二廣。廣有一卒、卒偏之兩。右廣初駕、數及日中、左則受之、以至于昏)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/宣公」参照。
- 百官象物而動、軍政不戒而備 … 全軍はそれぞれ物に象った旗指物に従って動き、軍政は厳重に戒めなくても立派に行われている。『春秋左氏伝』宣公十二年に見える言葉。ウィキソース「春秋左氏傳/宣公」参照。
- 得周制歟 … 周の制度に基づいたものか。
- 歟 … 底本では「與」に作るが、『直解』に従い改めた。
靖曰、案左氏説、楚子乘廣三十乘。廣有一卒、卒偏之兩。
靖曰く、左氏の説を案ずるに、楚子の乗広三十乗。広に一卒有り、卒に偏と両とあり。
- 左氏説 … 『春秋左氏伝』の説。
- 案 … 見てみると。研究してみると。『直解』では「按」に作る。
- 乗広 … 兵車。戦車。『春秋左氏伝』宣公十二年に「楚子、乗広三十乗を為り、分ちて左右と為す」(楚子爲乘廣三十乘、分爲左右)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/宣公」参照。
- 三十乗 … 三十台。「乗」は、車を数える語。「三」は、『直解』では「二」に作る。
- 広有一卒、卒偏之両 … 左右の軍隊には、それぞれ百人の兵士が配属され、百人の兵士にはそれを援護する五十人の偏と、またその偏を援護する二十五人の両とがついている。「広」は、戦車十五乗からなる。「一卒」は、兵士百人。「之」は「与」と同じ。『春秋左氏伝』宣公十二年に「広に一卒有り、卒に偏と両とあり」(廣有一卒、卒偏之兩)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/宣公」参照。なお、ここの解釈には異説が多い。
軍行右轅。以轅爲法。故挾轅而戰。皆周制也。
軍行には轅を右にし、轅を以て法と為す。故に轅を挟んで戦う。皆周制なり。
- 軍行右轅 … 兵士は戦車の轅の右側を行進する。「軍行」は、軍隊の行進。行軍。
- 轅 … 兵車・戦車などの前方に突き出た二本の棒。
- 以轅為法 … 轅をもって隊列の限界とする。
- 挟轅而戦 … 車戦では轅を挟んで戦う。
- 皆周制也 … みな周の制度と同じである。
臣謂、百人曰卒、五十人曰兩。此是毎車一乘、用士百五十人。比周制差多爾。
臣謂えらく、百人を卒と曰い、五十人を両と曰う。此れは是れ車一乗ごとに、士百五十人を用う。周制に比すれば差多きのみ。
- 臣謂 … わたくしが考えることには。わたくしが思うのには。
- 士 … 兵士。戦士。
- 比周制差多爾 … 周の制度に比べると、いくらか多いだけである。「比」は、底本では「此」に作るが、『直解』に従い改めた。「爾」は、『直解』では「耳」に作る。
- 差 … 「やや」と読む。いくらか。
周一乘歩卒七十二人、甲士三人、以二十五人爲一甲。凡三甲、共七十五人。
周の一乗は歩卒七十二人、甲士三人、二十五人を以て一甲と為す。凡そ三甲、共に七十五人なり。
- 一乗 … 戦車一台。
- 歩卒 … 徒歩で戦う兵士。歩兵。
- 甲士 … 武装した兵士。鎧を身につけた兵士。甲兵。甲卒。
- 以二十五人為一甲 … 二十五人を一甲という。一甲の内訳は、歩卒二十四人と甲士一人。
楚山澤之國、車少而人多。分爲三隊、則與周制同矣。
楚は山沢の国、車少なくして人多し。分けて三隊と為せば、則ち周制と同じ。
- 山沢 … 山林と藪の茂った沢が多いこと。
- 車少而人多 … 戦車が少ない割に人が多い。
太宗曰、春秋荀吳伐狄、毀車爲行。亦正兵歟、奇兵歟。
太宗曰く、春秋に荀呉、狄を伐つとき、車を毀して行を為す。亦た正兵か、奇兵か。
靖曰、荀吳用車法爾。雖舍車、而法在其中焉。
靖曰く、荀呉、車法を用うるのみ。車を舎つと雖も、而も法其の中に在り。
- 車法 … 車戦の原則。
- 爾 … 『直解』では「耳」に作る。
一爲左角、一爲右角、一爲前拒、分爲三隊。此一乘法也。千萬乘皆然。
一は左角と為し、一は右角と為し、一は前拒と為し、分けて三隊と為す。此れ一乗の法なり。千万乗も皆然り。
- 左角 … 左翼部隊。
- 右角 … 右翼部隊。
- 前拒 … 前衛部隊。先鋒部隊。
- 一乗法 … 戦車一台の戦術。
- 千万乗皆然 … 戦車が千台や一万台に増えても同じである。
臣案、曹公新書云、攻車七十五人、前拒一隊、左右角二隊。守車一隊、炊子十人、守裝五人、廐養五人、樵汲五人、共二十五人。
臣案ずるに、曹公の新書に云く、攻車七十五人、前拒一隊、左右角二隊。守車一隊、炊子十人、守装五人、厩養五人、樵汲五人、共に二十五人。
- 案 … 考えてみると。思うに。『直解』では「按」に作る。
- 曹公 … 曹操。155~220。三国時代、魏の始祖。沛国譙(安徽省)の人。字は孟徳。幼名は阿瞞。184年、黄巾の乱を平定して名を挙げ、196年、献帝を擁して大将軍となった。200年、官渡の戦いで袁紹を破り、華北を統一した。208年、赤壁の戦いに敗れ、三国が併存することとなった。216年、魏王に封ぜられた。死後、武帝と称された。ウィキペディア【曹操】参照。
- 新書 … 曹操が著した兵法書。現在は伝わっていない。
- 攻車 … 攻撃用の戦車。軽車。
- 七十五人 … 兵士七十五人。
- 前拒 … 前衛部隊。
- 左右角 … 左翼部隊と右翼部隊。
- 守車 … 兵車の一つ。輜重(兵器・食糧などを輸送する)を守護する車。輜重車。重車。
- 炊子 … 炊事兵。
- 守装 … 軍衣などを見張る役。
- 廐養 … 馬の世話をする役。
- 樵汲 … 薪をとり、水を汲む役。
攻守二乘、凡百人。興兵十萬、用車千乘、輕重二千。此大率荀吳之舊法也。
攻守二乗、凡そ百人。兵を興すこと十万なれば、車千乗、軽重二千を用う、と。此れ大率荀呉の旧法なり。
- 攻守 … 攻車と守車。
- 軽重 … 軽車と重車。「軽」は攻車、「重」は守車を指す。
- 大率 … おおむね。おおかた。だいたい。
又觀漢魏之閒軍制、五車爲隊、僕射一人。十車爲師、率長一人。凡車千乘、將吏二人。多多倣此。
又漢魏の間の軍制を観るに、五車を隊と為し、僕射一人。十車を師と為し、率長一人。凡そ車千乗にして、将吏二人。多多も此に倣う。
- 漢魏 … 前漢(前206~8)、後漢(25~220)、および魏(220~265)の時代。
- 僕射 … 武官の名。小隊長。
- 率長 … 「すいちょう」とも読む。部隊長。中隊長。
- 将吏 … 大将と役人。ここでは大将と副将。
- 多多倣此 … これ以上戦車の数が多くなっても、この原則に倣う。
臣以今法參用之、則跳盪騎兵也。戰鋒隊歩騎相半也。駐隊兼車乘而出也。
臣今の法を以て参えて之を用うれば、則ち跳盪は騎兵なり。戦鋒隊は歩騎相半ばするなり。駐隊は車乗を兼ねて出づるなり。
- 今法 … 唐代の軍制。
- 跳盪 … 唐代の隊伍の名。跳盪隊。敵の隙をみて跳り出て、敵陣を打ち負かす。「盪」は、揺り動かすこと。
- 戦鋒隊 … 唐代の隊伍の名。主力部隊。
- 歩騎相半也 … 歩兵と騎兵と同数の組合せである。
- 駐隊 … 唐代の隊伍の名。後衛部隊。
臣西討突厥、越險數千里、此制未甞敢易。蓋古法節制、信可重也。
臣、西のかた突厥を討ちしとき、険を越えること数千里、此の制は未だ嘗て敢えて易えず。蓋し古法の節制、信に重んず可きなり。
- 西 … 「にしのかた」と読み、「西のほうで」と訳す。
- 突厥 … 六世紀中頃から八世紀にかけて、モンゴルから中央アジアを支配したトルコ系遊牧民族とその遊牧国家。ウィキペディア【突厥】参照。
- 険 … 険しい山。険阻な山。
- 此制 … この制度・原則。
- 古法節制 … 古来から伝わる制度・原則。「節制」は、厳しい規律。
- 信 … まことに。
- 重也 … 尊重すべきである。底本では「重焉」に作るが、『直解』に従い改めた。