李衛公問対 巻上〔十二〕
太宗幸靈州回、召靖賜坐曰、朕命道宗及阿史那社爾等、討薛延陁、而鐵勒諸部乞置漢官。朕皆從其請。
太宗、霊州に幸して回り、靖を召して坐を賜うて曰く、朕、道宗及び阿史那社爾等に命じて、薛延陁を討ち、而して鉄勒の諸部、漢官を置かんと乞う。朕皆其の請いに従う。
- ウィキソース「唐李問對/卷上」参照。
- 霊州 … 今の寧夏自治区霊武市。ウィキペディア【霊武市】参照。
- 幸 … 「幸して」と読んでもよい。天子が出かけることをいう敬語。行幸。
- 回 … 底本では「迴」に作るが、『直解』に従い改めた。同義。
- 賜坐 … 皇帝の前で椅子に腰掛けることが許されたこと。破格の待遇。
- 朕 … 古代の一人称代名詞。われ。わが。なお、秦の始皇帝から、天子だけが用いる一人称代名詞となった。
- 道宗 … 李道成。唐の太宗の孫。江夏王に封ぜられた。
- 阿史那社爾 … ?~655。阿史那は姓、社爾は名。東突厥の処羅可汗の子。唐に帰順し、大将軍に任じられた。ウィキペディア【阿史那社爾】参照。
- 爾 … 底本では「尒」に作るが、『直解』に従い改めた。「尒」は、「爾」の異体字。
- 薛延陁 … 匈奴の別種。
- 鉄勒 … 突厥以外のトルコ系諸部族の総称。ウィキペディア【鉄勒】参照。
- 諸部 … 諸部族。
- 漢官 … 唐の官吏。
- 朕皆従其請 … わたしはその要請をみな聞き入れた。
延陁西走。恐爲後患。故遣李勣討之。
延陁西に走る。後患を為さんことを恐る。故に李勣を遣わして之を討てり。
- 延陁 … 薛延陁。
- 西走 … 西に逃走した。
- 後患 … のちのちの心配ごと。将来の憂い。
- 李勣 … 唐初の名将。594~669。姓は徐、名は世勣。李靖とともに東突厥や薛延陀を破った。ウィキペディア【李勣】参照。
今北荒悉平。然諸部蕃漢雜處。
今、北荒悉く平らぐ。然れども諸部の蕃漢雑処す。
- 今 … 底本では「仐」に作るが、『直解』に従い改めた。「仐」は、「今」の誤字。
- 北荒 … 北方の荒れ地。北方の異民族の地。
- 平 … 平定する。
- 蕃漢 … 異民族と漢族。「蕃」は、えびす。異民族の総称。『直解』では「番漢」に作る。同義。
- 雑処 … 入りまじっている。雑居。
以何道經久、使得兩全安之。
何の道を以てか久しきを経て、両つながら全くして之を安んずるを得しめん。
- 以何道経久、使得両全安之 … どういう方策を行えば、異民族と漢族とが末長く共存して安定させることができるのか。
靖曰、陛下勑自突厥至回紇部落、凡置驛六十六處、以通斥候。斯已得策矣。
靖曰く、陛下勅して突厥より回紇の部落に至るまで、凡そ駅を置くこと六十六処、以て斥候を通ず。斯れ已に策を得たり。
然臣愚以謂、漢戍宜自爲一法、蕃落宜自爲一法。教習各異、勿使混同。
然れども臣愚にして以謂えらく、漢戍は宜しく自ら一法を為すべく、蕃落は宜しく自ら一法を為すべし。教習各〻異なり、混同せしむること勿かれ。
- 以謂 … 「おもえらく」と読み、「思うことには」「考えてみると」と訳す。「以為えらく」「以えらく」「謂えらく」も同じ。
- 漢戍 … 漢族の国境を警備する兵士。「戍」は、国境や城などを警備する兵卒。戍卒。
- 自為一法 … 独自の法規を設ける。
- 蕃落 … 異民族の集落。「蕃」は、えびす。異民族の総称。『直解』では「番落」に作る。同義。
- 教習 … 教化訓練。
或遇寇至、則密勑主將、臨時變號易服、出奇擊之。
或いは寇の至るに遇わば、則ち密かに主将に勅して、時に臨んで号を変じ服を易え、奇を出して之を撃たしむ。
- 寇 … 攻めこんで来る敵。外敵。寇敵。寇賊。
- 主将 … 将軍。
- 勅 … 陛下が命じること。
- 変号 … 旗印を変える。「号」は、旗号。旗印。
- 易服 … 服装を替える。敵が間違うように、漢族と異民族との衣服を取り替える。
- 出奇撃之 … 奇計・奇策を用いて敵を撃ち取る。
太宗曰、何道也。
太宗曰く、何の道ぞや。
- 何道也 … それはどのような方策なのか。
靖曰、此所謂多方以誤之之術也。蕃而示之漢、漢而示之蕃。
靖曰く、此れ所謂多方以て之を誤るの術なり。蕃にして之を漢に示し、漢にして之に蕃を示す。
- 多方以誤之之術 … 数多くの策略を巡らして敵の判断を誤らせる術。
- 蕃而示之漢、漢而示之蕃 … 異民族を漢族に、漢族を異民族に見せかける。「蕃」は、『直解』では「番」に作る。同義。
彼不知蕃漢之別、則莫能測我攻守之計矣。善用兵者、先爲不可測。則敵乖其所之也。
彼れ蕃漢の別を知らざるときは、則ち能く我が攻守の計を測ること莫し。善く兵を用うる者は、先ず測る可からざるを為す。則ち敵其の之く所に乖くなり。
- 彼 … 敵。
- 蕃漢之別 … 異民族と漢族との区別。「蕃」は、『直解』では「番」に作る。同義。
- 攻守之計 … 攻撃と守備の計略。
- 善用兵者 … 軍隊を巧みに動かす者。戦争を巧みに行なう者。
- 先為不可測 … まず敵にこちらの動きを察知されることがない。
- 敵乖其所之也 … 逆に敵の計略の裏をかき、食い違わせる。
太宗曰、正合朕意。卿可密教邊將、只以此蕃漢便見奇正之法矣。
太宗曰く、正に朕が意に合えり。卿密かに辺将に教うるに、只だ此の蕃漢便ち奇正を見すの法を以てす可し。
- 合朕意 … わたしと同意見である。
- 卿 … 君主が重臣を尊んで呼ぶ言葉。そなた。なんじ。お前。あなた。
- 密教辺将 … ひそかに国境守備軍の将軍に教えてやってほしい。
- 辺将 … 国境守備軍の将軍。
- 此蕃漢便見奇正之法 … 異民族と漢族の部隊を入れ替えて奇正の変化を発揮させる兵法。「蕃」は、『直解』では「番」に作る。同義。
靖拜舞曰、聖慮天縱、聞一知十。臣安能極其說哉。
靖拝舞して曰く、聖慮は天縦、一を聞いて十を知る。臣、安んぞ能く其の説を極めんや。
- 拝舞 … 天子に感謝してする拝礼。『直解』では「再拝」に作る。
- 聖慮 … 天子の考え。
- 天縦 … 天が許してほしいままにさせること。生まれながらに優れていること。
- 臣 … 臣下が君主に対し、へりくだっていう自称の言葉。わたくし。
- 安能極其説哉 … どうして陛下の卓説をわたくしごときが極められましょうか、いや極められない。
- 安 … 「いずくんぞ~ん(や)」と読み、「どうして~(する)のか、いや~ない」と訳す。反語の意を示す。