李衛公問対 巻上〔九〕
太宗曰、陳數有九。中心零者、大將握之。四面八向、皆取準焉。陳間容陳、隊間容隊、以前爲後、以後爲前。
太宗曰く、陣数に九有り。中心の零は、大将之を握る。四面八向、皆準を取る。陣間に陣を容れ、隊間に隊を容れ、前を以て後ろと為し、後ろを以て前と為す。
- ウィキソース「唐李問對/卷上」参照。
- 陣数 … 陣形の数。「陣」と「陳」は同義。
- 零 … 零の陣。握機を指す。
- 握 … 直轄する。
- 取準 … 零の陣を規準とする。「準」は、準則。
- 陣間容陣 … 陣と陣の間に、また小陣を入れる。
- 隊間容隊 … 部隊と部隊の間に、また小部隊を挿む。
- 以前為後、以後為前 … 退くときは前衛が殿となり、後衛が前となる。
進無速奔、退無遽走。四頭八尾、觸處爲首、敵衝其中、兩頭皆救。
進むに速やかに奔る無く、退くに遽に走る無し。四頭八尾、触るる処を首と為し、敵其の中を衝けば、両頭皆救う。
- 進無速奔、退無遽走 … 進むにも退くにも慌てて走らない。
- 四頭八尾 … 頭が四つに尾が八つの獣。「四頭」は、前衛・後衛・左翼・右翼を指す。「八尾」は、八陣を指す。
- 触処為首 … 敵の触れた所が首となって闘う。
- 敵衝其中、両頭皆救 … 敵が胴体を攻めれば、左右の両頭がいっしょに胴体を救う。
數起於五、而終於八。此何謂也。
数、五に起って、八に終る。此れ何の謂ぞや。
- 数起於五、而終於八 … 陣形が五に始まり、八に終わる。
- 此何謂也 … これは何を意味するのか。「謂」は、わけ。~という意味。~ということ。
靖曰、諸葛亮以石縱橫、布爲八行。方陳之法、即此圖也。臣甞教閱、必先此陳。丗所傳握機文、蓋得其粗也。
靖曰く、諸葛亮、石を以て縦横にし、布いて八行を為す。方陣の法、即ち此の図なり。臣、嘗て教閲するに、必ず此の陣を先にす。世に伝うる所の握機の文、蓋し其の粗を得たるなり。
- 諸葛亮 … 181~234。三国時代、蜀の忠臣。琅邪陽都(現在の山東省沂南県)の人。字は孔明。はじめ襄陽の隆中に隠棲し臥竜といわれていた。劉備の三顧の礼に応じて仕え、活躍した。詩文に「出師表」「梁父吟」などがある。ウィキペディア【諸葛亮】参照。
- 以石縦横、布為八行 … 巨石を縦横に並べて、八行の陣を作った。
- 方陣之法、即此図也 … 四角い陣形とは、この図をいう。
- 教閲 … 教練。訓練。
- 先此陣 … この陣形から教えた。
- 握奇文 … 兵法書『握奇経』を指す。『握機経』『幄機経』とも。ウィキソース「握奇經」参照。「握奇」は、軍陣の名。全軍をまず九陣に分け、天・地・風・雲の四陣を正といい、龍・虎・鳥・蛇の四陣を奇といい、余りの一陣を握奇という。ウィキペディア【握奇陣】参照。
- 得其粗 … その大略を示したものに過ぎない。
太宗曰、天地風雲龍虎鳥蛇、斯八陳何義也。
太宗曰く、天・地・風・雲・竜・虎・鳥・蛇、斯の八陣は何の義ぞや。
- 何義也 … 何を意味しているのか。
靖曰、傳之者誤也。古人祕藏此法。故詭設八名爾。八陳本一也、分爲八焉。若天地者、本乎旗號、風雲者、本乎旛名、龍虎鳥蛇者、本乎隊伍之別。後丗誤傳、詭設物象。何止八而已乎。
靖曰く、之を伝うる者の誤りなり。古人此の法を秘蔵す。故に詭りて八名を設けたるのみ。八陣は本一なり、分ちて八と為す。天・地の若きは、旗号に本づき、風・雲は、旙名に本づき、竜・虎・鳥・蛇は、隊伍の別に本づく。後世誤り伝え、詭りて物象を設く。何ぞ止八のみならんや。
- 伝之者誤也 … 誤って伝えられたものである。
- 秘蔵 … 人に知れないように大切にしまっておくこと。
- 詭設八名爾 … 八つの名前を仮につけただけである。「爾」は、『直解』では「耳」に作る。
- 八陣本一也、分為八焉 … 八陣はもともと一つの陣形であるが、便宜上分けて八つにしたのである。
- 旗号 … 大将の旗印。
- 旛名 … 長い旗印。
- 隊伍 … 軍隊の組わけ。「伍」は、兵士五人を一組とする。
- 物象 … 物の象。
- 何止八而已乎 … どうして八種類ぐらいに止まるであろうか。
- 止 … 「ただ」と読む。ただ。それだけ。わずかに。「只」と同じ。
太宗曰、數起於五、而終於八、則非設象。實古陳也。卿試陳之。
太宗曰く、数は五に起って、八に終るは、則ち象を設くるに非ず。実に古の陣なり。卿、試みに之を陳べよ。
- 非設象 … 竜や虎など、物の象に似せたものではない。
- 古陳 … 古来の陣形。底本では「古制」に作るが、『直解』に従い改めた。
- 試陳之 … もう少し詳しく説明してもらいたい。
靖曰、臣案黃帝始立丘井之法、因以制兵。故井分四道、八家處之。其形井字、開方九焉。
靖曰く、臣、案ずるに、黄帝始めて丘井の法を立て、因って以て兵を制す。故に井に四道を分け、八家之に処る。其の形は井の字、方に開きて九なり。
- 案 … 考えてみると。思うに。『直解』では「按」に作る。
- 黄帝 … 古代の伝説上の帝王。五帝の一人。名は軒轅。ウィキペディア【黄帝】参照。
- 丘井之法 … 昔の田里の区画。八戸を井として十六井を丘とした。
- 因以制兵 … これを軍制に応用した。
- 井分四道、八家処之 … 井は中を四本の道で区切り、八戸をそこに住まわせる。
- 其形井字、開方九焉 … その形は「井」の字と同じで、九区画に分かれている。
五爲陳法、四爲間地。此所謂數起於五也。虛其中、大將居之。環其四面、諸部連繞。此所謂終於八也。
五は陣法と為し、四は間地と為す。此れ所謂数は五に起るなり。其の中を虚しくし、大将之に居る。其の四面を環り、諸部連繞す。此れ所謂八に終るなり。
- 五為陣法、四為間地 … 上下・左右・真ん中の五つを布陣の法とし、四隅を空地とした。「間」は、『直解』では「閑」に作る。
- 此所謂数起於五也 … これがいわゆる「陣形が五に始まる」の由来である。
- 虚其中、大將居之 … その真ん中を空虚にし、大将がそこに布陣する。
- 環其四面、諸部連繞 … 諸部隊がその四面を囲み、連なり繞って八陣の形となる。
- 此所謂終於八也 … これがいわゆる「八に終わる」の由来である。
及乎變化制敵、則紛紛紜紜、鬬亂而法不亂。渾渾沌沌、形圓而勢不散。此所謂散而成八、復而爲一者也。
変化して敵を制するに及べば、則ち紛紛紜紜として、闘い乱るるとも法は乱れず。渾渾沌沌として、形円くして勢い散ぜず。此れ所謂散じて八と成り、復して一と為る者なり。
- 及乎変化制敵 … 陣形を変化させて敵を制することになれば。
- 紛紛紜紜、闘乱而法不乱 … 入り乱れて混戦となっても、決して統制は乱れない。
- 渾渾沌沌、形円而勢不散 … ばらばらになって混沌としても、丸い陣形を保って勢いを失わない。
- 此所謂散而成八、復而為一者也 … これがいわゆる「分散すれば八となり、また元に戻って一となる」の由来である。
太宗曰、深乎、黃帝之制兵也。後丗雖有天智神略、莫能出其閫閾。降此、孰有繼之者乎。
太宗曰く、深いかな、黄帝の兵を制するや。後世、天智神略有りと雖も、能く其の閫閾を出づること莫し。此より降りて、孰か之を継ぐ者有らんや。
- 深乎、黄帝之制兵也 … 黄帝の軍制は深遠なるかな。
- 雖有天智神略 … 知略を備えた人物が現れても。
- 天智 … 天の与えた智慧。
- 神略 … 優れた謀。
- 閫閾 … 本来は、門の敷居の意。ここでは黄帝の作った区切り。「閫」は、底本では「闘」に作るが、『直解』に従い改めた。
- 孰有継之者乎 … 誰かこれを引き継いだ者があっただろうか。
- 孰 … 「たれか~ん(や)」と読み、「だれが~するのか、いやだれも~しない」と訳す。反語。「誰」と同じ。
靖曰、周之始興、則太公實繕其法、始於岐都、以建井畝。戎車三百輛、虎賁三千人、以立軍制。
靖曰く、周の始めて興るとき、則ち太公、実に其の法を繕め、始めて岐都に於いて、以て井畝を建つ。戎車三百輌、虎賁三千人、以て軍制を立つ。
- 太公 … 周の軍師、呂尚のこと。姓は呂、名は尚、字は子牙。文王の祖父(太公)が待ち望んでいた人物だということで「太公望」と呼ばれた。ウィキペディア【呂尚】参照。
- 繕其法 … 黄帝の法に手を加えて引き継ぐ。
- 岐都 … 周の都。陝西省岐山県の周原にあった。
- 井畝 … 井田法。周代に行われたと伝えられる土地制度。一里四方の土地を井の字形に九等分し、その周囲の八区画を八家に分け与え、中央の一区画を公田として八家に共同耕作させ、その収穫を租税として国に納めさせたという。ウィキペディア【井田制】参照。
- 戎車 … 戦場で用いる車。兵車。戦車。
- 輌 … 底本では「両」に作るが、『直解』に従い改めた。
- 虎賁 … 勇士。兵士。「賁」は、『直解』では「貫」に作る。
- 三千人 … 底本では「三百人」に作るが、『直解』に従い改めた。
- 立軍制 … 軍隊の制度を整えた。
六步七步、六伐七伐、以教戰法、陳師牧野。太公以百夫制師、以成武功、以四萬五千人、勝紂七十萬衆。
六歩七歩、六伐七伐、以て戦法を教え、師を牧野に陣す。太公、百夫を以て師を制し、以て武功を成し、四万五千人を以て、紂の七十万の衆に勝てり。
- 六歩七歩、六伐七伐 … 古代の戦法。六歩か七歩進んだら、そこで止まって隊列を整え、敵を殺傷しても、六人か七人で止め、また陣容を立て直すこと。『史記』周本紀に「今日の事、六歩七歩に過ぎずして、乃ち止まりて斉えよ。夫子勉めよや。四伐五伐六伐七伐に過ぎずして、乃ち止まりて斉えよ」(今日之事、不過六步七步、乃止齊焉。夫子勉哉。不過於四伐五伐六伐七伐、乃止齊焉)とある。ウィキソース「史記/卷004」参照。また、『書経』牧誓にも同様に見える。ウィキソース「尚書/牧誓」参照。
- 陣師牧野 … 殷討伐のため、周の軍を牧野に進め、陣をかまえた。「牧野」は、今の河南省衛輝市。ウィキペディア【牧野の戦い】参照。
- 以百夫制師 … 勇士を百人選んで先鋒隊とし、率先して敵陣に突撃させた。「制」は、底本では「致」に作るが、『直解』に従い改めた。
- 武功 … 戦争でたてた手柄。戦功。
- 紂七十万衆 … 殷の紂王の七十万の大軍。
- 紂 … 殷の最後の王。名は辛。夏の桀とともに暴君の代表。ウィキペディア【帝辛】参照。
周司馬法、本太公者也。太公既沒、齊人得其遺法。至桓公霸天下。
周の司馬法は、太公に本づきし者なり。太公既に没し、斉人其の遺法を得たり。桓公に至って天下に覇たり。
任管仲、復修太公法。謂之節制之師。諸侯畢服。
管仲に任じて、復た太公の法を修む。之を節制の師と謂う。諸侯畢く服す。
- 管仲 … ?~前645。斉の宰相。管は姓。名は夷吾、仲は字。『管子』の著者。ウィキペディア【管仲】参照。
- 任 … ここでは桓公が管仲を宰相に任命したこと。
- 太公法 … 太公望の残した兵法。
- 節制之師 … 統制のとれた軍隊。「節制」は、控えめにすることではなく、厳しい規律の意。「師」は、軍隊。「師団」の略。
- 畢 … 「ことごとく」と読み、「皆」「全部」「もれなく」と訳す。「悉」「尽」と同じ。
- 服 … 服従する。
太宗曰、儒者多言管仲霸臣而已。殊不知兵法乃本於王制也。諸葛亮王佐之才。自比管樂。以此知管仲亦王佐也。但周衰時、王不能用。故假齊興師爾。
太宗曰く、儒者、多く管仲は覇臣のみと言う。殊に兵法は乃ち王制に本づくを知らざるなり。諸葛亮は王佐の才なり。自ら管楽に比す。此を以て管仲も亦た王佐たるを知るなり。但だ周衰うるの時、王用うること能わず。故に斉を仮りて師を興せしのみ。
- 儒者 … 儒学を学んだ学者。
- 覇臣 … 覇者の臣下。「覇者」は、武力や権謀で天下を征服した者。管仲は覇者桓公の宰相であったため、儒者からこう言われ蔑まれた。
- 不知兵法乃本於王制也 … 管仲の兵法が帝王の定めた制度に基づいたものであることを知らないからであろう。
- 王佐之才 … 帝王の仕事を助けることのできる才能のある人。
- 管楽 … 管仲と楽毅。楽毅は、戦国時代の燕の武将。ウィキペディア【楽毅】参照。
- 比 … 比較する。同列に並べる。同列に評価する。
- 王不能用 … 周の国王は管仲を登用することができなかった。
- 仮斉興師爾 … 代わりに斉の桓公に仕えて、軍隊を興しただけである。
靖再拜曰、陛下神聖、知人如此。老臣雖死、無媿昔賢也。
靖再拝して曰く、陛下は神聖にして、人を知ること此の如し。老臣死すと雖も、昔賢に媿ずる無し。
- 再拝 … 二度御辞儀をする。丁寧に御辞儀をすること。
- 神聖 … 清らかで尊いこと。
- 知人如此 … これほどまでに人物について理解されておられる。
- 老臣 … 年をとった家臣。自分の謙称。
- 昔賢 … 昔の賢臣。
- 無媿 … 恥ずかしく思うところはない。
臣請、言管仲制齊之法。三分齊國、以爲三軍。五家爲軌。故五人爲伍、十軌爲里。故五十人爲小戎、四里爲連。故二百人爲卒、十連爲鄉。故二千人爲旅、五鄉一師。故萬人爲軍。
臣請う、管仲が斉を制するの法を言わん。斉国を三分して、以て三軍と為す。五家を軌と為す。故に五人を伍と為し、十軌を里と為す。故に五十人を小戎と為し、四里を連と為す。故に二百人を卒と為し、十連を郷と為す。故に二千人を旅と為し、五郷は一師なり。故に万人を軍と為す。
- 臣 … 臣下が君主に対し、へりくだっていう自称の言葉。わたくし。
- 請 … 「こう~ん」と読み、「どうか~させてほしい」と訳す。願望の意を示す。
- 言管仲制斉之法 … 管仲が斉を統制した制度について述べさせてほしい。
- 以為三軍 … 三軍により管理制限した。
- 五家為軌 … 家五戸をもって一軌とした。
- 五人為伍 … 五人を一伍とした。
- 十軌為里 … 十軌(家五十戸)を一里とした。
- 五十人為小戎 … 五十人を小戎とした。
- 四里為連 … 四里を一連とした。
- 二百人為卒 … 二百人を一卒とした。
- 十連為郷 … 十連を一郷とした。
- 二千人為旅 … 二千人を一旅団とした。
- 五郷一師 … 五郷は一師となる。
- 師 … 底本では「帥」に作るが、『直解』に従い改めた。
- 万人為軍 … 一万人を一軍団とした。
亦由司馬法一師五旅、一旅五卒之義焉。其實皆得太公之遺法。
亦た司馬法の一師五旅、一旅五卒の義に由る。其の実は皆太公の遺法を得たり。
- 一師五旅 … 一師は五旅。
- 師 … 底本では「帥」に作るが、『直解』に従い改めた。
- 一旅五卒 … 一旅は五卒。
- 由 … 由来する。
- 太公之遺法 … 太公望の残した兵法。
太宗曰、司馬法、人言穰苴所述。是歟否也。
太宗曰く、司馬法は、人、穣苴の述ぶる所と言う。是か否か。
- 穣苴 … 司馬穰苴。春秋時代、斉の名将。姓は媯、氏は田。斉の景公に仕えた。『司馬法』を著した。ウィキペディア【司馬穰苴】参照。
- 所述 … 書き著した書。
- 是歟否也 … 果たしてそうか。まことであるか。
靖曰、案史記穰苴傳、齊景公時、穰苴善用兵、敗燕晉之師。景公尊爲司馬之官。由是稱司馬穰苴、子孫號司馬氏。
靖曰く、史記の穣苴伝を案ずるに、斉の景公の時、穣苴善く兵を用い、燕晋の師を敗る。景公尊んで司馬の官と為す。是に由りて司馬穣苴と称し、子孫、司馬氏と号す。
至齊威王、追論古司馬法、又述穰苴所學。遂有司馬穰苴書數十篇。今丗所傳兵家者流。又分權謀、形勢、陰陽、技巧四種、皆出司馬法也。
斉の威王に至りて、古の司馬法を追論し、又穣苴の学ぶ所を述ぶ。遂に司馬穣苴の書数十篇有り。今世に伝うる所の兵家者流なり。又権謀、形勢、陰陽、技巧の四種を分け、皆司馬法より出づ。
- 威王 … ?~前320。斉の君主。在位前356~前320。父は桓公。ウィキペディア【威王 (斉)】参照。
- 追論 … 整理研究する。
- 今世所伝兵家者流 … 今に伝わる兵家の一流派である。
- 権謀 … 臨機応変の謀略。
- 形勢 … 軍の編成や地形など。
- 陰陽 … 天候の利用や行動の時宜など。
- 技巧 … 攻撃と守備の装備など。
- 皆出司馬法也 … みな『司馬法』に始まっている。