李衛公問対 巻上〔十三〕
太宗曰、諸葛亮言、有制之兵、無能之將、不可敗也。無制之兵、有能之將、不可勝也。朕疑此談非極致之論。
太宗曰く、諸葛亮言う、有制の兵は無能の将なるも敗る可からず。無制の兵は有能の将なるも勝つ可からず、と。朕、此の談は極致の論に非ずと疑う。
- ウィキソース「唐李問對/卷上」参照。
- 諸葛亮 … 181~234。三国時代、蜀の忠臣。琅邪陽都(現在の山東省沂南県)の人。字は孔明。はじめ襄陽の隆中に隠棲し臥竜といわれていた。劉備の三顧の礼に応じて仕え、活躍した。詩文に「出師表」「梁父吟」などがある。ウィキペディア【諸葛亮】参照。
- 有制之兵~不可勝也 … 諸葛亮「兵要」に見える言葉。ウィキソース「兵要」参照。
- 有制之兵 … 統制のとれた軍隊。
- 無能之将、不可敗也 … 無能な将軍に率いられても負けない。
- 無制之兵 … 統制のとれない軍隊。
- 有能之将、不可勝也 … 有能な将軍に率いられても勝てない。
- 朕 … 古代の一人称代名詞。われ。わが。なお、秦の始皇帝から、天子だけが用いる一人称代名詞となった。
- 疑此談非極致之論 … 孔明の言葉は、兵法の究極の境地に到達した見解ではあるまい。
靖曰、武侯有所激云爾。臣案孫子有曰、教道不明、吏卒無常、陳兵縱橫曰亂。
靖曰く、武侯は激する所有りて云えるのみ。臣案ずるに、孫子に曰えること有り、教道明らかならず、吏卒常無く、兵を陳ぬること縦横なるを乱と曰う。
- 武侯 … 諸葛亮の諡。
- 有所激云爾。 … 気持ちが高ぶったときに敢えて言った言葉である。
- 臣 … 臣下が君主に対し、へりくだっていう自称の言葉。わたくし。
- 案 … 考えてみると。思うに。『直解』では「按」に作る。
- 孫子有曰 … 底本には「有」の字はないが、『直解』に従い補った。
- 教道不明、吏卒無常、陳兵縦横曰乱 … 教育が曖昧で、部将や兵士にも統制がなく、陣立てもばらばらであるのを、秩序の乱れた軍隊という。『孫子』地形篇の言葉。
- 教道 … 教え導くこと。教育。教導。『直解』では「教習」に作る。
- 陳兵 … 軍勢の配置。陣立て。「陳」は、並べること。
- 縦横 … ここでは陣立てがばらばらで、でたらめな様子。
- 曰乱 … 秩序が乱れた軍隊という。
自古亂軍引勝、不可勝紀。
古より軍を乱し勝を引くこと、勝げて紀す可からず。
- 乱軍引勝 … 軍隊が乱れて統率を欠き、敵に勝利させること。『孫子』謀攻篇の言葉。
- 引勝 … 勝利を引き去る。勝利を退ける。勝利を失う。転じて、敵に勝利させること。
- 不可勝紀 … 多すぎて書ききれない。枚挙に遑がない。「紀」は、書き記す。「記」と同義。
- 不可勝 … 「~はあげて…すべからず」「~は…するにたうべからず」と読み、「~は(多すぎて)…しきれない」と訳す。
夫教道不明者、言教閱無古法也。
夫れ教道明らかならずとは、教閲に古法無きを言うなり。
- 教道不明者 … 教育が曖昧なのは。
- 言教閲無古法也 … 軍事訓練が古来からの兵法に則っていないからである。
- 教閲 … 教練。訓練。
- 古法 … 古来からの兵法。
吏卒無常者、言將臣權任無久職也。
吏卒常無しとは、将臣権任にして久職無きを言うなり。
- 吏卒無常者 … 部将や兵士に統制がないのは。
- 言将臣権任無久職也 … 将軍や重臣が一時的にその任務に就いているだけで、長くその職務に止まっていないからである。
- 将臣 … 将軍と重臣。
- 権任 … 一時的な任務。
- 久職 … 長期間その職務にあること。
亂軍引勝者、言己自潰敗、非敵勝之也。
軍を乱し勝を引くとは、己自ら潰敗し、敵之に勝つに非ざるを言うなり。
- 乱軍引勝者 … 軍隊が乱れて統率を欠き、敵に勝利させるとは。
- 言己自潰敗、非敵勝之也 … 自滅したのであって、敵が力で勝ったのではない。
- 潰敗 … 隊列がくずれて負けること。『直解』では「潰散」に作る。
是以武侯言、兵卒有制、雖庸將未敗。若兵卒自亂、雖賢將危之。又何疑焉。
是を以て武侯言う、兵卒制有れば、庸将と雖も未だ敗れず。若し兵卒自ら乱るるときは、賢将と雖も之を危うくす、と。又何ぞ疑わん。
- 是以 … 「ここをもって」と読み、「こういうわけで」「このゆえに」「それゆえに」「だから」と訳す。「以是」は「これをもって」と読み、「この点から」「これにより」「これを用いて」と訳す。
- 武侯 … 諸葛亮の諡。
- 兵卒有制 … 軍隊に統制がとれていれば。「兵卒」は、ここでは軍隊の意。
- 雖庸将未敗 … 平凡な将軍のもとでも負けない。
- 庸将 … 平凡な将軍。凡庸な将軍。
- 兵卒自乱 … 軍隊自身が乱れていたなら。
- 雖賢将危之 … 賢明な将軍の指揮のもとでも危険にさらされる。
- 賢将 … 賢明な将軍。優れた将軍。賢い将軍。
- 又何疑焉 … この言葉に何の疑問があろうか、いや何の疑問もない。
- 何 … 「なんぞ~ん(や)」と読み、「どうして~であろうか(いや~ではない)」と訳す。反語の意を示す。
太宗曰、教閱之法、信不可忽。
太宗曰く、教閲の法は、信に忽せにす可からず。
- 教閲之法 … 軍事訓練の方法。
- 信 … まことに。
- 不可忽 … 忽せにしてはいけない。好い加減にしてはいけない。等閑にしてはいけない。
靖曰、教得其道、則士樂爲用。教不得法、雖朝督暮責、無益於事矣。
靖曰く、教え其の道を得れば、則ち士楽しんで用を為す。教え法を得ざれば、朝に督し暮に責むと雖も、事に益無し。
- 教得其道 … 教え方が道理に適っていれば。
- 士楽為用 … 兵士は楽しんで働く。
- 教不得法 … 教え方が道理に背いていれば。
- 雖朝督暮責 … 朝夕に責め質しても。「朝暮」は、朝夕。「督責」は、厳しく責めたてること。
- 無益於事矣 … 訓練上、成果は出ない。
臣所以區區古制、皆纂以圖者、庶乎成有制之兵也。
臣、古制に区区として、皆纂めて以て図する所以の者は、有制の兵を成さんことを庶えばなり。
- 臣 … 臣下が君主に対し、へりくだっていう自称の言葉。わたくし。
- 古制 … 古来からの制度。ここでは古来からの軍制。
- 区区 … ここでは細かいところ。
- 皆纂以圖者 … すべて集めて調べ尽くし、図式化したのは。
- 庶乎成有制之兵也 … 統制のとれた軍隊を作りたいと切望するからである。
- 庶 … 庶幾う。強く希望する。切望する。
太宗曰、卿爲我擇古陳法、悉圖以上。
太宗曰く、卿、我が為に古の陣法を択んで、悉く図して以て上れ。
- 卿 … 君主が重臣を尊んで呼ぶ言葉。そなた。なんじ。お前。あなた。
- 択古陣法、悉図以上 … 古来からの優れた陣立ての方法を選び、それをすべて図式化してわたしに見せてほしい。
- 陣法 … 陣立ての方法。
- 上 … 「たてまつる」と読む。目上の人にさしあげること。