李衛公問対 巻上〔七〕
太宗曰、古人臨陳出奇、攻人不意。斯亦相變之法乎。
太宗曰く、古人、陣に臨んで奇を出し、人の不意を攻む。斯れ亦た相変ずるの法か。
- ウィキソース「唐李問對/卷上」参照。
- 古人 … 昔の将軍。
- 臨陣 … 戦陣に臨んで。敵と対陣して。
- 陳 … 「陣」と同義。
- 出奇 … 奇兵を繰り出す。
- 攻人不意 … 敵に不意討ちを食わせる。「人」は、敵人。
- 斯亦相変之法乎 … これもまた奇正の変化に従った戦法か。
靖曰、前代戰闘、多是以小術而勝無術、以片善而勝無善。斯安足以論兵法也。
靖曰く、前代の戦闘、多くは是れ小術を以て無術に勝ち、片善を以て無善に勝つ。斯れ安んぞ以て兵法を論ずるに足らんや。
- 前代戦闘 … 昔の戦争。
- 以小術而勝無術 … わずかな戦術をもって無策の者に勝つ。
- 以片善而勝無善 … 戦い方がわずかに巧みなことをもって全く巧みでない者に勝つ。「善」は、よい。上手な。巧みな。
- 斯安足以論兵法也 … そんなものをもって兵法を論ずるに値しない。
若謝玄之破苻堅、非謝玄之善也。蓋苻堅之不善也。
謝玄の苻堅を破るが若きは、謝玄の善に非ざるなり。蓋し苻堅の不善なるなり。
太宗顧侍臣、檢謝玄傳、閲之曰、苻堅甚處是不善。
太宗、侍臣を顧みて、謝玄の伝を検べせしめ、之を閲して曰く、苻堅、甚れの処か是れ不善なる。
- 侍臣 … 君主のそば近くに仕える家臣。近侍。
- 顧 … ここでは呼びつける。
- 伝 … 伝記。
- 検 … 調べる。
- 閲 … 調べながら読む。閲読。
- 甚処是不善 … どこに戦い方のまずい点があったのか。
- 甚処 … 「いずれのところ」と読み、「どこに」と訳す。「何処」と同じ。
靖曰、臣觀苻堅載記曰、秦諸軍皆潰敗。唯慕容垂一軍獨全。堅以千餘騎赴之。垂子寶勸垂殺堅。不果。
靖曰く、臣、苻堅の載記を観るに、曰く、秦の諸軍皆潰敗す。唯だ慕容垂の一軍独り全し。堅、千余騎を以て之に赴く。垂の子宝、垂に堅を殺すを勧む。果さず、と。
- 苻堅載記 … 『晋書』巻一百十四、載記第十四を指す。ウィキソース「晉書/卷114」参照。「載記」とは、歴史書の中で列国の事情を記録した箇所。ウィキペディア【載記】参照。
- 秦諸軍~不果 … 『晋書』では「諸軍悉く潰ゆ。惟だ慕容垂の一軍独り全し。堅、千余騎を以て之に赴く。垂の子宝、垂に堅を殺すを勧む。垂従わず」(諸軍悉潰。惟慕容垂一軍獨全。堅以千餘騎赴之。垂子寶勸垂殺堅、垂不從)に作る。
- 秦諸軍 … 前秦の諸軍。
- 潰敗 … 敗れて壊滅状態となること。
- 慕容垂 … 326~396。五胡十六国時代、後燕の初代皇帝。在位384~396。もともと前燕の将軍だったが、淝水の戦いでは苻堅の前秦軍側で戦い、苻堅が東晋に大敗するや、後燕を建国した。ウィキペディア【慕容垂】参照。
- 独全 … ひとりの負傷兵もなく完全に残っていること。
- 赴之 … 苻堅が慕容垂に保護を求めたこと。ウィキペディア【ヒ水の戦い】参照。
- 宝 … 355~398。五胡十六国時代、後燕の第2代皇帝。在位396~398。慕容垂の第4子。ウィキペディア【慕容宝】参照。
- 不果 … 殺さなかった。「果」は、殺す。
此有以見秦軍之亂、慕容垂獨全。蓋堅爲垂所陷明矣。夫爲人所陷、而欲勝敵、不亦難乎。
此れ以て秦軍の乱るるを見て、慕容垂独り全きあり。蓋し堅、垂の陥るる所と為りしこと明らかなり。夫れ人の陥るる所と為りて、而して敵に勝たんと欲するは、亦た難からずや。
- 秦軍 … 底本では「秦師」に作るが、『直解』に従い改めた。
- 堅為垂所陥明矣 … 苻堅は慕容垂の術中に陥っていたのは明白である。
- 為人所陥、而欲勝敵、不亦難乎 … 味方の術中に陥っていながら、それを知らずに敵に勝とうと思うのは無理であろう。
臣故曰、無術焉苻堅之類是也。
臣、故に曰く、無術とは苻堅の類是れなり、と。
- 無術焉苻堅之類是也 … 無策とは苻堅のような連中を言うのである。
太宗曰、孫子謂多筭勝少筭。有以知少筭勝無筭。凡事皆然。
太宗曰く、孫子謂えり、算多きは算少なきに勝つ、と。以て算少なきは算無きに勝つを知る有り。凡そ事皆然り。
- 多算勝少算。有以知少算勝無算 … 敵と味方の軍備の優劣を比較計量した結果、敵より得点が多ければ得点が少ない敵に勝つ。従って味方の得点が少なくても、得点のない敵には勝てることがわかる。『孫子』計篇の言葉。
- 凡事皆然 … これはすべての事に当てはまる。