李衛公問対 巻上〔八〕
太宗曰、黃帝兵法、世握奇文。或謂爲握機文。何謂也。
太宗曰く、黄帝の兵法、世に握奇の文を伝う。或いは謂いて握機の文と為す。何の謂ぞや。
靖曰、奇音機。故或傳爲機。其義則一。考其辞云、四爲正、四爲奇、餘奇爲握機。奇餘零也。因此音機。
靖曰く、奇の音は機なり。故に或いは伝えて機と為す。其の義は則ち一なり。其の辞を考えるに云く、四を正と為し、四を奇と為し、余奇を握機と為すと。奇は余零なり。此の音機なるに因る。
- 奇音機 … 奇と機とは発音が同じである。
- 其義則一 … その意味するところは同一である。
- 辞 … 言葉。底本では「詞」に作るが、『直解』に従い改めた。同義。
- 四為正 … 天・地・風・雲の四陣を正とする。
- 四為奇 … 龍・虎・鳥・蛇の四陣を奇とする。
- 余奇為握機 … 余奇を握機とする。「余奇」は軍陣の名。握奇・握機と同じ。
- 奇余零也 … 奇とは、割って余った数のことである。奇正の奇の意ではない。
- 因此音機 … 奇と機とは発音が同じであるから、誤って奇を機に作ったのである。
臣愚謂、兵無不是機。安在乎握而言也。當爲餘奇則是。
臣愚にして謂えらく、兵は是れ機ならざるは無し。安んぞ握に在りて言わんや。当に余奇に為るは則ち是なるべし。
- 臣愚謂 … わたくしの愚見を申し述べれば。
- 兵無不是機 … 戦いはすべて謀である。「機」は、機謀。機略。
- 安在乎握而言也 … 何も謀を掌握するという意味においてのみ、奇という言うわけではない。
- 当為余奇則是 … 割り切れない奇数という意味にとれば、奇とするのが正しい。
夫正兵受之於君、奇兵將所自出。法曰、令素行以教其民者、則民服。此受之於君者也。
夫れ正兵は之を君に受け、奇兵は将の自ら出す所なり。法に曰く、令、素より行われ、以て其の民に教うれば、則ち民服す、と。此れ之を君に受くる者なり。
- 夫正兵受之於君 … そもそも正兵は君主から受け取るもの。
- 奇兵将所自出 … 奇兵は将軍の知略から繰り出すもの。
- 令素行以教其民者、則民服 … 普段から法令が守られていて、動員された兵士に軍の法令を教えるならば、兵士は服従する。「民」は、ここでは人民ではなく、動員されたばかりの新兵を指す。『孫子』行軍篇の言葉。
- 此受之於君者也 … これが君主から受け取る正兵である。
又曰、兵不豫言、君命有所不受。此將所自出者也。
又曰く、兵、予め言わず、君命も受けざる所有り、と。此れ将の自ら出す所の者なり。
- 兵不予言、君命有所不受 … 戦略については、あらかじめ言明しない。君主の命令には、従ってはならないこともある。「君命有所不受」のみ『孫子』九変篇の言葉。
- 奇兵将所自出 … これが将軍の知略から繰り出す奇兵である。
凡將、正而無奇、則守將也。奇而無正、則鬬將也。奇正皆得、國之輔也。
凡そ将、正にして奇無きは、則ち守将なり。奇にして正無きは、則ち闘将なり。奇正皆得るは、国の輔なり。
- 凡将、正而無奇、則守将也 … 総じて将軍において、正のみで奇を行うことを知らない者は、守備だけの将軍である。
- 守将 … 城を守る将軍。守備の大将。
- 奇而無正、則闘将也 … 奇のみで正を行うことを知らない者は、攻撃だけの将軍である。
- 闘将 … ここでは攻撃だけで守備が苦手な将軍。
- 奇正皆得、国之輔也 … 奇と正とを兼ね備えた者こそが、国家を補佐する将軍である。
是故、握機、握奇、本無二法。在學者兼通而已。
是の故に、握機、握奇は、本二法無し。学者の兼ねて通ずるに在るのみ。
- 是故 … こういうわけで。
- 本無二法 … もともと二種類の兵法ではない。
- 在学者兼通而已 … 兵法を学ぶ者だけが奇と正の両方に精通していればよいのである。「学者」は、ここでは兵法を学ぶ者。