孫子 地形篇
01 孫子曰、地形、有通者、有挂者、有支者、有隘者、有險者、有遠者。
孫子曰く、地形には、通なる者有り、挂なる者有り、支なる者有り、隘なる者有り、険なる者有り、遠なる者有り。
- 地形篇 … 武経本では「地形第十」に作る。
- 地形 … 戦場の地形。敵と味方が対峙する地形。
- 通 … 四方に通じている地形のこと。
- 挂 … 途中に引っかかる難所がある地形。武経本では「掛」に作る。同義。
- 支 … 枝道に分かれた地形。脇道が分岐している地形。
- 隘 … 狭い地形。道幅が狭まっている地形。
- 険 … 高く険しい地形。険阻な地形。
- 遠 … 両軍の陣地が遠く離れている地形。
我可以往、彼可以來曰通。
我以て往く可く、彼以て来る可きを通と曰う。
- 我可以往 … こちらから行くことができる。
- 彼可以来 … 敵もこちらに来ることができる。
- 通 … 四方に通じている地形のこと。
通形者、先居高陽、利糧道、以戰則利。
通なる形には、先ず高陽に居り、糧道を利し、以て戦えば則ち利あり。
- 通形 … 四方に通じている地形のこと。
- 高陽 … 日当たりの良い高い所。
- 利糧道 … 食糧の補給路を自軍に有利に確保する。
- 糧道 … 食糧を送り届ける道。食糧を輸送する道。
- 以戦則利 … こうして敵と戦えば有利である。
可以往、難以返曰挂。
以て往く可く、以て返り難きを挂と曰う。
- 可以往 … こちらから行くのは容易である。
- 難以返 … 撤退するのが困難である。
- 挂 … 途中に引っかかる難所がある地形。武経本では「掛」に作る。同義。
挂形者、敵無備、出而勝之、敵若有備、出而不勝、難以返不利。
挂なる形には、敵に備え無ければ、出でて之に勝ち、敵若し備え有れば、出でて勝たず、以て返り難くして不利なり。
- 挂形 … 途中に引っかかる難所がある地形。武経本では「掛」に作る。同義。
- 敵無備 … 敵に備えがなければ。
- 出而勝之 … 出撃して戦えば勝つ。
- 敵若有備 … もし敵に備えがあれば。
- 出而不勝 … 出撃して戦っても勝てない。
- 難以返不利 … 撤退も困難なので不利となる。
我出而不利、彼出而不利曰支。
我出でて不利、彼も出でて不利なるを支という。
- 我出而不利 … こちらが出撃しても不利となる。
- 彼出而不利 … 敵が出撃しても不利となる。
- 支 … 枝道に分かれた地形。脇道が分岐している地形。
支形者、敵雖利我、我無出也。
支なる形には、敵、我を利すと雖も、我出づること無かれ。
- 支形 … 枝道に分かれた地形。脇道が分岐している地形。
- 敵雖利我 … 敵が利益で我が軍を誘ってきても。
- 我無出也 … 我が軍は出撃してはいけない。
引而去之、令敵半出而擊之利。
引きて之を去り、敵をして半ば出でしめて之を撃つは利なり。
- 引而去之 … 味方の軍を引き連れて退却させる。
- 令敵半出而撃之利 … 敵が追撃してきて、半分ほどが出てきたところで攻撃すると有利である。
隘形者、我先居之、必盈之以待敵。
隘なる形には、我先ず之に居れば、必ず之を盈たして以て敵を待つ。
- 隘形 … 狭い地形。道幅が狭まっている地形。
- 我先居之 … こちらが先に占拠したら。
- 必盈之以待敵 … 必ずその狭い入り口に兵士を集中して、敵が来るのを待つ。
- 盈 … 満たす。いっぱいにする。
若敵先居之、盈而勿從、不盈而從之。
若し敵先ず之に居り、盈つれば而ち従うこと勿かれ、盈たざれば而ち之に従え。
- 若敵先居之 … もし敵が先にこの地を占拠していて。
- 盈而勿従 … 十分に兵士を配備していたら、敵に応じて攻撃してはいけない。「従」は、敵の行動に従って応じるの意。
- 而 … 「すなわち」と読み、「そうであれば」と訳す。「則」と同じ。
- 不盈而從之 … 兵士の配備が十分でないときは、敵に応じて攻撃する。
險形者、我先居之、必居高陽以待敵。
険なる形には、我先ず之に居れば、必ず高陽に居りて以て敵を待つ。
- 険形 … 高く険しい地形。険阻な地形。
- 我先居之 … こちらが先に占拠したら。
- 必居高陽以待敵 … 必ず高くて日当たりの良い所に布陣して、敵が来るのを待つ。
若敵先居之、引而去之勿從也。
若し敵先ず之に居れば、引きて之を去りて従うこと勿かれ。
- 若敵先居之 … もし敵が先にこの地を占拠していたら。
- 引而去之勿従也 … 味方の軍を引き連れて退却させ、敵に応じて攻撃してはいけない。「従」は、敵の行動に従って応じるの意。
遠形者、勢均難以挑戰、戰而不利。
遠なる形には、勢い均しければ以て戦いを挑み難く、戦えば而ち不利なり。
- 遠形 … 両軍の陣地が遠く離れている地形。
- 勢均難以挑戦 … 両軍の勢力が均衡している場合は、戦いを挑むのは難しい。
- 戦而不利 … 戦えば不利になる。
凡此六者、地之道也。
凡そ此の六者は、地の道なり。
- 此六者 … これら六つのことは。
- 地之道 … 地形についての道理。
將之至任、不可不察也。
将の至任、察せざる可からず。
- 将之至任 … 将軍の重要な任務。
- 至任 … 極めて大切な任務。重要な任務。重大な任務。重任。
- 不可不察也 … 十分に考えなければならない。よく明察しなければならない。
02 故兵有走者、有弛者、有陷者、有崩者、有亂者、有北者。
故に兵に走なる者有り、弛む者有り、陥る者有り、崩るる者有り、乱るる者有り、北ぐる者有り。
- 兵 … 軍隊。
- 走 … 敗走する。潰走する。
- 弛 … 規律が弛む。
- 陥 … 落ち込む。窮地に陥る。
- 崩 … 崩れる。崩壊する。
- 乱 … 乱れる。
- 北 … 敗北する。
凡此六者、非天之災、將之過也。
凡そ此の六者は、天の災いに非ず、将の過ちなり。
- 非天之災 … 自然の災害ではない。武経本では「非天地之災」に作る。
- 将之過 … 将軍の過失。
夫勢均、以一撃十曰走。
夫れ勢い均しくして、一を以て十を撃つを走と曰う。
- 勢均 … 両軍の勢力が均衡しているのに。
- 以一撃十 … 一の力で十倍の敵を攻撃するのを。
- 曰走 … 敗走する軍隊という。潰走する軍隊という。
卒強吏弱曰弛。
卒強く吏弱きを弛と曰う。
- 卒強吏弱 … 兵士が強いのに部将が弱いのは。「吏」は、軍の下級幹部。部将。一説に、軍を監督する役人。
- 曰弛 … 統率が取れず、規律が弛んでいる軍隊という。
吏強卒弱曰陷。
吏強く卒弱きを陥と曰う。
- 吏強卒弱 … 部将が強いのに兵士が弱いのは。
- 曰陥 … 士気が上がらず、窮地に陥る軍隊という。
大吏怒而不服、遇敵懟而自戰、將不知其能曰崩。
大吏怒りて服せず、敵に遇えば懟みて自ら戦い、将は其の能を知らざるを崩と曰う。
- 大吏怒而不服 … 上級の部将が怒って将軍に服従せず。「大吏」は、「吏」より上級の部将。副将。軍幹部。
- 遇敵懟而自戦 … 敵に遭遇すると、将軍を恨みに思って自分勝手に戦う。
- 懟 … 人を恨む。「怨」「恨」とほぼ同じ。
- 将不知其能 … 将軍は上級の部将の能力を認めていないのを。
- 曰崩 … 組織が崩壊する軍隊という。
將弱不嚴、教道不明、吏卒無常、陳兵縱橫曰亂。
将弱くして厳ならず、教道も明らかならず、吏卒常無く、兵を陳ぬること縦横なるを乱と曰う。
- 将弱不厳 … 将軍が弱腰で威厳もなく。
- 教道不明 … 教育が曖昧で。「教道」は、教え導くこと。教育。教導。
- 吏卒無常 … 部将や兵士にも統制がなく。
- 陳兵縦横 … 陣立てもばらばらであるのを。
- 陳兵 … 軍勢の配置。陣立て。「陳」は、並べること。
- 縦横 … ここでは陣立てがばらばらで、でたらめな様子。
- 曰乱 … 秩序が乱れた軍隊という。
將不能料敵、以少合衆、以弱撃強、兵無選鋒曰北。
将、敵を料ること能わず、少を以て衆に合わせ、弱を以て強を撃ち、兵に選鋒無きを北と曰う。
- 将不能料敵 … 将軍が敵情をはかり考えることができず。
- 以少合衆 … 少数の兵で多数の敵と合戦する。
- 以弱撃強 … 弱い兵で強い敵兵を攻撃する。
- 兵無選鋒 … 軍に精鋭部隊がいないのを。
- 選鋒 … 精鋭の士。精鋭部隊。
- 曰北 … 敗北する軍隊という。
凡此六者、敗之道也。
凡そ此の六者は、敗の道なり。
- 此六者 … これら六つのものは。
- 敗之道 … 敗北に至る道理。
將之至任、不可不察也。
将の至任にして、察せざる可からず。
- 将之至任 … 将軍の重要な任務。
- 至任 … 極めて大切な任務。重要な任務。重大な任務。重任。
- 不可不察也 … 十分に考えなければならない。よく明察しなければならない。
03 夫地形者、兵之助也。
夫れ地形は、兵の助けなり。
- 兵之助也 … 戦いの補助となるものである。
料敵制勝、計險阨遠近、上將之道也。
敵を料りて勝を制し、険阨・遠近を計るは、上将の道なり。
- 料敵制勝 … 敵の情勢をはかり考えて、勝算を立てる。
- 険阨 … 地形が険しいこと。
- 遠近 … 遠い所か近い所か。
- 計 … はかる。検討する。
- 上将之道也 … 総大将の務めである。
知此而用戰者必勝、不知此而用戰者必敗。
此を知りて戦いを用うる者は必ず勝ち、此を知らずして戦いを用うる者は必ず敗る。
- 知此而用戦者必勝 … このことを知った上で戦う者は必ず勝つ。
- 不知此而用戦者必敗 … このことを知らずに戦う者は必ず敗れる。
故戰道必勝、主曰無戰、必戰可也。
故に戦道必ず勝たば、主は戦う無かれと曰うとも、必ず戦いて可なり。
- 戦道 … 戦争の道理から見て。戦闘の道理に照らして。
- 必勝 … 必ず勝つことが見通せるときは。
- 主曰無戦 … 君主が戦うなと言っても。
- 必戦可也 … ためらわずに戦ってよい。
戰道不勝、主曰必戰、無戰可也。
戦道勝たずんば、主は必ず戦えと曰うとも、戦う無くして可なり。
- 戦道不勝 … 戦争の道理から見て、勝てる見通しがないときは。
- 主曰必戦 … 君主が必ず戦えと言っても。
- 無戦可也 … 戦わずにいて構わない。
故進不求名、退不避罪、唯人是保、而利合於主、國之寳也。
故に進んで名を求めず、退いて罪を避けず、唯だ人を是れ保ちて、利の主に合うは、国の宝なり。
- 進不求名 … 軍を進めても、名誉を求めてのことではなく。
- 退不避罪 … 君命に背いて退却しても、命令違反の罪を避けることはせず。
- 唯人是保 … ただ人民の生命を大切にして。
- 人 … 武経本では「民」に作る。
- 利合於主 … そうした行動が君主の利益にも合致するという将軍は。
- 合 … 武経本にはこの字なし。
- 国之宝也 … 国家の宝である。
04 視卒如嬰兒、故可與之赴深谿。
卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴く可し。
- 視卒如嬰児 … 将軍が兵士に赤ん坊に対するように愛情を持って接すると。
- 嬰児 … 生まれたばかりの赤ん坊。みどりご。
- 可与之赴深谿 … 兵士にともに深い谷にも行くことができる。「之」は、兵士を指す。
- 深谿 … 深い谷。
視卒如愛子、故可與之倶死。
卒を視ること愛子の如し、故に之と倶に死す可し。
- 視卒如愛子 … 将軍が兵士に我が子に対するように愛情を持って接すると。
- 可与之倶死 … 兵士と生死をともにできるようになる。「之」は、兵士を指す。
厚而不能使、愛而不能令、亂而不能治、譬若驕子、不可用也。
厚くして使うこと能わず、愛して令すること能わず、乱れて治むること能わざれば、譬えば驕子の若く、用う可からざるなり。
- 厚而不能使 … 兵士を厚遇するだけで、仕事をさせることができず。
- 愛而不能令 … 兵士を可愛がるだけで、命令することもできず。
- 厚而不能使、愛而不能令 … 武経本では「愛而不能令、厚而不能使」に作る。
- 乱而不能治 … 軍規を乱しても、処分し治めることができなければ。
- 譬若驕子 … 譬えばわがまま息子のようなもので。
- 若 … 武経本では「如」に作る。
- 不可用也 … 用いることはできない。
05 知吾卒之可以擊、而不知敵之不可擊、勝之半也。
吾が卒の以て撃つ可きを知るも、敵の撃つ可からざるを知らざるは、勝の半ばなり。
- 知吾卒之可以撃 … 味方の兵士が敵を攻撃して、勝てる能力があることを知っていても。
- 不知敵之不可撃 … 敵に十分な備えがあって、攻撃してはいけない状態にあることを知っていなければ。
- 勝之半也 … 必ず勝つとは限らない。勝敗は五分五分である。
知敵之可擊、而不知吾卒之不可以擊、勝之半也。
敵の撃つ可きを知るも、吾が卒の以て撃つ可からざるを知らざるは、勝の半ばなり。
- 知敵之可撃 … 敵を攻撃してもよい状態にあることを知っていても。
- 不知吾卒之不可以撃 … 味方の兵士に敵を攻撃する能力がないことを知らなければ。
- 勝之半也 … 必ず勝つとは限らない。勝敗は五分五分である。
知敵之可擊、知吾卒之可以擊、而不知地形之不可以戰、勝之半也。
敵の撃つ可きを知り、吾が卒の以て撃つ可きを知るも、地形の以て戦う可からざるを知らざるは、勝の半ばなり。
- 知敵之可撃 … 敵を攻撃してもよい状態にあることを知って。
- 知吾卒之可以撃 … 味方の兵士に敵を攻撃する能力があることを知っていても。
- 不知地形之不可以戦 … 地形が戦う状況にないことを見抜けないようでは。
- 勝之半也 … 必ず勝つとは限らない。勝敗は五分五分である。
故知兵者、動而不迷、舉而不窮。
故に兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず。
- 知兵者 … 戦争に精通している者は。
- 動而不迷 … 軍を動かしても迷いがなく。
- 挙而不窮 … 戦っても窮地に追いやられることはない。「挙」は、挙兵する。合戦する。
故曰、知彼知己、勝乃不殆。
故に曰く、彼を知り己を知れば、勝、乃ち殆うからず。
- 知彼知己者 … 敵の実情を知り、また味方の実情もよく知っていれば。
- 勝乃不殆 … 勝利は揺るぎない。「殆」は、危うい。
知天知地、勝乃不窮。
天を知り地を知れば、勝、乃ち窮まらず。
- 知天知地 … 天の時を知り、地形の道理を知っていれば。「天」は、天候・気温・季節などを指す。
- 勝乃不窮 … 勝利は完璧に実現される。いつでも勝てる。
- 不窮 … 武経本では「可全」に作る。
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