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与高適薛拠同登慈恩寺浮図(岑参)

與高適薛據同登慈恩寺浮圖
高適(こうせき)・薛拠(せつきょ)と同(とも)に慈(じ)恩(おん)寺(じ)の浮図(ふと)に登(のぼ)る
岑参(しんじん)
  • 五言古詩。宮・空・工・穹・風・東・瓏・中・濛・窮(上平声東韻)、宗(上平声冬韻)通押。
  • ウィキソース「與高適薛據同慈恩寺浮圖」参照。
  • 詩題 … 『全唐詩』『唐詩三百首』では「與高適薛據登慈恩寺浮圖」に作る。『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』では「與高適薛據同登慈恩寺」に作る。
  • 高適 … ?~765。盛唐の詩人。滄州渤海(山東省浜州市)の人。一説に渤海郡蓨(しゅう)県(河北省景県)の人。字(あざな)は達(たつ)夫(ふ)または仲武。天宝八載(749)、有道科(科挙の一科)に推挙され、受験して及第。汴(べん)州の封(ふう)丘(きゅう)(河南省封丘県)の尉となったが、後に辞任し、辺塞を遊歴した。晩年は刑部侍郎、左散騎常侍に至った。辺塞詩人として岑参とともに「高岑」と並び称され、王之渙・王昌齡・岑参と合わせて「辺塞四詩人」とも称される。『高常侍集』八巻がある。ウィキペディア【高適】参照。
  • 薛據 … 生没年不詳。盛唐の詩人。河東(現在の山西省西部)の人。開元十九年(731)、進士に及第。官は司議郎・水部郎中などを歴任し、給事中に至った。岑参より年長。詩十二首が現存する(『全唐詩』巻二百五十三に収録)。『唐詩選』には収録なし。ウィキペディア【薛據】(中文)参照。
  • 同 … ともに。いっしょに。共に同じ。「同じく」と読んでもよい。
  • 慈恩寺 … 大慈恩寺。長安城の東南部、晋昌坊の東半分を占めた大寺院。今の陝西省西安市雁塔区にある。貞観二十二年(648)、高宗が皇太子のとき、亡き母(文徳皇后)の菩提を弔うために建立したもの。寺名は「慈母の恩」から命名された。境内にある大雁塔が特に有名。ウィキペディア【大慈恩寺】参照。
  • 浮図 … 仏。仏の教え。僧侶。仏塔。ここでは、仏塔の意。「浮屠」とも。高宗の永(えい)徽(き)三年(652)、五層からなる仏塔(磚塔(せんとう))を建立した(これが大雁塔の前身で、大雁塔の名称は明代以後)。ウィキペディア【大雁塔】参照。『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』巻七に「三年春三月、法師、寺の端門の陽に於いて石の浮図を造り、西域所将の経像を安置せんと欲す。……是に於いて磚を用い、仍って改めて西院に就く。其の塔基の面各〻一百四十尺、西域の制度に倣って、此の旧の式に循わざるなり。塔は五級有り、並びに相輪・霜盤凡そ高さ一百八十尺。層層の中心に皆な舎利有り、或いは一千、二千、凡そ一万余粒。上層は石を以て室と為す。南面に両碑有り、二聖の三蔵聖教序・記を載す。其の書は即ち尚書右僕射河南公褚遂良の筆なり」(三年春三月、法師欲於寺端門之陽造石浮圖、安置西域所將經像。……於是用磚、仍改就西院。其塔基面各一百四十尺、倣西域制度、不循此舊式也。塔有五級、竝相輪、霜盤凡高一百八十尺。層層中心皆有舍利、或一千、二千、凡一萬餘粒。上層以石爲室。南面有兩碑、載二聖三藏聖教序、記。其書即尚書右僕射河南公褚遂良之筆也)とある。ウィキソース「大唐大慈恩寺三藏法師傳/卷07」参照。
  • この詩は、作者が友人の高適・薛拠(せつきょ)とともに慈恩寺の塔に登って詠んだもの。このとき、杜甫・儲(ちょ)光(こう)羲(ぎ)もいっしょに登っており、薛拠以外の詩が現在も残っている。ウィキソース「同諸公登慈恩寺塔 (儲光羲)」「同諸公登慈恩寺浮圖 (高適)」「同諸公登慈恩寺塔 (杜甫)」参照。天宝十一載(752)、作者三十八歳の作。
  • 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(湖北省荊州市江陵県)の人。字(あざな)は不詳。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右(う)補(ほ)闕(けつ)・虢(かく)州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適(こうせき)とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
塔勢如湧出
塔勢(とうせい) 湧(ゆう)出(しゅつ)するが如(ごと)く
  • 塔勢 … 塔の勢い。塔の聳(そび)え立っている様子。
  • 湧出 … 塔が高く、あたかも地中から湧き出たようであること。『法華経』見宝塔品に「爾(そ)の時仏前に七宝の塔有り。高さ五百由(ゆ)旬(じゅん)、縦(じゅう)広(こう)二百五十由旬、地より湧出し、住(とど)まって空中に在り、……高くして四天王宮に至る」(爾時佛前有七寶塔。高五百由旬、縱廣二百五十由旬、從地湧出、住在空中、……高至四天王宮)とある。由旬は、古代インドの距離の単位の一つ。一由旬は十六里とも、三十里とも、また四十里ともいう。ウィキソース「妙法蓮華經/11」参照。
孤高聳天宮
孤(こ)高(こう) 天(てん)宮(きゅう)に聳(そび)ゆ
  • 孤高 … 一つだけとびぬけて高いこと。いっしょに登った高適の詩にも「登臨して孤高に駭(おどろ)き、披(ひ)払(ふつ) 大壮を欣(よろこ)ぶ」(登臨駭孤高、披拂欣大壯)とある。披払は、風に煽(あお)られること。大壮は、壮大な様子。ウィキソース「同諸公登慈恩寺浮圖」参照。
  • 天宮 … 天上にあるといわれる宮殿。『水経注』渭水篇に「秦の始皇、離宮を渭水の南北に作り、以て天宮に象(かたど)る」(秦始皇作離宮于渭水南北、以象天宮)とある。ウィキソース「水經注/19」参照。
  • 聳 … (天上の宮殿に届かんばかりに)聳(そび)え立つ。
登臨出世界
登臨(とうりん)すれば 世(せ)界(かい)を出(い)で
  • 登臨 … この塔に登って眺め渡せば。『楚辞』九弁に「憭(りょう)慄(りつ)たり、遠行に在りて、山に登り水に臨み、将(まさ)に帰らんとするを送るが若(ごと)し」(憭慄兮、若在遠行、登山臨水兮、送將歸)とある。憭慄は、痛み悲しむさま。ウィキソース「楚辭/九辯」参照。また、南朝陳の陰鏗(いんこう)「開善寺」詩に「登臨 情(じょう)極まらず、蕭(しょう)散(さん) 趣(おもむき)窮まり無し」(登臨情不極、蕭散趣無窮)とある。蕭散は、さっぱりとしてこだわりのないこと。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷109」参照。
  • 世界 … 仏教用語で、衆生の住む所。世は、過去・現在・未来。界は、東西南北上下の意。ここでは、俗世間を指す。『楞厳経』巻四に「阿難よ、云何(いか)なるをか名づけて衆生世界と為す。世をば遷(せん)流(る)と為し、界をば方位と為す。汝今当に知るべし、東・西・南・北と、東南・西南と、東北・西北と、上(じょう)と下(げ)とを界と為し、過去・未来・現在を世と為す」(阿難、云何名爲衆生世界。世爲遷流、界爲方位。汝今當知、東西南北、東南西南、東北西北、上下爲界、過去未來現在爲世)とある。遷流は、移り変わり、去ってゆくこと。ウィキソース「楞嚴經/卷04」参照。また『金剛般若経』一合理相分第三十に「世尊よ、如来の説きたもう所の三千大千世界は、即ち世界に非ず。是れを世界と名づくるなり」(世尊、如來所說三千大千世界、即非世界。是名世界)とある。ウィキソース「金剛般若波羅蜜經 (鳩摩羅什)」参照。
  • 出 … 抜け出た感じになるだろう。
磴道盤虛空
磴道(とうどう) 虚(こ)空(くう)に盤(わだかま)る
  • 磴道 … (塔へ至る)石段の坂道。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「隥道を凌いで西墉(せいよう)を超ゆ」(凌隥道而超西墉)とあり、その李善注に「薛綜(せつそう)『西京の賦』の注に曰く、隥は、閣道なり、と」(薛綜西京賦注曰、隥、閣道也)とある。隥は、磴と同意。西墉は、西の城郭。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。
  • 盤虚空 … 空中をぐるぐると旋回しているように見える。盤は、とぐろを巻いたように巡って上がってゆく様子。『金剛般若経』妙行無住分第四に「須菩提よ、意に於いて云(い)何(かん)。東方の虚空は、思量す可きや不(うな)や」(須菩提、於意云何。東方虛空、可思量不)とある。ウィキソース「金剛般若波羅蜜經 (鳩摩羅什)」参照。また『楞厳経』巻九に「当に知るべし、虚空の汝が心内に生ずることは、猶お片雲の太清の裏(うち)に点ずるが如し。況んや諸〻(もろもろ)の世界の虚空に在るをや」(當知、虛空生汝心内、猶如片雲點太清裏。況諸世界在虛空耶)とある。ウィキソース「楞嚴經/卷09」参照。
突兀壓神州
突兀(とっこつ)として神(しん)州(しゅう)を圧(あっ)し
  • 突兀 … 高く突き出ている様子。西晋の木華「海の賦」(『文選』巻十二)に「魚は則ち横海の鯨、突扤として孤(ひと)り遊ぶ」(魚則橫海之鯨、突扤孤遊)とあり、その李善注に「郭璞(かくはく)『山海(せんがい)経(きょう)』の注に曰く、横は、塞ぐなり。突扤は、高き貌(さま)、と」(郭璞山海經注曰、橫、塞也。突扤、高貌)とある。横海は、海中に横たわること。扤は、兀と同意。ウィキソース「昭明文選/卷12」参照。
  • 神州 … 中国人が自国を称していう。ただし、ここでは都を意味し、長安一帯を指す。『太平御覧』に引く『河図括地象』に「崑崙の東南地方五千里、名づけて神州と曰う。中に五山有り、帝王之に居る」(崑崙東南地方五千里、名曰神州。中有五山、帝王居之)とある。ウィキソース「太平御覽/0157」参照。また『史記』孟子荀卿列伝に「騶衍(すうえん)……以為(おも)えらく、儒者の所謂中国は、天下に於いて乃ち八十一分して其の一分に居るのみ。中国をば名づけて赤県神州と曰う。赤県神州の内、自ずから九州有り。禹の序する九州是れなり」(騶衍……以爲儒者所謂中國者、於天下乃八十一分居其一分耳。中國名曰赤縣神州。赤縣神州内、自有九州。禹之序九州是也)とある。ウィキソース「史記/卷074」参照。また、西晋の左思「魏都の賦」(『文選』巻六)に「故に将に子(し)に語るに神州の略、赤県の畿、魏都の卓犖(たくらく)、六合(りくごう)の枢機を以てせん」(故將語子以神州之略、赤縣之畿、魏都之卓犖、六合之樞機)とある。卓犖は、高くぬき出ている様子。畳韻の語。六合は、東・西・南・北・上・下の六つの方角。全世界。ウィキソース「魏都賦」参照。また、同じく左思「史を詠ぜし詩八首」(其五、『文選』巻二十一)に「皓天(こうてん)は白日を舒(の)べ、霊景(れいけい)は神州に耀く」(皓天舒白日、靈景耀神州)とあり、その呂(りょ)向(きょう)の注に「神州は京都なり」(神州京都也)とある。皓天は、大いなる天。霊景は、日光。ウィキソース「六臣註文選 (四庫全書本)/卷21」参照。
  • 圧 … 上から押さえつける。威圧する。『広雅』釈言篇に「圧は、鎮むるなり」(壓、鎭也)とある。ウィキソース「廣雅 (四庫全書本)/卷05」参照。
崢嶸如鬼工
崢嶸(そうこう)として鬼(き)工(こう)の如(ごと)し
  • 崢嶸 … 高く険しいさま。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「巌(がん)峻(しゅん)崷崪(しゅうしゅつ)として、金石崢嶸(そうこう)たり」(巖峻崷崪、金石崢嶸)とあり、その李善注に「郭璞『方言』の注に曰く、崢嶸は、高(こう)峻(しゅん)なり、と」(郭璞方言注曰、崢嶸、高峻也)とある。巌峻は、巌の険しいさま。崷崪は、山の高いさま。金石は、金(かね)と石の峰。高峻は、山が高く険しいこと。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。また、西晋の左思「蜀都の賦」(『文選』巻四)に「三峡の崢嶸たるを経(へ)、五(ご)屼(こつ)の蹇滻(けんさん)たるを躡(ふ)む」(經三峽之崢嶸、躡五屼之蹇滻)とある。五屼は、四川省楽山県南部にある山。蹇滻は、屈曲したさま。ウィキソース「蜀都賦 (左思)」参照。また『漢書』西域伝、罽賓(けいひん)国の条に「崢嶸不測の深きに臨む」(臨崢嶸不測之深)とあり、その顔師古注に「崢嶸は、深険の貌(さま)なり」(崢嶸、深険之貌也)とある。『漢書評林』巻九十六上(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 鬼工 … 鬼神の細工。技術が精巧で、人が作ったとは思えないほどの優れた出来栄え。中唐の李賀の詩「羅浮(らふ)山人(さんじん) 葛(くず)を与うる篇」に「博(はく)羅(ら)の老仙 時に洞を出づ、千歳(せんざい)の石(せき)牀(しょう) 鬼工を啼(な)かしむ」(博羅老仙時出洞、千歲石牀啼鬼工)とある。羅浮山は、広東省増城県北東にある山。博羅は、羅浮山の別名、博羅山。石牀は、石で作った寝台。ウィキソース「羅浮山父與葛篇」参照。
四角礙白日
四(し)角(かく) 白日(はくじつ)を礙(さえぎ)り
  • 四角 … 四方の檐(のき)かど。西晋の蘇伯玉の妻「盤中詩」(『玉台新詠』巻九)に「今時の人 智(ち)足らず、其(それ)に書を与うるも読むこと能わず。当に中央より四角に周(めぐ)るべし」(今時人智不足、與其書不能讀。當從中央周四角)とある。盤中は、大皿の中。ウィキソース「盤中詩」参照。
  • 角 … 『寛保刊本』には「一作方」と注する。
  • 白日 … 輝く太陽(の運行)。三国魏の曹植「白馬王彪(ひょう)に贈る」詩(『文選』巻二十四)の第四首に「原野何ぞ蕭条たる、白日は忽(たちま)ち西に匿(かく)る」(原野何蕭條、白日忽西匿)とある。ウィキソース「贈白馬王彪」参照。
  • 礙 … 妨(さまた)げる。邪魔をして止める。
七層摩蒼穹
七層(しちそう) 蒼(そう)穹(きゅう)を摩(ま)す
  • 七層 … 七層の頂。慈恩寺の浮図(仏塔)が建立されたとき(652)は五層であり、その後、則天武后の長安年間(701~705)に改築され、七層となった。作者たちが登ったときは天宝十一載(752)であるので、七層である。植木久行編『中国詩跡事典』( ‎ 研文出版、2015年)の【大慈恩寺・大雁塔】の項参照。
  • 蒼穹 … 青空。『爾雅』釈天篇に「穹蒼は、蒼天なり」(穹蒼、蒼天也)とあり、その郭璞注に「天の形は穹隆、其の色蒼蒼たり。因りて名云う」(天形穹隆、其色蒼蒼。因名云)とある。ウィキソース「爾雅註疏/卷06」参照。
  • 摩 … 触れ擦(さす)る。
下窺指高鳥
下窺(かき)して高(こう)鳥(ちょう)を指(ゆび)さし
  • 下窺 … 下の方をのぞき込めば。
  • 高鳥 … 空高く飛ぶ鳥。『史記』淮陰侯列伝に「狡(こう)兎(と)死して、良(りょう)狗(く)亨(に)られ、高鳥尽きて、良弓(りょうきゅう)蔵(かく)され、敵国破れて、謀臣亡(ほろ)ぶ」(狡兔死、良狗亨、髙鳥盡、良弓藏、敵國破、謀臣亡)とある。ウィキソース「史記/淮陰侯列傳」参照。また、三国魏の阮籍「詠懐詩八十二首」の第四十七首に「高鳥 山岡(さんこう)に翔(かけ)り、燕雀 下林に棲む」(高鳥翔山岡、燕雀棲下林)とある。ウィキソース「詠懷詩五言八十二首」参照。また、東晋の陶潜「始めて鎮軍参軍と作り、曲阿を経(へ)しときに作る」詩(『文選』巻二十六)に「雲を望んでは高鳥に慙(は)じ、水に臨んでは遊魚に愧(は)ず」(望雲慚高鳥、臨水愧遊魚)とある。ウィキソース「始作鎮軍參軍經曲阿」参照。
  • 指 … 指さすことができる。
俯聽聞驚風
俯(ふ)聴(ちょう)して驚(きょう)風(ふう)を聞(き)く
  • 俯聴 … 「俯して聴けば」と読んでもよい。俯(うつむ)いて耳を澄ませば。
  • 驚風 … 突風。三国魏の曹植の楽府「箜篌引(こうこういん)」(『文選』巻二十七)に「驚風 白日を飄(ひるがえ)し、光景 馳(は)せて西に流る」(驚風飄白日、光景馳西流)とある。ウィキソース「箜篌引 (曹植)」参照。また、劉宋の鮑照「舞(ぶ)鶴(かく)の賦」(『文選』巻十四)に「驚風の蕭条たるに臨み、流光の照灼(しょうしゃく)たるに対す」(臨驚風之蕭條、對流光之照灼)とある。蕭条は、物寂しいさま。照灼は、照り輝くさま。ウィキソース「舞鶴賦」参照。
連山若波濤
連山(れんざん) 波(は)濤(とう)の若(ごと)く
  • 連山若波濤 … 連なっている山々は、大波のうねりのようである。波濤は、うねりの大きな波。『荘子』外物篇に「白(はく)波(は)山の若(ごと)し」(白波若山)とある。ウィキソース「莊子/外物」参照。また、西晋の木華「海の賦」(『文選』巻十二)に「波は連山の如く、乍(ある)いは合い乍(ある)いは散る」(波如連山、乍合乍散)とあり、その李周翰注に「風起こり波高きは、山の連なるが如し」(風起波髙、如山之連)とある。ウィキソース「六臣註文選 (四庫全書本)/卷12」参照。また、後漢末の邯鄲淳「曹娥碑」に「或いは湍瀬(たんらい)に趨き、或いは波濤を逐う」(或趨湍瀨、或逐波濤)とある。湍瀬は、早瀬。ウィキソース「曹娥碑」参照。
奔走似朝東
奔走(ほんそう)すること 東(ひがし)に朝(ちょう)するに似(に)たり
  • 奔走 … 走り駆けるさま。『楚辞』離騒に「忽ち奔走して以て先後し、前王の踵(しょう)武(ぶ)に及ばんとす」(忽奔走以先後兮、及前王之踵武)とある。先後は、先になり後になって助けること。踵武は、前の人の業績を継ぐこと。武は、足あと。ウィキソース「離騷」参照。『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『唐詩三百首』では「奔湊」に作る。こちらは、走り集まること。また、西晋の陸機「挽歌の詩三首」(『文選』巻二十八)の第一首に「周親は咸(み)な奔(はし)り湊(あつ)まり、友朋も遠くより来(きた)る」(周親咸奔湊、友朋自遠來)とある。ウィキソース「昭明文選/卷28」参照。
  • 朝東 … 東の方へ向かうこと。東の方には海があり、多くの河水が東へ流れて海に注ぐことをいう。それを、諸侯たちが天子のもとに入朝するのに喩える。『書経』禹貢篇に「江・漢海(うみ)に朝宗して、九江孔(おお)いに殷(さだ)まる」(江漢朝宗于海、九江孔殷)とある。江は、長江。漢は、漢水。ウィキソース「尚書/禹貢」参照。
靑松夾馳道
青(せい)松(しょう) 馳(ち)道(どう)を夾(さしはさ)み
  • 青松 … 美しく緑に茂った松並木。東晋の陶潜の詩「擬古九首」の第五首に「青松 路を夾(はさ)んで生じ、白雲 檐端(えんたん)に宿る」(靑松夾路生、白雲宿檐端)とある。檐端は、軒(のき)端(ば)。ウィキソース「擬古 (陶淵明)」参照。『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『唐詩三百首』では「青槐」に作る。西晋の左思「魏都の賦」(『文選』巻六)に「青槐を羅(つら)ねて以て塗(みち)を蔭(いん)せり」(羅靑槐以蔭塗)とある。ウィキソース「魏都賦」参照。
  • 馳道 … 天子が行幸の際に通る道。お成り道。『漢書』賈山伝に「馳道を天下に為(つく)り、東は燕・斉を窮め、南は呉・楚を極め、江湖の上(ほとり)、瀕海の観畢(ことごと)く至れり。道の広さ五十歩、三丈にして樹(う)え、厚く其の外を築き、隠するに金椎(きんつい)を以てし、樹(う)うるに青松を以てす」(爲馳道於天下、東窮燕齊、南極吳楚、江湖之上、瀕海之觀畢至。道廣五十歩、三丈而樹、厚築其外、隱以金椎、樹以靑松)とある。ウィキソース「漢書/卷051」参照。また、後漢の王延寿「魯の霊光殿の賦」(『文選』巻十一)に「是(ここ)に於いてか連閣(れんかく)宮(きゅう)を承(う)け、馳道周(しゅう)環(かん)す」(於是乎連閣承宮、馳道周環)とあり、その李善注に「馳道は、人君の行く所の道なり。君必ず車馬に乗る。故に馳を以て名と為すなり」(馳道、人君所行之道也。君必乘車馬。故以馳爲名也)とある。ウィキソース「昭明文選/卷11」参照。
宮觀何玲瓏
宮(きゅう)観(かん) 何(なん)ぞ玲瓏(れいろう)たる
  • 宮観 … 宮殿。離宮。観は、楼閣。『史記』秦始皇本紀に「乃ち咸陽の旁(かたわら)二百里の内の宮観二百七十を、復道・甬道(ようどう)もて相連ね、帷(い)帳(ちょう)・鐘鼓・美人を之に充たし、各〻案署(あんしょ)して移徙(いし)せざらしむ」(乃令咸陽之旁二百里内宮觀二百七十、復道甬道相連、帷帳鐘鼓美人充之、各案署不移徙)とある。復道は、上下二重のわたり廊下。宮中の御殿と御殿とを結ぶもので、上は天子、下は臣下が通る。複道とも。甬道は、そこを通る車や人が外部から見えないように、両側に土塀を高く築いた通路。帷帳は、とばり。案署は、所属の部分を記録して所在を明らかにすること。移徙は、移転に同じ。ウィキソース「史記/卷006」参照。また、同じく司馬相如列伝に「宮観を虚しくして仞(み)つる勿(なか)れ」(虛宮觀而勿仞)とある。ウィキソース「史記/卷117」参照。『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「宮館」に作る。こちらは、離宮。別館。『漢書』宣帝紀に「郡国の宮館は、復た修治すること勿(なか)れ」(郡國宮館、勿復修治)とある。ウィキソース「漢書/卷008」参照。また、後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「離宮別館、三十六所」とある。ウィキソース「西都賦」参照。また、三国魏の曹植「七啓」(『文選』巻三十四)に「此れ宮館の妙なり、子(し)能く我に従って之に居らんか」(此宮館之妙也、子能從我而居之乎)とある。ウィキソース「七啟」参照。
  • 玲瓏 … 美しく澄みきっている様子。前漢の楊雄「甘泉の賦」(『文選』巻七)に「前殿崔(さい)巍(ぎ)として、和氏(かし)玲瓏たり」(前殿崔巍兮、和氏玲瓏)とある。崔巍は、高く険しいさま。和氏は、和氏の璧。美玉の代名詞。その晋灼注に「玲瓏は、明見の貌(さま)なり」(玲瓏、明見貌也)とある。ウィキソース「昭明文選/卷7」参照。また、南朝斉の謝朓「中書省に直(ちょく)す」詩(『文選』巻三十)に「玲瓏として綺(き)銭(せん)を結び、深沈として朱網(しゅもう)に映ず」(玲瓏結綺錢、深沈映朱網)とある。ウィキソース「昭明文選/卷30」参照。また、中唐の張祜「東山寺」詩に「半夜 四山 鐘磬尽き、水精の宮殿 月玲瓏たり」(半夜四山鐘磬尽、水精宮殿月玲瓏)とある。ウィキソース「全唐詩/卷511」参照。
秋色從西來
秋色(しゅうしょく) 西(にし)より来(きた)り
  • 秋色 … 秋の気配。南朝斉の謝朓「三湖を望む」詩に「葳(い)蕤(ずい)として 向(さき)には春秀(しゅんしゅう)なるも、芸黄(うんこう)として 共に秋色なり」(葳蕤向春秀、芸黄共秋色)とある。葳蕤は、草木の勢いが盛んなさま。春秀は、春の花や草木の若々しさ。芸黄は、草木が枯れること。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷071」参照。また、北周の王褒の楽府「関山月」(『楽府詩集』巻二十三)に「関山 夜月明るく、秋色 孤城を照らす」(關山夜月明、秋色照孤城)とある。こちらの秋色は、月の光を指す。ウィキソース「樂府詩集/023卷」参照。
蒼然滿關中
蒼然(そうぜん)として関(かん)中(ちゅう)に満(み)つ
  • 蒼然 … 青く澄んでいる。南朝斉の謝朓「宣城郡内の登望」詩(『文選』巻三十)に「寒城より一たび以て眺むれば、平楚は正に蒼然たり」(寒城一以眺、平楚正蒼然)とある。ウィキソース「昭明文選/卷30」参照。
  • 関中 … 長安付近一帯を指す。東に函谷関、西に散関、南に武関、北に蕭(しょう)関と、四方を関所に囲まれていたので関中と呼ばれる。『史記』項羽本紀に「沛公(はいこう)の左司馬曹(そう)無(む)傷(しょう)、人をして項羽に言わしめて曰く、沛公関中に王たらんと欲す、と」(沛公左司馬曹無傷使人言於項羽曰、沛公欲王關中)とある。ウィキソース「史記/卷007」参照。
五陵北原上
五(ご)陵(りょう) 北原(ほくげん)の上(ほとり)
  • 五陵 … 漢の五帝の陵墓。長安北郊にあった。高帝の長陵、恵帝の安陵、景帝の陽陵、武帝の茂陵、昭帝の平陵を指す。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「南に杜覇(とは)を望み、北に五陵を眺(なが)む」(南望杜霸、北眺五陵)とあり、その李善注に「漢書に曰く、宣帝は杜陵に葬(ほうむ)り、文帝は覇陵に葬り、高帝は長陵に葬り、恵帝は安陵に葬り、景帝は陽陵に葬り、武帝は茂陵に葬り、昭帝は平陵に葬る、と」(漢書曰、宣帝葬杜陵、文帝葬霸陵、高帝葬長陵、惠帝葬安陵、景帝葬陽陵、武帝葬茂陵、昭帝葬平陵)とある。杜覇は、杜陵と覇陵。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。
  • 北原 … 五陵のあるところ。長安の西北、渭水を渡った原野にあった。現在の咸陽市周辺。五陵原とも。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)の劉良注に「宣帝の杜陵、文帝の覇陵は南に在り、高・恵・景・武・昭帝、此の五陵は皆な北に在り」(宣帝杜陵、文帝霸陵在南、髙惠景武昭帝、此五陵皆在北)とある。ウィキソース「六臣註文選 (四庫全書本)/卷01」参照。また、北周の庾信「宇文内史の『重陽閣に入る』に和す」詩に「北原に風雨散じ、南宮に容衛疎(まば)らなり」(北原風雨散、南宮容衛疏)とある。容衛は、南宮の衛士。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷125」参照。
萬古靑濛濛
万(ばん)古(こ) 青(せい)濛濛(もうもう)たり
  • 万古 … 昔から今に至るまで。劉宋の顔延之「始安郡より都に還るとき、張湘州と巴陵城楼に登る作」詩(『文選』巻二十七)に「万古に往還は陳(ちん)じ、百代起伏に労す」(萬古陳往還、百代勞起伏)とある。ウィキソース「昭明文選/卷27」参照。
  • 青濛濛 … 草木が青く生い茂っている形容。『楚辞』九弁に「皓日(こうじつ)の行いを顕(あらわ)さんことを願えど、雲濛濛として之を蔽(おお)う」(願皓日之顯行兮、雲濛濛而蔽之)とある。ウィキソース「楚辭補註/卷第八」参照。また『寒山詩』に「渓長くして石磊磊(らいらい)たり、澗(かん)闊(ひろ)くして草濛濛たり」(溪長石磊磊、澗闊草濛濛)とある。磊磊は、石がごろごろと重なるさま。澗は、谷。ウィキソース「全唐詩/卷806」参照。
淨理了可悟
浄(じょう)理(り) 了(つい)に悟(さと)る可(べ)く
  • 浄理 … 仏法の清浄なる妙理。清らかな仏の教え。『阿毘達磨倶舎論』巻十六、分別業品第四の四に「諸〻の身(しん)語意(ごい)三種の妙行(みょうぎょう)を身語意の三種の清浄(しょうじょう)と名づく。暫く永く一切の悪行、煩悩の垢(く)を遠(おん)離(り)するが故に、名づけて清浄と為す」(諸身語意三種妙行名身語意三種淸淨。暫永遠離一切惡行煩惱垢故、名爲淸淨)とある。ウィキソース「阿毘達磨俱舍論/卷016」参照。
  • 了可悟 … すっかり悟ることができた。了悟(はっきりと知ってよく悟る)を分割したものと思われる。了は、さっぱりと。すっかり。
勝因夙所宗
勝(しょう)因(いん) 夙(つと)に宗(そう)とする所(ところ)
  • 勝因 … 仏教用語で、すぐれた因縁。『仏説無常経』に「勝因は善道に生じ、悪業は泥(ない)犁(り)に堕す」(勝因生善道、惡業墮泥犁)とある。泥犁は、地獄。ウィキソース「佛說無常經」参照。
  • 夙 … 以前から。ずっと前から。『詩経』召南・采蘩(さいはん)に「被(ひ)の僮僮(どうどう)たる、夙(しゅく)夜(や)公に在り」(被之僮僮、夙夜在公)とあり、その毛伝に「夙は、早なり」(夙、早也)とある。采蘩は、よもぎを採る。被は、頭の飾り。また、添え髪。僮僮は、慎むさま。ウィキソース「毛詩正義/卷一」参照。
  • 所宗 … 崇(あが)め尊んできたところだ。宗は、宗(むね)とする。崇(あが)める。尊ぶ。『論語』学而篇に「因ること其の親(しん)を失わざれば、亦た宗(たっと)ぶ可きなり」(因不失其親、亦可宗也)とある。ウィキソース「論語/學而第一」参照。また『後漢書』党錮伝に「及なる者は、其の能く人を導き追宗せらるる者を言うなり」(及者、言其能導人追宗者也)とあり、その李賢注に「宗は宗仰せらるる所なる者を謂う」(宗謂所宗仰者)とある。ウィキソース「後漢書/卷67」参照。
  • 宗 … 『寛保刊本』には「一作崇」と注する。『古今詩刪』では「崇」に作る。
誓將挂冠去
誓(ちか)って将(まさ)に冠(かんむり)を挂(か)けて去(さ)り
  • 挂冠 … 冠をかける。官職を辞めること。後漢の逢萌(ほうぼう)が、王莽(おうもう)に仕えることを好まず、自分の冠を東都の城門にかけて去った故事に基づく。『後漢書』逸民・逢萌伝に「時に王莽其の子の宇(う)を殺す。萌(ぼう)友人に謂いて曰く、三綱絶(た)ゆ。去らざれば、禍将(まさ)に人に及ばんとす、と。即ち冠を解きて東都城門に挂(か)けて帰り、家属を将(ひき)いて海に浮び、遼東に客(かく)す」(時王莽殺其子宇。萌謂友人曰、三綱絕矣。不去、禍將及人。即解冠挂東都城門歸、將家屬浮海、客於遼東)とある。ウィキソース「後漢書/卷83」参照。
覺道資無窮
覚道(かくどう) 無(む)窮(きゅう)に資(し)せんとす
  • 覚道 … 正しい悟りの道。『維摩経』仏国品に「始め仏樹に在(いま)して力(ちから)魔を降(くだ)し、甘露の滅を得て覚道を成(じょう)じたまえり」(始在佛樹力降魔、得甘露滅覺道成)とある。仏樹は、菩提樹。甘露滅は、涅槃。ウィキソース「維摩詰所說經/01」参照。
  • 無窮 … 未来永劫尽きることがない。限りがない。永遠である。『史記』礼書の論賛に「無窮は、広大の極みなり」(無窮者、廣大之極也)とある。ウィキソース「史記/卷023」参照。
  • 資 … 仏道を悟る助けとする。『老子』二十七章に「善人は不善人の師とし、不善人は善人の資なり」(善人者不善人之師、不善人者善人之資)とあり、その河上公注に「資は、用なり。人不善を行う者は、聖人猶お教導し善を為さしめ、以て用に給することを得るなり」(資、用也。人行不善者、聖人猶教導使爲善、得以給用也)とある。ウィキソース「老子河上公章句/上」参照。また『呂氏春秋』懐寵篇に「信もて民と期し、以て敵の資を奪う」(信與民期、以奪敵資)とあり、その高誘注に「資は、用なり」(資、用也)とある。ウィキソース「呂氏春秋 (四庫全書本)/卷07」参照。また『史記集解』留侯世家に「宜しく縞素して資と為すべし」(宜縞素爲資)とあり、その注に「晋灼曰く、資は、藉(しゃ)なり。沛公は秦の奢泰(しゃたい)に反し、倹素に服して以て籍と為さんことを欲するなり、と」(晉灼曰、資、藉也。欲沛公反秦奢泰、服儉素以爲籍也)とある。藉は、手を藉(か)すこと。協力すること。奢泰は、贅沢。ウィキソース「史記集解 (裴駰, 四庫全書本)/卷055」参照。
  • 覚道資無窮 … 『四部叢刊本』『寛保刊本』には「一に学道茲(ここ)に窮まり無しに作る」(一作學道茲無窮)と注する。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻一(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百九十八(排印本、中華書局、1960年)
  • 『岑嘉州集』巻上([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
  • 『岑嘉州集』巻二(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『岑嘉州詩』巻一(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
  • 『岑嘉州詩』巻二(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
  • 『唐詩三百首注疏』巻一・五言古詩(廣文書局、1980年)
  • 『唐詩品彙』巻十二([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻一([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『唐詩解』巻九(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『古今詩刪』巻十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻一(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
  • 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
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