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与高適薛拠同登慈恩寺浮図(岑参)

與高適薛據同登慈恩寺浮圖
高適こうせき薛拠せつきょともおん浮図ふとのぼ
岑参しんじん
  • 五言古詩。宮・空・工・穹・風・東・瓏・中・濛・窮(上平声東韻)、宗(上平声冬韻)通押。
  • ウィキソース「與高適薛據同慈恩寺浮圖」参照。
  • 詩題 … 『全唐詩』では「與高適薛據登慈恩寺浮圖」に作る。『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』では「與高適薛據同登慈恩寺」に作る。『岑嘉州詩箋注』では「與高適薛據同登慈恩寺塔」に作る。
  • 高適 … ?~765。盛唐の詩人。滄州渤海(山東省)の人。あざなは達夫または仲武。天宝八載(749)、有道科に推挙され、受験して及第。封丘(河南省封丘県)の尉に任ぜられたが辞任し、辺塞を遊歴した。晩年は刑部侍郎、左散騎常侍に至った。辺塞詩人として岑参とともに「高岑」と並び称される。『高常侍集』八巻がある。ウィキペディア【高適】参照。
  • 薛據 … 生没年不詳。盛唐の詩人。河東(現在の山西省西部)の人。開元十九年(731)、進士に及第。官は司議郎・水部郎中などを歴任し、給事中に至った。岑参より年長。詩十二首が現存する(『全唐詩』巻二百五十三に収録)。『唐詩選』には収録なし。ウィキペディア【薛據】(中文)参照。
  • 同 … ともに。いっしょに。「共」に同じ。「同じく」と読んでもよい。
  • 慈恩寺 … 大慈恩寺。長安城の東南部、晋昌坊の東半分を占めた大寺院。今の陝西省西安市雁塔区にある。貞観二十二年(648)、高宗が皇太子のとき、亡き母(文徳皇后)の菩提を弔うために建立したもの。寺名は「慈母の恩」から命名された。境内にある大雁塔が特に有名。ウィキペディア【大慈恩寺】参照。
  • 浮図 … 仏。仏の教え。僧侶。仏塔。ここでは、仏塔の意。「浮屠」とも。高宗のえい三年(652)、五層からなる仏塔(磚塔せんとう)を建立した(これが大雁塔の前身で、大雁塔の名称は明代以後)。ウィキペディア【大雁塔】参照。『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』巻七に「三年春三月、法師、寺の端門の陽に於いて石の浮図を造り、西域所将の経像を安置せんと欲す。……是に於いて磚を用い、仍って改めて西院に就く。其の塔基の面各〻一百四十尺、西域の制度に倣って、此の旧の式に循わざるなり。塔は五級有り、並びに相輪・霜盤凡そ高さ一百八十尺。層層の中心に皆な舎利有り、或いは一千、二千、凡そ一万余粒。上層は石を以て室と為す。南面に両碑有り、二聖の三蔵聖教序・記を載す。其の書は即ち尚書右僕射河南公褚遂良の筆なり」(三年春三月、法師欲於寺端門之陽造石浮圖、安置西域所將經像。……於是用磚、仍改就西院。其塔基面各一百四十尺、倣西域制度、不循此舊式也。塔有五級、竝相輪、霜盤凡高一百八十尺。層層中心皆有舍利、或一千、二千、凡一萬餘粒。上層以石爲室。南面有兩碑、載二聖三藏聖教序、記。其書即尚書右僕射河南公褚遂良之筆也)とある。ウィキソース「大唐大慈恩寺三藏法師傳/卷07」参照。
  • この詩は、作者が友人の高適・薛拠せつきょとともに慈恩寺の塔に登って詠んだもの。このとき、杜甫・ちょこうもいっしょに登っており、薛拠以外の詩が現在も残っている。ウィキソース「同諸公登慈恩寺塔 (儲光羲)」「同諸公登慈恩寺浮圖 (高適)」「同諸公登慈恩寺塔 (杜甫)」参照。天宝十一載(752)、作者三十八歳の作。
  • 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、けつかく州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適こうせきとともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
塔勢如湧出
塔勢とうせい ゆうしゅつするがごと
  • 塔勢 … 塔の勢い。塔のそびえ立っている様子。
  • 湧出 … 塔が高く、あたかも地中から湧き出たようであること。『法華経』見宝塔品に「の時仏前に七宝の塔有り。高さ五百じゅんじゅうこう二百五十由旬、地より湧出し、とどまって空中に在り、……高くして四天王宮に至る」(爾時佛前有七寶塔。高五百由旬、縱廣二百五十由旬、從地湧出、住在空中、……高至四天王宮)とある。由旬は、古代インドの距離の単位の一つ。一由旬は十六里とも、三十里とも、また四十里ともいう。ウィキソース「妙法蓮華經/11」参照。
孤高聳天宮
こう てんきゅうそび
  • 孤高 … 一つだけとびぬけて高いこと。いっしょに登った高適の詩にも「登臨して孤高におどろき、ふつ 大壮をよろこぶ」(登臨駭孤高、披拂欣大壯)とある。披払は、風にあおられること。大壮は、壮大な様子。ウィキソース「同諸公登慈恩寺浮圖」参照。
  • 天宮 … 天上にあるといわれる宮殿。『水経注』渭水の条に「秦の始皇、離宮を渭水の南北に作り、以て天宮にかたどる」(秦始皇作離宮于渭水南北、以象天宮)とある。ウィキソース「水經注/19」参照。
  • 聳 … (天上の宮殿に届かんばかりに)そびえ立つ。
登臨出世界
登臨とうりんすれば かい
  • 登臨 … この塔に登って眺め渡せば。『楚辞』九弁に「りょうりつたり、遠行に在りて、山に登り水に臨み、まさに帰らんとするを送るがごとし」(憭慄兮、若在遠行、登山臨水兮、送將歸)とある。憭慄は、痛み悲しむさま。ウィキソース「楚辭/九辯」参照。また、南朝陳の陰鏗いんこう「開善寺」詩に「登臨 じょう極まらず、しょうさん おもむき窮まり無し」(登臨情不極、蕭散趣無窮)とある。蕭散は、さっぱりとしてこだわりのないこと。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷109」参照。
  • 世界 … 仏教用語で、衆生の住む所。世は、過去・現在・未来。界は、東西南北上下の意。ここでは、俗世間を指す。『楞厳経』巻四に「阿難よ、云何いかなるをか名づけて衆生世界と為す。世をばせんと為し、界をば方位と為す。汝今当に知るべし、東・西・南・北と、東南・西南と、東北・西北と、じょうとを界と為し、過去・未来・現在を世と為す」(阿難、云何名爲衆生世界。世爲遷流、界爲方位。汝今當知、東西南北、東南西南、東北西北、上下爲界、過去未來現在爲世)とある。遷流は、移り変わり、去ってゆくこと。ウィキソース「楞嚴經/卷04」参照。また『金剛般若経』一合理相分第三十に「世尊よ、如来の説きたもう所の三千大千世界は、即ち世界に非ず。是れを世界と名づくるなり」(世尊、如來所說三千大千世界、即非世界。是名世界)とある。ウィキソース「金剛般若波羅蜜經 (鳩摩羅什)」参照。
  • 出 … 抜け出た感じになるだろう。
磴道盤虛空
磴道とうどう くうわだかま
  • 磴道 … (塔へ至る)石段の坂道。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「隥道を凌いで西墉せいようを超ゆ」(凌隥道而超西墉)とあり、その李善注に「薛綜せつそう『西京の賦』の注に曰く、隥は、閣道なり、と」(薛綜西京賦注曰、隥、閣道也)とある。隥は、磴と同意。西墉は、西の城郭。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。
  • 盤虚空 … 空中をぐるぐると旋回しているように見える。盤は、とぐろを巻いたように巡って上がってゆく様子。『金剛般若経』妙行無住分第四に「須菩提よ、意に於いてかん。東方の虚空は、思量す可きやうなや」(須菩提、於意云何。東方虛空、可思量不)とある。ウィキソース「金剛般若波羅蜜經 (鳩摩羅什)」参照。また『楞厳経』巻九に「当に知るべし、虚空の汝が心内に生ずることは、猶お片雲の太清のうちに点ずるが如し。況んや諸〻もろもろの世界の虚空に在るをや」(當知、虛空生汝心内、猶如片雲點太清裏。況諸世界在虛空耶)とある。ウィキソース「楞嚴經/卷09」参照。
突兀壓神州
突兀とっこつとしてしんしゅうあっ
  • 突兀 … 高く突き出ている様子。西晋の木華「海の賦」(『文選』巻十二)に「魚は則ち横海の鯨、突扤としてひとり遊ぶ」(魚則橫海之鯨、突扤孤遊)とあり、その李善注に「郭璞かくはく山海せんがいきょう』の注に曰く、横は、塞ぐなり。突扤は、高きかたち、と」(郭璞山海經注曰、橫、塞也。突扤、高貌)とある。横海は、海中に横たわること。扤は、兀と同意。ウィキソース「昭明文選/卷12」参照。
  • 神州 … 中国人が自国を称していう。ただし、ここでは都を意味し、長安一帯を指す。『太平御覧』に引く『河図括地象』に「崑崙の東南地方五千里、名づけて神州と曰う。中に五山有り、帝王之に居る」(崑崙東南地方五千里、名曰神州。中有五山、帝王居之)とある。ウィキソース「太平御覽/0157」参照。また『史記』孟子荀卿列伝に「騶衍すうえん……以為おもえらく、儒者の所謂中国は、天下に於いて乃ち八十一分して其の一分に居るのみ。中国をば名づけて赤県神州と曰う。赤県神州の内、自ずから九州有り。禹の序する九州是れなり」(騶衍……以爲儒者所謂中國者、於天下乃八十一分居其一分耳。中國名曰赤縣神州。赤縣神州内、自有九州。禹之序九州是也)とある。ウィキソース「史記/卷074」参照。また、西晋の左思「魏都の賦」(『文選』巻六)に「故に将にに語るに神州の略、赤県の畿、魏都の卓犖たくらく六合りくごうの枢機を以てせん」(故將語子以神州之略、赤縣之畿、魏都之卓犖、六合之樞機)とある。卓犖は、高くぬき出ている様子。畳韻の語。六合は、東・西・南・北・上・下の六つの方角。全世界。ウィキソース「魏都賦」参照。また、同じく左思「史を詠ぜし詩八首」(其五、『文選』巻二十一)に「皓天こうてんは白日をべ、霊景れいけいは神州に耀く」(皓天舒白日、靈景耀神州)とあり、そのりょきょうの注に「神州は京都なり」(神州京都也)とある。皓天は、大いなる天。霊景は、日光。ウィキソース「六臣註文選 (四庫全書本)/卷21」参照。
  • 圧 … 上から押さえつける。威圧する。『広雅』釈言篇に「圧は、鎮むるなり」(壓、鎭也)とある。ウィキソース「廣雅 (四庫全書本)/卷05」参照。
崢嶸如鬼工
崢嶸そうこうとしてこうごと
  • 崢嶸 … 高く険しいさま。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「がんしゅん崷崪しゅうしゅつとして、金石崢嶸そうこうたり」(巖峻崷崪、金石崢嶸)とあり、その李善注に「郭璞『方言』の注に曰く、崢嶸は、こうしゅんなり、と」(郭璞方言注曰、崢嶸、高峻也)とある。巌峻は、巌の険しいさま。崷崪は、山の高いさま。金石は、かねと石の峰。高峻は、山が高く険しいこと。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。また、西晋の左思「蜀都の賦」(『文選』巻四)に「三峡の崢嶸たるをこつ蹇滻けんさんたるをむ」(經三峽之崢嶸、躡五屼之蹇滻)とある。五屼は、四川省楽山県南部にある山。蹇滻は、屈曲したさま。ウィキソース「蜀都賦 (左思)」参照。また『漢書』西域伝、罽賓けいひん国の条に「崢嶸不測の深きに臨む」(臨崢嶸不測之深)とあり、その顔師古注に「崢嶸は、深険のかたちなり」(崢嶸、深険之貌也)とある。『漢書評林』巻九十六上(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 鬼工 … 鬼神の細工。技術が精巧で、人が作ったとは思えないほどの優れた出来栄え。中唐の李賀の詩「羅浮らふ山人さんじん くずを与うる篇」に「はくの老仙 時に洞を出づ、千歳せんざいせきしょう 鬼工をかしむ」(博羅老仙時出洞、千歲石牀啼鬼工)とある。羅浮山は、広東省増城県北東にある山。博羅は、羅浮山の別名、博羅山。石牀は、石で作った寝台。ウィキソース「羅浮山父與葛篇」参照。
四角礙白日
かく 白日はくじつさえぎ
  • 四角 … 四方ののきかど。西晋の蘇伯玉の妻「盤中詩」(『玉台新詠』巻九)に「今時の人 足らず、それに書を与うるも読むこと能わず。当に中央より四角にめぐるべし」(今時人智不足、與其書不能讀。當從中央周四角)とある。盤中は、大皿の中。ウィキソース「盤中詩」参照。
  • 角 … 『寛保刊本』には「一作方」と注する。
  • 白日 … 輝く太陽(の運行)。三国魏の曹植「白馬王ひょうに贈る」詩(其四、『文選』巻二十四)に「原野何ぞ蕭条たる、白日はたちまち西にかくる」(原野何蕭條、白日忽西匿)とある。ウィキソース「贈白馬王彪」参照。
  • 礙 … さまたげる。邪魔をして止める。
七層摩蒼穹
七層しちそう そうきゅう
  • 七層 … 七層の頂。慈恩寺の浮図(仏塔)が建立されたとき(652)は五層であり、その後、則天武后の長安年間(701~705)に改築され、七層となった。作者たちが登ったときは天宝十一載(752)であるので、七層である。植木久行編『中国詩跡事典』( ‎ 研文出版、2015年)の【大慈恩寺・大雁塔】の項参照。
  • 蒼穹 … 青空。『爾雅』釈天篇に「穹蒼は、蒼天なり」(穹蒼、蒼天也)とあり、その郭璞注に「天の形は穹隆、其の色蒼蒼たり。因りて名云う」(天形穹隆、其色蒼蒼。因名云)とある。ウィキソース「爾雅註疏/卷06」参照。
  • 摩 … 触れさする。
下窺指高鳥
下窺かきしてこうちょうゆびさし
  • 下窺 … 下の方をのぞき込めば。
  • 高鳥 … 空高く飛ぶ鳥。『史記』淮陰侯列伝に「こう死して、りょうられ、高鳥尽きて、良弓りょうきゅうかくされ、敵国破れて、謀臣ほろぶ」(狡兔死、良狗亨、髙鳥盡、良弓藏、敵國破、謀臣亡)とある。ウィキソース「史記/淮陰侯列傳」参照。また、三国魏の阮籍「詠懐詩八十二首」(其四十七)に「高鳥 山岡さんこうかけり、燕雀 下林に棲む」(高鳥翔山岡、燕雀棲下林)とある。ウィキソース「詠懷詩五言八十二首」参照。また、東晋の陶淵明「始めて鎮軍参軍と作り、曲阿をしときに作る」詩(『文選』巻二十六)に「雲を望んでは高鳥にじ、水に臨んでは遊魚にず」(望雲慚高鳥、臨水愧遊魚)とある。ウィキソース「始作鎮軍參軍經曲阿」参照。
  • 指 … 指さすことができる。
俯聽聞驚風
ちょうしてきょうふう
  • 俯聴 … 「俯して聴けば」と読んでもよい。うつむいて耳を澄ませば。
  • 驚風 … 突風。三国魏の曹植の楽府「箜篌引こうこういん」(『文選』巻二十七)に「驚風 白日をひるがえし、光景 せて西に流る」(驚風飄白日、光景馳西流)とある。ウィキソース「箜篌引 (曹植)」参照。また、劉宋の鮑照「かくの賦」(『文選』巻十四)に「驚風の蕭条たるに臨み、流光の照灼しょうしゃくたるに対す」(臨驚風之蕭條、對流光之照灼)とある。蕭条は、物寂しいさま。照灼は、照り輝くさま。ウィキソース「舞鶴賦」参照。
連山若波濤
連山れんざん とうごと
  • 連山若波濤 … 連なっている山々は、大波のうねりのようである。波濤は、うねりの大きな波。『荘子』外物篇に「はく山のごとし」(白波若山)とある。ウィキソース「莊子/外物」参照。また、西晋の木華「海の賦」(『文選』巻十二)に「波は連山の如く、あるいは合いあるいは散る」(波如連山、乍合乍散)とあり、その李周翰注に「風起こり波高きは、山の連なるが如し」(風起波髙、如山之連)とある。ウィキソース「六臣註文選 (四庫全書本)/卷12」参照。また、後漢末の邯鄲淳「曹娥碑」に「或いは湍瀬たんらいに趨き、或いは波濤を逐う」(或趨湍瀨、或逐波濤)とある。湍瀬は、早瀬。ウィキソース「曹娥碑」参照。
奔走似朝東
奔走ほんそうすること ひがしちょうするにたり
  • 奔走 … 走り駆けるさま。『楚辞』離騷に「忽ち奔走して以て先後し、前王のしょうに及ばんとす」(忽奔走以先後兮、及前王之踵武)とある。先後は、先になり後になって助けること。踵武は、前の人の業績を継ぐこと。武は、足あと。ウィキソース「離騷」参照。『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「奔湊」に作る。こちらは、走り集まること。西晋の陸機「挽歌の詩三首」(其一、『文選』巻二十八)に「周親ははしあつまり、友朋も遠くよりきたる」(周親咸奔湊、友朋自遠來)とある。ウィキソース「昭明文選/卷28」参照。
  • 朝東 … 東の方へ向かうこと。東の方には海があり、多くの河水が東へ流れて海に注ぐことをいう。それを、諸侯たちが天子のもとに入朝するのに喩える。『書経』禹貢篇に「江・漢うみに朝宗して、九江おおいにさだまる」(江漢朝宗于海、九江孔殷)とある。江は、長江。漢は、漢水。ウィキソース「尚書/禹貢」参照。
靑松夾馳道
せいしょう どうさしはさ
  • 青松 … 美しく緑に茂った松並木。東晋の陶淵明「擬古九首」詩(其五)に「青松 路をはさんで生じ、白雲 檐端えんたんに宿る」(靑松夾路生、白雲宿檐端)とある。檐端は、のき。ウィキソース「擬古 (陶淵明)」参照。『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「青槐」に作る。西晋の左思「魏都の賦」(『文選』巻六)に「青槐をつらねて以てみちいんせり」(羅靑槐以蔭塗)とある。ウィキソース「魏都賦」参照。
  • 馳道 … 天子が行幸の際に通る道。お成り道。『漢書』賈山伝に「馳道を天下につくり、東は燕・斉を窮め、南は呉・楚を極め、江湖のほとり、瀕海の観ことごとく至れり。道の広さ五十歩、三丈にしてえ、厚く其の外を築き、隠するに金椎きんついを以てし、うるに青松を以てす」(爲馳道於天下、東窮燕齊、南極吳楚、江湖之上、瀕海之觀畢至。道廣五十歩、三丈而樹、厚築其外、隱以金椎、樹以靑松)とある。ウィキソース「漢書/卷051」参照。また、後漢の王延寿「魯の霊光殿の賦」(『文選』巻十一)に「ここに於いてか連閣れんかくきゅうけ、馳道しゅうかんす」(於是乎連閣承宮、馳道周環)とあり、その李善注に「馳道は、人君の行く所の道なり。君必ず車馬に乗る。故に馳を以て名と為すなり」(馳道、人君所行之道也。君必乘車馬。故以馳爲名也)とある。ウィキソース「昭明文選/卷11」参照。
宮觀何玲瓏
きゅうかん なん玲瓏れいろうたる
  • 宮観 … 宮殿。離宮。観は、楼閣。『史記』秦始皇本紀に「乃ち咸陽のかたわら二百里の内の宮観二百七十を、復道・甬道ようどうもて相連ね、ちょう・鐘鼓・美人を之に充たし、各〻案署あんしょして移徙いしせざらしむ」(乃令咸陽之旁二百里内宮觀二百七十、復道甬道相連、帷帳鐘鼓美人充之、各案署不移徙)とある。復道は、上下二重のわたり廊下。宮中の御殿と御殿とを結ぶもので、上は天子、下は臣下が通る。複道とも。甬道は、そこを通る車や人が外部から見えないように、両側に土塀を高く築いた通路。帷帳は、とばり。案署は、所属の部分を記録して所在を明らかにすること。移徙は、移転に同じ。ウィキソース「史記/卷006」参照。また、同じく司馬相如列伝に「宮観を虚しくしてつるなかれ」(虛宮觀而勿仞)とある。ウィキソース「史記/卷117」参照。『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「宮館」に作る。こちらは、離宮。別館。『漢書』宣帝紀に「郡国の宮館は、復た修治することなかれ」(郡國宮館、勿復修治)とある。ウィキソース「漢書/卷008」参照。また、後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「離宮別館、三十六所」とある。ウィキソース「西都賦」参照。また、三国魏の曹植「七啓」(『文選』巻三十四)に「此れ宮館の妙なり、能く我に従って之に居らんか」(此宮館之妙也、子能從我而居之乎)とある。ウィキソース「七啟」参照。
  • 玲瓏 … 美しく澄みきっている様子。前漢の楊雄「甘泉の賦」(『文選』巻七)に「前殿さいとして、和氏かし玲瓏たり」(前殿崔巍兮、和氏玲瓏)とある。崔巍は、高く険しいさま。和氏は、和氏の璧。美玉の代名詞。その晋灼注に「玲瓏は、明見のかたちなり」(玲瓏、明見貌也)とある。ウィキソース「昭明文選/卷7」参照。また、南朝斉の謝朓「中書省にちょくす」詩(『文選』巻三十)に「玲瓏としてせんを結び、深沈として朱網しゅもうに映ず」(玲瓏結綺錢、深沈映朱網)とある。ウィキソース「昭明文選/卷30」参照。また、中唐の張祜「東山寺」詩に「半夜 四山 鐘磬尽き、水精の宮殿 月玲瓏たり」(半夜四山鐘磬尽、水精宮殿月玲瓏)とある。ウィキソース「全唐詩/卷511」参照。
秋色從西來
秋色しゅうしょく 西にしよりきた
  • 秋色 … 秋の気配。南朝斉の謝朓「三湖を望む」詩に「ずいとして さきには春秀しゅんしゅうなるも、芸黄うんこうとして 共に秋色なり」(葳蕤向春秀、芸黄共秋色)とある。葳蕤は、草木の勢いが盛んなさま。春秀は、春の花や草木の若々しさ。芸黄は、草木が枯れること。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷071」参照。また、北周の王褒の楽府「関山月」(『楽府詩集』巻二十三)に「関山 夜月明るく、秋色 孤城を照らす」(關山夜月明、秋色照孤城)とある。こちらの秋色は、月の光を指す。ウィキソース「樂府詩集/023卷」参照。
蒼然滿關中
蒼然そうぜんとしてかんちゅう
  • 蒼然 … 青く澄んでいる。南朝斉の謝朓「宣城郡内の登望」詩(『文選』巻三十)に「寒城より一たび以て眺むれば、平楚は正に蒼然たり」(寒城一以眺、平楚正蒼然)とある。ウィキソース「昭明文選/卷30」参照。
  • 関中 … 長安付近一帯を指す。東に函谷関、西に散関、南に武関、北にしょう関と、四方を関所に囲まれていたので関中と呼ばれる。『史記』項羽本紀に「沛公はいこうの左司馬そうしょう、人をして項羽に言わしめて曰く、沛公関中に王たらんと欲す、と」(沛公左司馬曹無傷使人言於項羽曰、沛公欲王關中)とある。ウィキソース「史記/卷007」参照。
五陵北原上
りょう 北原ほくげんほとり
  • 五陵 … 漢の五帝の陵墓。高帝の長陵、恵帝の安陵、景帝の陽陵、武帝の茂陵、昭帝の平陵を指す。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「南に杜覇とはを望み、北に五陵をながむ」(南望杜霸、北眺五陵)とあり、その李善注に「漢書に曰く、宣帝は杜陵にほうむり、文帝は覇陵に葬り、高帝は長陵に葬り、恵帝は安陵に葬り、景帝は陽陵に葬り、武帝は茂陵に葬り、昭帝は平陵に葬る、と」(漢書曰、宣帝葬杜陵、文帝葬霸陵、高帝葬長陵、惠帝葬安陵、景帝葬陽陵、武帝葬茂陵、昭帝葬平陵)とある。杜覇は、杜陵と覇陵。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。
  • 北原 … 五陵のあるところ。長安の西北、渭水を渡った原野にあった。現在の咸陽市周辺。五陵原とも。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)の劉良注に「宣帝の杜陵、文帝の覇陵は南に在り、高・恵・景・武・昭帝、此の五陵は皆な北に在り」(宣帝杜陵、文帝霸陵在南、髙惠景武昭帝、此五陵皆在北)とある。ウィキソース「六臣註文選 (四庫全書本)/卷01」参照。また、北周の庾信「宇文内史の『重陽閣に入る』に和す」詩に「北原に風雨散じ、南宮に容衛まばらなり」(北原風雨散、南宮容衛疏)とある。容衛は、南宮の衛士。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷125」参照。
萬古靑濛濛
ばん せい濛濛もうもうたり
  • 万古 … 昔から今に至るまで。劉宋の顔延之「始安郡より都に還るとき、張湘州と巴陵城楼に登る作」詩に「万古に往還は陳じ、百代起伏に労す」(萬古陳往還、百代勞起伏)とある。ウィキソース「昭明文選/卷27」参照。
  • 青濛濛 … 草木が青く生い茂っている形容。『楚辞』九弁に「皓日こうじつの行いをあらわさんことを願えど、雲濛濛として之をおおう」(願皓日之顯行兮、雲濛濛而蔽之)とある。ウィキソース「楚辭補註/卷第八」参照。また『寒山詩』に「渓長くして石磊磊らいらいたり、かんひろくして草濛濛たり」(溪長石磊磊、澗闊草濛濛)とある。磊磊は、石がごろごろと重なるさま。澗は、谷。ウィキソース「全唐詩/卷806」参照。
淨理了可悟
じょう ついさと
  • 浄理 … 仏法の清浄なる妙理。清らかな仏の教え。『阿毘達磨倶舎論』巻十六、分別業品第四の四に「諸〻のしん語意ごい三種の妙行みょうぎょうを身語意の三種の清浄しょうじょうと名づく。暫く永く一切の悪行、煩悩のおんするが故に、名づけて清浄と為す」(諸身語意三種妙行名身語意三種淸淨。暫永遠離一切惡行煩惱垢故、名爲淸淨)とある。ウィキソース「阿毘達磨俱舍論/卷016」参照。
  • 了可悟 … すっかり悟ることができた。了悟(はっきりと知ってよく悟る)を分割したものと思われる。了は、さっぱりと。すっかり。
勝因夙所宗
しょういん つとそうとするところ
  • 勝因 … 仏教用語で、すぐれた因縁。『仏説無常経』に「勝因は善道に生じ、悪業はないに堕す」(勝因生善道、惡業墮泥犁)とある。泥犁は、地獄。ウィキソース「佛說無常經」参照。
  • 夙 … 以前から。ずっと前から。『詩経』召南「采蘩さいはん」に「僮僮どうどうたる、しゅく公に在り」(被之僮僮、夙夜在公)とあり、その毛伝に「夙は、早なり」(夙、早也)とある。采蘩は、よもぎを採る。被は、頭の飾り。また、添え髪。僮僮は、慎むさま。ウィキソース「毛詩正義/卷一」参照。
  • 所宗 … あがめ尊んできたところだ。宗は、むねとする。あがめる。尊ぶ。『論語』学而篇に「因ること其のしんを失わざれば、亦たたっとぶ可きなり」(因不失其親、亦可宗也)とある。ウィキソース「論語/學而第一」参照。また『後漢書』党錮伝に「及なる者は、其の能く人を導き追宗せらるる者を言うなり」(及者、言其能導人追宗者也)とあり、その李賢注に「宗は宗仰せらるる所なる者を謂う」(宗謂所宗仰者)とある。ウィキソース「後漢書/卷67」参照。
  • 宗 … 『寛保刊本』には「一作崇」と注する。『古今詩刪』では「崇」に作る。
誓將挂冠去
ちかってまさかんむりけて
  • 挂冠 … 冠をかける。官職を辞めること。後漢の逢萌ほうぼうが、王莽おうもうに仕えることを好まず、自分の冠を東都の城門にかけて去った故事に基づく。『後漢書』逸民・逢萌伝に「時に王莽其の子のを殺す。ぼう友人に謂いて曰く、三綱ゆ。去らざれば、禍まさに人に及ばんとす、と。即ち冠を解きて東都城門にけて帰り、家属をひきいて海に浮び、遼東にかくす」(時王莽殺其子宇。萌謂友人曰、三綱絕矣。不去、禍將及人。即解冠挂東都城門歸、將家屬浮海、客於遼東)とある。ウィキソース「後漢書/卷83」参照。
覺道資無窮
覚道かくどう きゅうせんとす
  • 覚道 … 正しい悟りの道。『維摩経』仏国品に「始め仏樹にいましてちから魔をくだし、甘露の滅を得て覚道をじょうじたまえり」(始在佛樹力降魔、得甘露滅覺道成)とある。仏樹は、菩提樹。甘露滅は、涅槃。ウィキソース「維摩詰所說經/01」参照。
  • 無窮 … 未来永劫尽きることがない。限りがない。永遠である。『史記』礼書の論賛に「無窮は、広大の極みなり」(無窮者、廣大之極也)とある。ウィキソース「史記/卷023」参照。
  • 資 … 仏道を悟る助けとする。『老子』二十七章に「善人は不善人の師とし、不善人は善人の資なり」(善人者不善人之師、不善人者善人之資)とあり、その河上公注に「資は、用なり。人不善を行う者は、聖人猶お教導し善を為さしめ、以て用に給することを得るなり」(資、用也。人行不善者、聖人猶教導使爲善、得以給用也)とある。ウィキソース「老子河上公章句/上」参照。また『呂氏春秋』孟秋紀、懐寵篇に「信もて民と期し、以て敵の資を奪う」(信與民期、以奪敵資)とあり、その高誘注に「資は、用なり」(資、用也)とある。ウィキソース「呂氏春秋 (四庫全書本)/卷07」参照。また『史記集解』留侯世家に「宜しく縞素して資と為すべし」(宜縞素爲資)とあり、その注に「晋灼曰く、資は、しゃなり。沛公は秦の奢泰しゃたいに反し、倹素に服して以て籍と為さんことを欲するなり、と」(晉灼曰、資、藉也。欲沛公反秦奢泰、服儉素以爲籍也)とある。藉は、手をすこと。協力すること。奢泰は、贅沢。ウィキソース「史記集解 (裴駰, 四庫全書本)/卷055」参照。
  • 覚道資無窮 … 『四部叢刊本』『寛保刊本』には「一に学道ここに窮まり無しに作る」(一作學道茲無窮)と注する。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻一(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百九十八(排印本、中華書局、1960年)
  • 『岑嘉州集』巻上([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
  • 『岑嘉州集』巻二(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『岑嘉州詩』巻一(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
  • 『岑嘉州詩』巻二(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
  • 『唐詩品彙』巻十二([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻一([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『唐詩解』巻九(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『古今詩刪』巻十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻一(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
  • 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
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