与高適薛拠同登慈恩寺浮図(岑参)
與高適薛據同登慈恩寺浮圖
高適・薛拠と同に慈恩寺の浮図に登る
高適・薛拠と同に慈恩寺の浮図に登る
- 五言古詩。宮・空・工・穹・風・東・瓏・中・濛・窮(上平声東韻)、宗(上平声冬韻)通押。
- ウィキソース「與高適薛據同慈恩寺浮圖」参照。
- 詩題 … 『全唐詩』では「與高適薛據登慈恩寺浮圖」に作る。『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』では「與高適薛據同登慈恩寺」に作る。『岑嘉州詩箋注』では「與高適薛據同登慈恩寺塔」に作る。
- 高適 … ?~765。盛唐の詩人。滄州渤海(山東省)の人。字は達夫または仲武。天宝八載(749)、有道科に推挙され、受験して及第。封丘(河南省封丘県)の尉に任ぜられたが辞任し、辺塞を遊歴した。晩年は刑部侍郎、左散騎常侍に至った。辺塞詩人として岑参とともに「高岑」と並び称される。『高常侍集』八巻がある。ウィキペディア【高適】参照。
- 薛據 … 生没年不詳。盛唐の詩人。河東(現在の山西省西部)の人。開元十九年(731)、進士に及第。官は司議郎・水部郎中などを歴任し、給事中に至った。岑参より年長。詩十二首が現存する(『全唐詩』巻二百五十三に収録)。『唐詩選』には収録なし。ウィキペディア【薛據】(中文)参照。
- 同 … ともに。いっしょに。「共」に同じ。「同じく」と読んでもよい。
- 慈恩寺 … 大慈恩寺。長安城の東南部、晋昌坊の東半分を占めた大寺院。今の陝西省西安市雁塔区にある。貞観二十二年(648)、高宗が皇太子のとき、亡き母(文徳皇后)の菩提を弔うために建立したもの。寺名は「慈母の恩」から命名された。境内にある大雁塔が特に有名。ウィキペディア【大慈恩寺】参照。
- 浮図 … 仏。仏の教え。僧侶。仏塔。ここでは、仏塔の意。「浮屠」とも。高宗の永徽三年(652)、五層からなる仏塔(磚塔)を建立した(これが大雁塔の前身で、大雁塔の名称は明代以後)。ウィキペディア【大雁塔】参照。『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』巻七に「三年春三月、法師、寺の端門の陽に於いて石の浮図を造り、西域所将の経像を安置せんと欲す。……是に於いて磚を用い、仍って改めて西院に就く。其の塔基の面各〻一百四十尺、西域の制度に倣って、此の旧の式に循わざるなり。塔は五級有り、並びに相輪・霜盤凡そ高さ一百八十尺。層層の中心に皆な舎利有り、或いは一千、二千、凡そ一万余粒。上層は石を以て室と為す。南面に両碑有り、二聖の三蔵聖教序・記を載す。其の書は即ち尚書右僕射河南公褚遂良の筆なり」(三年春三月、法師欲於寺端門之陽造石浮圖、安置西域所將經像。……於是用磚、仍改就西院。其塔基面各一百四十尺、倣西域制度、不循此舊式也。塔有五級、竝相輪、霜盤凡高一百八十尺。層層中心皆有舍利、或一千、二千、凡一萬餘粒。上層以石爲室。南面有兩碑、載二聖三藏聖教序、記。其書即尚書右僕射河南公褚遂良之筆也)とある。ウィキソース「大唐大慈恩寺三藏法師傳/卷07」参照。
- この詩は、作者が友人の高適・薛拠とともに慈恩寺の塔に登って詠んだもの。このとき、杜甫・儲光羲もいっしょに登っており、薛拠以外の詩が現在も残っている。ウィキソース「同諸公登慈恩寺塔 (儲光羲)」「同諸公登慈恩寺浮圖 (高適)」「同諸公登慈恩寺塔 (杜甫)」参照。天宝十一載(752)、作者三十八歳の作。
- 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右補闕・虢州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
塔勢如湧出
塔勢 湧出するが如く
- 塔勢 … 塔の勢い。塔の聳え立っている様子。
- 湧出 … 塔が高く、あたかも地中から湧き出たようであること。『法華経』見宝塔品に「爾の時仏前に七宝の塔有り。高さ五百由旬、縦広二百五十由旬、地より湧出し、住まって空中に在り、……高くして四天王宮に至る」(爾時佛前有七寶塔。高五百由旬、縱廣二百五十由旬、從地湧出、住在空中、……高至四天王宮)とある。由旬は、古代インドの距離の単位の一つ。一由旬は十六里とも、三十里とも、また四十里ともいう。ウィキソース「妙法蓮華經/11」参照。
孤高聳天宮
孤高 天宮に聳ゆ
登臨出世界
登臨すれば 世界を出で
- 登臨 … この塔に登って眺め渡せば。『楚辞』九弁に「憭慄たり、遠行に在りて、山に登り水に臨み、将に帰らんとするを送るが若し」(憭慄兮、若在遠行、登山臨水兮、送將歸)とある。憭慄は、痛み悲しむさま。ウィキソース「楚辭/九辯」参照。また、南朝陳の陰鏗「開善寺」詩に「登臨 情極まらず、蕭散 趣窮まり無し」(登臨情不極、蕭散趣無窮)とある。蕭散は、さっぱりとしてこだわりのないこと。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷109」参照。
- 世界 … 仏教用語で、衆生の住む所。世は、過去・現在・未来。界は、東西南北上下の意。ここでは、俗世間を指す。『楞厳経』巻四に「阿難よ、云何なるをか名づけて衆生世界と為す。世をば遷流と為し、界をば方位と為す。汝今当に知るべし、東・西・南・北と、東南・西南と、東北・西北と、上と下とを界と為し、過去・未来・現在を世と為す」(阿難、云何名爲衆生世界。世爲遷流、界爲方位。汝今當知、東西南北、東南西南、東北西北、上下爲界、過去未來現在爲世)とある。遷流は、移り変わり、去ってゆくこと。ウィキソース「楞嚴經/卷04」参照。また『金剛般若経』一合理相分第三十に「世尊よ、如来の説きたもう所の三千大千世界は、即ち世界に非ず。是れを世界と名づくるなり」(世尊、如來所說三千大千世界、即非世界。是名世界)とある。ウィキソース「金剛般若波羅蜜經 (鳩摩羅什)」参照。
- 出 … 抜け出た感じになるだろう。
磴道盤虛空
磴道 虚空に盤る
- 磴道 … (塔へ至る)石段の坂道。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「隥道を凌いで西墉を超ゆ」(凌隥道而超西墉)とあり、その李善注に「薛綜『西京の賦』の注に曰く、隥は、閣道なり、と」(薛綜西京賦注曰、隥、閣道也)とある。隥は、磴と同意。西墉は、西の城郭。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。
- 盤虚空 … 空中をぐるぐると旋回しているように見える。盤は、とぐろを巻いたように巡って上がってゆく様子。『金剛般若経』妙行無住分第四に「須菩提よ、意に於いて云何。東方の虚空は、思量す可きや不や」(須菩提、於意云何。東方虛空、可思量不)とある。ウィキソース「金剛般若波羅蜜經 (鳩摩羅什)」参照。また『楞厳経』巻九に「当に知るべし、虚空の汝が心内に生ずることは、猶お片雲の太清の裏に点ずるが如し。況んや諸〻の世界の虚空に在るをや」(當知、虛空生汝心内、猶如片雲點太清裏。況諸世界在虛空耶)とある。ウィキソース「楞嚴經/卷09」参照。
突兀壓神州
突兀として神州を圧し
- 突兀 … 高く突き出ている様子。西晋の木華「海の賦」(『文選』巻十二)に「魚は則ち横海の鯨、突扤として孤り遊ぶ」(魚則橫海之鯨、突扤孤遊)とあり、その李善注に「郭璞『山海経』の注に曰く、横は、塞ぐなり。突扤は、高き貌、と」(郭璞山海經注曰、橫、塞也。突扤、高貌)とある。横海は、海中に横たわること。扤は、兀と同意。ウィキソース「昭明文選/卷12」参照。
- 神州 … 中国人が自国を称していう。ただし、ここでは都を意味し、長安一帯を指す。『太平御覧』に引く『河図括地象』に「崑崙の東南地方五千里、名づけて神州と曰う。中に五山有り、帝王之に居る」(崑崙東南地方五千里、名曰神州。中有五山、帝王居之)とある。ウィキソース「太平御覽/0157」参照。また『史記』孟子荀卿列伝に「騶衍……以為えらく、儒者の所謂中国は、天下に於いて乃ち八十一分して其の一分に居るのみ。中国をば名づけて赤県神州と曰う。赤県神州の内、自ずから九州有り。禹の序する九州是れなり」(騶衍……以爲儒者所謂中國者、於天下乃八十一分居其一分耳。中國名曰赤縣神州。赤縣神州内、自有九州。禹之序九州是也)とある。ウィキソース「史記/卷074」参照。また、西晋の左思「魏都の賦」(『文選』巻六)に「故に将に子に語るに神州の略、赤県の畿、魏都の卓犖、六合の枢機を以てせん」(故將語子以神州之略、赤縣之畿、魏都之卓犖、六合之樞機)とある。卓犖は、高くぬき出ている様子。畳韻の語。六合は、東・西・南・北・上・下の六つの方角。全世界。ウィキソース「魏都賦」参照。また、同じく左思「史を詠ぜし詩八首」(其五、『文選』巻二十一)に「皓天は白日を舒べ、霊景は神州に耀く」(皓天舒白日、靈景耀神州)とあり、その呂向の注に「神州は京都なり」(神州京都也)とある。皓天は、大いなる天。霊景は、日光。ウィキソース「六臣註文選 (四庫全書本)/卷21」参照。
- 圧 … 上から押さえつける。威圧する。『広雅』釈言篇に「圧は、鎮むるなり」(壓、鎭也)とある。ウィキソース「廣雅 (四庫全書本)/卷05」参照。
崢嶸如鬼工
崢嶸として鬼工の如し
- 崢嶸 … 高く険しいさま。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「巌峻崷崪として、金石崢嶸たり」(巖峻崷崪、金石崢嶸)とあり、その李善注に「郭璞『方言』の注に曰く、崢嶸は、高峻なり、と」(郭璞方言注曰、崢嶸、高峻也)とある。巌峻は、巌の険しいさま。崷崪は、山の高いさま。金石は、金と石の峰。高峻は、山が高く険しいこと。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。また、西晋の左思「蜀都の賦」(『文選』巻四)に「三峡の崢嶸たるを経、五屼の蹇滻たるを躡む」(經三峽之崢嶸、躡五屼之蹇滻)とある。五屼は、四川省楽山県南部にある山。蹇滻は、屈曲したさま。ウィキソース「蜀都賦 (左思)」参照。また『漢書』西域伝、罽賓国の条に「崢嶸不測の深きに臨む」(臨崢嶸不測之深)とあり、その顔師古注に「崢嶸は、深険の貌なり」(崢嶸、深険之貌也)とある。『漢書評林』巻九十六上(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 鬼工 … 鬼神の細工。技術が精巧で、人が作ったとは思えないほどの優れた出来栄え。中唐の李賀の詩「羅浮山人 葛を与うる篇」に「博羅の老仙 時に洞を出づ、千歳の石牀 鬼工を啼かしむ」(博羅老仙時出洞、千歲石牀啼鬼工)とある。羅浮山は、広東省増城県北東にある山。博羅は、羅浮山の別名、博羅山。石牀は、石で作った寝台。ウィキソース「羅浮山父與葛篇」参照。
四角礙白日
四角 白日を礙り
七層摩蒼穹
七層 蒼穹を摩す
- 七層 … 七層の頂。慈恩寺の浮図(仏塔)が建立されたとき(652)は五層であり、その後、則天武后の長安年間(701~705)に改築され、七層となった。作者たちが登ったときは天宝十一載(752)であるので、七層である。植木久行編『中国詩跡事典』( 研文出版、2015年)の【大慈恩寺・大雁塔】の項参照。
- 蒼穹 … 青空。『爾雅』釈天篇に「穹蒼は、蒼天なり」(穹蒼、蒼天也)とあり、その郭璞注に「天の形は穹隆、其の色蒼蒼たり。因りて名云う」(天形穹隆、其色蒼蒼。因名云)とある。ウィキソース「爾雅註疏/卷06」参照。
- 摩 … 触れ擦る。
下窺指高鳥
下窺して高鳥を指さし
- 下窺 … 下の方をのぞき込めば。
- 高鳥 … 空高く飛ぶ鳥。『史記』淮陰侯列伝に「狡兎死して、良狗亨られ、高鳥尽きて、良弓蔵され、敵国破れて、謀臣亡ぶ」(狡兔死、良狗亨、髙鳥盡、良弓藏、敵國破、謀臣亡)とある。ウィキソース「史記/淮陰侯列傳」参照。また、三国魏の阮籍「詠懐詩八十二首」(其四十七)に「高鳥 山岡に翔り、燕雀 下林に棲む」(高鳥翔山岡、燕雀棲下林)とある。ウィキソース「詠懷詩五言八十二首」参照。また、東晋の陶淵明「始めて鎮軍参軍と作り、曲阿を経しときに作る」詩(『文選』巻二十六)に「雲を望んでは高鳥に慙じ、水に臨んでは遊魚に愧ず」(望雲慚高鳥、臨水愧遊魚)とある。ウィキソース「始作鎮軍參軍經曲阿」参照。
- 指 … 指さすことができる。
俯聽聞驚風
俯聴して驚風を聞く
連山若波濤
連山 波濤の若く
- 連山若波濤 … 連なっている山々は、大波のうねりのようである。波濤は、うねりの大きな波。『荘子』外物篇に「白波山の若し」(白波若山)とある。ウィキソース「莊子/外物」参照。また、西晋の木華「海の賦」(『文選』巻十二)に「波は連山の如く、乍いは合い乍いは散る」(波如連山、乍合乍散)とあり、その李周翰注に「風起こり波高きは、山の連なるが如し」(風起波髙、如山之連)とある。ウィキソース「六臣註文選 (四庫全書本)/卷12」参照。また、後漢末の邯鄲淳「曹娥碑」に「或いは湍瀬に趨き、或いは波濤を逐う」(或趨湍瀨、或逐波濤)とある。湍瀬は、早瀬。ウィキソース「曹娥碑」参照。
奔走似朝東
奔走すること 東に朝するに似たり
- 奔走 … 走り駆けるさま。『楚辞』離騷に「忽ち奔走して以て先後し、前王の踵武に及ばんとす」(忽奔走以先後兮、及前王之踵武)とある。先後は、先になり後になって助けること。踵武は、前の人の業績を継ぐこと。武は、足あと。ウィキソース「離騷」参照。『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「奔湊」に作る。こちらは、走り集まること。西晋の陸機「挽歌の詩三首」(其一、『文選』巻二十八)に「周親は咸な奔り湊まり、友朋も遠くより来る」(周親咸奔湊、友朋自遠來)とある。ウィキソース「昭明文選/卷28」参照。
- 朝東 … 東の方へ向かうこと。東の方には海があり、多くの河水が東へ流れて海に注ぐことをいう。それを、諸侯たちが天子のもとに入朝するのに喩える。『書経』禹貢篇に「江・漢海に朝宗して、九江孔いに殷まる」(江漢朝宗于海、九江孔殷)とある。江は、長江。漢は、漢水。ウィキソース「尚書/禹貢」参照。
靑松夾馳道
青松 馳道を夾み
- 青松 … 美しく緑に茂った松並木。東晋の陶淵明「擬古九首」詩(其五)に「青松 路を夾んで生じ、白雲 檐端に宿る」(靑松夾路生、白雲宿檐端)とある。檐端は、軒端。ウィキソース「擬古 (陶淵明)」参照。『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「青槐」に作る。西晋の左思「魏都の賦」(『文選』巻六)に「青槐を羅ねて以て塗を蔭せり」(羅靑槐以蔭塗)とある。ウィキソース「魏都賦」参照。
- 馳道 … 天子が行幸の際に通る道。お成り道。『漢書』賈山伝に「馳道を天下に為り、東は燕・斉を窮め、南は呉・楚を極め、江湖の上、瀕海の観畢く至れり。道の広さ五十歩、三丈にして樹え、厚く其の外を築き、隠するに金椎を以てし、樹うるに青松を以てす」(爲馳道於天下、東窮燕齊、南極吳楚、江湖之上、瀕海之觀畢至。道廣五十歩、三丈而樹、厚築其外、隱以金椎、樹以靑松)とある。ウィキソース「漢書/卷051」参照。また、後漢の王延寿「魯の霊光殿の賦」(『文選』巻十一)に「是に於いてか連閣宮を承け、馳道周環す」(於是乎連閣承宮、馳道周環)とあり、その李善注に「馳道は、人君の行く所の道なり。君必ず車馬に乗る。故に馳を以て名と為すなり」(馳道、人君所行之道也。君必乘車馬。故以馳爲名也)とある。ウィキソース「昭明文選/卷11」参照。
宮觀何玲瓏
宮観 何ぞ玲瓏たる
- 宮観 … 宮殿。離宮。観は、楼閣。『史記』秦始皇本紀に「乃ち咸陽の旁二百里の内の宮観二百七十を、復道・甬道もて相連ね、帷帳・鐘鼓・美人を之に充たし、各〻案署して移徙せざらしむ」(乃令咸陽之旁二百里内宮觀二百七十、復道甬道相連、帷帳鐘鼓美人充之、各案署不移徙)とある。復道は、上下二重のわたり廊下。宮中の御殿と御殿とを結ぶもので、上は天子、下は臣下が通る。複道とも。甬道は、そこを通る車や人が外部から見えないように、両側に土塀を高く築いた通路。帷帳は、とばり。案署は、所属の部分を記録して所在を明らかにすること。移徙は、移転に同じ。ウィキソース「史記/卷006」参照。また、同じく司馬相如列伝に「宮観を虚しくして仞つる勿れ」(虛宮觀而勿仞)とある。ウィキソース「史記/卷117」参照。『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「宮館」に作る。こちらは、離宮。別館。『漢書』宣帝紀に「郡国の宮館は、復た修治すること勿れ」(郡國宮館、勿復修治)とある。ウィキソース「漢書/卷008」参照。また、後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「離宮別館、三十六所」とある。ウィキソース「西都賦」参照。また、三国魏の曹植「七啓」(『文選』巻三十四)に「此れ宮館の妙なり、子能く我に従って之に居らんか」(此宮館之妙也、子能從我而居之乎)とある。ウィキソース「七啟」参照。
- 玲瓏 … 美しく澄みきっている様子。前漢の楊雄「甘泉の賦」(『文選』巻七)に「前殿崔巍として、和氏玲瓏たり」(前殿崔巍兮、和氏玲瓏)とある。崔巍は、高く険しいさま。和氏は、和氏の璧。美玉の代名詞。その晋灼注に「玲瓏は、明見の貌なり」(玲瓏、明見貌也)とある。ウィキソース「昭明文選/卷7」参照。また、南朝斉の謝朓「中書省に直す」詩(『文選』巻三十)に「玲瓏として綺銭を結び、深沈として朱網に映ず」(玲瓏結綺錢、深沈映朱網)とある。ウィキソース「昭明文選/卷30」参照。また、中唐の張祜「東山寺」詩に「半夜 四山 鐘磬尽き、水精の宮殿 月玲瓏たり」(半夜四山鐘磬尽、水精宮殿月玲瓏)とある。ウィキソース「全唐詩/卷511」参照。
秋色從西來
秋色 西より来り
- 秋色 … 秋の気配。南朝斉の謝朓「三湖を望む」詩に「葳蕤として 向には春秀なるも、芸黄として 共に秋色なり」(葳蕤向春秀、芸黄共秋色)とある。葳蕤は、草木の勢いが盛んなさま。春秀は、春の花や草木の若々しさ。芸黄は、草木が枯れること。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷071」参照。また、北周の王褒の楽府「関山月」(『楽府詩集』巻二十三)に「関山 夜月明るく、秋色 孤城を照らす」(關山夜月明、秋色照孤城)とある。こちらの秋色は、月の光を指す。ウィキソース「樂府詩集/023卷」参照。
蒼然滿關中
蒼然として関中に満つ
五陵北原上
五陵 北原の上
- 五陵 … 漢の五帝の陵墓。高帝の長陵、恵帝の安陵、景帝の陽陵、武帝の茂陵、昭帝の平陵を指す。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「南に杜覇を望み、北に五陵を眺む」(南望杜霸、北眺五陵)とあり、その李善注に「漢書に曰く、宣帝は杜陵に葬り、文帝は覇陵に葬り、高帝は長陵に葬り、恵帝は安陵に葬り、景帝は陽陵に葬り、武帝は茂陵に葬り、昭帝は平陵に葬る、と」(漢書曰、宣帝葬杜陵、文帝葬霸陵、高帝葬長陵、惠帝葬安陵、景帝葬陽陵、武帝葬茂陵、昭帝葬平陵)とある。杜覇は、杜陵と覇陵。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。
- 北原 … 五陵のあるところ。長安の西北、渭水を渡った原野にあった。現在の咸陽市周辺。五陵原とも。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)の劉良注に「宣帝の杜陵、文帝の覇陵は南に在り、高・恵・景・武・昭帝、此の五陵は皆な北に在り」(宣帝杜陵、文帝霸陵在南、髙惠景武昭帝、此五陵皆在北)とある。ウィキソース「六臣註文選 (四庫全書本)/卷01」参照。また、北周の庾信「宇文内史の『重陽閣に入る』に和す」詩に「北原に風雨散じ、南宮に容衛疎らなり」(北原風雨散、南宮容衛疏)とある。容衛は、南宮の衛士。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷125」参照。
萬古靑濛濛
万古 青濛濛たり
淨理了可悟
浄理 了に悟る可く
- 浄理 … 仏法の清浄なる妙理。清らかな仏の教え。『阿毘達磨倶舎論』巻十六、分別業品第四の四に「諸〻の身語意三種の妙行を身語意の三種の清浄と名づく。暫く永く一切の悪行、煩悩の垢を遠離するが故に、名づけて清浄と為す」(諸身語意三種妙行名身語意三種淸淨。暫永遠離一切惡行煩惱垢故、名爲淸淨)とある。ウィキソース「阿毘達磨俱舍論/卷016」参照。
- 了可悟 … すっかり悟ることができた。了悟(はっきりと知ってよく悟る)を分割したものと思われる。了は、さっぱりと。すっかり。
勝因夙所宗
勝因 夙に宗とする所
- 勝因 … 仏教用語で、すぐれた因縁。『仏説無常経』に「勝因は善道に生じ、悪業は泥犁に堕す」(勝因生善道、惡業墮泥犁)とある。泥犁は、地獄。ウィキソース「佛說無常經」参照。
- 夙 … 以前から。ずっと前から。『詩経』召南「采蘩」に「被の僮僮たる、夙夜公に在り」(被之僮僮、夙夜在公)とあり、その毛伝に「夙は、早なり」(夙、早也)とある。采蘩は、よもぎを採る。被は、頭の飾り。また、添え髪。僮僮は、慎むさま。ウィキソース「毛詩正義/卷一」参照。
- 所宗 … 崇め尊んできたところだ。宗は、宗とする。崇める。尊ぶ。『論語』学而篇に「因ること其の親を失わざれば、亦た宗ぶ可きなり」(因不失其親、亦可宗也)とある。ウィキソース「論語/學而第一」参照。また『後漢書』党錮伝に「及なる者は、其の能く人を導き追宗せらるる者を言うなり」(及者、言其能導人追宗者也)とあり、その李賢注に「宗は宗仰せらるる所なる者を謂う」(宗謂所宗仰者)とある。ウィキソース「後漢書/卷67」参照。
- 宗 … 『寛保刊本』には「一作崇」と注する。『古今詩刪』では「崇」に作る。
誓將挂冠去
誓って将に冠を挂けて去り
- 挂冠 … 冠をかける。官職を辞めること。後漢の逢萌が、王莽に仕えることを好まず、自分の冠を東都の城門にかけて去った故事に基づく。『後漢書』逸民・逢萌伝に「時に王莽其の子の宇を殺す。萌友人に謂いて曰く、三綱絶ゆ。去らざれば、禍将に人に及ばんとす、と。即ち冠を解きて東都城門に挂けて帰り、家属を将いて海に浮び、遼東に客す」(時王莽殺其子宇。萌謂友人曰、三綱絕矣。不去、禍將及人。即解冠挂東都城門歸、將家屬浮海、客於遼東)とある。ウィキソース「後漢書/卷83」参照。
覺道資無窮
覚道 無窮に資せんとす
- 覚道 … 正しい悟りの道。『維摩経』仏国品に「始め仏樹に在して力魔を降し、甘露の滅を得て覚道を成じたまえり」(始在佛樹力降魔、得甘露滅覺道成)とある。仏樹は、菩提樹。甘露滅は、涅槃。ウィキソース「維摩詰所說經/01」参照。
- 無窮 … 未来永劫尽きることがない。限りがない。永遠である。『史記』礼書の論賛に「無窮は、広大の極みなり」(無窮者、廣大之極也)とある。ウィキソース「史記/卷023」参照。
- 資 … 仏道を悟る助けとする。『老子』二十七章に「善人は不善人の師とし、不善人は善人の資なり」(善人者不善人之師、不善人者善人之資)とあり、その河上公注に「資は、用なり。人不善を行う者は、聖人猶お教導し善を為さしめ、以て用に給することを得るなり」(資、用也。人行不善者、聖人猶教導使爲善、得以給用也)とある。ウィキソース「老子河上公章句/上」参照。また『呂氏春秋』孟秋紀、懐寵篇に「信もて民と期し、以て敵の資を奪う」(信與民期、以奪敵資)とあり、その高誘注に「資は、用なり」(資、用也)とある。ウィキソース「呂氏春秋 (四庫全書本)/卷07」参照。また『史記集解』留侯世家に「宜しく縞素して資と為すべし」(宜縞素爲資)とあり、その注に「晋灼曰く、資は、藉なり。沛公は秦の奢泰に反し、倹素に服して以て籍と為さんことを欲するなり、と」(晉灼曰、資、藉也。欲沛公反秦奢泰、服儉素以爲籍也)とある。藉は、手を藉すこと。協力すること。奢泰は、贅沢。ウィキソース「史記集解 (裴駰, 四庫全書本)/卷055」参照。
- 覚道資無窮 … 『四部叢刊本』『寛保刊本』には「一に学道茲に窮まり無しに作る」(一作學道茲無窮)と注する。
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- 『箋註唐詩選』巻一(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻一百九十八(排印本、中華書局、1960年)
- 『岑嘉州集』巻上([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
- 『岑嘉州集』巻二(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
- 『岑嘉州詩』巻一(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
- 『岑嘉州詩』巻二(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
- 『唐詩品彙』巻十二([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩別裁集』巻一([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『唐詩解』巻九(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『古今詩刪』巻十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
- 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻一(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
- 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
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