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和祠部王員外雪後早朝即事(岑参)

和祠部王員外雪後早朝卽事
祠部(しぶ)王員外(おういんがい)の「雪(せつ)後(ご)早(つと)に朝(ちょう)する即(そく)事(じ)」に和(わ)す
岑(しん)参(じん)
  • 七言律詩。歸・暉・衣・闈・稀(上平声微韻)。
  • ウィキソース「和祠部王員外雪後早朝即事」参照。
  • 祠部 … 礼部に属し、天文・祭祀等を管掌する役所。『大唐六典』尚書礼部に「祠部郎中一人、従五品上。員外郎一人、従六品上。主事二人、従九品上。祠部郎中・員外郎は祠祀享祭、天文漏刻、国忌廟諱、卜筮医薬、道仏の事を掌る」(祠部郎中一人、從五品上。員外郎一人、從六品上。主事二人、從九品上。祠部郎中、員外郎掌祠祀享祭、天文漏刻、國忌廟諱、卜筮醫藥、道佛之事)とある。ウィキソース「唐六典/卷04」参照。『唐詩品彙』では「祠郡」に作る。
  • 王 … 姓。人物については不詳。
  • 員外 … 官名。員外郎。尚書省の六(りく)部(ぶ)(吏・戸・礼・兵・刑・工の各部)がそれぞれ四司に分かれ、その二十四司の長(郎中)の補佐役。隋代に始まり、本来は定員外の官。郎に欠員が出たとき補充された。
  • 雪後 … 雪の降ったあと。
  • 早 … 朝早く。
  • 朝 … 参内すること。
  • 即事 … 目の前の情景や事柄に即して、見たままに詠じた詩。
  • 和 … ここでは、銭起の「王員外の『晴雪早朝』に和す」と同じく、王某が「雪後早朝即事」と題して即興的に詠じた詩に、作者が唱和したもの。
  • 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(湖北省荊州市江陵県)の人。字(あざな)は不詳。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右(う)補(ほ)闕(けつ)・虢(かく)州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適(こうせき)とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
長安雪後似春歸
長(ちょう)安(あん) 雪(せつ)後(ご) 春(はる)帰(かえ)るに似(に)たり
  • 長安 … 唐の都。現在の陝西省西安市。当時、人口百万を超える大都市であった。ウィキペディア【長安】参照。『読史方輿紀要』陝西、長安県の条に「高帝(劉邦)の五年(前202)、長安県を置く、都を此(ここ)に定む。恵帝の始め城を築く、今、県の西北に在り」(高帝五年置長安縣、定都於此。惠帝始築城、在今縣西北)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十三」参照。また、後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「漢の西都は、雍州に在り。寔(これ)を長安と曰う」(漢之西都、在於雍州。寔曰長安)とある。ウィキソース「西都賦」参照。
  • 雪後 … 雪の降ったあと。
  • 似春帰 … 春が帰って来たようだ。姚翻(伝未詳)の「郭(かく)侍郎の采桑(さいそう)に同ず」詩(『玉台新詠』巻六)に「雁は還る 高柳の北、春は帰る洛水の南」(雁還高柳北、春歸洛水南)とある。采桑は、桑摘み。ウィキソース「同郭侍郎采桑」参照。
積素凝華連曙暉
積(せき)素(そ) 凝(ぎょう)華(か) 曙(しょ)暉(き)に連(つら)なる
  • 積素 … 降り積もった雪。素は、白色。雪のこと。劉宋の謝恵連「雪の賦」(『文選』巻十三)に「積素未だ虧(か)けず、白日朝(あした)に鮮やかなり」(積素未虧、白日朝鮮)とあり、その李周翰注に「言うこころは積雪未だ銷(と)けず、白日鮮明なり」(言積雪未銷、白日鮮明)とある。ウィキソース「雪賦 (謝惠連)」「六臣註文選 (四庫全書本)/卷13」参照。
  • 凝華 … 花のように凝結した雪。劉宋の鮑照の楽府「白紵(はくちょ)舞(ぶ)の歌辞に代う」の第三首に「紅顔は長(ひさ)しかり難く時は戢(や)み易く、華を凝らし藻を結んで久しく延立(えんりつ)す」(紅顏難長時易戢、凝華結藻久延立)とある。白紵舞は、白麻ぎぬを持って舞うこと。延立は、待って立っていること。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷060」「樂府詩集/055卷」参照。
  • 曙暉 … あけぼのの光。夜明けの光。朝の光。曙光に同じ。同じ作者の「西掖省即事」詩にも「西掖(せいえき)の重(ちょう)雲(うん) 曙暉を開き、北山の疎雨(そう) 朝(ちょう)衣(い)に点ず」(西掖重雲開曙暉、北山疎雨點朝衣)とある。
色借玉珂迷曉騎
色(いろ)は玉(ぎょく)珂(か)に借(か)りて暁(ぎょう)騎(き)を迷(まよ)わしめ
  • 色借玉珂 … 雪の白い色は、馬の轡(くつわ)の飾りの玉から借りてきたかと思われるほどに、映え合っている。
  • 玉珂 … 馬の轡(くつわ)につける玉の飾り。触れ合って音を発する。『説文解字』巻一上、玉部に「珂は、玉なり」(珂、玉也)とある。ウィキソース「說文解字/01」参照。また『玉篇』巻一、玉部に「珂は、石の玉(ぎょく)に次ぐものなり。亦た碼(め)碯(のう)、絜白(けっぱく)なること雪の如き者なり。一に云う、螺(ら)の属なり。海中に生ず」(珂、石次玉也。亦碼碯、絜白如雪者。一云、螺屬也。生海中)とある。ウィキソース「玉篇 (四庫全書本)/卷01」参照。また、南朝梁の元帝の楽府「洛陽道」(『楽府詩集』巻二十三)に「玉珂 戦(せん)馬(ば)に鳴り、金爪(きんそう) 闘(とう)場(じょう)の鶏」(玉珂鳴戰馬、金爪鬪場雞)とある。戦馬は、軍馬。金爪は、金属を被(かぶ)せた雄鶏(おんどり)の蹴(け)爪(づめ)。闘場は、戦場。ウィキソース「樂府詩集/023卷」参照。また、西晋の張華の楽府「軽薄篇」(『楽府詩集』巻六十七)に「文軒(ぶんけん)羽(う)蓋(がい)を樹(た)て、馬に乗りて玉珂を鳴らす」(文軒樹羽蓋、乘馬鳴玉珂)とある。文軒は、飾った車。羽蓋は、車のおおいに翡翠を用いたもの。王侯の車に用いた。ウィキソース「樂府詩集/067卷」参照。また、南朝陳の後主の楽府「紫(し)騮(りゅう)馬(ば)二首」の第一首に「玉珂 広路に鳴り、金絡(きんらく) 晨(しん)輝(き)に耀(かがや)く」(玉珂鳴廣路、金絡耀晨輝)とある。金絡は、黄金で作った面懸(おもがい)(馬の頭の上から轡(くつわ)にかけて飾りにする紐)。紫騮馬は、赤くり毛の馬。晨輝は、朝日の光。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷108」参照。
  • 暁騎 … 夜明けの道を参内する百官の騎馬。
光添銀燭晃朝衣
光(ひかり)は銀(ぎん)燭(しょく)に添(そ)いて朝(ちょう)衣(い)を晃(かがや)かす
  • 銀燭 … 銀色に輝くともし火。劉宋の鮑照「芙蓉の賦」に「蓬山(ほうざん)の瓊膏(けいこう)を潤(うるお)し、蔥(そう)河(が)の銀燭を輝かす」(潤蓬山之瓊膏、輝蔥河之銀燭)とある。蓬山は、蓬萊山の略称。瓊膏は、美しい玉(ぎょく)の膏薬。蔥河は、伝説上の川の名。ウィキソース「芙蓉賦 (鮑照)」参照。また、南朝陳の江総「衡陽(こうよう)殿下の高楼にて妓を看るに和す」詩に「纓(えい)を銀燭の下に掛け、玉(ぎょく)釵(さい)の長きを笑うこと莫かれ」(掛纓銀燭下、莫笑玉釵長)とある。纓は、冠のひも。玉釵は、玉で作ったかんざし。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷115」参照。
  • 朝衣 … 朝廷に出仕するときに着る礼服。朝服。『史記』司馬相如列伝に「是(ここ)に於いて吉日を暦(えら)び以て斉戒し、朝衣を襲(き)、法(ほう)駕(が)に乗る」(於是暦吉日以齊戒、襲朝衣、乘法駕)とある。法駕は、天子の乗り物。ウィキソース「史記/卷117」参照。また、西晋の張協「史を詠ぜし詩」(『文選』巻二十一)に「簪(しん)を抽(ぬ)き朝衣を解き、髪を散じて海隅(かいぐう)に帰る」(抽簪解朝衣、散髮歸海隅)とある。簪は、冠をとめるために髪にさすもの。海隅は、海の片ほとり。ウィキソース「詠史詩 (張協)」参照。
  • 晃 … 色鮮やかに照らし出すこと。
西山落月臨天仗
西山(せいざん)の落月(らくげつ) 天(てん)仗(じょう)に臨(のぞ)み
  • 西山 … 西の山。三国魏の王粲「従軍の詩」(『文選』巻二十七)の第三首に「白日 西山に半(なか)ばし、桑(そう)梓(し) 余暉(よき)有り」(白日半西山、桑梓有餘暉)とある。白日は、輝く太陽。桑梓は、桑と梓(あずさ)。余暉は、日没後も空に残る光。余光。ウィキソース「從軍詩 (王粲)」参照。
  • 落月 … 沈みゆく月。南朝梁の元帝「草名の詩」に「落月 懸鉤(けんこう)に似たり」(落月似懸鉤)とある。懸鉤は、鉤を懸けること。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷080」参照。
  • 天仗 … 天子を警護する儀仗(兵)。仙仗。『新唐書』儀衛志に「凡そ朝会の仗は、三衛番(ばん)上(じょう)し、分かれて五仗と為り、衙(が)内(ない)五衛と号す。一に曰く供(きょう)奉(ほう)仗、左右衛を以て之を為す。二に曰く親仗、親衛を以て之を為す。三に曰く勲仗、勲衛を以て之を為す。四に曰く翊(よく)仗、翊衛を以て之を為す。皆な鶡冠(かっかん)、緋(ひ)衫裌(さんこう)を服す。五に曰く散手仗、親・勲・翊衛を以て之を為し、緋絁(ひし)の裲(りょう)襠(とう)を服し、野馬を繡(ぬ)いとる。皆な刀を帯び仗を捉(と)り、東西の廊下に列坐し、月毎(つきごと)に四十六人を以て内廊閤外(こうがい)に立たしむ。号して内仗と曰う」(凡朝會之仗、三衞番上、分爲五仗、號衙内五衞。一曰供奉仗、以左右衞爲之。二曰親仗、以親衞爲之。三曰勳仗、以勳衞爲之。四曰翊仗、以翊衞爲之。皆服鶡冠、緋衫裌。五曰散手仗、以親、勳、翊衞爲之、服緋絁裲襠、繡野馬。皆帶刀捉仗、列坐於東西廊下、毎月以四十六人立内廊閤外。號曰内仗)とある。鶡冠は、山鳥の尾羽の飾りをつけた冠。閤外は、宮殿の外。ウィキソース「新唐書/卷023上」参照。
北闕晴雲捧禁闈
北闕(ほっけつ)の晴雲(せいうん) 禁(きん)闈(い)を捧(ささ)ぐ
  • 北闕 … 宮城の北門。上奏・謁見などをする者は、この門から入った。漢代、北闕は、未央宮の北にある玄武闕をいう。『史記』高祖本紀に「蕭丞相、未央宮を営作す。東闕・北闕・前殿・武庫・太倉を立つ」(蕭丞相營作未央宮。立東闕、北闕、前殿、武庫、太倉)とあり、『集解』に引く『関中記』に「東に蒼龍闕有り、北に玄武闕有り。玄武は所謂北闕なり」(東有蒼龍闕、北有玄武闕。玄武所謂北闕)とある。ウィキソース「史記三家註/卷008」参照。また『漢書』高帝紀下に「蕭何、未央宮を治めて、東闕、北闕、前殿、武庫、大倉を立つ」(蕭何治未央宮、立東闕、北闕、前殿、武庫、大倉)とある。ウィキソース「漢書/卷001下」参照。その顔師古の注に「未央殿は南(なん)嚮(きょう)して書を上(たてまつ)り事を奏すと雖も、謁見の徒は皆北闕に詣(いた)り、公車司馬も亦た北に在り。是れ則ち北闕を以て正門と為す。而して又東門・東闕有り。西南両面に至って、門闕無し。蓋し蕭何初めて未央宮を立て、厭勝の術を以て、理宜(よろ)しく然(しか)るべし」(未央殿雖南嚮、而上書奏事、謁見之徒皆詣北闕、公車司馬亦在北焉。是則以北闕爲正門。而又有東門、東闕。至於西南兩面、無門闕矣。蓋蕭何初立未央宮、以厭勝之術、理宜然乎)とある。『漢書評林』卷一下(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 晴雲 … 晴れゆく雲。南朝梁の蕭子雲「海法師の甑山(そうざん)に遊ぶに贈る」詩に「泬(けつ)寥(りょう)として晩霖(ばんりん)霽(は)れ、重畳(ちょうじょう)として晴雲新たなり」(泬寥晩霖霽、重疊晴雲新)とある。泬寥は、雲がなく、からりと晴れている様子。晩霖は、夕暮れに降る長雨。重畳は、幾重にも重なっている様子。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷095」参照。
  • 禁闈 … 宮殿の小門。また、宮中。朝廷。闈は、宮城の小門。『爾雅』釈宮篇に「宮中の門、之を闈と謂う」(宮中之門謂之闈)とあり、その郭璞注に「相通ずるの小門を謂うなり」(謂相通小門也)とある。ウィキソース「爾雅註疏/卷05」参照。また『後漢書』周挙伝に「京輦(けいれん)に出入りし、欽(つつし)まんかなとの績(いさお)有り、禁闈に在りては、密静(みっせい)の風有り」(出入京輦、有欽哉之績、在禁闈、有密靜之風)とある。京輦は、天子のいる都。績は、功績。密静は、こっそりと静かなさま。ウィキソース「後漢書/卷61」参照。また、西晋の陸機「魏の武帝を弔う文」(『文選』巻六十)に「三才の闕典(けってん)を釐(おさ)め、天地の禁闈を啓(ひら)く」(釐三才之闕典、啓天地之禁闈)とある。三才は、天・地・人。闕典は、不完全な規則。禁闈は、ここでは奥義。ウィキソース「弔魏武帝文」参照。また、南朝梁の何遜「石頭にて庾郎丹に答う」詩に「相如 禁闈に阻まれ、何に由りてか簡易に従う」(相如阻禁闈、何由從簡易)とある。相如は、司馬相如。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷094」参照。
  • 捧 … (晴れゆく雲が宮殿の小門を)捧げ持つかのように流れてゆく。
聞道仙郎歌白雪
聞(きく)道(な)らく仙郎(せんろう) 白雪(はくせつ)を歌(うた)うと
  • 聞道 … 「きくならく」と読み、「聞くところによれば」「人の話によると」と訳す。「聞説」とも書く。北周の庾信の詩「詠懐に擬す二十七首」の第十七首に「聞(きく)道(な)らく 楼船(ろうせん)戦いて、今年囲(かこ)みを解かずと」(聞道樓船戰、今年不解圍)とある。楼船は、楼船兵を統率する役職名。楼船将軍。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷125」参照。
  • 仙郎 … 員外郎や郎中などの雅称。ここでは、王員外を指す。盛唐の王維「重ねて苑郎中に酬(むく)ゆ」詩に「仙郎意有って同舎を憐れめども、丞相私(わたくし)無くして埽門(そうもん)を断つ」(仙郎有意憐同舍、丞相無私斷埽門)とある。同舎は、ここでは同僚。埽門は、門前を掃き清める。転じて、人に面会を求めること。ウィキソース「重酬苑郎中」参照。
  • 白雪 … 白雪の歌。古代の楽曲「陽春白雪」のこと。戦国時代、楚の宋玉「楚王の問いに対(こた)う」(『文選』巻四十五)に「客郢(えい)中(ちゅう)に歌う者有り。其の始めを下里(かり)巴(は)人(じん)と曰う、国中の属(しょく)して和する者数千人なり。其の陽(よう)阿(あ)薤(かい)露(ろ)を為す、国中の属(しょく)して和する者数百人なり。其の陽春白雪を為す、国中の属(しょく)して和する者数十人に過ぎず。……是れ其の曲弥〻(いよいよ)高ければ、其の和するもの弥〻(いよいよ)寡(すく)なし」(客有歌於郢中者。其始曰下里巴人、國中屬而和者數千人。其爲陽阿薤露、國中屬而和者數百人。其爲陽春白雪、國中屬而和者不過數十人。……是其曲彌高、其和彌寡)とあるのに基づく。ウィキソース「對楚王問」参照。
由來此曲和人稀
由(ゆ)来(らい) 此(こ)の曲(きょく) 和(わ)す人(ひと)稀(まれ)なり
  • 由来 … 昔から。もとから。『易経』坤卦の文言伝に「臣にして其の君を弒(しい)し、子にして其の父を弒するは、一朝一夕の故(こと)に非ず、其の由りて来たる所の者漸(ぜん)なり」(臣弒其君、子弒其父、非一朝一夕之故、其所由來者漸矣)とある。ウィキソース「周易/坤」参照。また、三国魏の阮籍「詠懐詩八十二首」の第四首(『文選』巻二十三では十七首中第五首)に「天(てん)馬(ば)は西北より出づるも、由来東道(とうどう)に従う」(天馬出西北、由來從東道)とある。ウィキソース「詠懷詩五言八十二首」「詠懷詩十七首」参照。
  • 和人稀 … 唱和できる人がめったにいないというほど、格調の高い曲である。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻五(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百一(排印本、中華書局、1960年)
  • 『岑嘉州集』巻下([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
  • 『岑嘉州集』巻八(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『岑嘉州詩』巻五(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
  • 『岑嘉州詩』巻七(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
  • 『唐詩品彙』巻八十三([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻十三([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『唐詩解』巻四十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『古今詩刪』巻十七(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻五(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
  • 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
歴代詩選
古代 前漢
後漢 魏
晋 南北朝
初唐 盛唐
中唐 晩唐
北宋 南宋
金 元
明 清
唐詩選
巻一 五言古詩 巻二 七言古詩
巻三 五言律詩 巻四 五言排律
巻五 七言律詩 巻六 五言絶句
巻七 七言絶句
詩人別
あ行 か行 さ行
た行 は行 ま行
や行 ら行