暮春虢州東亭送李司馬帰扶風別廬(岑参)
暮春虢州東亭送李司馬歸扶風別廬
暮春、虢州の東亭にて李司馬が扶風の別廬に帰るを送る
暮春、虢州の東亭にて李司馬が扶風の別廬に帰るを送る
- 七言律詩。殷・還・山・閒・斑(上平声刪韻)。
- ウィキソース「暮春虢州東亭送李司馬歸扶風別廬」参照。
- 暮春 … 春の終わり頃。晩春。陰暦三月のこと。西晋の張翰「雑詩三首」(『文選』巻二十九)の第一首に「暮春に和気応じ、白日は園林を照らす」(暮春和氣應、白日照園林)とある。ウィキソース「昭明文選/卷29」参照。また、東晋の王羲之「蘭亭序」に「暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す」(暮春之初、会于会稽山陰之蘭亭)とある。ウィキソース「蘭亭集序」参照。
- 虢州 … 今の河南省三門峡市一帯。隋の開皇三年(583)、東義州を改めて置いた。治所は盧氏県(今の河南省盧氏県)。大業三年(607)に廃し、唐の武徳元年(618)に再び置いた。貞観八年(634)、弘農県(今河南省霊宝市)に移して治めた。『読史方輿紀要』歴代州域形勢、唐上、虢州の条に「漢は弘農郡と曰い、唐に虢州を置く、亦た弘農郡と曰い、弘農等県六を領す。今の陝州霊宝県の西南三十里、故の弘農城は是なり」(漢曰弘農郡、唐置虢州、亦曰弘農郡、領弘農等縣六。今陝州靈寶縣西南三十里故弘農城是)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五」参照。ウィキペディア【虢州】参照。
- 東亭 … 町の東にある駅亭(宿場にある旅館)。
- 李 … 李某。人物については不詳。
- 司馬 … 州・郡の属官。刺史を補佐して軍事を掌った。『事物紀原』撫字長民部第三十一、司馬の条に「魏晋より以後、刺史にして将軍開府を帯ぶる者は則ち之を置く。此れより始めて州郡の官と為す。唐の高宗、位に即いて治中を改めて司馬節度と為し、亦た行軍司馬有り。今節度団練副使と、並びに以て貶責の官と為す」(魏晉以後、刺史帶將軍開府者則置之。自此始爲州郡官。唐高宗即位改治中爲司馬節度、亦有行軍司馬。今與節度團練副使、竝以爲貶責之官)とある。ウィキソース「事物紀原 (四庫全書本)/卷06」参照。
- 扶風 … 扶風郡。現在の陝西省宝鶏市鳳翔区。『読史方輿紀要』陝西四、鳳翔府に「唐は仍りて岐州と曰う。天宝の初め、亦た扶風郡と曰う。至徳の初め、改めて鳳翔郡と為る」(唐仍曰岐州。天寶初、亦曰扶風郡。至德初、改爲鳳翔郡)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十五」参照。ウィキペディア【扶風郡】参照。
- 別廬 … 別荘。『晋書』劉琨伝に「時に征虜将軍の石崇、河南の金谷澗の中に別廬有り。時輩に冠絶し、賓客を引致し、日以て詩を賦す。琨其の間に預り、文詠頗る当時の許す所と為る」(時征虜將軍石崇、河南金谷澗中有別廬。冠絶時輩、引致賓客、日以賦詩。琨預其間、文詠頗爲當時所許)とある。時輩は、当時の賢者。冠絶は、最も優れていること。ウィキソース「晉書/卷062」参照。
- この詩は、作者が虢州の長史であった折、虢州の司馬であった李某が官職を辞し、扶風の別荘へ帰るのを送別したもの。上元二年(761)、四十七歳の作(『岑嘉州詩箋注』附録の「岑参年譜」による)。
- 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右補闕・虢州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
柳嚲鶯嬌花復殷
柳は嚲れ鶯は嬌びて花復た殷し
- 嚲 … 垂れ下がること。『集韻』に「嚲は、典可の切、垂れ下がる貌」(嚲、典可切、垂下皃)とある。ウィキソース「集韻 (四庫全書本)/卷06」参照。また、中唐の白居易「諸客と同に雪中馬上の妓を嘲る」詩に「珊瑚の鞭嚲れて馬踟躕す、手を引き蛾を低れて一盂を索む」(珊瑚鞭嚲馬踟躕、引手低蛾索一盂)とある。踟躕は、立ち止まること。双声の語。蛾は、美人の眉。一盂は、(酒)一杯。ウィキソース「同諸客嘲雪中馬上妓」参照。
- 鶯嬌 … ウグイスが可愛い声で鳴くこと。北周の王褒の楽府「燕歌行」に「初春の麗日 鶯嬌ならんと欲す、桃花の流水 河橋を没す」(初春麗日鶯欲嬌、桃花流水沒河橋)とある。ウィキソース「燕歌行 (王褒)」参照。
- 殷 … 殷紅。黒みがかった赤色のこと。音はアン。なお、「殷んなり」と訓読し、「盛んなさま」と解釈している注釈書もあるが、その場合の音はインになり(上平声文韻)、韻が合わない。『春秋左氏伝』成公二年に「左輪朱殷なるも、豈に敢えて病めりと言わんや」(左輪朱殷、豈敢言病)とあり、その杜預注に「今人、赤黒を謂いて殷色と為す」(今人謂赤黒爲殷色)とある。『春秋左傳集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)、ウィキソース「春秋左氏傳/成公」「春秋經傳集解 (四部叢刊本)/卷第十二」参照。
紅亭綠酒送君還
紅亭 緑酒 君が還るを送る
- 紅亭 … 建物を赤く塗り飾った駅亭。中唐の韓愈「江亭に合す」詩に「紅亭 湘江を枕とし、蒸水 其の左に会す」(紅亭枕湘江、蒸水會其左)とある。蒸水は、湘江の支流。ウィキソース「全唐詩/卷337」参照。
- 緑酒 … 緑色に澄んだ酒。上質な酒のこと。梁の武帝の楽府「碧玉歌」(『玉台新詠』巻十)に「碧玉 金杯を奉じ、緑酒 花の色を助く」(碧玉奉金杯、綠酒助花色)とある。ウィキソース「碧玉歌 (蕭衍)」参照。また、東晋の陶潜「諸人と共に周家の墓柏の下に遊ぶ」詩に「清歌 新声を散じ、緑酒 芳顔を開く」(清歌散新聲、綠酒開芳顏)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷045」参照。
- 送君還 … 扶風へと帰ってゆく君を送る。
到來函谷愁中月
到り来たれば 函谷 愁中の月
- 到来 … 君はこの土地へ来てから。
- 函谷 … 虢州の西にある函谷関。『元和郡県図志』巻六、河南道二、陝州の条に「西征記に曰く、函谷関の城は、路穀中に在り、深険なること函の如し、故に以て名と為す、と」(西征記曰、函谷關城、路在穀中、深險如函、故以爲名)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷06」参照。なお、戦国時代、秦が河南省霊宝県の東北に置いたものを「旧関」といい、その旧関を漢の武帝が河南省新安県の東北に移したものを「新関」という。ウィキペディア【函谷関】参照。
- 愁中月 … 憂愁の気持ちを抱いて見る月。
歸去磻溪夢裏山
帰り去らば 磻渓 夢裏の山
- 帰去 … 扶風に帰れば。
- 磻渓 … 川の名。現在の陝西省宝鶏市の東南を流れ、渭水に注ぐ。周の初め、太公望呂尚が釣りをしていたと伝えられる川。『水経注』渭水篇に「渭水の右、磻渓の水之に注ぐ。水は南山茲谷を出で、高きに乗じて激流し、渓中に注ぐ。渓中に泉有り、之を茲泉と謂う。泉水潭積し、自ずから淵渚を成す。即ち呂氏春秋に所謂太公茲泉に釣すところなり。今人之を丸谷と謂う。石壁深く高く、幽隍邃密、林障秀阻にして、人跡罕に交わる。東南の隅に一石室有り、蓋し太公の居る所なり。水次の平石釣処は、即ち太公垂釣の所なり。其の竿を投じ跽き餌し、両䣛の遺跡猶お存し、是に磻渓の称有るなり」(渭水之右、磻溪水注之。水出南山茲谷、乘高激流、注于溪中。溪中有泉、謂之茲泉。泉水潭積、自成淵渚。即呂氏春秋所謂太公釣茲泉也。今人謂之丸谷。石壁深高、幽隍邃密、林障秀阻、人跡罕交。東南隅有一石室、蓋太公所居也。水次平石釣處、即太公垂釣之所也。其投竿跽餌、兩䣛遺跡猶存、是有磻溪之稱也)とある。潭積は、深く水を湛えていること。幽隍は、静かな堀。邃密は、奥ふかくて静かである。餌は、餌で釣ること。両䣛は、両膝の意か。ウィキソース「水經注/17」参照。
- 夢裏山 … 夢に見ていた山々。南朝梁の武陵王蕭紀「湘東王の夜夢に和して令に応ず」詩(『玉台新詠』巻七)に「故に言う夢裏の如くんば、頼いに雁書の飛ぶを得ん」(故言如夢裏、賴得雁書飛)とある。雁書は、消息を伝える手紙のこと。漢の将軍蘇武が、雁の足に手紙を結んで都へ消息を知らせた故事による。ウィキソース「和湘東王夜夢應令」参照。
簾前春色應須惜
簾前の春色 応に須く惜しむべし
- 簾前 … 簾の前。杜牧「秋晩、茅山石涵の村舎を懐う」詩(『全唐詩』巻五百二十六、『全唐詩』巻五百三十六では許渾の作とする)に「簾前の白艾 春燕を驚かし、籬上の青桑 晩蚕を待つ」(簾前白艾驚春燕、籬上青桑待晩蠶)とある。白艾は、白いよもぎ。籬上は、籬の上。青桑は、青々とした桑の葉。晩蚕は、夏の蚕。ウィキソース「全唐詩/卷526」参照。
- 春色 … 春の景色。春の趣き。南朝斉の謝朓「徐都曹に和す」詩(『文選』巻三十)に「宛洛は遨游に佳く、春色は皇州に満つ」(宛洛佳遨游、春色滿皇州)とある。宛洛は、宛邑(南陽)と洛陽との二都。遨游は、気ままに遊び楽しむこと。皇州は、帝都の地。ウィキソース「昭明文選/卷30」参照。
- 応須惜 … これこそがまさに惜しむべきものである。
- 須 … 「すべからく~すべし」と読み、「ぜひとも~する必要がある」「当然~すべきである」と訳す。再読文字。「すべて、皆」と訳すのは誤り。
世上浮名好是閒
世上の浮名 好し是れ間なり
- 世上 … 世間。劉宋の鮑照の詩「松栢篇」に「世上の事を追憶すれば、束教 已に自ら拘う」(追憶世上事、束教已自拘)とある。束教は、人を束縛する教え。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷060」参照。
- 浮名 … あてにならぬ虚名。劉宋の謝霊運「初めて郡を去る」詩(『文選』巻二十六)に「伊れ余は微尚を秉り、拙訥にして浮名を謝す」(伊余秉微尚、拙訥謝浮名)とある。微尚は、自分の取るに足りない主義。ここでは、山水の間に隠棲したい気持ち。秉は、守ること。拙訥は、口下手。謝は、辞退する。ウィキソース「初去郡」参照。
- 好是 … まったく~である。まことに~である。
- 間 … どうでもいいこと。等閑視すること。
西望郷關腸欲斷
西のかた郷関を望めば腸断えんとす
- 西望 … 西のほうを望めば。後漢の張衡「四愁詩」(『文選』巻二十九、『玉台新詠』巻九)の第三首に「身を側だてて西望すれば涕裳を沾す」(側身西望涕沾裳)とある。ウィキソース「四愁詩」参照。
- 西 … 「にしのかた」と読み、「西に向かって」「また西のほうで」と訳す。盛唐の王維「元二の安西に使いするを送る」詩に「西のかた 陽関を出づれば 故人無からん」(西出陽關無故人)とある。ウィキソース「送元二使安西」参照。
- 郷関 … (わが)ふるさと。隋の孫万寿「早に揚州を発して還りみて郷邑を望む」詩に「郷関再び見ず、悵望此の晨に窮む」(郷關不再見、悵望窮此晨)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷135」参照。
- 関 … 『前唐十二家詩』『唐五十家詩集本』『寛保刊本』では「園」に作る。
- 腸欲断 … 腸がちぎれんばかりの悲しい思い。後漢の蔡琰の楽府「胡笳十八拍」(『楽府詩集』巻五十九、『楚辞後語』巻三)の第五拍に「雁飛ぶこと高く、邈かにして尋ね難し、空しく腸を断ちて思い愔愔たり」(雁飛高兮邈難尋、空斷腸兮思愔愔)とある。ウィキソース「胡笳十八拍」「樂府詩集/059卷」「楚辭集注 (四庫全書本)/後語卷3」参照。また、三国魏の文帝(曹丕)の「燕歌行」(『文選』巻二十七、『玉台新詠』巻九)に「群燕辞し帰り雁南に翔る、君が客遊を念うて思い腸を断つ」(群燕辭歸雁南翔、念君客遊思斷腸)とある。ウィキソース「燕歌行 (曹丕)」参照。
對君衫袖涙痕斑
君に対して衫袖 涙痕斑らなり
- 対君 … 君と向き合っていると。
- 衫袖 … 着物の袖。北周の庾信「夜、搗衣を聴く」詩に「裙裾 長きを奈ともするなし、衫袖 偏えに短きを宜しとす」(裙裾不奈長、衫袖偏宜短)とある。裙裾は、スカートの裾。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷125」参照。
- 衫 … 底本では「袗」に作るが、諸本により改めた。
- 涙痕 … 涙の流れた跡。『拾遺記』に「郅奇、字は君珍、喪に居て礼を尽くす。……涙を以て石に灑げば、則ち痕と成る」(郅奇、字君珍、居喪盡禮。……以涙灑石、則成痕)とある。ウィキソース「拾遺記/卷六」参照。また、南朝梁の簡文帝「蕭侍中子顕の春別に和す」詩(『玉台新詠』巻九)の第三首に「涙迹未だ燥かず詎ぞ朝を終えん、行〻聞く玉珮已に相要うと」(淚迹未燥詎終朝、行聞玉珮已相要)とある。ウィキソース「和蕭侍中子顯春別」参照。
- 斑 … (涙の跡が)まだらに付いてしまう。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻五(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻二百一(排印本、中華書局、1960年)
- 『岑嘉州集』巻下([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
- 『岑嘉州集』巻八(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
- 『岑嘉州詩』巻五(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
- 『岑嘉州詩』巻七(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
- 『唐詩品彙』巻八十三([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩別裁集』巻十三([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『唐詩解』巻四十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『古今詩刪』巻十七(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
- 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻五(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
- 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
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