西掖省即事(岑参)
西掖省卽事
西掖省即事
西掖省即事
- 七言律詩。暉・衣・微・歸・扉(上平声微韻)。
- ウィキソース「西掖省即事」参照。
- 詩題 … 『文苑英華』では「西省即事」に作る。
- 西掖省 … 中書省の異称。掖は、宮中のこと。宮殿の西側にあったのでこう呼ばれた。
- 即事 … 目の前の情景や事柄に即して、見たままに詠じた詩。
- この詩は、作者が右補闕として中書省に勤務していた時に詠んだもの。乾元元年(758)、四十四歳の作(『岑嘉州詩箋注』附録の「岑参年譜」による)。
- 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右補闕・虢州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
西掖重雲開曙暉
西掖の重雲 曙暉を開き
- 西掖 … 中書省。または、西掖門。三国魏の劉楨「徐幹に贈る」詩(『文選』巻二十三)に「誰か謂う相去ること遠しと、此の西掖の垣を隔つるのみ」(誰謂相去遠、隔此西掖垣)とあり、その李善注に「洛陽故宮銘に曰く、洛陽宮に東掖門・西掖門有り、と」(洛陽故宮銘曰、洛陽宮有東掖門西掖門)とある。ウィキソース「贈徐幹 (劉楨)」「六臣註文選 (四庫全書本)/卷23」参照。
- 重雲 … 幾重にも重なりあった雲。幾重にも垂れこめた雲。『関尹子』一宇篇に「重雲天を蔽い、江湖黯然たり」(重雲蔽天、江湖黯然)とある。ウィキソース「關尹子/1」参照。また、西晋の束晳「補亡の詩」(『文選』巻十九)の華黍の詩に「黮黮たる重雲、輯輯たる和風」(黮黮重雲、輯輯和風)とある。華黍は、『詩経』の逸詩の篇名。黮黮は、黒々としたさま。輯輯は、風がやわらかに吹くさま。和風は、穏やかな風。ウィキソース「補亡詩六首」参照。
- 曙暉 … あけぼのの光。夜明けの光。朝の光。曙光に同じ。同じ作者の「祠部王員外の雪後早に朝する即事に和す」詩にも「長安 雪後 春帰るに似たり、積素 凝華 曙暉に連なる」(長安雪後似春歸、積素凝華連曙暉)とある。『文苑英華』では「邑曙」に作り、「集作開曙輝」と注する。
北山疎雨點朝衣
北山の疎雨 朝衣に点ず
- 北山 … 北の山。ここでは、竜首山を指す。『詩経』小雅・北山に「彼の北山に陟り、言に其の杞を采る」(陟彼北山、言采其杞)とある。杞は、クコ。ウィキソース「詩經/北山」参照。また『水経注』渭水篇に「(蕭)何は竜首山を斬りて之を営す。山長さ六十余里、頭は渭水に臨み、尾は樊川に達す。頭の高さ二十丈、尾漸く下り、高さ五六丈、土の色赤くして堅し。云う、昔黒竜有り、南山より出でて渭水を飲む。其の行道因りて山跡を成す」(何斬龍首山而營之。山長六十餘里、頭臨渭水、尾達樊川。頭高二十丈、尾漸下、高五六丈、土色赤而堅。云昔有黑龍、從南山出飮渭水。其行道因山成跡)とある。ウィキソース「水經注/19」参照。また『山海経』西山経に「又西二百里を、竜首の山と曰う。其の陽に黄金多く、其の陰に鉄多し」(又西二百里、曰龍首之山。其陽多黃金、其陰多鐵)とある。ウィキソース「山海經/西山經」参照。
- 疎雨 … まばらに降る雨。
- 朝衣 … 朝廷に出仕するときの服。朝服。『史記』司馬相如列伝に「是に於いて吉日を暦び以て斉戒し、朝衣を襲、法駕に乗る」(於是暦吉日以齊戒、襲朝衣、乘法駕)とある。法駕は、天子の乗り物。ウィキソース「史記/卷117」参照。また、西晋の張協「史を詠ぜし詩」(『文選』巻二十一)に「簪を抽き朝衣を解き、髪を散じて海隅に帰る」(抽簪解朝衣、散髮歸海隅)とある。簪は、冠をとめるために髪にさすもの。海隅は、海の片ほとり。ウィキソース「詠史詩 (張協)」参照。
- 点 … ぽつりぽつりと降りかかる。
千門柳色連靑瑣
千門の柳色 青瑣に連なり
- 千門 … 宮殿の多くの門。千は、数の多いことを示す。『史記』孝武本紀に「是に於いて建章宮を作る。度りて千門万戸を為る」(於是作建章宮。度爲千門萬戶)とある。ウィキソース「史記/卷012」参照。また、後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「千門を張りて万戸を立て、陰陽に順って以て開闔す」(張千門而立萬戸、順陰陽以開闔)とある。開闔は、開閉に同じ。ウィキソース「西都賦」参照。
- 柳色 … 青々とした柳の色。南朝梁の皇太子蕭綱(のちの簡文帝)「湘東王の名士傾城を悦ぶに和す」詩(『玉台新詠』巻七)に「妝窗柳色を隔つ、井水桃紅に照らさる」(妝窗隔柳色、井水照桃紅)とある。妝窗は、美しく飾った窓。ウィキソース「和湘東王名士悅傾城」参照。また、南朝梁の蕭子範「春望古意」詩(『玉台新詠』巻八・宋刻不収)に「春情柳色を寄せ、鳥語梅中に出づ」(春情寄柳色、鳥語出梅中)とある。鳥語は、鳥の鳴き声。ウィキソース「春望古意」参照。
- 青瑣 … 宮門。門の扉に鎖の形の模様を彫刻し、青いうるしを塗ってあった。南朝梁の呉均「春詠」詩(『玉台新詠』巻六)に「雲は青瑣の闥を障え、風は承露の台を吹く」(雲障青瑣闥、風吹承露臺)とある。闥は、小門。ウィキソース「春詠 (吳均)」参照。
三殿花香入紫微
三殿の花香 紫微に入る
- 三殿 … 蓬萊三殿、すなわち麟徳殿のこと。蓬萊は、長安城の北東にあった蓬萊宮、すなわち大明宮のこと。大明宮は、時代により何度も改名され、この時は蓬萊宮と称していた。三殿は、蓬萊宮(大明宮)の中の迎賓館として使われていた麟徳殿の別名。一殿に三面があるからいう。『雍録』に「三殿とは、麟徳殿なり。一殿にして三面有り、故に三殿と名づくなり」(三殿者、麟德殿也。一殿而有三面、故名三殿也)とある。ウィキソース「雍錄/卷04」参照。なお、三殿を大明宮の正殿である含元殿・宣政殿・紫宸殿とするのは誤り。杜審言「蓬萊三殿侍宴奉勅詠終南山」参照。
- 花香 … 花の香り。楽府「晋の白紵舞の歌辞」の第三首に「陽春白日 風花香し、趨歩すれば明玉 舞えば瑶璫」(陽春白日風花香、趨歩明玉舞瑤璫)とある。趨歩は、小走りに走ること。瑶璫は、佩び玉が揺れ、耳飾りの玉が光ること。ウィキソース「樂府詩集/055卷」参照。
- 紫微 … 天子の宮殿、紫微宮。または中書省の雅称、紫微省。『新唐書』百官志、中書省の条に「中書令二人、正二品。天子を佐け大政を執り、而して省事を総判することを掌る」(中書令二人、正二品。掌佐天子執大政、而總判省事)とあり、その注に「開元元年、中書省を改めて紫微省と曰い、中書令は紫微令と曰う。天宝元年、右相と曰う」(開元元年、改中書省曰紫微省、中書令曰紫微令。天寶元年、曰右相)とある。ウィキソース「新唐書/卷047」参照。なお、もとは北斗星の北東にある十五の星の名。伝説では、その一つが天の軸にあたり、天帝の住む宮殿とされる。『晋書』天文志に「紫宮垣の十五星、其の西番七つ、東番八つ、北斗の北に在り。一に紫微と曰う。大帝の坐なり。天子の常居なり。命を主り度を主るなり」(紫宮垣十五星、其西番七、東番八、在北斗北。一曰紫微。大帝之坐也。天子之常居也。主命主度也)とある。ウィキソース「晉書/卷011」参照。
平明端笏陪鵷列
平明 笏を端して鵷列に陪し
- 平明 … 夜明け。明け方。当時の百官は未明に参内し、天子の朝礼を受けた。『荀子』哀公篇に「君昧爽にして櫛冠し、平明にして朝を聴き、一物応ぜざるは、乱の端なり」(君昧爽而櫛冠、平明而聽朝、一物不應、亂之端也)とある。ウィキソース「荀子/哀公篇」参照。また『史記』留侯世家に「孺子、教う可し。後五日平明に、我と此に会せよ」(孺子可敎矣。後五日平明、與我會此)とある。ウィキソース「史記/卷055」参照。
- 端笏 … 笏を正しく持つこと。笏は、朝廷の役人が右手に持ってメモを記す細長い板。ウィキペディア【笏】参照。端は、正しく持つこと。『旧唐書』輿服志に「文武の官は皆な笏を執る、五品以上は、角牙を用いて之を為り、六品以下は、竹木を用う」(文武之官皆執笏、五品以上、用角牙爲之、六品以下、用竹木)とある。ウィキソース「舊唐書/卷45」参照。また、南朝梁の江淹「建平王に従いて紀南城に遊ぶ」詩に「袵を斂めて光采に依り、笏を端して仁明に奉ず」(斂袵依光采、端笏奉仁明)とある。斂袵は、裾がばらつかないようにしてひざまずくこと。衽は、衣服の裾。光采は、光彩に同じ。ここでは、王の光り輝く徳の意。仁明は、仁知に同じ。思いやりと知恵が優れていること。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷085」参照。
- 鵷列 … 鵷は、鵷雛。想像上の鳥の名で、鳳凰の一種。ここでは、朝廷における百官の行列に喩える。『荘子』秋水篇に「南方に鳥有り、其の名は鵷雛、子之を知るか」(南方有鳥、其名鵷雛、子知之乎)とある。ウィキソース「莊子/秋水」参照。また、司馬相如「子虚の賦」(『文選』巻七)に「其の上には則ち鵷雛孔鸞、騰遠射干有り」(其上則有鵷雛孔鸞、騰遠射干)とある。孔鸞は、孔雀と鸞。鸞も想像上の鳥の名で、鳳凰の一種。騰遠は、騰猿(樹間を飛び回る猿)の誤りか。射干は、伝説上の悪獣。狐に似ているという。ウィキソース「昭明文選/卷7」参照。
- 鵷 … 『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『唐詩品彙』『古今詩刪』『文苑英華』『瀛奎律髄』では「鴛」に作る。こちらは、おしどりの意。
- 陪 … 付き従う。随伴する。
薄暮垂鞭信馬歸
薄暮 鞭を垂れ 馬に信せて帰る
宦拙自悲頭白盡
宦は拙くして自ら悲しむ 頭の白尽するを
- 宦拙 … 宮仕えがうまくゆかず、不遇なこと。
- 宦 … 『全唐詩』では「官」に作る。どちらも宮廷に仕えること。
- 自悲 … ひとり悲しむばかりだ。西晋の傅玄の楽府「明月篇」(『玉台新詠』巻二)に「憂喜更〻相接す、楽しみ極まりて還た自ら悲しむ」(憂喜更相接、樂極還自悲)とある。ウィキソース「明月篇」参照。
- 白尽 … (頭髪が)すっかり白くなること。残らず白くなること。明初の袁凱「淮西に夜坐す」詩に「怪しむこと莫かれ 行人 頭の白尽するを、異郷の秋色 多きに勝えず」(莫怪行人頭白盡、異郷秋色不勝多)とある。ウィキソース「古今詩刪 (四庫全書本)/卷33」参照。
不如巖下偃荊扉
如かず 巌下 荊扉に偃せんには
- 不如 … ~の方がましだ。
- 巌下 … 大きな岩の下。『法言』問神篇に「谷口の鄭子真は、其の志を屈せず、而して巌石の下に耕し、名、京師に震えり」(谷口鄭子眞、不屈其志、而耕乎巖石之下、名震于京師)とある。ウィキソース「法言/05」参照。また、劉宋の謝霊運「斤竹澗より嶺を越えて渓行す」詩(『文選』卷二十二)に「巌下に雲方に合い、花上に露猶お泫る」(巖下雲方合、花上露猶泫)とある。ウィキソース「從斤竹澗越嶺溪行」参照。
- 下 … 『全唐詩』には「一作石」と注する。
- 下偃 … 『文苑英華』では「下掩」に作り、「集作石偃」と注する。
- 荊扉 … いばらで作った扉。草庵の戸。柴扉に同じ。
- 偃 … 寝そべる。『全唐詩』には「一作掩」と注する。『瀛奎律髄』では「掩」に作る。こちらの場合は「門扉を閉ざす」の意。どちらも隠遁生活に入ることをいう。東晋の陶潜「園田の居に帰る」詩の第二首に「白日に荊扉を掩い、虚室に塵想を絶つ」(白日掩荊扉、虚室絕塵想)とある。ウィキソース「歸園田居」参照。また、北周の王褒「山池の落照」詩に「竹館 荊扉を掩い、池光 晩暉に晦し」(竹館掩荊扉、池光晦晩暉)とある。晩暉は、夕日の光。ウィキソース「山池落照」参照。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻五(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻二百一(排印本、中華書局、1960年)
- 『岑嘉州集』巻下([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
- 『岑嘉州集』巻八(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
- 『岑嘉州詩』巻五(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
- 『岑嘉州詩』巻七(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
- 『唐詩品彙』巻八十三([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩解』巻四十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『古今詩刪』巻十七(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
- 『文苑英華』巻一百九十一(影印本、中華書局、1966年)
- 『瀛奎律髄彙評』巻二([元]方回選評、李慶甲集評校点、上海古籍出版社、1986年)
- 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻五(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
- 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
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