登古鄴城(岑参)
登古鄴城
古鄴城に登る
古鄴城に登る
- 雑言古詩(前半の四句が五言、後半の四句が七言)。見・殿(去声霰韻)、囘・來(上平声灰韻)。
- ウィキソース「登古鄴城」参照。
- 鄴城 … 曹操が都を置いたところ。今の河南省臨漳県。当時荒廃していたので「古鄴城」と呼んだ。三国魏の王粲「従軍の詩五首」(其一、『文選』巻二十七)に「歌舞して鄴城に入り、願う所獲て違う無し」(歌舞入鄴城、所願獲無違)とあり、その李善注に「漢書に曰く、魏郡に鄴城県有り、と」(漢書曰、魏郡有鄴城縣)とある。また、その呂延済注に「鄴は、魏都なり」(鄴、魏都也)とある。ウィキソース「六臣註文選 (四庫全書本)/卷27」参照。
- 登 … ここでは、鄴城の城跡に登ったもの。
- 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右補闕・虢州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
下馬登鄴城
馬より下りて鄴城に登れば
城空復何見
城空しくして復た何をか見ん
- 城空 … 古城は荒れ果て、空虚で何もない様子である。『唐百家詩選』では「空城」に作る。『後漢書』劉盆子伝に「時に三輔大いに飢え、人相食む。城郭は皆な空しく、白骨は野を蔽い、遺れる人は往往にして聚まりて営保を為り、各〻堅守して下らず」(時三輔大飢、人相食。城郭皆空、白骨蔽野、遺人往往聚爲營保、各堅守不下)とある。ウィキソース「後漢書/卷11」参照。
- 復何見 … いったい何が見えるだろうか、何一つ見るものはない。
- 復 … 「また」と読み、「いったい」と訳す。強調の意を示す。
- 何 … 「なにをか」と読み、「なにを~するのか(いやしない)」と訳す。疑問・反語の意を示す。直接の目的語となる。
東風吹野火
東風 野火を吹き
- 東風 … 春風。『礼記』月令篇に「孟春の月、……東風凍を解き、蟄虫始めて振るい、魚氷に上り、獺魚を祭り、鴻雁来たる」(孟春之月、……東風解凍、蟄蟲始振、魚上冰、獺祭魚、鴻鴈來)とある。孟春は、春の初め。初春。孟は、初めの意。蟄虫は、冬ごもりしている虫のこと。獺は、かわうそ。獺祭は、かわうそが獲った魚を食べる前に並べておくこと。ウィキソース「禮記/月令」参照。また『楚辞』九歌の「山鬼」に「東風飄として神霊雨ふらす」(東風飄兮神靈雨)とある。ウィキソース「九歌」参照。
- 野火 … 野原の草を焼く火。野火。『列子』天瑞篇に「人血の野火と為る」(人血之爲野火也)とある。ここでの野火は、鬼火。ウィキソース「列子/天瑞篇」参照。
暮入飛雲殿
暮に入る 飛雲殿
- 暮入飛雲殿 … 春風が夕暮れ時に飛雲殿の跡へ入っていく。『全唐詩』には「一作入暮飛雲電」と注する。『唐百家詩選』では「日暮飛雲電」に作る。
- 飛雲殿 … もとは漢の宮殿の名であったが、のちに魏の曹操が鄴に宮殿を築き、飛雲殿と名付けたという。作者がこの詩を詠んだとき、この建物があったわけではなく、その跡と思しき辺りを指していったもの。『太平御覧』居処部に「漢の宮闕の名に曰く、長安に臨華殿、神仙殿、高門殿、朱鳥殿、曾城殿、宣室殿、承明殿、鳳皇殿、飛雲殿、昭陽殿、鴛鴦殿、釣台殿、合歓殿、蕭何殿、曹参殿、韓信殿有り、と」(漢宮闕名曰、長安有臨華殿、神仙殿、高門殿、朱鳥殿、曾城殿、宣室殿、承明殿、鳳皇殿、飛雲殿、昭陽殿、鴛鴦殿、釣台殿、合歡殿、蕭何殿、曹參殿、韓信殿)とある。宮闕は、宮殿に同じ。ウィキソース「太平御覽/0175」、『太平御覧』巻一百七十五(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
城隅南對望陵臺
城隅 南のかた望陵台に対えば
- 城隅 … 城の片隅。『詩経』邶風・静女に「静女其れ姝たり、我を城隅に俟つ」(靜女其姝、俟我於城隅)とある。姝は、顔が美しい。ウィキソース「詩經/靜女」参照。
- 南 … 「みなみのかた」と読み、「南の方」と訳す。
- 望陵台 … 魏の曹操が建てた銅雀台のこと。曹操が臨終のとき、「わが死後、毎月の一日、十五日にこの台上で妓女たちに音楽を演奏させよ、また百官はこの台に登ってここから西陵のわが墓を望み見よ」と命じ、実行された。ここから「望陵台」の名ができたという。西晋の陸機「魏の武帝を弔う文」(『文選』巻六十)に「又た曰く、吾が婕妤・妓人は、皆な銅雀台に著け。台堂の上に於いて、八尺の牀を施し、繐帳を張り、朝晡には脯糒の属を上れ。月朝と十五日には、輒ち帳に向かって妓を作せ。汝等時時銅雀台に登り、吾が西陵の墓田を望め、と」(又曰、吾婕妤妓人、皆著銅雀臺。於臺堂上、施八尺牀、張繐帳、朝晡上脯糒之屬。月朝十五日、輒向帳作妓。汝等時時登銅雀臺、望吾西陵墓田)とある。婕妤は、漢代の女官名。妓人は、歌い女。繐帳は、薄絹のとばり。朝晡は、朝晩。脯糒は、乾し肉と乾し飯。月朝は、月初め。作妓は、歌舞をする。汝等は、武帝の四人の子どもたちを指す。ウィキソース「弔魏武帝文」参照。
- 対 … (望陵台と)向かい合う。
漳水東流不復囘
漳水東流して復た回らず
- 漳水 … 黄河の支流。今の漳河。源は清漳水と濁漳水に分かれ、山西省東南部に出て、河北省に入って合流し、当時の都の鄴の北を東流して山東省との境で衛河に入る。ウィキペディア【漳河】参照。『呂氏春秋』先識覧、楽成篇に「魏の襄王……史起を召して焉に問うて曰く、漳水猶お以て鄴の田に灌ぐ可きか、と。史起対えて曰く、可なり、と。……之をして鄴の令たらしむ。……水已に行き、民大いに其の利を得、相与に之を歌いて曰く、鄴に聖令有り、時史公たり、漳水を決し、鄴の旁に灌ぐ。終古の斥鹵、之の稲粱を生ず、と」(魏襄王……召史起而問焉曰、漳水猶可以灌鄴田乎。史起對曰、可。……使之爲鄴令。……水已行、民大得其利、相與歌之曰、鄴有聖令、時爲史公、決漳水、灌鄴旁。終古斥鹵、生之稻粱)とある。斥鹵は、塩分を多く含んでいて、農耕のできない荒地。稲粱は、稲と粱。穀物のこと。ウィキソース「呂氏春秋/卷十六」参照。
- 東流 … 東へ東へと流れ続けて。
- 不復回 … 再び帰って来ることはない。北周の庾信「詠懐に擬す二十七首」詩(其二十七)に「門を出でて車軸折れ、吾が王 復た回らず」(出門車軸折、吾王不復回)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷125」参照。
武帝宮中人去盡
武帝の宮中 人去り尽くす
- 武帝 … 魏の曹操の諡。曹操死後、長男の曹丕が後漢を倒して魏の君主となり、父を追尊して武帝と諡したもの。『三國志』魏書、武帝紀に「太祖武皇帝は、沛国譙の人なり。姓は曹、諱は操、字は孟徳、漢の相国たる参の後なり。……十五年……冬、銅雀台を作る」(太祖武皇帝、沛國譙人也。姓曹、諱操、字孟德、漢相國參之後。……十五年……冬、作銅雀臺)とある。参は、曹参。後は、後裔。ウィキソース「三國志/卷01」参照。
- 宮中 … 文昌殿を指す。『水経注』に「魏武は鄴を封じて北宮と為す、宮に文昌殿有り」(魏武封于鄴爲北宮、宮有文昌殿)とある。ウィキソース「水經注/10」参照。
- 人去尽 … (武帝の宮中にいた)美女たちは、すべて消え失せてしまった。人は、妓女を指す。
年年春色爲誰來
年年の春色 誰が為にか来る
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻二(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻一百九十九(排印本、中華書局、1960年)
- 『岑嘉州集』巻上([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
- 『岑嘉州集』巻四(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
- 『岑嘉州詩』巻二(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
- 『岑嘉州詩』巻四(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
- 『唐詩品彙』巻二十九([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩別裁集』巻五([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『唐詩解』巻十七(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『古今詩刪』巻十三(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
- 『唐百家詩選』巻三([北宋]王安石編、世界書局、1979年)
- 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻二(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
- 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
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