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胡笳歌送顔真卿使赴河隴(岑参)

胡笳歌送顏眞卿使赴河隴
胡笳こかうた 顔真卿がんしんけい使つかいしてろうおもむくをおく
岑參しんじん
  • 雑言古詩(第一句のみ八言、以下七言)。悲・吹・兒(上平声支韻)/道・草(上声皓韻)/斜・笳(下平声麻韻)/君・雲・聞(上平声文韻)、換韻。
  • ウィキソース「胡笳歌送顏真卿使赴河隴」参照。
  • 胡笳 … 北方民族の胡人が吹くあしの葉の笛。物悲しい音色を出す。『文献通考』に「胡笳は觱篥ひちりきに似てあな無く、後世鹵部ろぶに之を用う」(胡笳似觱篥而無孔、後世鹵部用之)とある。觱篥は、管楽器の一つ。竹製の縦笛で前面に七つ、裏面に二つの指孔がある。音色は鋭く、哀調を帯びる。ウィキペディア【篳篥】参照。鹵部は、大駕(天子の乗り物)の儀仗。鹵簿ろぼ(天子の行列)。ウィキソース「文獻通考 (四庫全書本)/卷138」参照。
  • 顔真卿 …709~785。唐の忠臣、書家。ろうりん(山東省臨沂県)の人であるが、生まれは長安(陝西省西安市)。あざなは清臣、おくりなは文忠。開元二十二年(734)、進士に及第。玄宗・粛宗・代宗・徳宗の四代に仕え、安禄山の乱で功を立てた。徳宗のとき、反乱を起こしたれつに殺された。書の名人としても有名で、剛健な書風で知られ、唐四大家の一人に数えられる。ウィキペディア【顔真卿】参照。
  • 使 … 使者として。『四部叢刊本』には、この字なし。
  • 河隴 … 西域の地名。西せい(今の甘粛省武威市)と隴右ろうゆう(今の青海省西寧市)を合わせた略称。当時、河西節度使・隴右節度使が置かれた。
  • 赴 … 出かけていく。顔真卿が監察御史として河隴の査察に赴いたことを指す。
  • 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、けつかく州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適こうせきとともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
君不聞胡笳聲最悲
きみかずや 胡笳こかこえ もっとかなしきを
  • 君不聞 … 君よ、聞きたまえ。顔真卿および読者に呼びかけて同意を求める言葉。「君見ずや」(君不見)とともに、楽府体でよく用いられる表現。
  • 胡笳声 … 胡笳の音色。北周の庾信の楽府「明君の辞」(『玉台新詠』巻八、宋刻不収)に「まさ調ととのう 琴上の曲、変じて入る 胡笳の声」(方調琴上曲、變入胡笳聲)とある。ウィキソース「明君辭」参照。
  • 最悲 … この上もない悲しい響きを。前漢の李陵「蘇武に答うるの書」(『文選』巻四十一)に「耳をそばだてて遠く聴けば、胡笳互いに動き、牧馬悲鳴す」(側耳遠聽、胡笳互動、牧馬悲鳴)とある。ウィキソース「答蘇武書」参照。
紫髯綠眼胡人吹
ぜん りょくがんじん
  • 紫髯 … 赤茶けたひげ。赤ひげ。『献帝春秋』に「張遼ちょうりょう、呉の降人こうじんに問いて曰く、紫髯将軍、長上ちょうじょうたんたれぞや、と。答えて曰く、是れ孫会稽かいけいなり、と」(張遼問吳降人曰、紫髯將軍、長上短下、誰也。答曰、是孫會稽)とある。張遼は、三国魏の武将。降人は、降参した人。投降者。長上短下は、胴長短足。呉の孫権の容姿を表す。孫会稽は、孫権のこと。ウィキソース「獻帝春秋」参照。
  • 緑眼 … 青い眼。
  • 緑 … 『全唐詩』には「一作碧」と注する。
  • 胡人 … 北方や西方に住む異民族。
吹之一曲猶未了
これきて いっきょくいまおわらざるに
  • 之 … 胡笳を指す。
  • 一曲 … 南朝梁の皇太子簡文(のちの簡文帝蕭綱)「戯れに麗人に贈る」詩(『玉台新詠』巻七)に「たんいささか一曲、鳴絃めいげん未だえて張らず」(但歌聊一曲、鳴絃未肯張)とある。但歌は、楽器の伴奏なしで歌うこと。鳴絃は、琴の絃。ウィキソース「戲贈麗人」参照。
  • 未了 … まだ吹き終わらないうちに。
  • 未 … 「いまだ~(せ)ず」と読み、「まだ~しない」と訳す。再読文字。
愁殺樓蘭征戍兒
しゅうさつす 楼蘭ろうらん 征戍せいじゅ
  • 愁殺 … ひどく悲しませる。殺は、程度の強いことを示す助字。「古詩十九首」第十四首(『文選』巻二十九)に「白楊はくよう悲風多く、蕭蕭として人を愁殺す」(白楊多悲風、蕭蕭愁殺人)とある。白楊は、ハコヤナギ。墓地に植える木。ウィキソース「去者日以疎」参照。
  • 楼蘭 … 今のしんきょうウイグル自治区、ロプノール湖の西にあった小独立国。『漢書』西域伝に「鄯善ぜんぜん国は、もとの名は楼蘭、王はでいじょうす。陽関を去ること千六百里、長安を去ること六千一百里」(鄯善國、本名樓蘭、王治扞泥城。去陽關千六百里、去長安六千一百里)とある。ウィキソース「漢書/卷096上」参照。
  • 征戍児 … 辺境に出征している守備兵。戍は、守る。児は、若者。南朝梁の江洪の楽府「胡笳の曲二首」(其一、『楽府詩集』巻五十九)に「紅顔 征戍の児、白首はくしゅ 辺城の将」(紅顔征戍兒、白首邊城將)とある。白首は、しらが頭。ウィキソース「樂府詩集/059卷」参照。また、南朝梁の蕭子顕の楽府「燕歌行」(『玉台新詠』巻九、『楽府詩集』巻三十二)に「遥かに看る 白馬しんじょう、伝えう こうりょう征戍の児」(遙看白馬津上吏、傳道黄龍征戍兒)とある。ウィキソース「燕歌行 (蕭子顯)」参照。
涼秋八月蕭關道
涼秋りょうしゅう八月はちがつ しょうかんみち
  • 涼秋八月 … 今は仲秋の八月。今は涼しい秋の八月。胡地の陰暦八月はもう寒さが訪れている。陰暦では、七~九月が秋。前漢の李陵「蘇武に答うるの書」(『文選』巻四十一)に「涼秋九月、塞外に草おとろう」(涼秋九月、塞外草衰)とある。ウィキソース「答蘇武書」参照。また、南朝梁の虞羲ぐぎかく将軍の北伐を詠ず」詩(『文選』巻二十一)に「涼秋八九月、りょ幽幷ゆうへいに入る」(涼秋八九月、虜騎入幽幷)とある。虜騎は、えびすの騎兵。幽幷は、幽州(河北の北部)と幷州(河北及び山西の一部)。ウィキソース「詠霍將軍北伐」参照。
  • 蕭関 … 現在の寧夏回族自治区固原市の東南にあった関所。関中四関(函谷関・武関・散関・蕭関)の一つ。ウィキペディア【蕭關】(中文)参照。『史記』匈奴伝に「漢の孝文皇帝十四年、匈奴の単于の十四万騎、ちょう・蕭関に入り、北地都尉の卬を殺し、人民・畜産をとりこにすること甚だ多し。遂に彭陽ほうように至り、奇兵をして入りて回中宮を焼き、候騎をして雍の甘泉に至らしむ」(漢孝文皇帝十四年、匈奴單于十四萬騎入朝那蕭關、殺北地都尉卬、虜人民畜產甚多。遂至彭陽、使奇兵入燒回中宮、候騎至雍甘泉)とある。ウィキソース「史記/卷110」参照。
北風吹斷天山草
北風ほくふうつ 天山てんざんくさ
  • 北風 … 北から吹く風。きたかぜ。朔風さくふう。『詩経』邶風はいふう・北風に「北風其れ涼なり、雪ること其れほうたり」(北風其涼、雨雪其雱)とある。雱は、雪がさかんに降るさま。ウィキソース「詩經/北風」参照。
  • 吹断 … 吹きちぎる。南朝梁の范雲「いにしえならう」詩(『文選』巻三十一)に「風は陰山の樹を断ち、霧は交河の城を失う」(風斷陰山樹、霧失交河城)とある。ウィキソース「昭明文選/卷31」参照。
  • 天山 … 新疆ウイグル自治区を横断する山脈。ウィキペディア【新疆天山】参照。
崑崙山南月欲斜
崑崙山こんろんさんなん つきななめならんとほっ
  • 崑崙山 … 新疆ウイグル自治区とチベットの境界を東西に走る山脈。当時、西方に見える高い山脈を漠然と崑崙山と呼んだ。ウィキペディア【崑崙山脈】参照。
  • 南 … (崑崙山の)南に。
  • 月欲斜 … 月が傾きかかる頃。
  • 欲 … 「~(んと)ほっす」と読み、「~しようとする」と訳す。状態を表す。願望の意ではない。
胡人向月吹胡笳
じん つきかいて 胡笳こか
  • 向月吹胡笳 … (傾きかかった)月に向かって胡笳を吹き鳴らす。後漢の蔡琰さいえんの楽府「胡笳十八拍」の第五拍(『楽府詩集』巻五十九、『楚辞後語』巻三)に「眉をあつめて月に向かいて雅琴を撫すれば、五拍冷冷として意弥〻いよいよ深し」(攢眉向月兮撫雅琴、五拍冷冷兮意彌深)とある。ウィキソース「胡笳十八拍」「樂府詩集/059卷」参照。
胡笳怨兮將送君
胡笳こかうらみ まさきみおくらんとす
  • 胡笳怨 … 胡笳の恨むような悲しい音色に我が心を託して。
  • 兮 … 音は「ケイ」。調子を整える助字。訓読しない。『楚辞』や楚調の歌に多く用いられる。
  • 将送君 … 君の旅立ちを送ろうとする。南朝梁の江淹「別れの賦」(『文選』巻十六)に「君をなんに送る、いためども之を如何せん」(送君南浦、傷如之何)とある。南浦は、南の水ぎわ。ウィキソース「別賦」参照。
  • 将 … 「まさに~(んと)す」と読み、「~しようとする」と訳す。再読文字。
秦山遙望隴山雲
秦山しんざんはるかにのぞむ 隴山ろうざんくも
  • 秦山 … ここ秦の地の山々から。都長安の南方にある秦嶺山脈を指す。ウィキペディア【秦嶺山脈】参照。『元和郡県図志』河南道、陝虢せんかく観察使、かく州の条に「秦山は、一に秦嶺と名づく、県の南五十里に在り。南のかた商州に入り、西南のかた華州に入る。山の高さ二千丈、周の回り三百余里」(秦山、一名秦嶺、在縣南五十里。南入商州、西南入華州。山高二千丈、周回三百餘里)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷06」参照。また、古楽府「隴頭歌辞三曲」(其三、『樂府詩集』卷二十五)に「遥かに秦川を望めば、心肝は断絶す」(遙望秦川、心肝斷絶)とある。ウィキソース「樂府詩集/025卷」参照。
  • 隴山 … 陝西省と甘粛省とにまたがる山脈。河隴に行くにはこの山を越えなければならない。『読史方輿紀要』に引く郭仲産『秦州記』に「隴山は東西百八十里、山のいただきに登りて秦川しんせん東望とうぼうすれば、四五百里、きょくもく泯然びんぜんたり。山東さんとうの人行役こうえきし、此れにのぼりてせんする者、悲思ひしせざるは莫し」(隴山東西百八十里、登山巓東望秦川、四五百里、極目泯然。山東人行役、升此而顧瞻者、莫不悲思)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十二」参照。また『読史方輿紀要』陝西、鳳翔府、隴州の条に「隴山は、州の西北六十里、即ち隴坂ろうはんなり」(隴山、州西北六十里、即隴坂也)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十五」参照。
邊城夜夜多愁夢
へんじょう 夜夜やや しゅうおお
  • 辺城 … 辺境の町。城は、我が国の城とはまったく違い、城壁に囲まれた町を指す。『史記』李牧伝に「匈奴敢えて趙の辺城に近づかず」(匈奴不敢近趙邊城)とある。ウィキソース「史記/卷081」参照。
  • 夜夜 … 夜ごとに。毎晩。古楽府「古詩、しょうちゅうけいが妻の為の作」(『楽府詩集』巻七十三、『玉台新詠』巻一)に「雞鳴に入りて織り、夜夜いこうことを得ず」(雞鳴入機織、夜夜不得息)とある。ウィキソース「古詩為焦仲卿妻作」参照。
  • 愁夢 … 愁いに満ちた夢。
向月胡笳誰喜聞
つきむかいて 胡笳こか たれくをよろこばん
  • 向月胡笳 … 月に向かって吹く胡笳の音。
  • 月 … 『四部叢刊本』には「月一作夜」と注する。
  • 誰喜聞 … 誰が喜んで聞くだろうか。いや、誰も喜んで聞かない。反語。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻二(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百九十九(排印本、中華書局、1960年)
  • 『岑嘉州集』巻上([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
  • 『岑嘉州集』巻四(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『岑嘉州詩』巻二(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
  • 『岑嘉州詩』巻四(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
  • 『唐詩品彙』巻二十九([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻五([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『唐詩解』巻十七(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『古今詩刪』巻十三(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻二(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
  • 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
  • 松浦友久編『校注 唐詩解釈辞典』(大修館書店、1987年)
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