九日使君席奉餞衛中丞赴長水(岑参)
九日使君席奉餞衞中丞赴長水
九日、使君の席にて衛中丞の長水に赴くに餞けし奉る
九日、使君の席にて衛中丞の長水に赴くに餞けし奉る
- 七言律詩。師・兒・旗・時・籬(上平声支韻)。
- ウィキソース「九日使君席奉餞衛中丞赴長水」参照。
- 九日 … 陰暦九月九日、重陽の節句。この節句のならわしとして、小高い丘に登り、茱萸を髪にかざし、菊の花を浮かべた酒を飲むなどして一年の厄払いをする習慣があった。ウィキペディア【重陽】参照。
- 使君 … 州の刺史(長官)。ここでは、虢州刺史を指す。『後漢書』郭伋伝に「伋問う、児曹何ぞ遠きより来たれる、と。対えて曰く、使君の到るを聞きて喜ぶ、故に来たりて奉迎す、と。伋之を辞謝す。事訖わるに及びて、諸児復た送りて郭外に至りて問う、使君何れの日にか当に還るべし、と。伋別駕従事に謂いて、日を計りて之に告げしむ」(伋問、兒曹何自遠來。對曰、聞使君到喜、故來奉迎。伋辭謝之。及事訖、諸兒復送至郭外問、使君何日當還。伋謂別駕從事、計日告之)とある。ウィキソース「後漢書/卷31」参照。
- 衛中丞 … 衛は、史思明の軍と戦って大功のあった衛伯玉(?~776)のことと思われる。ウィキペディア【衛伯玉】参照。中丞は、御史中丞の略称で御史台の次官。官吏を監督し、不正を糾察する。
- 長水 … 今の河南省三門峡市盧氏県の近く。『元和郡県図志』河南道、河南府、長水県の条に「畿なり。東のかた府に至ること二百三十里。本と漢の盧氏県の地なり。後漢・晋・宋は改めず。後魏の宣武帝、盧氏の東境を分けて南陝県を置き、弘農郡に属せしむ。西魏の廃帝、改めて長淵と為す。隋の義寧元年(617)、高祖の廟諱を犯すを以て、改めて長水と為す。貞観八年(634)、虢州より割きて穀州に属し、顕慶二年(657)、河南府に属す」(畿。東至府二百三十里。本漢盧氏縣地。後漢、晉、宋不改。後魏宣武帝分盧氏東境置南陝縣、屬弘農郡。西魏廢帝改爲長淵。隋義寧元年、以犯高祖廟諱、改爲長水。貞觀八年、自虢州割屬穀州、顯慶二年屬河南府)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷05」参照。
- 餞 … ここでは、衛中丞の送別の席で作者が餞の詩を贈ったもの。『詩経』邶風・泉水に「出でて泲に宿し、禰に飲餞す」(出宿于泲、飮餞于禰)とある。泲・禰は、ともに衛国の地名。ウィキソース「詩經/泉水」参照。
- 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右補闕・虢州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
節使橫行西出師
節使横行して西のかた師を出だす
- 節使 … 天子から賜る符節(割り符)を持った使者。ここでは、衛中丞を指す。『史記』司馬相如列伝に「乃ち相如を拝して中郎将と為し、節を建て往きて使いせしむ」(乃拜相如爲中郎將、建節往使)とある。ウィキソース「史記/卷117」参照。また『漢書』蘇武伝に「天漢元年(前100)、且鞮侯単于初めて立ち、漢の之を襲わんことを恐れ、乃ち曰く、漢の天子は我が丈人の行なり、と。尽く漢の使い路充国等を帰す。武帝其の義を嘉し、乃ち武を遣わし中郎将を以て使いとして節を持し匈奴の使いの留められて漢に在る者を送らしめ、因りて厚く単于に賂りて、其の善意に答えしむ」(天漢元年、且鞮侯單于初立、恐漢襲之、乃曰、漢天子我丈人行也。盡歸漢使路充國等。武帝嘉其義、乃遣武以中郎將使持節送匈奴使留在漢者、因厚賂單于、答其善意)とある。丈人は、家長。父の意。行は、序列。ウィキソース「漢書/卷054」参照。また、南朝梁の劉孝威の楽府「結客少年場行」に「辺城 警急多く、節使 郊衢に満つ」(邊城多警急、節使滿郊衢)とある。警急は、危急の事件。郊衢は、郊外の道。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷098」参照。
- 横行 … 自由自在に押し進むこと。『史記』季布伝に「上将軍樊噲曰く、臣願わくは十万の衆を得て、匈奴の中を横行せん、と」(上將軍樊噲曰、臣願得十萬衆、横行匈奴中)とある。ウィキソース「史記/卷100」参照。また『戦国策』西周策に「是れ天下、秦を罷らさんと欲す。故に王に周を攻めんことを勧むるなり。秦、天下と倶に罷るれば、則ち令、周に横行せざらん」(是天下欲罷秦。故勸王攻周。秦與天下俱罷、則令不橫行於周矣)とある。ウィキソース「戰國策 (士禮居叢書本)/西周」参照。
- 西 … 「にしのかた」と読み、「西に向かって」「また西のほうで」と訳す。盛唐の王維「元二の安西に使いするを送る」詩に「西のかた 陽関を出づれば 故人無からん」(西出陽關無故人)とある。ウィキソース「送元二使安西」参照。『全唐詩』『寛保刊本』には「一作東」と注する。
- 出師 … 出兵すること。出陣すること。
嗚弓擐甲羽林兒
弓を嗚らし甲を擐く羽林の児
- 嗚弓 … 弓弦を鳴らして。
- 擐甲 … 甲を身にまとうこと。擐は、つらぬく、身につけるの意。『国語』呉語篇に「夜中に、乃ち兵を服り甲を擐き、馬舌を係り、火を竈より出ださしむ」(夜中、乃令服兵擐甲、係馬舌、出火竈)とあり、その注に「甲は、鎧なり」(甲、鎧也)とある。鎧は、金属製のよろい。甲は、革で作ったよろい。ウィキソース「國語/卷19」参照。
- 羽林児 … 羽林軍の健児たち。近衛の健児たち。羽林は、天子を守る兵。近衛兵。ここでは、衛中丞の率いる兵卒を指す。『漢書』宣帝紀に「西羌反き、三輔・中都官の徒の刑を弛めたるもの、及び募に応ずる佽飛の射士・羽林の孤児、胡・越騎、三河・潁川・沛郡・淮陽・汝南の材官、金城・隴西・天水・安定・北地・上郡の騎士、羌騎を発して、金城に詣でしむ」(西羌反、發三輔、中都官徒弛刑、及應募佽飛射士、羽林孤兒、胡、越騎、三河、潁川、沛郡、淮陽、汝南材官、金城、隴西、天水、安定、北地、上郡騎士、羌騎、詣金城)とあり、その応劭の注に「天に羽林大将軍の星有り。林とは林木の若くの盛んなるに諭う。羽は羽翼鷙撃の意にして、故に以て武官に名づく」(天有羽林大将軍星。林諭若林木之盛。羽羽翼鷙撃之意、故以名武官焉)とある。『漢書評林』巻八(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『漢書』百官公卿表、郎中令の条に「羽林は送従を掌ること、期門に次ぐ。武帝の太初元年に初めて置く。名づけて建章営騎と曰い、後に更めて羽林騎と名づく。又た軍に従い事に死するの子孫を取りて羽林官に養い、教うるに五兵を以てし、号して羽林孤児と曰う」(羽林掌送從、次期門。武帝太初元年初置。名曰建章營騎、後更名羽林騎。又取從軍死事之子孫養羽林官、敎以五兵、號曰羽林孤兒)とある。ウィキソース「漢書/卷019」参照。また『後漢書』百官志、羽林中郎将の条に「羽林中郎将は、二千石に比す。羽林郎は、三百石に比す」(羽林中郎將、比二千石。羽林郎、比三百石)とあり、その注に「宿衛侍従を掌す。常に漢陽・隴西・安定・北地・上郡・西河の凡て六郡の良家を選んで補す」(掌宿衞侍從。常選漢陽、隴西、安定、北地、上郡、西河凡六郡良家補)とある。ウィキソース「後漢書/卷115」参照。
臺上霜威凌草木
台上の霜威 草木を凌ぎ
軍中殺氣傍旌旗
軍中の殺気 旌旗に傍う
- 殺気 … (衛中丞が将軍として軍中に臨まれるときの)殺気。無名氏「蘇李の詩に擬す」詩の第三首に「微陰 殺気を盛んにし、凄風 此れより興る」(微陰盛殺氣、凄淒風從此興)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷020」参照。また『詩品』序に「或いは戈を外戍に負いて、殺気辺に雄んなり」(或負戈外戍、殺氣雄邊)とある。ウィキソース「詩品」参照。
- 旌旗 … 旗指物。『孫子』軍争篇に「視すとも相見えず、故に旌旗を為る」(視不相見、故爲旌旗)とある。ウィキソース「孫子兵法」参照。また、北周の庾信「命を将って鄴に至り、祖正員に酬う」詩に「乏しきを承けて騏驥を駆り、旌旗もて琬珪を事とす」(承乏驅騏驥、旌旗事琬珪)とある。承乏は、人材の欠乏を補って登用されること。騏驥は、駿馬。琬珪は、王の使者が印として与えられる玉。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷125」参照。
- 傍 … すぐそばに寄り添う。
預知漢將宣威日
預め知る 漢将の威を宣ぶる日
- 預知 … あらかじめ分かっていることだ。『史記』扁鵲伝に「聖人をして預め微を知らしめ、能く良医をして蚤く事に従うを得しめば、則ち疾いは已ゆ可く、身は活く可きなり」(使聖人預知微、能使良醫得蚤從事、則疾可已、身可活也)とある。ウィキソース「史記/卷105」参照。
- 預 … 『全唐詩』には「一作須」と注する。
- 漢将 … 漢の将軍。ここでは、衛中丞を指す。唐代のことを漢代に擬するのは、唐の詩人の常套的な表現。南朝梁の虞羲「霍将軍の北伐を詠ず」詩(『文選』巻二十一)に「旄を擁して漢将と為り、馬に汗して長城を出づ」(擁旄爲漢將、汗馬出長城)とある。霍将軍は、前漢の名将、霍去病(前145~前117)。ウィキソース「詠霍將軍北伐」参照。また、隋の楊素の楽府「出塞」の第一首に「漠南 胡 未だ空しからず、漢将 復た戎に臨む」(漠南胡未空、漢將復臨戎)とある。漠南は、ゴビ砂漠の南方の地。現在の内モンゴル自治区の辺り。胡は、北方の遊牧民族。ウィキソース「樂府詩集/021卷」参照。
- 宣威 … 威力を示す。威光を輝かす。南朝梁の任昉「王文憲集の序」(『文選』巻四十六)に「威を宣し指を授け、寔に宏略を寄す」(宣威授指、寔寄宏略)とある。宏略は、大きくて立派な謀。ウィキソース「王文憲集序」参照。
正是胡塵欲滅時
正に是れ 胡塵の滅せんと欲する時なるを
- 正是 … それはちょうど~である。ちょうど今~である。盛唐の杜甫「江南にて李亀年に逢う」詩に「正に是れ 江南の好風景、落花の時節 又君に逢う」(正是江南好風景、落花時節又逢君)とある。ウィキソース「江南逢李龜年」参照。
- 胡塵 … えびすの兵馬によって捲き起こる塵。ここでは、突厥とソグド人の混血児であった史思明の反乱を指す。南朝梁の施栄泰「王昭君を詠ず」詩(『玉台新詠』巻十)に「羅を垂れて椒閣を下り、袖を挙げて胡塵を払う」(垂羅下椒閣、舉袖拂胡塵)とある。羅は、うすぎぬ。椒閣は、皇后の御殿。山椒を壁に塗り込めたのでこういう。ウィキソース「詠王昭君」参照。
- 欲滅時 …(戦塵が)消滅しようとする時だということを。
爲報使君多泛菊
為に報ぜん 使君 多く菊を泛べ
- 為報 … 進言することにしよう。
- 使君 … 州の刺史(長官)。ここでは、虢州刺史を指す。
- 泛菊 … 菊の花を酒杯に浮かべること。重陽の節句の行事。『西京雑記』巻三に「菊華舒くの時、幷せて茎葉を採り、黍米に雑じえて之を醸せば、来年の九月九日に至りて始めて熟し、就ち焉を飲む。故に之を菊華酒と謂う」(菊華舒時、幷採莖葉、雜黍米釀之、至來年九月九日始熟、就飮焉。故謂之菊華酒)とある。黍米は、きびの実。ウィキソース「西京雜記/卷三」参照。
更將絃管醉東籬
更に絃管を将って東籬に酔えと
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻五(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻二百一(排印本、中華書局、1960年)
- 『岑嘉州集』巻下([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
- 『岑嘉州集』巻八(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
- 『岑嘉州詩』巻五(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
- 『岑嘉州詩』巻七(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
- 『唐詩品彙』巻八十三([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩別裁集』巻十三([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『唐詩解』巻四十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『古今詩刪』巻十七(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
- 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻五(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
- 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
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