>   漢詩   >   唐詩選   >   巻三 五律   >   登総持閣(岑参)

登総持閣(岑参)

登總持閣
総(そう)持(じ)閣(かく)に登(のぼ)る
岑参(しんじん)
  • 五言律詩。邊・煙・川・仙(下平声先韻)。
  • ウィキソース「登總持閣」参照。
  • 総持閣 … 大総持寺の高閣。大総持寺は、長安城の西南隅の永陽坊にあった寺。ウィキペディア【大總持寺】参照。『唐両京城坊考』巻四に「次いで南は和平坊なり。坊内南北の街の東は、築きて荘厳寺に入る。街の西は、築きて総持寺に入る。次いで南は永陽坊なり。半ばより以東は、大荘厳寺なり。西は、大総持寺なり。隋の大業三年(607)、煬帝が文帝の為に立つる所、初めは大禅定と名づく。寺内の制度は荘厳寺と正に同じく、亦た木浮図有り、高下は西の浮図と異ならず。武徳元年(618)、改めて総持寺と為す。荘厳・総持は即ち隋の文献后の宮中の号なり」(次南和平坊。坊内南北街之東、築入莊嚴寺。街之西、築入總持寺。次南永陽坊。半以東、大莊嚴寺。西、大總持寺。隋大業三年、煬帝爲文帝所立、初名大禪定。寺内制度與莊嚴寺正同、亦有木浮圖、高下與西浮圖不異。武德元年改爲總持寺。莊嚴、總持即隋文獻后宮中之號也)とある。ウィキソース「唐兩京城坊考/04」参照。
  • 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(湖北省荊州市江陵県)の人。字(あざな)は不詳。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右(う)補(ほ)闕(けつ)・虢(かく)州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適(こうせき)とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
高閣逼諸天
高閣(こうかく) 諸天(しょてん)に逼(せま)り
  • 高閣 … (大総持寺の)高い楼閣。南朝陳の後主の楽府「玉(ぎょく)樹(じゅ)後庭(こうてい)花(か)」(『楽府詩集』巻四十七)に「麗宇 芳林 高閣に対し、新妝の艶質は本(もと)より城を傾く」(麗宇芳林對高閣、新妝艷質本傾城)とある。ウィキソース「玉樹後庭花」参照。
  • 諸天 … もろもろの天上界。また、そこに住んでいる多くの神仏。ここでは、大空、天空の意。『妙法蓮華経』化城喩品(ほん)第七に「爾(そ)の時に忉(とう)利(り)の諸天、先きより彼の仏の為に、菩提樹の下に於いて、師子の座を敷けり」(爾時忉利諸天、先爲彼佛、於菩提樹下、敷師子座)とある。忉利は、忉利天。須(しゅ)弥(み)山(せん)の頂上にあり、帝釈天をはじめ、三十三の神々(三十三天)が住むといわれる所。ウィキソース「妙法蓮華經/07」参照。
  • 逼 … 迫るほどに聳(そび)え立つ。
登臨近日邊
登臨(とうりん)すれば日辺(じっぺん)に近(ちか)し
  • 登臨 … 高閣の上に登って眺めると。北周の庾信「歳の晩(くれ)に横門を出づ」詩に「年(ねん)華(か) 歳陰を改めんとし、遊客 登臨を喜ぶ」(年華改歳陰、遊客喜登臨)とある。年華は、月日。歳陰は、歳の暮れ。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷125」参照。
  • 日辺 … 太陽のある辺り。『世説新語』夙慧篇に「明帝に問う、汝が意に謂(おも)えらく、長安は日の遠きに何如(いかん)、と。答えて曰く、日遠し。人の日辺より来たるを聞かず。居然として知る可し、と。元帝、之を異とす。明日群臣を集めて宴会し、告ぐるに此の意を以てし、更に重ねて之を問う。乃ち答えて曰く、日近し、と。元帝色を失いて曰く、爾、何の故に昨日の言に異なるや、と。答えて曰く、目を挙ぐれば日を見るも、長安を見ず、と」(問明帝、汝意謂長安何如日遠。答曰、日遠。不聞人從日邊來。居然可知。元帝異之。明日集羣臣宴會、告以此意、更重問之。乃答曰、日近。元帝失色曰、爾何故異昨日之言邪。答曰、舉目見日、不見長安)とあるのに基づく。ウィキソース「世說新語/夙惠」参照。
晴開萬井樹
晴(は)れて開(ひら)く 万井(ばんせい)の樹(じゅ)
  • 晴開 … 空は晴れわたって、(木々が)一望のもとに開けている。
  • 万井 … 井は、周代からの土地の行政区画で、方一里(一里四方)の区画。万井は、方百里(百里四方)の土地。ここでは、広い長安の町並みを指す。『漢書』刑法志に「地、方一里を井と為し、井十を通と為し、通十を成と為す。成は方十里。成十を終と為し、終十を同と為す。同は方百里。同十を封と為し、封十を畿と為す。畿は方千里。……一同は百里、提封(ていほう)万井」(地方一里爲井、井十爲通、通十爲成。成方十里。成十爲終、終十爲同。同方百里。同十爲封、封十爲畿。畿方千里。……一同百里、提封萬井)とある。提封は、およそ。ウィキソース「漢書/卷023」参照。
  • 樹 … 木々。
愁看五陵煙
愁(うれ)えて看(み)る 五(ご)陵(りょう)の煙(けむり)
  • 愁看 … 悲しい思いで眺める。
  • 五陵 … 長安の北郊にある、漢の五帝の陵墓。高帝の長陵、恵帝の安陵、景帝の陽陵、武帝の茂陵、昭帝の平陵を指す。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「南に杜覇(とは)を望み、北に五陵を眺(なが)む」(南望杜霸、北眺五陵)とあり、その李善注に「漢書に曰く、宣帝は杜陵に葬(ほうむ)り、文帝は覇陵に葬り、高帝は長陵に葬り、恵帝は安陵に葬り、景帝は陽陵に葬り、武帝は茂陵に葬り、昭帝は平陵に葬る、と」(漢書曰、宣帝葬杜陵、文帝葬霸陵、高帝葬長陵、惠帝葬安陵、景帝葬陽陵、武帝葬茂陵、昭帝葬平陵)とある。杜覇は、杜陵と覇陵。ウィキソース「昭明文選/卷1」参照。
  • 煙 … ここでは、霞。もや。
檻外低秦嶺
檻外(かんがい)に秦嶺(しんれい)低(ひく)く
  • 檻外 … 手すりの外。欄干の外。後漢の張衡「西京の賦」(『文選』巻二)に「三階(さんかい)重(ちょう)軒(けん)、鏤檻(ろうかん)文(ぶん)㮰(び)あり」(三階重軒、鏤檻文㮰)とあり、その薛綜注に「檻は、蘭なり」(檻、蘭也)とある。三階は、三つの階(きざはし)。重軒は、二重の軒(てすり)。鏤檻は、彫刻した欄干。文㮰は、飾り模様の横木。蘭・欄は、音義が通用する。ウィキソース「昭明文選/卷2」参照。
  • 低秦嶺 … 楼閣が高いので、秦嶺の山並みが低く見える。
  • 秦嶺 … 長安の南にそびえる山脈の総称。また、その首峰である終南山を指すこともある。後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻二)に「是(ここ)に於いて秦嶺を睎(のぞ)み、北(ほく)阜(ふ)を睋(み)、灃(ほう)灞(は)を挟(さしはさ)んで、龍(りょう)首(しゅ)に拠る」(於是睎秦嶺、睋北阜、挾灃灞、據龍首)とあり、その李善注に「秦嶺は、南山なり」(秦嶺、南山也)とある。灃灞は、灃水と灞水。いずれも渭水に注ぐ。南山は、終南山。ウィキソース「昭明文選/卷2」参照。
窗中小渭川
窓(そう)中(ちゅう)に渭(い)川(せん)小(しょう)なり
  • 窓中 … 窓の中には。劉宋の鮑照の楽府「朗月行」(『玉台新詠』巻四・宋刻不収)に「窓中 佳人多く、服を被(き)るは妖しく且つ姸(うつく)し」(窗中多佳人、被服妖且姸)とある。ウィキソース「朗月行 (鮑照)」参照。
  • 小渭川 … 窓の中には渭川の流れが小さく望まれる。渭川が遥か遠くにあるので、窓枠に入るほど小さく見えること。
  • 渭川 … 渭水。黄河最大の支流。甘粛省隴西県の鳥鼠山に源を発し、長安を過ぎ、最後に黄河に合流する。ウィキペディア【渭水】参照。『書経』禹貢篇に「渭(い)を導(みちび)き、鳥(ちょう)鼠(そ)同穴(どうけつ)より、東(ひがし)して灃(ほう)に会(かい)し、又た東して涇(けい)に会し、又た東して漆(しつ)・沮(しょ)を過ぎ、河(か)に入る」(導渭、自鳥鼠同穴、東會于灃、又東會于涇、又東過漆沮、入于河)とある。ウィキソース「尚書/禹貢」参照。また『山海経』西山経に「又た西二百二十里を、鳥(ちょう)鼠(そ)同穴(どうけつ)の山と曰う。其の上に白(びゃっ)虎(こ)・白(はく)玉(ぎょく)多し。渭水焉(ここ)より出でて、東(とう)流(りゅう)して河(か)に注(そそ)ぐ」(又西二百二十里、曰鳥鼠同穴之山。其上多白虎白玉。渭水出焉、而東流注于河)とある。ウィキソース「山海經/西山經」参照。また『史記』貨殖伝に「渭川の千(せん)畝(ぽ)の竹」(渭川千畝竹)とある。ウィキソース「史記/卷129」参照。
早知清淨理
早(つと)に清浄(しょうじょう)の理(り)を知(し)り
  • 早 … 前々から。かねてから。
  • 清浄理 … 仏教の教理。清浄は邪念・煩悩のない清い心。『金剛経』離相寂滅分第十四に「信心清浄なれば、則ち実相を生ぜん」(信心清淨、則生實相)とある。ウィキソース「金剛般若波羅蜜經 (鳩摩羅什)」参照。また『楞厳経』巻四に「復た十方如来の十二部経の清浄妙理を憶持すること、恒(ごう)河(が)沙(しゃ)の如しと雖も、祗だ戯論を益(ま)さん」(雖復憶持十方如來十二部經清淨妙理、如恒河沙、祗益戲論)とある。恒河沙は、(ガンジス川の砂の意で)数が非常に多いことの喩え。ウィキソース「楞嚴經/卷04」参照。
常願奉金仙
常(つね)に金仙(きんせん)を奉(ほう)ぜんことを願(ねが)わん
  • 金仙 … 金色の仙人。仏陀を指す。『大智度論』に「是の賢劫の中に四仏有り、一を迦羅鳩飡陀と名づけ、二を迦那伽牟尼と名づく。秦は金仙人と言うなり」(是賢劫中有四佛、一名迦羅鳩飡陀、二名迦那伽牟尼。秦言金仙人也)とある。ウィキソース「大智度論/卷009」参照。
  • 願奉 … 崇め奉ることを願いたい。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻三(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百(排印本、中華書局、1960年)
  • 『岑嘉州集』巻下([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
  • 『岑嘉州集』巻六(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『岑嘉州詩』巻三(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
  • 『岑嘉州詩』巻六(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
  • 『唐詩品彙』巻六十一([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻十([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『唐詩解』巻三十六(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『古今詩刪』巻十四(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻三(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
  • 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
歴代詩選
古代 前漢
後漢 魏
晋 南北朝
初唐 盛唐
中唐 晩唐
北宋 南宋
金 元
明 清
唐詩選
巻一 五言古詩 巻二 七言古詩
巻三 五言律詩 巻四 五言排律
巻五 七言律詩 巻六 五言絶句
巻七 七言絶句
詩人別
あ行 か行 さ行
た行 は行 ま行
や行 ら行