>   漢詩   >   唐詩選   >   巻五 七律   >   首春渭西郊行呈藍田張二主簿(岑参)

首春渭西郊行呈藍田張二主簿(岑参)

首春渭西郊行呈藍田張二主簿
しゅしゅん西せい郊行こうこう藍田らんでんちょうしゅ簿てい
しんじん
  • 七言律詩。西・泥・低・溪・攜(平声齊韻)。
  • ウィキソース「首春渭西郊行呈藍田張二主簿」参照。
  • 首春 … 春の初め。正月。『初学記』に引く梁の元帝『纂要』に「正月孟春は、亦た……上春・初春・開春・発春・献春・首春と曰う」(正月孟春、亦曰……上春、初春、開春、發春、獻春、首春)とある。ウィキソース「初學記/卷第三」参照。
  • 渭西 … 渭水の西岸。
  • 郊行 … 郊外を散歩すること。北周の庾信に「郊行 雪にう」(郊行値雪)と題する詩がある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷126」参照。
  • 藍田 … 地名。長安の東南、終南山の麓にある形勝の地。『元和郡県図志』関内道一、京兆府、藍田県の条に「と秦の孝公置く。周礼しゅらいを按ずるに、玉の美なる者を球と曰い、其の次を藍と為す。蓋し県を以て美玉を出だす。故に藍田と曰う」(本秦孝公置。按周禮、玉之美者曰球、其次爲藍。蓋以縣出美玉。故曰藍田)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷01」参照。
  • 張二 … 張某。二は、排行。『四部叢刊本』には「二」の字なし。
  • 主簿 … 官名。県令の属官。記録や文書を掌った。
  • 呈 … 差し上げる。贈呈する。
  • 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、けつかく州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適こうせきとともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
囘風度雨渭城西
回風かいふう 度雨どう じょう西にし
  • 回風 … つむじ風。『爾雅』釈天篇に「回風を飄と為す」(囘風爲飄)とあり、その注に「旋風なり」(旋風也)とある。ウィキソース「爾雅註疏/卷06」参照。また『楚辞』九章・悲回風に「回風のけいうごかすを悲しみ、心冤結えんけつして内にいたむ」(悲回風之揺蕙兮、心冤結而内傷)とある。蕙は、かおりぐさ。冤結は、苦しみ結ぼれること。ウィキソース「楚辭/九章」参照。
  • 度雨 … 通り過ぎる雨。『詩経』大雅・めんに「之をすること陾陾じょうじょうたり、之をたくすること薨薨こうこうたり」(捄之陾陾、度之薨薨)とあり、その鄭箋に「度は、猶お投のごときなり」(度、猶投也)とある。捄は、土を集めて盛ること。陾陾は、多いさま。度は、土を板の間に投げ入れて置くこと。薨薨は、多き声。ウィキソース「詩經/緜」「毛詩正義/卷十六」参照。また、北周の庾信「周処士弘譲を尋ぬ」詩(『古詩紀』では作者を庾肩吾に作る)に「泉飛びては度雨かと疑い、雲積みては重楼に似たり」(泉飛疑度雨、雲積似重樓)とある。ウィキソース「庾子山集 (四部叢刊本)/卷第五」「古詩紀 (四庫全書本)/卷090」参照。
  • 渭城 … 秦の都であった咸陽かんようを、漢代になって渭城と改めた。現在の陝西省咸陽市。『漢書』地理志、右扶風の条の顔師古注に「渭城は、もとの咸陽、高帝元年にあらためて新城と名づく。七年に罷めて、長安に属す。武帝の元鼎三年に更めて渭城と名づく。蘭池宮有り。(王)莽のときは京城と曰う」(渭城、故咸陽、高帝元年更名新城。七年罷、屬長安。武帝元鼎三年更名渭城。有蘭池宮。莽曰亰城)ウィキソース「漢書顏師古註/地理志」参照。また『読史方輿紀要』歴代州域形勢二、前漢、右扶風の条に「渭城は、即ち秦の咸陽なり、今西安府に属す」(渭城、即秦咸陽、今屬西安府)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷二」参照。また『大明一統志』陜西布政司、西安府上、古蹟の条に「渭城は長安県に在り。秦の孝公が居る所の城なり」(渭城在長安縣。秦孝公所居之城也)とある。ウィキソース「明一統志 (四庫全書本)/卷32」参照。
細草新花踏作泥
細草さいそう しん めばどろ
  • 細草 … 細かく生えた若草。南朝梁の王筠の楽府「有所思」(『楽府詩集』巻十七、『玉台新詠』巻八・宋刻不収)に「たん 細草を生じ、紫殿 軽陰けいいんる」(丹墀生細草、紫殿納輕陰)とある。丹墀は、宮殿の赤く塗った庭。軽陰は、うっすらとした木陰。ウィキソース「有所思 (王筠)」参照。
  • 新花 … 咲き出たばかりの花。南朝梁の鮑泉「湘東王の春日に和す」詩(『玉台新詠』巻八・宋刻不収)に「新花 新樹に満ち、新月 新暉にうるわし」(新花滿新樹、新月麗新暉)とある。ウィキソース「和湘東王春日」参照。また、南朝梁の何遜「雑花を詠ず」詩に「せいじょうに新花ひらき、誰か言わん かつて染まらずと」(井上發新花、誰言不經染)とある。井上は、井戸のほとり。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷094」参照。
  • 踏作泥 … 踏まれて泥にまみれている。
秦女峯頭雪未盡
秦女峰しんじょほうとう ゆきいまきず
  • 秦女峰 … 秦嶺山脈の中の一峰。一説に最高峰である太白山を指すともいう。昔、秦王は蜀王が女好きであることを知り、蜀王に美女五人を献上したが、その途中、五人の美女たちと、その送迎の者たちが山の上で石になってしまったという伝説があり、ここから秦女峰と名づけられたという説もある。『蜀王本紀』に「ここに於いて秦王、蜀王の色を好むを知り、乃ち美女五人を蜀王に献ず。蜀王之を愛し、ていりて女を迎えしむ。……秦王の五女及び迎送の者、皆な山にのぼり、化して石と為る」(於是秦王知蜀王好色、乃獻美女五人于蜀王。蜀王愛之、遣五丁迎女。……秦王五女及迎送者、皆上山、化爲石)とある。五丁は、五人の力士(怪力を持つ男)。ウィキソース「蜀王本紀」参照。
  • 頭 … 峰のいただき
  • 雪未尽 … 雪がまだ消え残っている。
胡公陂上日初低
こうじょう はじめて
  • 胡公陂 … 長安の西南、陝西省西安市ゆう区にあった堤、または池の名。陂は、堤、または池。『長安志』巻十五に「渼陂びひは県の西五里に在り、終南山の諸谷より出で、胡公泉をがっして陂と為す」(渼陂在縣西五里、出終南山諸谷、合胡公泉爲陂)とある。渼陂は、ゆう区の西にある池。ウィキソース「長安志 (四庫全書本)/卷15」参照。
  • 上 … ほとり。辺り。『論語』子罕篇に「子、川のほとりに在りて曰く、く者はくのごときか、昼夜をかず」(子在川上曰、逝者如斯夫、不舍晝夜)とある。ウィキソース「論語/子罕第九」参照。
  • 日初低 … 日が西へ傾きかかっている。
愁窺白髮羞微祿
白髪はくはつうかがうをうれえてろく
  • 白髪 … 白くなった頭髪。しらが。東晋の陶潜「子をむ」詩に「白髪は両鬢を被い、肌膚きふ復たゆたかならず」(白髮被両鬢、肌膚不復實)とある。ウィキソース「責子」参照。
  • 愁窺 … (白髪を)鏡に映しては愁いに沈む。
  • 微禄 … わずかな俸禄。官吏としての地位が低いことを表す。『後漢書』趙苞伝に「子たりて状無し、微禄を以てちょうせきに奉養せんと欲せしも、図らず、母の為にわざわいを作す」(爲子無狀、欲以微祿奉養朝夕、不圖、爲母作禍)とある。ウィキソース「後漢書/卷81」参照。
悔別靑山憶舊溪
青山せいざんわかれしをいてきゅうけいおも
  • 青山 … 青々とした山。青い山々。三国魏の阮籍「詠懐詩」の第十三首(『文選』巻二十三では第六首)に「高きに登りて四野に臨み、北のかた青山のくまを望む」(登高臨四野、北望靑山阿)とある。四野は、四方の野原。ウィキソース「詠懷詩十七首」参照。また、南朝斉の謝朓「東田とうでんに游ぶ」詩(『文選』巻二十二)に「芳春の酒に対せずして、青山のかくかえり望む」(不對芳春酒、還望青山郭)とある。郭は、城壁。ウィキソース「遊東田」参照。また、南朝梁の簡文帝「秋夜」詩(『玉台新詠』巻七)に「りょくたん 雲気をさかしまにし、青山 げつふくむ」(綠潭倒雲氣、青山銜月眉)とある。月眉は、眉のような月。三日月。ウィキソース「秋夜 (蕭綱)」参照。
  • 悔別 … (ふるさとの青い山々に)別れてきたことを後悔しては。
  • 旧渓 … ふるさとの谷川。
  • 憶 … 懐かしく思い出す。
聞道輞川多勝事
きくらく 輞川もうせん しょうおおしと
  • 聞道 … 「きくならく」と読み、「聞くところによれば」「人の話によると」と訳す。「聞説」とも書く。
  • 輞川 … 川の名。輞水もうすい輞谷水もうこくすいともいう。長安の東南約四十キロメートル、藍田らんでん県(現在の陝西省西安市藍田県)の西南を流れる。この川のほとりに王維の別荘、輞川もうせん荘があった。この別荘で詩友の裴迪はいてきと唱和した作品(五言絶句四十首)を収めた詩集が「輞川もうせん集」である。『読史方輿紀要』陝西二、西安府、藍田県の条に「輞谷水は、県の南八里、谷口こくこう乃ちざん・藍田山の相接する処に在り。山峡は険隘けんあいにして、石をうがみちつくること、約三里ばかりなり。商嶺水は藍橋より伏流して此に至り、千聖洞・細水洞・錫水洞の諸水有り、かいす。車輞しゃもうは環のあつまるが如く、南よりして北のかた、円転すること二十里なり。此を過ぐれば則ち豁然として開朗、林野相望めり。其の水又た西北してすいに注ぐ、亦た之を輞川と謂う」(輞谷水、在縣南八里、谷口乃驪山、藍田山相接處。山峽險隘、鑿石爲途、約三里許。商嶺水自藍橋伏流至此、有千聖洞、細水洞、錫水洞諸水會焉。如車輞環輳、自南而北、圓轉二十里。過此則豁然開朗、林野相望。其水又西北注於霸水、亦謂之輞川)とある。谷口は、谷の入口。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十三」参照。
  • 勝事 … 立派なこと。よいこと。ここでは、よい景色。『南史』斉竟陵王子良伝に「子良はわかくしてせいしょう有り。才を礼し士を好み、不疑の地に居れども、こころを賓客に傾け、天下の才学は皆な遊集す。善く勝事を立て、夏月に客至れば、為にいん及び甘果を設け、之を文教に著す」(子良少有清尚。禮才好士、居不疑之地、傾意賓客、天下才學皆遊集焉。善立勝事、夏月客至、爲設瓜飮及甘果、著之文教)とある。清尚は、清らかで気高いこと。瓜飲は、うりと飲み物。ウィキソース「南史/卷44」参照。また『顔氏家訓』雑芸篇に「わずかに薬性を解し、小小和合して、居家以て急を救うを得ば、亦た勝事と為す」(微解藥性、小小和合、居家得以救急、亦爲勝事)とある。ウィキソース「顏氏家訓/卷第7」参照。
玉壺春酒正堪攜
ぎょっしゅんしゅ まさたずさうるにえん
  • 玉壺 … 玉で作った美しい壺。後漢の辛延年の楽府「羽林郎」(『楽府詩集』巻六十三、『玉台新詠』巻一)に「我に就いて清酒を求むれば、じょうもて玉壺をひっさぐ」(就我求清酒、絲繩提玉壺)とある。糸縄は、絹糸で作った縄。ウィキソース「羽林郎 (辛延年)」参照。また、劉宋の鮑照の楽府「白頭吟」(『文選』巻二十八、『楽府詩集』巻四十一、『玉台新詠』巻四)に「直きこと朱糸の縄の如く、清きこと玉壺の氷の如し」(直如朱絲繩、清如玉壺冰)とある。ウィキソース「擬樂府白頭吟」参照。
  • 春酒 … 寒中にかもし、春に熟する酒。また、春に仕込み、冬に熟する酒。『詩経』豳風ひんぷう・七月に「此の春酒をつくりて、以て寿じゅたすく」(爲此春酒、以介眉壽)とある。眉寿は、眉が長く伸びるまで長生きする人。長寿の人。ウィキソース「詩經/七月」参照。
  • 携 … 手にげて持つ。『説文解字』巻十二上、手部に「携は、ひっさぐなり」(攜、提也)とある。ウィキソース「說文解字/12」参照。
  • 堪 … 十分である。申し分がない。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻五(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百一(排印本、中華書局、1960年)
  • 『岑嘉州集』巻下([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
  • 『岑嘉州集』巻八(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『岑嘉州詩』巻五(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
  • 『岑嘉州詩』巻七(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
  • 『唐詩品彙』巻八十三([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻十三([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『唐詩解』巻四十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『古今詩刪』巻十七(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻五(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
  • 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
歴代詩選
古代 前漢
後漢
南北朝
初唐 盛唐
中唐 晩唐
北宋 南宋
唐詩選
巻一 五言古詩 巻二 七言古詩
巻三 五言律詩 巻四 五言排律
巻五 七言律詩 巻六 五言絶句
巻七 七言絶句
詩人別
あ行 か行 さ行
た行 は行 ま行
や行 ら行