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虢州後亭送李判官使赴晋絳得秋字(岑参)

虢州後亭送李判官使赴晉絳得秋字
かくしゅう後亭こうていにて判官はんがん使つかいしてしんこうおもむくをおくる。しゅうたり
岑參しんじん
  • 七言絶句。頭・休・秋(下平声尤韻)。
  • ウィキソース「虢州後亭送李判官使赴晉絳」参照。
  • 詩題 … 『万首唐人絶句』では「送人三首其一」に作る。『唐詩別裁集』では「虢州後亭送李判官」に作る。
  • 虢州 … 今の河南省三門峡市一帯。隋の開皇三年(583)、東義州を改めて置いた。治所は盧氏県(今の河南省盧氏県)。大業三年(607)に廃し、唐の武徳元年(618)に再び置いた。貞観八年(634)、弘農県(今河南省霊宝市)に移して治めた。『読史方輿紀要』歴代州域形勢、唐上、虢州の条に「漢は弘農郡と曰い、唐に虢州を置く、亦た弘農郡と曰い、弘農等県六を領す。今の陝州霊宝県の西南三十里、もとの弘農城は是れなり」(漢曰弘農郡、唐置虢州、亦曰弘農郡、領弘農等縣六。今陝州靈寶縣西南三十里故弘農城是)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五」参照。ウィキペディア【虢州】参照。
  • 後亭 … 州の庁舎の裏にある庭園のあずまや。
  • 李 … 李某。人物については不詳。
  • 判官 … 官名。節度使・観察使などの属官。長官を補佐する職。
  • 晋 … 晋州。現在の山西省臨汾市。『読史方輿紀要』歴代州域形勢、唐上に「晋州は、漢の河東郡の地、後魏に晋州と曰う、後周及び隋・唐之に因る、亦た平陽郡と曰う、臨汾等県七を領す。今の平陽府なり」(晉州、漢河東郡地、後魏曰晉州、後周及隋唐因之、亦曰平陽郡、領臨汾等縣七。今平陽府)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五」参照。ウィキペディア【晋州】参照。
  • 絳 … 絳州。現在の山西省運城市新絳県。『読史方輿紀要』歴代州域形勢、唐上に「絳州は、漢の河東郡の地、後周に絳州と曰う、隋・唐之に因る、亦た絳郡と曰う、正平等県五を領す。今平陽府に属す」(絳州、漢河東郡地、後周曰絳州、隋唐因之、亦曰絳郡、領正平等縣五。今屬平陽府)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五」参照。ウィキペディア【絳州】参照。
  • 得秋字 … 複数の人が集まって漢詩を作るとき、あらかじめ異なる脚韻の字を各自に分配して詩を作ること。これを分韻という。このとき作者は秋の字が当たった。『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『古今詩刪』には、この字なし。
  • この詩は、李判官が使者として晋州と絳州へ出張することとなり、作者たちが虢州の役所の後亭で送別の宴を開いたときに詠んだもの。乾元二年(759)から宝応元年(762)の間、作者が虢州長史の時の作。
  • 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、けつかく州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適こうせきとともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
西原驛路掛城頭
西原せいげんえき じょうとうかか
  • 西原 … 虢州から晋州・絳州へ向かう途中の地名。『旧唐書』玄宗紀、天宝十五載の条に「舒翰じょかん将兵八万、賊将さい乾祐けんゆうと霊宝西原に於いて戦う」(哥舒翰將兵八萬、與賊將崔乾祐戰於靈寶西原)とある。ウィキソース「舊唐書/卷9」参照。
  • 駅路 … 駅亭間をつなぐ街道。駅亭は、宿駅のこと。旅人を泊めたり、荷物を運ぶ馬や人夫などの交換をする所。うまやじ。『宋書』りゅうべん伝に「しん又た以為おもえらく、えんじょうは是れ賊、駅路じゅを要す、しばらばんを経てけんに接す、数百里の中、りょうつつみてひそかに進む」(臣又以爲、郾城是賊、驛路要戍、且經蠻接嶮、數百里中、裹糧潛進)とある。ウィキソース「宋書/卷86」参照。また、南朝斉の孔稚珪「北山移文」(『文選』巻四十三)に「しょうざんえい、草堂の霊、煙を駅路に馳せ、を山庭にきざましむ」(鍾山之英、草堂之靈、馳煙驛路、勒移山庭)とある。鍾山は、現在の南京市にある紫金山の古名。英は、神霊。移は、移文。勒は、刻む。ウィキソース「北山移文」参照。
  • 掛城頭 … 城壁の上にかかっているようだ。虢州から西の方は地形が次第に高くなっているので、こう表現した。
客散江亭雨未休
かくさんじて 江亭こうてい あめいままず
  • 客散 … 送別の宴が終わり、人々が帰ったあとも。
  • 江亭 … 川に臨んだあずまや。虢州の後亭を指す。
  • 江 … 『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「紅」に作る。
  • 雨未休 … 江亭に降るそそぐ雨は、まだやまない。
  • 休 … 『全唐詩』『前唐十二家詩本』『万首唐人絶句』『唐五十家詩集本』『寛保刊本』『岑参詩集編年箋注』では「收」に作る。
君去試看汾水上
きみってこころみによ 汾水ふんすいほとり
  • 君去 … 君は向こうに着いたら。南朝梁の王台卿「陌上桑四首」(其二、『玉台新詠』巻十、宋刻本未収)に「君は去りて万里をまもり、わらわは来たりて空閨くうけいを守る」(君去戍萬里、妾來守空閨)とある。空閨は、独り寝の寂しい寝室。ウィキソース「陌上桑 (王臺卿)」参照。
  • 試看 … ためしに見てみたまえ。
  • 汾水 … 山西省にある川。寧武県に源流を発し、西南に流れて黄河に入る。汾河ともいう。『水経注』汾水の条に「汾水ふんすい太原たいげん汾陽県ふんようけんきた管涔山かんしんざんづ」(汾水出太原汾陽縣北管涔山)とある。ウィキソース「水經注/06」参照。かつて漢の武帝がここに屋形船を浮かべて、群臣たちと酒宴を催し、上機嫌となって「秋風の辞」を詠んだと伝えられる。漢の武帝「秋風の辞」に「楼船ろうせんうかべて ふんわたり、中流によこたわりて素波そはぐ」(汎樓船兮濟汾河、橫中流兮揚素波)とある。ウィキソース「秋風辭 (劉徹)」、ウィキペディア【汾河】参照。
  • 汾 … 『万首唐人絶句』では「汶」に作る。
  • 上 … ほとり。辺り。『論語』子罕篇に「子、川のほとりに在りて曰く、く者はくのごときか、昼夜をかず」(子在川上曰、逝者如斯夫、不舍晝夜)とある。
白雲猶似漢時秋
白雲はくうんかんあき
  • 白雲猶似漢時秋 … 白雲は今もなお、漢代の秋と変わることなく、風に流れていることだろう。漢の武帝「秋風の辞」に「秋風起こりて 白雲飛び、草木黄落こうらくして かり 南に帰る」(秋風起兮白雲飛、草木黃落兮雁南歸)とあるのを踏まえる。ウィキソース「秋風辭 (劉徹)」参照。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百一(排印本、中華書局、1960年)
  • 『岑嘉州集』巻下([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
  • 『岑嘉州集』巻八(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『岑嘉州詩』巻七(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
  • 『岑嘉州詩』巻八(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
  • 『唐詩品彙』巻四十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻十九([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『唐詩解』巻二十七(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『万首唐人絶句』七言・巻十八(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 『唐百家詩選』巻三([北宋]王安石編、世界書局、1979年)
  • 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻七(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
  • 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
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