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赴北庭度隴思家(岑参)

赴北庭度隴思家
北庭ほくていおもむかんとし、ろうわたりていえおも
岑參しんじん
  • 七言絶句。餘・疎・書(上平声魚韻)。
  • ウィキソース「赴北庭度隴思家」参照。
  • 詩題 … 『楽府詩集』巻七十九に「簇拍そうはく陸州」という題で同じ作品が見える。作者は不明。文字に多少の異同がある。ウィキソース「樂府詩集/079卷」「全唐詩/卷027」参照。
  • 北庭 … 北庭大都護府。漢代は北匈奴の地。唐代、隴右道に属した。現在のしんきょうウイグル自治区の吉木薩爾ジムサル県、旧称えん県の辺り。『資治通鑑』玄宗皇帝天宝十三年の条に「甲子、千里を以て金吾大将軍と為し、封常清を以て北庭都護・伊西節度使に権たらしむ」(甲子、以千里爲金吾大將軍、以封常清權北庭都護、伊西節度使)とある。ウィキソース「資治通鑑/卷217」、ウィキペディア【北庭大都護府】参照。
  • 隴 … 隴山。陝西省と甘粛省との境にある山脈で、長安から西北の辺境に入る関門に当たっている。『読史方輿紀要』に引く『秦州記』に「隴山ろうざんは東西百八十里、山のいただきに登りて秦川しんせん東望とうぼうすれば、四五百里、きょくもく泯然びんぜんたり。山東の人行役こうえきし、此れにのぼりてせんする者、悲思ひしせざるし」(隴山東西百八十里、登山巓東望秦川、四五百里、極目泯然。山東人行役、升此而顧瞻者、莫不悲思)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十二」参照。
  • 度 … 山や川を越えて行くこと。
  • 家 … 長安のわが家を指す。
  • 天宝十三載(754)三月、安西四鎮節度使の封常清は入朝して御史大夫の官職を加えられ、さらに北庭都護の兼務も命じられた。作者は封常清に迎えられ、安西北庭節度判官に任ぜられて北庭(今の新疆ウイグル自治区ジムサル県)に赴き、至徳二載(757)の春まで従軍した。この詩は、北庭に赴任する途中、隴山を越えながら長安のわが家を思って作ったもの。
  • 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、けつかく州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適こうせきとともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
西向輪臺萬里餘
西にしのかた輪台りんだいむかうことばん里余りよ
  • 西 … 「にしのかた」と読み、「西のほうで」と訳す。
  • 輪台 … 地名。今の新疆ウイグル自治区輪台県。新疆ウイグル自治区チャ市の東。ウィキペディア【ブグル県】参照。『新唐書』地理志に「北庭大都護府、本と庭州、……又た百里にして輪台県に至る」(北庭大都護府、本庭州、……又百里至輪台縣)とある。ウィキソース「新唐書/卷040」参照。また『元和郡県図志』隴右道下、庭州の条にも「輪台県、下。東のかた州に至ること四十二里」(輪台縣、下。東至州四十二里)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷40」参照。また『漢書』西域伝に「捜粟そうぞく都尉桑弘羊そうこうよう、丞相・御史とともに奏して言う、もとの輪台の東しょう渠犁きょれいは皆な故国なり。地広くして水・草おおし。漑田がいでん五千けい以上有り」(搜粟都尉桑弘羊與丞相御史奏言、故輪臺東捷枝、渠犁皆故國。地廣饒水草。漑田五千頃以上)とある。ウィキソース「漢書/卷096下」参照。
  • 万里余 … 一万里余り。初唐の上官婉児の楽府「綵書怨」に「葉 洞庭に下るの初め、君を思う 万里の余」(葉下洞庭初、思君萬里餘)とある。ウィキソース「綵書怨」参照。
也知鄉信日應疎
る きょうしんひびまさなるべきを
  • 也知 … 私にもまた知っている。私にもわかっている。
  • 也 … ~もまた。発語の辞。詩や俗語に用いる。「亦」より意味が軽い。
  • 郷信 … 故郷からの便り。
  • 也知郷信 … 『楽府詩集』では「故郷音耗」に作る。
  • 日 … 一日一日と。日に日に。東晋の陶潜「帰去来の辞」に「えんひびわたりて以ておもむきを成す」(園日涉以成趣)とある。ウィキソース「歸去來辭並序」参照。
  • 疎 … 疎遠になる。「古詩十九首」(其十四、『文選』巻二十九)に「去る者はひびに以てうとく、きたる者はひびに以てしたし」(去者日以疎、來者日以親)とある。去る者は、死者も含めて去って行った人の意。ウィキソース「去者日以疎」参照。
隴山鸚鵡能言語
隴山ろうざんおう げん
  • 鸚鵡 … オウム。隴山にはオウムが多く棲息するという。『元和郡県図志』隴右道上、秦州の条に「少隴山は、一に隴坻と名づく、又た分水嶺と名づく。……上に鸚鵡多し」(少隴山、一名隴坻、又名分水嶺。……上多鸚鵡)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷39」参照。また『山海経』西山経にも「又た西百八十里を、黄山と曰う。……鳥有り。其のすがたふくろうの如く、青き羽に赤きくちばし人舌じんぜつありて能く言う。名づけておうと曰う」(又西百八十里、曰黃山。……有鳥焉。其狀如鴞、青羽赤喙、人舌能言。名曰鸚䳇)とある。ウィキソース「山海經/西山經」参照。また、後漢末の禰衡でいこう「鸚鵡の賦」(『文選』巻十三)に「じん隴坻ろうていに命じ、伯益はくえきに流沙にみことのりす」(命虞人於隴坻、詔伯益于流沙)とあり、その李善注に「西域は、隴坻に此の鳥をだすと謂うなり」(西域、謂隴坻出此鳥也)とある。虞人は、狩り場の役人。伯益は、虞人となって舜に仕えた人物。ウィキソース「鸚鵡賦 (禰衡)」「六臣註文選 (四庫全書本)/卷13」参照。ウィキペディア【オウム】参照。
  • 能言語 … 人の言葉を話すことができる。『礼記』曲礼上篇に「おうは能く言えども、ちょうを離れず」(鸚鵡能言、不離飛鳥)とある。ウィキソース「禮記/曲禮上」参照。
爲報家人數寄書
ためほうぜよ じん数〻しばしばしょせよと
  • 為報 … 知らせておくれ。
  • 家人 … 私の家の者に。『易経』家人卦の彖伝たんでんに「家人に厳君有り、父母のいいなり」(家人有嚴君焉、父母之謂也)とある。ウィキソース「周易/家人」参照。
  • 家 … 『楽府詩集』では「閨」に作る。
  • 数寄書 … たびたび手紙を寄こすように。書は、手紙。「かくがく」(近代西曲歌五首其二、『玉台新詠』巻十)に「かく有らば数〻書を寄せよ、信無ければ心に相おもう」(有客數寄書、無信心相憶)とある。估客は、旅商人。ウィキソース「估客樂」参照。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百一(排印本、中華書局、1960年)
  • 『岑嘉州集』巻下([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
  • 『岑嘉州集』巻八(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『岑嘉州詩』巻七(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
  • 『岑嘉州詩』巻八(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
  • 『唐詩品彙』巻四十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『楽府詩集』巻七十九・近代曲辞(北京図書館蔵宋刊本影印、中津濱渉『樂府詩集の研究』所収)
  • 『唐詩別裁集』巻十九([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『唐詩解』巻二十七(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『万首唐人絶句』七言・巻十八(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻七(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
  • 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
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