赴北庭度隴思家(岑参)
赴北庭度隴思家
北庭に赴かんとし、隴を度りて家を思う
北庭に赴かんとし、隴を度りて家を思う
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻二百一、『岑嘉州詩』巻七(『四部叢刊 初篇集部』所収)、『岑嘉州集』巻下(『前唐十二家詩』所収)、『岑嘉州集』巻八(『唐五十家詩集』所収)、『岑嘉州詩』巻八・寛保元年刊(『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、168頁、略称:寛保刊本)、『唐詩品彙』巻四十八、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十二(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『楽府詩集』巻七十九、他
- 七言絶句。餘・疎・書(平声魚韻)。
- ウィキソース「赴北庭度隴思家」参照。
- 詩題 … 『楽府詩集』巻七十九に「簇拍陸州」という題で同じ作品が見える。作者は不明。文字に多少の異同がある。ウィキソース「樂府詩集/079卷」「全唐詩/卷027」参照。
- 北庭 … 北庭大都護府。漢代は北匈奴の地。唐代、隴右道に属した。現在の新疆ウイグル自治区の吉木薩爾県、旧称孚遠県の辺り。ウィキペディア【北庭大都護府】参照。
- 隴 … 隴山。陝西省と甘粛省との境にある山脈で、長安から西北の辺境に入る関門に当たっている。『読史方輿紀要』に引く『秦州記』に「隴山は東西百八十里、山の巓に登りて秦川を東望すれば、四五百里、極目泯然たり。山東の人行役し、此に升りて顧瞻する者、悲思せざる莫し」(隴山東西百八十里、登山巓東望秦川、四五百里、極目泯然。山東人行役、升此而顧瞻者、莫不悲思)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十二」参照。
- 度 … 山や川を越えて行くこと。
- 家 … 長安のわが家を指す。
- 天宝十三載(754)三月、安西四鎮節度使の封常清は入朝して御史大夫の官職を加えられ、さらに北庭都護の兼務も命じられた。作者は封常清に迎えられ、安西北庭節度判官に任ぜられて北庭(今の新疆ウイグル自治区ジムサル県)に赴き、至徳二載(757)の春まで従軍した。この詩は、北庭に赴任する途中、隴山を越えながら長安のわが家を思って作ったもの。
- 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。湖北省江陵の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右補闕・虢州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
西向輪臺萬里餘
西のかた輪台に向うこと万里余
- 西 … 「にしのかた」と読み、「西のほうで」と訳す。
- 輪台 … 地名。今の新疆ウイグル自治区輪台県。新疆ウイグル自治区庫車市の東。ウィキペディア【ブグル県】参照。『新唐書』地理志に「北庭大都護府、本と庭州、……又た百里にして輪台県に至る」(北庭大都護府、本庭州、……又百里至輪台縣)とある。ウィキソース「新唐書/卷040」参照。また『元和郡県図志』隴右道下、庭州にも「輪台県、下。東のかた州に至ること四十二里」(輪台縣、下。東至州四十二里)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷40」参照。
- 万里余 … 一万里余り。
也知鄉信日應疎
也た知る 郷信の日に応に疎なるべきを
隴山鸚鵡能言語
隴山の鸚鵡 能く言語す
- 鸚鵡 … オウム。隴山にはオウムが多く棲息するという。『元和郡県図志』隴右道上、秦州に「上に鸚鵡多し」(上多鸚鵡)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷39」参照。また『山海経』西山経にも「鳥有り。其の状は鴞の如く、青き羽に赤き喙、人舌にして能く言う。名づけて鸚䳇と曰う」(有鳥焉。其狀如鴞、青羽赤喙、人舌能言。名曰鸚䳇)とある。ウィキソース「山海經/西山經」参照。ウィキペディア【オウム】参照。
- 能言語 … 人の言葉を話すことができる。『礼記』曲礼上篇に「鸚鵡は能く言えども、飛鳥を離れず」(鸚鵡能言、不離飛鳥)とある。ウィキソース「禮記/曲禮上」参照。
爲報家人數寄書
為に報ぜよ 家人数〻書を寄せよと
- 為報 … 知らせておくれ。
- 家人 … 私の家の者に。
- 家 … 『楽府詩集』では「閨」に作る。
- 数 … たびたび。
- 寄書 … 手紙を寄こすように。書は、手紙。
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