酒泉太守席上酔後作(岑参)
酒泉太守席上醉後作
酒泉太守の席上、酔後の作
酒泉太守の席上、酔後の作
- 七言絶句。舞・鼓・雨(上声麌韻)。
- ウィキソース「酒泉太守席上醉後作 (酒泉太守能劒舞)」参照。
- 詩題 … この詩は本来十句からなる七言古詩で、ここでは最初の四句をとって絶句としたもの。『四部叢刊本』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では十句からなる七言古詩を収録している。『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『寛保刊本』では二首に分けて収録している。ウィキソース「酒泉太守席上醉後作」参照。後の六句は次の通り。「琵琶長笛曲は相和し、羌児胡雛斉しく唱歌す、渾て犂牛を炙り野駞を烹て、交河の美酒金叵羅、三更酔後軍中に寝むれば、秦山の帰夢を奈何ともする無し」(琵琶長笛曲相和、羌兒胡雛齊唱歌、渾炙犂牛烹野駞、交河美酒金叵羅、三更醉後軍中寢、無奈秦山歸夢何)。ウィキソース「酒泉太守席上醉後作 (琵琶長笛曲相和)」参照。『唐詩別裁集』では「酒泉太守席上醉後歌」に作る。
- 酒泉 … 郡名。現在の甘粛省酒泉市。ウィキペディア【酒泉市】参照。『旧唐書』地理志三、隴右道に「天宝元年、改めて酒泉郡と為す。乾元元年、復して肅州と為す」(天寶元年、改爲酒泉郡。乾元元年、復爲肅州)とある。ウィキソース「舊唐書/卷40」参照。なお、城下に金泉という泉があり、その味が酒に似ているために名付けられたという。『水経注』河水の条に「応劭の地理風俗記に曰く、敦煌、酒泉、其の水酒の味の若き故なり」(應劭地理風俗記曰、敦煌、酒泉、其水若酒味故也)とある。ウィキソース「水經注/02」参照。
- 太守 … 郡の長官。大守。郡守。ウィキペディア【太守】参照。
- 席上 … 酒宴の席で。
- 酔後 … 酒に酔ったあと。
- 天宝十三載(754)三月、安西四鎮節度使の封常清は入朝して御史大夫の官職を加えられ、さらに北庭都護の兼務も命じられた。作者は封常清に迎えられ、安西北庭節度判官に任ぜられて北庭(現在の新疆ウイグル自治区ジムサル県)に赴き、至徳二載(757)の春まで従軍した。この詩は酒泉(現在の甘粛省酒泉市)の太守に招かれた宴席で、酒に酔ったあとに作ったもの。『岑参詩集編年箋註』(巴蜀書社)の中の「岑参年譜」には至徳元載(756)12月の作とある。
- 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右補闕・虢州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
酒泉太守能劍舞
酒泉の太守 能く剣舞す
- 能 … 上手に。
- 剣舞 … 剣を振りながら舞う舞。剣の舞。『史記』項羽本紀に「君王、沛公と飲す。軍中、以て楽しみを為す無し。請う剣を以て舞わん」(君王與沛公飮。軍中無以爲樂。請以劍舞)とある。ウィキソース「史記/卷007」参照。
高堂置酒夜擊鼓
高堂に置酒して 夜 鼓を撃つ
- 高堂 … 高い座敷。立派な家。ここでは、大広間の意。三国魏の繆襲の楽府「輓歌」に「朝に高堂の上を発し、暮に黄泉の下に宿す」(朝發高堂上、暮宿黄泉下)とある。ウィキソース「樂府詩集/027卷」参照。
- 置酒 … 酒席に酒壺を置いて飲むこと。酒もりをすること。酒宴を開くこと。三国魏の阮瑀「雑詩二首」(其一)に「置酒高堂の上、友朋光輝集む」(置酒髙堂上、友朋集光輝)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷027」参照。
- 撃鼓 … 剣舞に合わせて太鼓を打ち鳴らすこと。鼓は、陣太鼓。『詩経』邶風「撃鼓」に「鼓を撃つこと其れ鏜たり、踊躍して兵を用う」(擊鼓其鏜、踴躍用兵)とある。鏜は、太鼓のドンドンと鳴る音の形容。踊躍は、勇み立つこと。ウィキソース「詩經/擊鼓」参照。
胡笳一曲斷人腸
胡笳一曲 人の腸を断つ
- 胡笳 … 北方民族の胡人が吹く葦の葉の笛。物悲しい音色を出す。『文献通考』に「胡笳は觱篥に似て孔無く、後世鹵部に之を用う」(胡笳似觱篥而無孔、後世鹵部用之)とある。觱篥は、管楽器の一つ。竹製の縦笛で前面に七つ、裏面に二つの指孔がある。音色は鋭く、哀調を帯びる。ウィキペディア【篳篥】参照。鹵部は、大駕(天子の乗り物)の儀仗。鹵簿(天子の行列)。ウィキソース「文獻通考 (四庫全書本)/卷138」参照。また『晋書』劉琨伝に「(琨)晋陽に在りて、常に胡騎の囲む所数重と為る。城中、窘迫して計無し。琨、乃ち月に乗じて楼に登り清嘯す。賊之を聞き、皆な淒然と長歎す。中夜に胡笳を奏すると、賊又た流涕して歔欷す。懐土の切有り。暁に向かいて復た之を吹く。賊並びに囲みを棄てて走る」(在晉陽、常爲胡騎所圍數重。城中窘迫無計。琨乃乘月登樓清嘯。賊聞之、皆淒然長歎。中夜奏胡笳、賊又流涕歔欷。有懷土之切。向曉復吹之。賊並棄圍而走)とある。窘迫は、どうにもならない状態に追い込まれること。歔欷は、すすり泣くこと。ウィキソース「晉書/卷062」参照。
- 一曲 … 一節。劉宋の鮑照の楽府「代堂上歌行」に「万曲 心に関せずして、一曲 情を動かすこと多し」(萬曲不關心、一曲動情多)とある。ウィキソース「樂府詩集/065卷」参照。
- 断人腸 … 人の腸をかきむしるような、非常に悲しい調べ。後漢の蔡琰の楽府「胡笳十八拍」(『楽府詩集』巻五十九、『楚辞後語』巻三)の第五拍に「雁飛ぶこと高く、邈かにして尋ね難し、空しく腸を断ちて思い愔愔たり」(雁飛高兮邈難尋、空斷腸兮思愔愔)とある。ウィキソース「胡笳十八拍」「樂府詩集/059卷」「楚辭集注 (四庫全書本)/後語卷3」参照。また、東晋の陶淵明「雑詩十二首」(其三)に「眷眷たり 往昔の時、此れを憶えば人の腸を断たしむ」(眷眷往昔時、憶此斷人腸)とある。眷眷は、いつも心にとめて回顧するさま。往昔は、過ぎ去った昔。ウィキソース「雜詩 (陶淵明)」参照。
坐客相看淚如雨
坐客相看て 涙 雨の如し
- 坐客 … 一座の客人たち。南朝梁の劉峻「広絶交論」(『文選』巻五十五)に「坐客は恒に満つ」(坐客恆滿)とある。ウィキソース「廣絕交論」参照。
- 客 … 『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『唐詩別裁集』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「上」に作る。
- 相看 … 互いの顔を見合わせて。
- 相 … 「あい」と読み、「互いに」「ともに」と訳す。
- 涙如雨 … 雨のように涙を流した。『詩経』邶風「燕燕」に「瞻望すれども及ばず、泣涕雨の如し」(瞻望弗及、泣涕如雨)とある。ウィキソース「詩經/燕燕」参照。また、魏の曹操の楽府「善哉行三首」(其二、『楽府詩集』巻三十六)に「惋嘆して涙は雨の如し」(惋嘆淚如雨)とある。惋嘆は、嘆き悲しむこと。畳韻の語。ウィキソース「善哉行 (曹操)」参照。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻二百一(排印本、中華書局、1960年)
- 『岑嘉州集』巻下([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
- 『岑嘉州集』巻八(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
- 『岑嘉州詩』巻二(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)※七言古詩
- 『岑嘉州詩』巻八(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
- 『唐詩品彙』巻四十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩別裁集』巻十九([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『唐詩解』巻二十七(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『万首唐人絶句』七言・巻十八(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
- 『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
- 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻二(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)※七言古詩
- 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)※七言古詩
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