送人還京(岑参)
送人還京
人の京に還るを送る
人の京に還るを送る
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻二百一、『岑嘉州詩』巻七(『四部叢刊 初篇集部』所収)、『岑嘉州集』巻下(『前唐十二家詩』所収)、『岑嘉州集』巻八(『唐五十家詩集』所収)、『岑嘉州詩』巻八・寛保元年刊(『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、166頁、略称:寛保刊本)、『唐詩品彙』巻四十八、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十二(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、他
- 七言絶句。歸・飛・衣(平声微韻)。
- ウィキソース「送崔子還京」参照。
- 詩題 … 都の長安に帰っていく人を見送る。『全唐詩』『四部叢刊本』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『寛保刊本』では「崔子が京に還るを送る」(送崔子還京)に作る。「崔子」については不明であるが、別に「熱海行、崔侍御の京に還るを送る」という七言古詩もあり、この崔侍御のことかと思われる。ウィキソース「熱海行送崔侍御還京」参照。
- 京 … 都。長安。
- 天宝十三載(754)三月、安西四鎮節度使の封常清は入朝して御史大夫の官職を加えられ、さらに北庭都護の兼務も命じられた。作者は封常清に迎えられ、安西北庭節度判官に任ぜられて北庭(今の新疆ウイグル自治区ジムサル県)に赴き、至徳二載(757)の春まで従軍した。作者にとって二度目の塞外生活であった。この詩は、この数年の間に作ったもので、長安の都へ帰る人を見送るとともに、塞外にあるわが身の哀愁を詠んでいる。
- 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。湖北省江陵の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右補闕・虢州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
匹馬西從天外歸
匹馬 西のかた天外より帰る
- 匹馬 … (君を乗せた)一匹の馬。『春秋公羊伝註疏』僖公三十三年に「匹馬隻輪反る者無し」(匹馬隻輪無反者)とあり、何休の注に「匹馬は、一馬なり」(匹馬、一馬也)とある。ウィキソース「春秋公羊傳註疏/卷12」参照。
- 西 … 「にしのかた」と読み、「西のほうで」と訳す。
- 従 … 「より」と読み、「~から」と訳す。空間の起点の意を示す。『箋註唐詩選』(『漢文大系』冨山房)では「來」に作る。
- 天外 … 天の彼方。大空の彼方。はるかに遠い所。ここでは作者のいる辺塞の地を指す。
揚鞭只共鳥爭飛
鞭を揚げて只だ鳥と飛ぶを争う
- 揚鞭 … 鞭をあげて。鞭を振りあげて。『寛保刊本』には「一作翩々」に作る。
- 只共鳥爭飛 … まるで飛ぶ鳥と速さを競うかのようだ。
送君九月交河北
君を送る 九月 交河の北
- 送君 … 君を見送るのは。
- 九月 … 陰暦九月。辺塞の地では早くも厳寒で雪が降る。
- 交河 … 新疆ウイグル自治区吐魯番の辺りを流れる川の名。『漢書』西域伝に「河水は分流して城下を繞る。故に交河と号す」(河水分流繞城下。故號交河)とある。ウィキソース「漢書/卷096下」参照。
- 交 … 『前唐十二家詩本』では「十」に作る。
雪裏題詩淚滿衣
雪裏 詩を題して涙衣に満つ
- 雪裏 … 雪の中で。
- 題詩 … 送別の詩を作っていると。
- 涙満衣 … 涙が止めどなく流れ、衣をすっかり濡らしてしまう。
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