苜蓿烽寄家人(岑参)
苜蓿烽寄家人
苜蓿烽にて家人に寄す
苜蓿烽にて家人に寄す
- 七言絶句。春・巾・人(上平声真韻)。
- ウィキソース「題苜蓿峰寄家人」参照。
- 詩題 … 『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』では「苜蓿峯に題して家人に寄す」(題苜蓿峯寄家人)に作る。『四部叢刊本』『寛保刊本』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「題首蓿烽寄家人」に作る。『唐詩解』『古今詩刪』『唐詩品彙』『万首唐人絶句』『才調集』では「苜蓿峰(峯)寄家人」に作る。
- 苜蓿烽 … のろし台の名。苜蓿は、草の名。うまごやし。『全唐詩』等が「烽」を「峰(峯)」にするのは誤り。玉門関西方の塞外にあった。塞外は砂漠地帯で駅亭もないので、五つののろし台を等間隔に配置して一つの駅亭に相当させ、旅人の目印とした。底本の『箋註唐詩選』(『漢文大系』冨山房)に「唐の三蔵の西域記に曰く、塞上に駅亭無し。又た山嶺無し。止烽火を以て識と為す。玉門関の外に五烽有り。苜蓿烽は其の一なり」(唐三藏西域記曰、塞上無驛亭。又無山嶺。止以烽火爲識。玉門關外有五烽。苜蓿烽其一也)とあるが、『大唐西域記』には、この文章は見当たらない。『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』巻一に「関外西北には又た五烽有り、候望する者之に居る。各〻相去ること百里、中に水草無し。五烽の外は即ち莫賀延磧にして、伊吾国の境なり」(關外西北又有五烽、候望者居之。各相去百里、中無水草。五烽之外即莫賀延磧、伊吾國境)とある。ウィキソース「大唐大慈恩寺三藏法師傳/卷01」参照。
- 家人 … ここでは妻を指す。
- 寄 … 詩を人に託して送り届けること。ちなみに「贈」は、詩を直接手渡すこと。
- この詩は、作者が封常清の軍に従って西征した時、家人である妻に寄せたもの。『岑嘉州詩箋注』(中華書局、2004年)の附録「岑参年譜」によると、天宝十四載(755)の作。
- 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、右補闕・虢州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適とともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
苜蓿烽邊逢立春
苜蓿烽辺 立春に逢い
- 苜蓿烽辺 … 苜蓿烽のほとり。苜蓿烽の辺り。
- 烽 … 『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『唐詩品彙』『唐詩解』『万首唐人絶句』『才調集』では「峰(峯)」に作る。
- 立春 … 二十四気の一つ。陰暦の正月節。陽暦で二月四日頃。暦の上で春が始まる日。『礼記』月令篇に「是の月や、立春なるを以て、立春に先だつ三日、太史之を天子に謁げて曰く、某日立春、盛徳木に在り、と」(是月也、以立春、先立春三日、太史謁之天子曰、某日立春、盛德在木)とある。ウィキソース「禮記/月令」参照。
- 逢 … 迎える。
葫蘆河上淚沾巾
葫蘆河上 涙 巾を沾す
- 葫蘆河 … 西方の塞外にある川の名。葫蘆は、ひょうたんの別称。上流が狭くて下流が広く、ひょうたんの形に似ているところから名付けられたという。『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』巻一に「此れより北行すること五十余里にして瓠蘆河有り、下広く上狭く、洄波甚だ急に、深くして渡る可からず。上に玉門関を置き、路は必ず之に由る、即ち西境の襟喉なり」(從此北行五十餘里有瓠蘆河、下廣上狹、洄波甚急、深不可渡。上置玉門關、路必由之、即西境之襟喉也)とある。襟喉は、襟と喉。要害の地の喩え。ウィキソース「大唐大慈恩寺三藏法師傳/卷01」参照。
- 上 … ほとり。
- 葫 … 多くのテキストでは「胡」に作る。
- 沾巾 … ハンカチを濡らす。巾は、手巾(手ぬぐい)。沾は、潤す。水で濡らす。「霑」に同じ。ここでは、涙が多く流れることをいう。後漢の張衡「四愁の詩」(『文選』巻二十九)に「四思に曰く、我が思う所は雁門に在り。往いて之に従わんと欲すれば雪紛紛たり。身を側てて北望すれば涕巾を沾す」(四思曰、我所思兮在雁門。欲往從之雪紛紛。側身北望涕沾巾)とある。ウィキソース「四愁詩」参照。
閨中只是空相憶
閨中 只だ是れ空しく相憶うも
- 閨中 … 妻の寝室を指す。閨は、婦人の部屋。寝室。南朝梁の武帝「夏歌四首」(其二)に「閨中 花繡するが如く、簾上 露珠の如し」(閨中花如繡、簾上露如珠)とある。ここの閨中は、婦人の部屋の前庭。ウィキソース「夏歌 (蕭衍)」参照。
- 只是 … 「ただこれ」と読み、「ただ~だけだ」と訳す。『近思録』に「人の学の進まざるは、只だ是れ勇ならざればなり」(人之學不進、只是不勇)とある。ウィキソース「近思錄/卷02」参照。
- 只 … 『才調集』では「占」に作る。
- 空相憶 … 私のことを空しく思ってくれているだろうが。「独曲」(近代呉歌九首其九、『玉台新詠』巻十)に「誰か能く空しく相憶いて、独り眠りて三陽を度らん」(誰能空相憶、獨眠度三陽)とある。ウィキソース「獨曲」参照。
- 相憶 … 『四部叢刊本』『唐五十家詩集本』『寛保刊本』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「思想」に作る。
- 相 … ここでは「互いに」という意味ではなく、動作に対象があることを示す接頭語。「(対象に)~する」「(対象を)~する」と訳す。
不見沙場愁殺人
沙場の人を愁殺するを見ず
- 沙場 … 砂漠。戦いの場としての砂漠。王巾の「頭陀寺碑文」(『文選』巻五十九)に「炎区は九訳し、沙場に一候あり」(炎區九譯、沙場一候)とある。炎区は、南方の国。九訳は、何回もの通訳をはさんで朝貢すること。九は、数の多い意。一候は、国境地帯を監視する官。「一候あり」とは、わずかな監視官で、広大な版図を平穏に保つこと。ウィキソース「頭陀寺碑文」参照。その張銑の注に「沙場は亦た辺方なり。一候は以て非常の事を伺候するなり。一候は言うこころは辺の患いを少なくするなり」(沙場亦邊方也。一候者以伺候非常之事也。一候者言少邊患也)とある。ウィキソース「六臣註文選 (四部叢刊本)/卷第五十九」参照。
- 愁殺 … ひどく悲しませる。深い愁いに沈ませる。殺は、程度の強いことを示す助字。「古詩十九首」第十四首(『文選』巻二十九)に「白楊悲風多く、蕭蕭として人を愁殺す」(白楊多悲風、蕭蕭愁殺人)とある。白楊は、ハコヤナギ。墓地に植える木。ウィキソース「去者日以疎」参照。
- 不見沙場愁殺人 … 砂漠というものが、これほどまで人を深い愁いに沈ませるさまは、お前の目には見えまい。戦場としての砂漠の凄惨な光景は想像もつくまい。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻二百一(排印本、中華書局、1960年)
- 『岑嘉州集』巻下([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
- 『岑嘉州集』巻八(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
- 『岑嘉州詩』巻七(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
- 『岑嘉州詩』巻八(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
- 『唐詩品彙』巻四十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩解』巻二十七(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『万首唐人絶句』七言・巻十八(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
- 『才調集』巻七(傅璇琮編撰『唐人選唐詩新編』、陝西人民教育出版社、1996年)
- 『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
- 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻七(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
- 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
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