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玉関寄長安李主簿(岑参)

玉關寄長安李主簿
ぎょくかんにてちょうあんしゅ簿
岑參しんじん
  • 七言絶句。餘・書・除(上平声魚韻)。
  • ウィキソース「玉關寄長安李主簿」参照。
  • 詩題 … 『四部叢刊本』『唐詩品彙』『万首唐人絶句』『才調集』『古今詩刪』では「玉關寄長安主簿」に作る。
  • 玉関 … 玉門関。漢代に建立された故関(古い関所)は甘粛省敦煌の西にあった。六朝期に200キロ東に移され、今の甘粛省瓜州県の東に置かれた。『元和郡県図志』隴右道下、沙州の条に「玉門の故関は、県の西北一百一十七里に在り」(玉門故關、在縣西北一百一十七里)とある。また瓜州の条に「玉門関は、県の東二十歩に在り」(玉門關、在縣東二十步)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷40」参照。ウィキペディア【玉門関】参照。
  • 李 … 作者の友人、李某。人物については不詳。
  • 主簿 … 官名。文書や帳簿を掌る。漢代以後、各官庁に置かれた。
  • 寄 … 詩を人に託して送り届けること。ちなみに「贈」は、詩を直接手渡すこと。
  • この詩は、作者が玉門関から長安の都にいる李主簿に寄せたもの。『岑嘉州詩箋注』(中華書局、2004年)の附録「岑参年譜」によると、天宝十四載(755)の作。
  • 岑参 … 715~770。盛唐の詩人。荊州江陵(現在の湖北省荊州市江陵県)の人。天宝三載(744)、進士に及第。西域の節度使の幕僚として長く辺境に勤務したのち、けつかく州長史(次官)・嘉州刺史などを歴任した。辺塞詩人として高適こうせきとともに「高岑」と並び称される。『岑嘉州集』七巻がある。ウィキペディア【岑参】参照。
東去長安萬里餘
ひがしのかたちょうあんってばん
  • 東 … 「ひがしのかた」と読み、「東に向かって」「東のほうで」「東の方角で」と訳す。
  • 東去 … 『唐百家詩選』では「去去」に作る。
  • 長安 … 唐の都。現在の陝西省西安市。当時、人口百万を超える大都市であった。『読史方輿紀要』陝西、長安県の条に「高帝(劉邦)の五年(前202)、長安県を置く、都をここに定む。恵帝の始め城を築く、今、県の西北に在り」(高帝五年置長安縣、定都於此。惠帝始築城、在今縣西北)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十三」参照。ウィキペディア【長安】参照。
  • 万里余 … 一万里以上も隔てた遠い所へ来た。初唐の上官婉児の楽府「綵書怨」に「葉 洞庭に下るの初め、君を思う 万里の余」(葉下洞庭初、思君萬里餘)とある。ウィキソース「綵書怨」参照。
故人那惜一行書
じんんぞしむ いちぎょうしょ
  • 故人 … 昔からの友人。旧友。李主簿を指す。南朝梁の呉均の詩「りゅううんあい贈答ぞうとうする六首」(其二、『玉台新詠』巻六)に「じんからず、しんむなしくなにかせん」(故人不可棄、新知空復何)とある。こちらの故人は、古女房の意。ウィキソース「與柳惲相贈答」参照。
  • 那 … 「なんぞ」と読み、「どうして~(する)のか」と訳す。疑問の意を示す。『全唐詩』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『四部叢刊本』『寛保刊本』『唐詩解』『万首唐人絶句』『才調集』『唐百家詩選』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「何」に作る。
  • 一行書 … 短い手紙。書は、手紙。南朝梁の何遜「主に従いて西州に移り、斎内に寓直して霖雨晴れず、郡中の遊聚を懐う」詩に「一行の書を寄せんと欲す。何ぞ三秋の意をかいせん」(欲寄一行書。何解三秋意)とある。三秋は、三度の秋。三年間。転じて三秋の意は、会いたいという感情を表す。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷093」参照。また杜甫の「こうさんじゅうせんに寄す」に「相看ればはんぴゃくを過ぐるに、一行の書を寄せず」(相看過半百、不寄一行書)とある。高は、高適。半百は、五十歳。ウィキソース「杜詩詳註 (四庫全書本)/卷06」参照。
玉關西望腸堪斷
ぎょくかん 西望せいぼうすればはらわたつにえたり
  • 玉関西望 … ここ玉門関から西の方を眺めれば。
  • 腸堪断 … はらわたがちぎれる思い。非常に悲しいさま。後漢の蔡琰さいえんの楽府「胡笳十八拍」(『楽府詩集』巻五十九、『楚辞後語』巻三)の第五拍に「かり飛ぶこと高く、はるかにして尋ね難し、空しくはらわたを断ちて思い愔愔あんあんたり」(雁飛高兮邈難尋、空斷腸兮思愔愔)とある。ウィキソース「胡笳十八拍」「樂府詩集/059卷」「楚辭集注 (四庫全書本)/後語卷3」参照。また、劉宋の謝霊運「道路にて山中をおもう」詩(『文選』巻二十六)に「ひとは心はむかし絶え、越客えつかくはらわたは今断ゆ」(楚人心昔絕、越客腸今斷)とある。ウィキソース「昭明文選/卷26」参照。『全唐詩』『四部叢刊本』『前唐十二家詩本』『唐五十家詩集本』『寛保刊本』『唐詩解』『岑嘉州詩箋注』『岑参詩集編年箋注』では「堪腸斷」に作る。
  • 堪 … ~することができる。~に値する。十分である。『韓非子』難三篇に「きみの悪を除くに、惟だ堪えざらんことを恐る」(除君之惡、惟恐不堪)とある。ウィキソース「韓非子/難三」参照。
況復明朝是歲除
いわんや明朝みょうちょう歳除さいじょなるをや
  • 況復 … そのうえに。まして。さらに加えて。復は、ここでは「況」を強調する助字。
  • 明朝 … ここでは明日の朝ではなく、明日の意。現代中国語の「明天」と同じ。
  • 歳除 … 大晦日。一年の最後の日。旧い歳を除き去るの意。大晦日の前日、疫鬼を追い払う儀式を行う。『詩経』唐風・しっしゅつの詩に「蟋蟀堂に在り、としここに其れれん。今我楽しまずんば、日月じつげつ其れらん」(蟋蟀在堂、歲聿其莫。今我不樂、日月其除)とある。蟋蟀は、コオロギ。ウィキソース「詩經/蟋蟀」参照。また『夢渓筆談』弁証篇に「じょは猶おのごとし。新を以て旧にうを除と曰う。新旧の歳の交わりを之れ歳除さいじょと謂うが如し」(除猶易也。以新易舊曰除。如新舊歲之交謂之歲除)とある。ウィキソース「夢溪筆談/卷04」参照。また『呂氏春秋』季冬紀、季冬篇に「ゆうに命じて、大いにあまねたくし、ぎゅういだして、以てかんを送る」(命有司、大儺旁磔、出土牛、以送寒氣)とあり、その高誘の注に「たいは、陰気を逐い尽くしようを為してみちびくなり。今人こんじん臘歳ろうさいまえの一日、つづみを撃ちえきを駆る、之を逐除ちくじょと謂うは、是れなり」(大儺、逐盡陰氣爲陽導也。今人臘嵗前一日擊皷驅疫、謂之逐除、是也)とある。大儺は、疫鬼を追い払う儀式。「たいな」とも読む。ウィキソース「呂氏春秋 (四部叢刊本)/卷第十二」参照。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百一(排印本、中華書局、1960年)
  • 『岑嘉州集』巻下([明]許自昌編、『前唐十二家詩』所収、万暦三十一年刊、内閣文庫蔵)
  • 『岑嘉州集』巻八(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『岑嘉州詩』巻七(『四部叢刊 初篇集部』所収、第二次影印本、蕭山朱氏蔵明正徳刊本)
  • 『岑嘉州詩』巻八(寛保元年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩5』所収、汲古書院、略称:寛保刊本)
  • 『唐詩品彙』巻四十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩解』巻二十七(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『万首唐人絶句』七言・巻十八(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『才調集』巻七(傅璇琮編撰『唐人選唐詩新編』、陝西人民教育出版社、1996年)
  • 『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 『唐百家詩選』巻三([北宋]王安石編、世界書局、1979年)
  • 廖立箋注『岑嘉州詩箋注』巻七(中国古典文学基本叢書、中華書局、2004年)
  • 劉開揚箋注『岑参詩集編年箋注』(巴蜀書社、1995年)
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