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江行無題(銭起)

江行無題
江行(こうこう)無(む)題(だい)
銭(せん)起(き)
  • ウィキソース「江行無題」参照。
  • この詩は、作者が漢水から長江を下り、江南に赴く途中の景色や心に感じたことを詠んだもの。一説に、この詩の作者を晩唐の銭(せん)珝(く)(銭起の曾孫)とし、光化三年(900)、銭珝が撫州(現在の江西省撫州市一帯)司馬(司馬は、政治犯に与えられる名目上の官名)に流(る)謫(たく)されることとなった折に詠んだものとする。この説について、傅(ふ)璇琮(せんそう)氏は『唐代詩人叢考』(中華書局)の中で銭珝の作と断定しているが、田部井文雄氏は『中国自然詩の系譜』(大修館書店)の中でこれに疑念を呈している。銭珝については、ウィキペディア【钱珝】(中文)参照。
  • 詩題 … 江行は、長江を下ること。一百首連作のうちの第六十九首。一定の題を付けにくいので「無題」としたもの。『全唐詩』巻二百三十九(銭起作)では「江行無題一百首其六十九」に作り、題下に「一作銭珝詩」と注する。『全唐詩』巻七百十二では銭珝作として重出。ウィキソース「全唐詩/卷712」参照。『万首唐人絶句』では「江行無題一百首其六十九」に作る。『四部叢刊本』『唐五十家詩集本』では「江行無題一百首其六十八」に作る。『唐詩品彙』では「江行無題二十首其十六」に作り、題下に「元は一百首、今二十首を録す」(元一百首、今録二十首)と注する。『唐詩解』では「江行無題五首其四」に作る。
  • 銭起 … 710?~780?。中唐の詩人。呉興(浙江省呉興区)の人。字(あざな)は仲文。天宝十載(751)、進士に及第。校書郎から藍田県(陝西省藍田県)の県尉を経て、考功郎中に進み、太清宮使・翰林学士に至った。大暦十才子の一人。郎士元とともに「銭郎」と称された。『銭考功集』十巻がある。ウィキペディア【銭起】参照。
咫尺愁風雨
咫(し)尺(せき) 風(ふう)雨(う)を愁(うれ)う
  • 咫尺 … ごく近い距離。すぐそばまで近づくこと。咫は、周代の小尺における長さの単位。一咫は大尺の約八寸に当たり、約十八センチメートル。小尺は、女子の指十本の幅を基準にした尺度。大尺は、男子の指十本の幅を基準にした尺度で、その一尺は二二・五センチメートル。『説文解字』巻八下、尺部に「尺は、十寸なり。人の手より十分を却(しりぞ)くるの動脈を寸口と為す。十寸を尺と為す。尺は、指にて尺し規榘(きく)する所以の事なり。尸(し)に従い乙(いつ)に従う。乙は識(しる)す所なり。周の制に、寸・尺・咫・尋・常・仞の諸〻の度量は、皆な人の体を以て法と為す。凡そ尺の属は皆な尺に従う。咫は、中婦人の手の長さ八寸、之を咫と謂う。周尺なり。尺に従う、只の声」(尺、十寸也。人手卻十分動脈爲寸口。十寸爲尺。尺、所以指尺䂓榘事也。从尸从乙。乙所識也。周制、寸、尺、咫、尋、常、仞諸度量、皆以人之體爲法。凡尺之屬皆从尺。咫、中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也。从尺只聲)とある。規榘は、ものさし。ウィキソース「說文解字/08」参照。また『春秋左氏伝』僖公九年に「天(てん)威(い)顔(かんばせ)を違(さ)ること咫尺ならず」(天威不違顏咫尺)とある。天威は、天子の威光。顔は、ここでは額(ひたい)。違(さ)るとは、隔たること。ウィキソース「春秋左氏傳/僖公」参照。また、盛唐の杜甫の詩「渼陂(びひ)行(こう)」(『全唐詩』巻二百十六)に「咫尺但だ愁う雷雨の至るを、蒼茫(そうぼう)として暁(さと)らず神霊の意」(咫尺但愁雷雨至、蒼茫不曉神靈意)とある。渼陂は、陝西省西安市鄠(こ)邑(ゆう)区の澇(ろう)河(が)西岸に位置する湖。行は、歌の意。蒼茫は、どこまでも青々と広がっている様子。ウィキソース「全唐詩/卷216」参照。
  • 愁風雨 … 雨風(あめかぜ)が吹き荒れているのは嘆かわしい。または、雨風が吹き荒れそうなので心配だ。『詩経』鄭風・風雨に「風雨淒淒(せいせい)たり、鶏鳴(けいめい)喈喈(かいかい)たり」(風雨淒淒、雞鳴喈喈)とある。淒は、凄に同じ。ウィキソース「詩經/風雨」参照。
匡廬不可登
匡(きょう)廬(ろ) 登(のぼ)る可(べ)からず
  • 匡廬 … 廬山の別名。江西省九江市の南方にある名山。ウィキペディア【廬山】参照。昔、匡(きょう)俗(ぞく)という隠者が住んでいたことからいう。『後漢書』郡国志、揚州、廬江郡の劉昭注に「釈慧遠の廬山記略に曰く、(廬)山は尋陽の南に在り、南のかた宮亭湖に浜(ひん)し、北のかた小江に対し、(廬)山は小江を去ること三十余里なり。匡俗先生なる者有り、殷周の際に出で、隠遯(いんとん)して其の下に潜居し、道を仙人に受けて嶺と共にす。時に止まる所を謂いて仙人の廬と為して焉(これ)を命(なづ)く、と」(釋慧遠廬山記略曰、山在尋陽南、南濱宮亭湖、北對小江、山去小江三十餘里。有匡俗先生者、出殷周之際、隱遯潛居其下、受道於仙人而共嶺。時謂所止爲仙人之廬而命焉)とある。浜すとは、水際に沿うこと。ウィキソース「後漢書/卷112」参照。
  • 不可登 … (風雨のために)登ることができない。三国魏の陳琳「曹洪(そうこう)の為に魏の文帝に与うるの書」(『文選』巻四十一)に「且つ夫れ墨子の守りは、帯を縈(めぐ)らして垣(かき)と為せば、高くして登る可からず、箸を折りて械(かい)と為せば、堅くして入る可からず」(且夫墨子之守、縈帶爲垣、高不可登、折箸爲械、堅不可入)とある。垣は、垣根。械は、武器。ウィキソース「為曹洪與魏文帝書」参照。
祗疑雲霧窟
祗(た)だ疑(うたが)う 雲(うん)霧(む)の窟(くつ)
  • 祗疑 … ただ疑うには。祗は、ただ。只に同じ。疑は、こうではないかと思案するさま。北周の庾信の楽府「舞媚(ぶび)娘(じょう)」(『古詩紀』巻一百二十四)に「祗だ疑う 落花のごとく謾(みだ)りに去るを、復た道(い)う 春風の還らざるを」(祗疑落花謾去、復道春風不還)とある。謾りに去るとは、人の気持ちも考えずに勝手に去っていくこと。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷124」参照。
  • 雲霧窟 … 雲や霧の湧き起こる岩穴。雲や霧が立ち込めている洞窟。窟は、丸く掘り開けた所。岩屋。洞窟。『楚辞』哀時命に「雲霧に浮んで冥(めい)に入り、白鹿(はくろく)に騎(の)りて容(よう)与(よ)す」(浮雲霧而入冥兮、騎白鹿而容與)とある。容与は、遊び戯れること。ウィキソース「楚辭/哀時命」参照。また、後漢の班彪「北征の賦」(『文選』巻九)に「雲霧の杳杳(ようよう)たるを飛ばし、積雪の皚皚(がいがい)たるに渉る」(飛雲霧之杳杳、渉積雪之皚皚)とある。杳杳は、暗く立ち込めるさま。皚皚は、白く輝く様子。ウィキソース「北征賦」参照。また、三国魏の曹植の楽府「飛竜篇」(『楽府詩集』巻六十四)に「晨(あした) 泰山に遊べば、雲霧 窈(よう)窕(ちょう)たり」(晨遊泰山、雲霧窈窕)とある。窈窕は、奥深く立ち込めるさま。ウィキソース「樂府詩集/064卷」参照。
  • 雲 … 『全唐詩』巻二百三十九(銭起作)、および巻七百十二(銭珝作)には、ともに「一作香」と注する。『四部叢刊本』『唐五十家詩集本』では「香」に作る。
  • 窟 … 『唐詩別裁集』では「裏」に作る。
猶有六朝僧
猶(な)お六(りく)朝(ちょう)の僧(そう)有(あ)らんかと
  • 六朝僧 … 六朝の名僧たち。六朝は、現在の江蘇省南京市(当時、呉では建業、以後は建康といった)を都とした六つの王朝、呉・東晋・宋・斉・梁・陳をいう。僧とは、浄土教の祖とされる慧(え)遠(おん)(334~416)を初め、支(し)遁(とん)(314~366)などの高僧を指す。特に慧遠は、廬山の東林寺に住み、白蓮社という念仏結社を組織して念仏を修行した。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 登・僧(下平声蒸韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百三十九(排印本、中華書局、1960年)※作者:銭起
  • 『全唐詩』巻七百十二(排印本、中華書局、1960年)※作者:銭珝
  • 『銭考功集』巻九(『四部叢刊 初編集部』所収)
  • 『銭考功集』巻九(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻六(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『唐詩解』巻二十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻四十一([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻十九([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
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