三日尋李九荘(常建)
三日尋李九莊
三日、李九の荘を尋ぬ
三日、李九の荘を尋ぬ
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻七、『全唐詩』巻一百四十四、『常建集』巻下(『唐五十家詩集』所収)、『万首唐人絶句』七言・巻六十七(明嘉靖刊本影印、文学古籍刊行社、1955年)、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十二(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『唐詩品彙』巻四十八、『唐詩別裁集』巻十九、他
- 七言絶句。頭・舟・流(平声庚韻)。
- ウィキソース「三日尋李九莊」参照。
- 三日 … 陰暦三月三日、上巳の節句のこと。上巳とは、陰暦三月の初めの巳の日。この日、川のほとりで禊をして一年の穢れを祓う風習があった。魏以後、三月三日と定めた。ウィキペディア【上巳】参照。
- 李九 … 作者の友人。九は排行。人物については不明。
- 荘 … 別荘。
- この詩は、三月三日すなわち上巳の節句に、友人の李九の別荘を訪れたときの作。
- 常建 … 生没年不詳。盛唐の詩人。長安(陝西省)の人といわれてきたが、はっきりしない。字は不詳。開元十五年(727)、王昌齢らとともに進士に及第。盱眙(江蘇省)の尉をつとめた。晩年は鄂渚(湖北省)に隠棲して王昌齢・張僨らと交際した。著に『常建詩集』二巻がある。ウィキペディア【常建】参照。
雨歇楊林東渡頭
雨は歇む 楊林 東渡の頭
- 雨歇 … 雨が止んだ。雨が上がった。庾信の「周大將軍司馬裔碑」に「烟冰井に沈み、雨雲門に歇む」(烟沉冰井、雨歇雲門)とある。ウィキソース「文苑英華 (四庫全書本)/卷0904」参照。
- 楊林 … 渡し場の名。楊林渡。安徽省和県の東にある。『通鑑地理通釈』巻十三、采石の条に「西采石の楊林渡」(西采石楊林渡)とある。采石は采石磯といい、長江に突き出た断崖。安徽省当塗県の西北にある。古くは牛渚磯とも呼んだ。ウィキソース「通鑑地理通釋 (四庫全書本)/卷13」参照。
- 東渡頭 … 東の渡し場のほとり。
永和三日盪輕舟
永和三日 軽舟を盪かす
- 永和三日 … 永和九年(353)三月三日、王羲之が会稽郡の山陰県(今の浙江省紹興市柯橋区)の蘭亭に四十一名の名士や親戚を集めて修禊(みそぎ)をし、流觴曲水(曲がりくねった流れに杯を浮かべ、その杯が自分の前に流れて来るまでに詩を作る遊びのこと)の遊びをした故事を踏まえる。ウィキペディア【蘭亭序】参照。王羲之「蘭亭集序」に「永和九年、歳癸丑に在り。暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す。禊事を脩むるなり。群賢畢く至り、少長咸集まる。此の地に崇山峻嶺、茂林脩竹有り。又清流激湍有りて、左右に暎帯す。引いて以て流觴の曲水と為し、其の次に列坐す。糸竹管弦の盛無しと雖も、一觴一詠、亦た以て幽情を暢叙するに足れり。是の日や、天朗らかに気清く、恵風和暢せり。仰いで宇宙の大を観、俯して品類の盛んなるを察す。目を遊ばしめ懐いも騁する所以、以て視聴の娛みを極むるに足れり。信に楽しむ可きなり」(永和九年、歳在癸丑。暮春之初、會于會稽山陰之蘭亭。脩禊事也。羣賢畢至、少長咸集。此地有崇山峻領、茂林脩竹。又有淸流激湍、暎帶左右。引以爲流觴曲水、列坐其次。雖無絲竹管弦之盛、一觴一詠、亦足以暢敘幽情。是日也、天朗氣淸、惠風和暢。仰觀宇宙之大、俯察品類之盛。所以遊目騁懷、足以極視聽之娛。信可樂也)とある。ウィキソース「蘭亭集序」参照。
- 軽舟 … 舟足の速い小舟。舟足の軽やかな小舟。
- 盪 … 舟を漕ぎ動かして進んでゆくこと。
故人家在桃花岸
故人 家は桃花の岸に在り
- 故人 … 古くからの友人。旧友。死んだ人のことではない。李九を指す。
- 桃花岸 … 桃の花咲く岸辺。
- 岸 … 『万首唐人絶句』(万暦刊本)では「㟁」に作る。異体字。
直到門前溪水流
直ちに到る 門前 渓水の流れ
- 直到 … まっすぐに行き着いた。
- 門前渓水流 … 李九の家の門前を流れる渓流に沿って。
- 溪 … 『唐詩品彙』では「谿」に作る。同義。
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