過乗如禅師蕭居士嵩丘蘭若(王維)
過乘如禪師蕭居士嵩丘蘭若
乗如禅師・蕭居士の嵩丘の蘭若に過る
乗如禅師・蕭居士の嵩丘の蘭若に過る
- 七言律詩。晴・聲・平・生(下平声庚韻)。
- ウィキソース「過乘如禪師蕭居士嵩丘蘭若」参照。
- 乗如 … 「蕭和尚霊塔銘」によれば、乗如は、号は乗如、姓は蕭、梁の武帝の六代の孫であるという。内田誠一「『蕭和尙靈塔銘』の碑文について」
参照。
- 禅師 … 徳の高い禅宗の僧の尊称。
- 蕭居士 … 「蕭和尚霊塔銘」によれば、乗如禅師の兄、蕭時護を指す。居士は、出家せずに仏道を修行する人。
- 嵩丘 … 嵩山。河南省の洛陽の東にある名山。中国五岳のうちの中岳。峻極峰を中央に、東を太室、西を少室と呼ぶ。ウィキペディア【嵩山】参照。『爾雅』釈山篇に「泰山を東岳と為し、華山を西岳と為し、霍山を南岳と為し、恒山を北岳と為し、嵩高を中岳と為す」(泰山爲東嶽、華山爲西嶽、霍山爲南嶽、恆山爲北嶽、嵩髙爲中嶽)とある。嵩高は、嵩山に同じ。ウィキソース「爾雅」参照。
- 蘭若 … 仏教寺院のこと。梵語アーラニャの音訳。「阿蘭若」の略。ここでは、嵩山南麓にある嵩岳寺を指す。『釈氏要覧』住処の条に「蘭若は、梵には阿蘭若と云う。或いは阿練若と云う。唐には無諍と言う。四分律には空静処と云う。薩娑多論には閑静処と云う」(蘭若、梵云阿蘭若。或云阿練若。唐言無諍。四分律云空靜處。薩娑多論云閑靜處)とある。『釈氏要覧』巻上(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 過 … 「よぎる」と読む。立ち寄る。『史記』田叔伝に「会〻賢大夫少府趙禹来りて衛将軍に過る」(會賢大夫少府趙禹來過衛將軍)とある。ウィキソース「史記/卷104」参照。
- 王維 … 699?~761。盛唐の詩人、画家。太原(山西省)の人。字は摩詰。開元七年(719)、進士に及第。安禄山の乱で捕らえられたが事なきを得、乱後は粛宗に用いられて尚書右丞(書記官長)まで進んだので、王右丞とも呼ばれる。また、仏教に帰依したため、詩仏と称される。『王右丞文集』十巻がある。ウィキペディア【王維】参照。
無著天親弟與兄
無著 天親 弟と兄と
- 無著 … インドの僧。梵名アサンガ。天親(世親)の兄。唯識思想を大成した。ウィキペディア【無著】参照。『大唐西域記』巻五、阿踰陀国に「無著菩薩は健馱邏国の人なり。仏の世を去りたる後一千年中に誕霊利見せり。風を承けて道を悟り、彌沙塞部に従って出家す。修学すること之を頃くして信を大乗に迴らせり」(無著菩薩健馱邏國人也。佛去世後一千年中誕靈利見。承風悟道、從彌沙塞部出家。修學頃之迴信大乘)とある。ウィキソース「大唐西域記/05」参照。
- 天親 … インドの僧。梵名バスバンドゥ。無著の弟。天親は、旧訳(唐の玄奘以前に漢訳されたもの)の読み方。新訳では世親。唯識思想を大成した。『阿毘達磨倶舎論』『唯識二十論』『唯識三十頌』など著作多数。ウィキペディア【世親】参照。『大唐西域記』巻五、阿踰陀国に「其の弟世親菩薩は説一切有部に於いて出家して業を受けたり。博聞・強識にして、学に達し機を研く」(其弟世親菩薩於說一切有部出家受業。博聞強識、達學研機)とある。ウィキソース「大唐西域記/05」参照。
- 弟与兄 … (無著と天親の兄弟にも比すべき)乗如禅師と、その兄蕭居士。西晋の陸機「承明に於いて作り、士龍に与う」詩(『文選』巻二十四)に「飲餞するは豈に異族ならんや、親戚なる弟と兄となり」(飮餞豈異族、親戚弟與兄)とある。士龍は、陸機の弟陸雲の字。ウィキソース「於承明作與士龍」参照。
嵩丘蘭若一峯晴
嵩丘の蘭若 一峰晴る
- 一峰 … 一つの峰。陳の後主「上巳、麗暉殿に宴し、各〻一字十韻を賦す」詩に「一峰 遥かに日落ち、数花 飛んで綬を映ず」(一峯遙落日、數花飛映綬)とある。上巳は、陰暦三月三日。ウィキソース「陳後主集」参照。
- 晴 … 晴れ渡る。
食隨鳴磬巢烏下
食は鳴磬に随いて巣烏下り
行踏空林落葉聲
行は空林を踏みて落葉声あり
- 行 … 「ゆくゆく」と読んでもよい。戸外を歩けば。
- 空林 … 人気のない林。『大宝積経』巻第一百六、阿闍世王子会第三十七に「四十二億歳に於いて、空林中に在りて常に梵行を修す」(於四十二億歲、在空林中常修梵行)とある。CBETA 電子佛典「T0310 大寶積經卷/篇章 一百零六」参照。
- 落葉声 … 落ち葉がカサコソと音を立てる。東晋の陶淵明「雑詩」(十二首其七)に「寒風 枯条を払い、落葉 長陌を掩う」(寒風拂枯條、落葉掩長陌)とある。枯条は、枯れ枝。長陌は、長いあぜ道。ウィキソース「雜詩 (陶淵明)」参照。
迸水定侵香案濕
迸水は定めて香案を侵して湿い
- 迸水 … ほとばしり出る水。ぼろぼろの衣服を着た婦人(実は神)を衆僧が追い払い、婦人は怒って嵩岳寺の泉を涸らした。稠和尚が婦人をなだめ、再び泉の水が湧き出たという故事を踏まえる。『法苑珠林』に「僧百人有りて、泉水纔かに足る。忽ち婦人の弊衣にして箒を挟み、却た階上に坐りて、僧の誦経を聴くを見る。衆、神たるを測わざるや、便ち訶りて之を遣る。婦、慍む色有り。足を以て泉を蹋むに、立ちどころに竭き、身も亦た現わさず。衆以て稠に告ぐ。稠、優婆夷を呼ぶ。三たび呼ぶに乃ち出づ。便ち神に謂いて曰く、衆僧、道を行うに、宜しく擁護を加うべし、と。婦人足を以て故の泉を撥ねるに、水即ち上り涌く」(僧有百人、泉水纔足。忽見婦人弊衣挾箒、却坐階上、聽僧誦經。衆不測爲神也、便訶遣之。婦有慍色。以足蹋泉、立竭、身亦不現。衆以告稠。稠呼優婆夷。三呼乃出。便謂神曰、衆僧行道、宜加擁護。婦人以足撥於故泉、水即上涌)とある。CBETA 電子佛典「T2122 法苑珠林卷/篇章 八十四」参照。また、東晋の名僧慧遠が廬山に寺を建てようとし、弟子たちと山中の谷間に休んで、「ここに寺を建てたら、地中から泉が湧くであろう」と言い、杖で地中を掘ると、清らかな泉が湧き出たという故事も踏まえる。南朝梁の慧皎『高僧伝』巻六、慧遠伝に「遠是に於いて弟子数十人と与に、南して荊州に適き、上明寺に住す。後、羅浮山に往かんと欲し、潯陽に届るに及んで、廬峰の清静にして、以て心を息わしむに足るを見て、始めて龍泉精舎に住す。此処、水を去ること大だ遠し。遠乃ち杖を以て地を扣きて曰く、若し此の中に棲立するを得可くんば、当に朽壌をして泉を抽かしむべし、と。言い畢るや清流涌出して、後卒に渓を成す」(遠於是與弟子數十人、南適荊州、住上明寺。後欲往羅浮山、及屆潯陽、見廬峰清靜、足以息心、始住龍泉精舍。此處去水大遠。遠乃以杖扣地曰、若此中可得棲立、當使朽壤抽泉。言畢清流涌出、後卒成溪)とある。CBETA 電子佛典「T2059 高僧傳卷/篇章 六」参照。
- 迸 … 『蜀刊本』では「陁」に作る。
- 香案 … 香炉を載せておく机。香机とも。『法苑珠林』に「澄、縄牀に坐り、安息香を焼き、呪願すること数百言。此の如くして三日、水忽然として微かに流る」(澄坐繩牀、燒安息香、呪願數百言。如此三日、水忽然微流)とある。CBETA 電子佛典「T2122 法苑珠林卷/篇章 六十一」参照。また『新唐書』儀衛志上に「朝日、殿上に黼扆・躡席・熏炉・香案を設く」(朝日、殿上設黼扆躡席熏爐香案)とある。黼扆は、黒と白に塗り分けた斧の形を描いた屏風。天子が諸侯の拝謁を受けるとき、後ろに立てた。熏炉は、香炉。ウィキソース「新唐書/卷023上」参照。
- 侵 … 底本では「浸」に作るが、改めた。
- 湿 … ここでは、ほとばしり出る水によって香炉を載せた机のあたりまでが、しぶきで濡れること。
雨花應共石牀平
雨花は応に石牀と共に平らかなるべし
- 雨花 … 雨のように降る天上の花。『六朝事迹編類』雨花台の条に「梁の武帝の時、雲光法師有りて、経を此に講ずるに、天雨花を賜い、天厨食を献ずるを感得す」(梁武帝時、有雲光法師、講經于此、感得天雨賜花、天厨獻食)とある。ウィキソース「六朝事迹編類」参照。また、釈尊が教えを説き終わると、天から曼陀羅華や曼殊沙華などの天花が降り注いだという。『妙法蓮華経』序品第一に「爾の時に世尊、四衆に囲繞せられ、供養、恭敬、尊重、讃歎せられて、諸〻の菩薩の為に大乗経の、無量義、教菩薩法、仏所護念と名づくるを説きたまう。仏、此の経を説き已って、結跏趺坐し、無量義処三昧に入って、身心動じたまわず。是の時に天より曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華を雨らして、仏の上、及び諸〻の大衆に散じ、普仏世界、六種に震動す」(爾時世尊、四眾圍繞、供養、恭敬、尊重、讚歎、爲諸菩薩說大乘經、名無量義、教菩薩法、佛所護念。佛說此經已、結跏趺坐、入於無量義處三昧、身心不動。是時天雨曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華、而散佛上、及諸大眾、普佛世界、六種震動)とある。ウィキソース「妙法蓮華經/01」参照。また、維摩居士が方丈の室で説法をすると、天女が天花を降り散らしたという。『維摩経』観衆生品第七に「時に維摩詰の室に一天女有り、諸〻の天人を見、説法する所を聞き、便ち其の身を現じて、即ち天華を以て諸〻の菩薩と大弟子との上に散ず」(時維摩詰室有一天女、見諸天人聞所説法、便現其身、即以天華散諸菩薩大弟子上)とある。ウィキソース「維摩詰所說經/07」参照。
- 石牀 … 自然にできた石の寝台。ここでは、仏道寺院における坐禅用の石。『寒山詩』に「石床 孤り夜坐し、円月 寒山に上る」(石床孤夜坐、圓月上寒山)とある。ウィキソース「全唐詩/卷806」参照。また、石の寝台の例としては、『西京雑記』巻六に「魏の襄王の冢は、皆文石を以て槨を為る。高さ八尺許にして、広狭四十人を容る。手を以て槨を捫るや、滑液として新しきが如し。中に石牀、石屏風有りて、宛然周正たり。……魏王の子且渠の冢は、甚だ浅狭にして、棺柩無し。但だ石牀の広さ六尺長さ一丈なるもの、石屏風有るのみ。牀下悉く是れ雲母なり。牀上に両屍あり。一は男、一は女、皆に年二十許にして、倶に東首して裸臥す」(魏襄王冢、皆以文石爲槨。高八尺許、廣狹容四十人。以手捫槨、滑液如新。中有石牀、石屛風、宛然周正。……魏王子且渠冢、甚淺狹、無棺柩。但有石牀廣六尺長一丈、石屛風。牀下悉是雲母。牀上兩屍。一男、一女、皆年二十許、俱東首裸臥)とある。冢は、土を大きく盛った墓。文石は、文様のある美しい石。槨は、外棺。ウィキソース「西京雜記/卷六」参照。
- 牀 … 『蜀刊本』では「林」に作る。
- 共~平 … (天花が石の寝台と)同じ高さまで降り積もることだろう。
深洞長松何所有
深洞 長松 何の有る所ぞ
- 深洞 … 深い洞穴。
- 長松 … 高い松。西晋の劉琨「扶風の歌」(『文選』巻二十八、『樂府詩集』巻八十四)に「馬を長松の下に繫ぎ、鞍を高岳の頭に発く」(繫馬長松下、發鞍高岳頭)とある。ウィキソース「扶風歌」参照。
- 何所有 … その下に何があるか。古楽府「隴西行」(『玉台新詠』巻一)に「天上何の有る所ぞ、歴歴として白楡を種う」(天上何所有、歴歴種白楡)とある。白楡は、星の名。楡の木に因んで「種える」といったもの。ウィキソース「隴西行 (天上何所有)」参照。
儼然天竺古先生
儼然たる天竺の古先生
- 儼然 … ここでは「さながら、そっくり」の意。「おごそかな」「いかめしい」の意ではない。
- 天竺古先生 … 老子のこと。老子は、インドに渡って仏となり、古先生と号したという。『西昇経』西升章に「老君西昇し、道を竺乾に開き、古先生と号す」(老君西昇、開道竺乾、號古先生)とある。竺乾は、天竺の別称。ウィキソース「西昇經」参照。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻五(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻一百二十八(中華書局、1960年)
- 『王右丞文集』巻四(静嘉堂文庫蔵、略称:静嘉堂本)
- 『王摩詰文集』巻六(宋蜀刻本唐人集叢刊、上海古籍出版社、1982年、略称:蜀刊本)
- 『須渓先生校本唐王右丞集』巻四(『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:四部叢刊本)
- 顧起経注『類箋唐王右丞詩集』巻八(台湾学生書局、1970年、略称:顧起経注本)
- 顧可久注『唐王右丞詩集』巻四(『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、略称:顧可久注本)
- 趙殿成注『王右丞集箋注』巻十(中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1998年、略称:趙注本)
- 『唐詩品彙』巻八十三([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩解』巻四十二(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『古今詩刪』巻十六(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収)
- 陳鐵民校注『王維集校注(修訂本)』巻二(中国古典文学基本叢書、中華書局、2018年)
- 内田誠一(2006)「『蕭和尙靈塔銘』の碑文について―王維・王縉兄弟との交流を物語る石刻資料の復元」『日本中國學會報』58
- 内田誠一(2006)「王維の乘如禪師に寄せた詩とその邊(上)」『中國詩文論叢』25
- 内田誠一(2007)「王維の乘如禪師に寄せた詩とその邊(中)」『中國詩文論叢』26
- 内田誠一(2008)「王維の乘如禪師に寄せた詩とその邊(下)」『中國詩文論叢』27
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