登弁覚寺(王維)
登辨覺寺
弁覚寺に登る
弁覚寺に登る
竹逕從初地
竹逕 初地従りし
- 竹徑 … 竹林の中の小道。南朝陳の徐陵「山斎」詩に「竹径 蒙籠巧みに、茅斎 結構新たなり」(竹徑蒙籠巧、茅齋結構新)とある。蒙籠は、さかんに繁茂して覆い隠すこと。茅斎は、茅葺きの書斎。結構は、家屋の組み立て。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷110」参照。
- 逕 … 『顧起経注本』『趙注本』『全唐詩』『古今詩刪』では「徑」に作る。同義。
- 初地 … 仏教の修行を十段階に分け、その最初の段階。菩薩の十地の第一。歓喜地(さとりの境地にわずかに到達した喜びの位)ともいう。ここでは、寺の登り口と仏教の悟りの入り口とをかけたもの。『華厳経』十地品に「何等をか十と為す。一は歓喜地、二は離垢地、三は発光地、四は焰慧地、五は難勝地、六は現前地、七は遠行地、八は不動地、九は善慧地、十は法雲地。仏子、此の菩薩十地は、三世の諸仏已説し、当説し、今説せり」(何等爲十。一者歡喜地、二者離垢地、三者發光地、四者焰慧地、五者難勝地、六者現前地、七者遠行地、八者不動地、九者善慧地、十者法雲地。佛子、此菩薩十地、三世諸佛已說、當說、今說)とある。ウィキソース「大方廣佛華嚴經八十卷/34」参照。また『仏説観無量寿経』に「十小劫を経て、百法明門を具し、初地に入ることを得」(經十小劫、具百法明門、得入初地)とある。ウィキソース「觀無量壽經」参照。
- 從 … 『顧起経注本』『全唐詩』には「一作連」とある。『文苑英華』では「連」に作り、「集作從」とある。『瀛奎律髄』では「連」に作る。
蓮峰出化城
蓮峰 化城を出す
- 蓮峰 … 頂上が蓮華の形をしている山々の峰。南朝陳の釈恵標の詩「詠山三首」(其一)に「霧捲きて蓮峰出で、嵓開きて石鏡明らかなり」(霧捲蓮峯出、嵓開石鏡明)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷117」参照。また『太平御覧』百卉部、芙蕖の条に「華山記に曰く、山頂に池有り、池中に千葉の蓮華を生ず、之を服すれば羽化す、因りて華山と名づく、と」(華山記曰、山頂有池、池中生千葉蓮華、服之羽化、因名華山)とある。ウィキソース「太平御覽/0999」参照。
- 峰 … 底本および『静嘉堂本』『蜀刊本』『四部叢刊本』『顧起経注本』『全唐詩』『唐詩品彙』『文苑英華』『古今詩刪』『瀛奎律髄』では「峯」に作る。異体字。
- 化城 … 仮に作られた幻の都城。衆生が険しい道で疲れ、前に進めなくなったとき、仏が方便によって幻の城を出現させ、衆生に元気を取り戻させて前進できるようにするという。ここでは弁覚寺を指す。『法華経』化城喩品に「導師諸〻の方便多くして、是の念を作さく、此れ等愍れむ可し。云何ぞ大珍宝を捨てて、而も退き還らんと欲するや。是の念を作し已って、方便力を以て、険道の中に於いて、三百由旬を過ぎ、一城を化作す。衆人に告げて言わく、汝等怖るること勿かれ、退き還ることを得ること莫かれ。今此の大城、中に於いて止まって、意の所作に随う可し。若し是の城に入りなば、快く安穏なることを得ん。若し能く前んで宝所に至らば、亦た去ることを得可し」(導師多諸方便、而作是念、此等可愍、云何捨大珍寶、而欲退還。作是念已、以方便力、於險道中、過三百由旬、化作一城。告眾人言、汝等勿怖、莫得退還。今此大城、可於中止、隨意所作、若入是城、快得安隱。若能前至寶所、亦可得去)とある。ウィキソース「妙法蓮華經/07」参照。
窻中三楚盡
窓中 三楚尽き
- 窓中 … 窓の中。南朝斉の謝朓「郡内の高斎に閑坐す。呂法曹に答う」詩(『文選』巻二十六)に「窓中 遠岫を列ね、庭際 喬林に俯す」(牕中列遠岫、庭際俯喬林)とある。高斎は、高楼にある書斎。遠岫は、はるか遠くの山。ウィキソース「昭明文選/卷26」参照。
- 窻 … 『蜀刊本』『趙注本』『全唐詩』『唐詩別裁集』『瀛奎律髄』では「窗」に作る。『顧起経注本』『唐詩解』では「牕」に作る。『唐詩品彙』では「牎」に作る。いずれも「窓」の異体字。
- 三楚 … 楚の地は西楚・東楚・南楚の三つに区分されるので、それを合わせた全領域をいう。『史記』貨殖列伝に「越・楚には則ち三俗有り。夫れ淮北の沛・陳・汝南より南郡までは、此れ西楚なり。……彭城より以東、東海・呉・広陵までは、此れ東楚なり。……衡山・九江・江南の豫章・長沙は、是れ南楚なり」(越、楚則有三俗。夫自淮北沛、陳、汝南、南郡、此西楚也。……彭城以東、東海、吳、廣陵、此東楚也。……衡山、九江、江南、豫章、長沙、是南楚也)とある。ウィキソース「史記/卷129」参照。また三国時代、魏の阮籍「詠懐詩八十二首」(其十一、『文選』巻二十三では十七首其十七)に「三楚には秀士多く、朝雲もて荒淫を進む」(三楚多秀士、朝雲進荒淫)とある。ウィキソース「詠懷詩五言八十二首」参照。
- 尽 … その果てまで見渡せる。『顧起経注本』『全唐詩』には「一作靜」とある。『文苑英華』では「靜」に作り、「集作盡」とある。
林外九江平
林外 九江平らかなり
- 林外 … 林の向こうに。隋の煬帝「夏日 江に臨む」詩に「鷺飛んで林外に白く、蓮開いて水上に紅なり」(鷺飛林外白、蓮開水上紅)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷130」参照。
- 外 … 『文苑英華』には「集作上」とある。『顧起経注本』『全唐詩』『唐詩解』では「上」に作り、「一作外」とある。『静嘉堂本』『蜀刊本』『四部叢刊本』『顧可久注本』『趙注本』『唐詩品彙』では「上」に作る。
- 九江 … 江西省潯陽(現在の江西省九江市潯陽区)の辺りを流れる九つの川とする説、湖南省の洞庭湖のこと(この湖には九つの川が流れ込んでいるので)とする説とがある。『読史方輿紀要』に引く『潯陽地記』に「禹の疏せし九江は、一に烏白江、二に蜯江、三に烏江、四に嘉靡江、五に畎江、六に源江、七に廩江、八に隄江、九に箘江なり」(禹疏九江、一烏白江、二蜯江、三烏江、四嘉靡江、五畎江、六源江、七廩江、八隄江、九箘江)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷八十三」参照。また宋の蔡沈『書集伝』に「九江は即ち今の洞庭なり。……今の沅水・漸水・元水・辰水・叙水・酉水・澧水・資水・湘水は、皆洞庭に合う。意うに是を以て九江と名づくるならん」(九江即今之洞庭也。……今沅水・漸水・元水・辰水・叙水・酉水・澧水・資水・湘水、皆合於洞庭。意以是名九江也)とある。ウィキソース「書集傳 (四庫全書本)/卷2」参照。
- 平 … (九江の水が)果てしなく平らに広がっている。
嫩草承趺坐
嫩草 趺坐を承け
- 嫩草 … 若く柔らかい草。嫩は、若くて柔らかい。
- 嫩 … 『全唐詩』では「軟」に作り、「一作嫩」とある。『唐詩品彙』『唐詩別裁集』では「軟」に作る。『静嘉堂本』『四部叢刊本』では「敷」に作る。『蜀刊本』『趙注本』『瀛奎律髄』では「輭」に作る。『顧起経注本』でも「輭」に作り、「一作嫩」とある。『文苑英華』には「集作輭」とある。「輭」は「軟」の異体字。
- 草 … 『顧可久注本』『唐詩解』では「艸」に作る。同義。
- 趺坐 … 結跏趺坐。足を組み合わせて坐ること。坐禅の正しい坐り方。「坐禅儀」(『禅苑清規』巻八)に「坐禅せんと欲する時、閑静の処に於いて、厚く坐物を敷き、寬く衣帯を繫け、威儀をして斉整ならしめ、然る後結跏趺坐す。先ず右の足を以て左の䏶の上に安じ、左の足を右の䏶の上に安ず。或いは半跏趺坐も亦た可なり。但だ左の足を以て右の足を圧すのみ。次に右の手を以て左の足の上に安じ、左の掌を右の掌の上に安じ、両手の大拇指の面を以て相拄え、徐徐に身を挙げて前に欠し、復た左右に揺振して、乃ち身を正して端坐せよ」(欲坐禪時、於閑靜處、厚敷坐物、寬繫衣帶、令威儀齊整、然後結跏趺坐。先以右足安左䏶上、左足安右䏶上。或半跏趺坐亦可。但以左足壓右足而已。次以右手安左足上、左掌安右掌上、以兩手大拇指面相拄、徐徐舉身前欠、復左右搖振、乃正身端坐)とある。CBETA 電子佛典「X1245 (重雕補註)禪苑清規卷/篇章 八」参照。また『釈氏要覧』結加趺坐の条に「毘婆沙論に云う、是の相円満安坐の義なり、と」(毗婆沙論云、是相圓滿安坐義)とある。『釈氏要覧』巻中(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 嫩草承趺坐 … 『華厳経』入法界品第三十四の八に「林木欝として茂り、地草柔軟にして、金剛宝座に結跏趺坐す」(林木欝茂、地草柔軟、結跏趺坐金剛寶座)とあるのに基づく。ウィキソース「大方廣佛華嚴經六十卷/卷52」参照。
長松響梵聲
長松 梵声を響かす
- 長松 … たけの高い松。西晋の劉琨「扶風の歌」(『文選』巻二十八、『楽府詩集』巻八十四)に「馬を繫ぐ 長松の下、鞍を発く 高岳の頭」(繫馬長松下、發鞍高岳頭)とある。ウィキソース「扶風歌」参照。
- 梵声 … 読経の声。梵は梵唄。『長阿含経』に「時に梵童子此の偈を説き已わり、忉利天に告げて曰く、其れ音声に五種の清浄有り、乃ち梵声と名づく。何等か五つ。一には其の音正直、二には其の音和雅、三には其の音清徹、四には其の音深満、五には周遍遠聞、此の五つを具うるは、乃ち梵音と名づく、と」(時梵童子說此偈已、告忉利天曰、其有音聲五種清淨、乃名梵聲。何等五。一者其音正直、二者其音和雅、三者其音清徹、四者其音深滿、五者周遍遠聞、具此五者、乃名梵音)とある。ウィキソース「長阿含經/卷五」参照。また『華厳経』宝王如来性起品に「彼の梵の音声は、衆の外に出でず」(彼梵音聲、不出眾外)とある。CBETA 電子佛典「T0278 大方廣佛華嚴經卷/篇章 三十四」参照。
空居法雲外
空居す 法雲の外
- 空居 … 心を空寂にして住む。ここでは、仏教の空居天(空中に存在する神々および彼らの住む世界。地居天の対語)から、空居の字を用いたもの。『倶舎論』分別世品に「若し空居天ならば唯だ是の如き日等の宮殿に住し、若し地居天ならば妙高山の諸〻の層級等に住す」(若空居天唯住如是日等宮殿、若地居天住妙高山諸層級等)とある。CBETA 電子佛典「T1558 阿毘達磨俱舍論卷/篇章 十一」参照。
- 法雲 … 法雨を降らす雲。仏法の教えが衆生を救う恵みの雨に喩えたもの。法雨地。菩薩の十地の第十。第一句の初地に呼応する。『華厳経』世間浄眼品に「不壊の法雲は遍く一切に覆い、力無畏を以て無量なる自在力の光を顕現し、方便門を開きて衆生を教化したもう」(不壞法雲遍覆一切、以力無畏顯現無量自在力光、開方便門教化眾生)とある。CBETA 電子佛典「T0278 大方廣佛華嚴經卷/篇章 一」参照。
觀世得無生
世を観じて無生を得たり
- 観世 … 世間の実相を観照すること。『瓔珞経』随行品に「世を観ずること幻化の如し」(觀世如幻化)とある。CBETA 電子佛典「T0656 菩薩瓔珞經卷/篇章 七」参照。
- 世 … 『静嘉堂本』『四部叢刊本』では「丗」に作る。異体字。
- 無生 … 生死を超脱した真如の境地。『金光明最勝王経』如来寿量品に「無生は是れ実にして、生は是れ虚妄なり」(無生是實、生是虛妄)とある。CBETA 電子佛典「T0665 金光明最勝王經卷/篇章 一」参照。
- 無 … 『静嘉堂本』では「无」に作る。同義。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻三(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻一百二十六(中華書局、1960年)
- 『王右丞文集』巻五(静嘉堂文庫蔵、略称:静嘉堂本)
- 『王摩詰文集』巻九(書韻楼叢刊、上海古籍出版社、2003年、略称:蜀刊本)
- 『須渓先生校本唐王右丞集』巻五(『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:四部叢刊本)
- 顧起経注『類箋唐王右丞詩集』巻四(台湾学生書局、1970年、略称:顧起経注本)
- 顧可久注『唐王右丞詩集』巻五(『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、略称:顧可久注本)
- 趙殿成注『王右丞集箋注』巻八(中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1998年、略称:趙注本)
- 『唐詩品彙』巻六十一([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『唐詩解』巻三十六(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『唐詩別裁集』巻九(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『文苑英華』巻二百三十四(影印本、中華書局、1966年)
- 『古今詩刪』巻十四(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収)
- 『瀛奎律髄彙評』巻四十七([元]方回選評、李慶甲集評校点、上海古籍出版社、1986年)
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