帰去来兮辞(陶潜)
歸去來兮辭
帰去来の辞
帰去来の辞
- 〔テキスト〕 『先秦漢魏晋南北朝詩』晋詩巻十六、『陶淵明集』巻五、『文選』巻四十五、『古文真宝』後集 巻一、『文章規範』巻七、他
- 辞。〔第一段落〕歸・非・衣・微(平声微韻)、悲・追(平声支韻)通押。〔第二段落〕奔・門・存・罇・(平声元韻)、顏・關・還(平声刪韻)、安・觀・桓(平声寒韻)通押。〔第三段落〕游・求・憂・疇・舟・丘・流・休(平声尤韻)。〔第四段落〕時・之・期・耔・詩・疑(平声支韻)。
- ウィキソース「歸去來辭並序」参照。
- 帰去来兮辞 … 義熙元年(405)、彭沢県の県令を辞めて故郷に帰ったときに作られたもの。四十一歳の作。
- 帰去来 … さあ、帰ろう。「去来」は誘いかける言葉。さあ。いざ。
- 兮 … 音は「ケイ」。調子を整える助字。訓読しない。『楚辞』や楚調の歌に多く用いられる。
- 辞 … 『楚辞』に連なる短篇の韻文。「賦」の起源となったもの。
- 帰去来兮辞 … 『文選』では「帰去来」に作る。『古文真宝』『文章規範』では「帰去来辞」に作る。
- 本作品は長文のため、通説に従い四段落に分けた。一句から十二句までを第一段落、十三句から三十二句までを第二段落、三十三句から四十八句までを第三段落、四十九句から六十句までを第四段落とした。
- 陶潜 … 365~427。東晋末の詩人。潯陽(江西省九江市)の人。名は潜、字は淵明、一説には元亮ともいわれる。五柳先生と号した。後世の人々から靖節先生という諡を賜った。四十一歳のとき、彭沢県の県令となったが八十日で辞任し、「帰去来の辞」を作って帰郷した。以後は出仕することなく、隠逸詩人として田園生活を送った。その詩は唐代になって多くの詩人に多大な影響を与えた。ウィキペディア【陶淵明】参照。
〔第一段落〕
歸去來兮
歸去來兮
帰りなんいざ
- 帰去來兮 … 古くから「かえりなんいざ」と読み慣わす。さあ、帰ろう。
田園將蕪胡不歸
田園 将に蕪れなんとす 胡ぞ帰らざる
- 田園 … 故郷の田園。
- 蕪 … 雑草が生い茂って荒れる。
- 胡不帰 … どうして帰らないのか(いや帰ろう)。
- 胡 … 「なんぞ~(ならんや)」と読み、「どうして~であろうか(いや~ではない)」「どうして~しようか(いや~しない)」と訳す。反語の意を示す。
既自以心爲形役
既に自ら心を以て形の役と為す
- 既 … 今まで。
- 心 … 精神。
- 形役 … 肉体の奴隷。身体の下僕。「形」は身体。「役」は使役されるもの。こき使われるもの。労働。奴隷。
奚惆悵而獨悲
奚ぞ惆悵として独り悲しまん
- 奚 … 「なんぞ~(ならんや)」と読み、「どうして~であろうか(いや~ではない)」「どうして~しようか(いや~しない)」と訳す。反語の意を示す。
- 惆悵 … 嘆き悲しむこと。傷み悲しむこと。後漢の秦嘉「婦に贈る詩三首其二」(『玉台新詠』巻一)に「路に臨みて惆悵を懐き、駕に中りて正に躑躅す」(臨路懷惆悵、中駕正躑躅)とある。躑躅は、行っては止まり、行っては止まって進まないこと。ウィキソース「贈婦詩」参照。
悟已往之不諫
已往の諫められざるを悟り
- 已往 … 過ぎ去ったこと。過去。
- 不諫 … いまさら改められない。「諫」は過ちを正す。
知來者之可追
来者の追う可きを知る
- 来者 … これから先のこと。
- 可追 … 追い求めることができる。
實迷途其未遠
実に途に迷うこと其れ未だ遠からず
- 実 … まことに。ほんとうに。
- 迷途 … 人生の道に迷っていたこと。官吏になったことを指す。
- 未遠 … それほど遠くへ行っていない。それほど長い期間ではない。
覺今是而昨非
今の是にして昨の非なるを覚る
- 今 … 今の自分。役人をやめて故郷に帰り、のんびり暮らそうとする自分のこと。
- 是 … 正しい。
- 昨 … 昨日までの自分。役人として束縛された生き方をしてきた自分のこと。
- 非 … 間違っていたこと。
- 覚 … 気づく。
舟遙遙以輕颺
舟は遥遥として以て軽く颺り
- 遥遥 … ゆらゆら揺れるさま。重言。
- 颺 … 風に吹き上げられる。ここでは舟が波に揺られて舞い上がるように進むこと。
風飄飄而吹衣
風は飄飄として衣を吹く
- 飄飄 … 風が物を翻すように吹くさま。
問征夫以前路
征夫に問うに前路を以てし
- 征夫 … 道を行く人。道を行く旅人。
- 前路 … これから先の道のり。故郷までの道のり。
恨晨光之熹微
晨光の熹微なるを恨む
- 晨光 … 朝日の光。
- 熹微 … 光の微かなこと。ほの暗く、よく見えないこと。
- 恨 … 残念に思う。
〔第二段落〕
乃瞻衡宇
乃瞻衡宇
乃ち衡宇を瞻
- 乃 … やっと。ようやく。
- 衡宇 … 「衡」は、二本の柱の上に一本の横木を渡しただけの門。「宇」は、家の屋根。作者の粗末な家を指す。
- 瞻 … 目を上げて見る。見上げる。
載欣載奔
載ち欣び載ち奔る
- 載~載~ … 「すなわち~すなわち~」と読み、「~したり~したり」「~しながら~する」と訳す。二つの動作を同時に行う意を示す。
- 欣 … 喜ぶ。
- 奔 … 走っていく。走り出す。
僮僕歡迎
僮僕 歓び迎え
- 僮僕 … 男の召使い。
稚子候門
稚子 門に候つ
- 稚子 … 幼い子どもたち。淵明には儼・俟・份・佚・佟という五人の子がいた。「責子」参照。
- 候 … 現れるのを待ち受ける。
三徑就荒
三径 荒に就くも
- 三径 … 庭にある三つの小道。漢の蔣詡が庭に三つの小道を作り、隠者と交わったという故事から。隠者のすまいの庭に喩える。
- 就荒 … 荒れかけている。荒れ始めている。
松菊猶存
松菊 猶お存す
- 松菊 … 松や菊。
- 猶存 … そのまま残っていた。
攜幼入室
幼を携えて室に入れば
- 携幼 … 子どもを連れて。
有酒盈罇
酒有りて罇に盈つ
- 罇 … 酒樽。『古文真宝』では「樽」に作る。
- 盈 … いっぱい入っている。たっぷりとある。
引壺觴以自酌
壺觴を引きて以て自ら酌み
- 壺觴 … 酒つぼと杯。
- 引 … 引き寄せて。
- 自酌 … 手酌で酒を飲むこと。
眄庭柯以怡顏
庭柯を眄て以て顔を怡ばす
- 庭柯 … 庭木の枝ぶり。
- 眄 … 流し目で見る。横目で見る。
- 怡顔 … 顔をほころばせる。にこにこする。
倚南窗以寄傲
南窓に倚りて以て傲を寄せ
- 南窓 … 南側の窓。
- 倚 … もたれて。
- 寄傲 … 気ままにのびのびと寛ぐこと。
審容膝之易安
膝を容るるの安んじ易きを審らかにす
- 容膝 … 膝が入るだけの狭い部屋。
- 易安 … 寛ぐことができる。ゆったりと落ち着くことができる。
- 審 … よくわかる。
園日涉以成趣
園は日に渉りて以て趣きを成し
- 園 … わが庭園。
- 日渉 … 「日ごとに」と解釈する説、「毎日散策していると」と解釈する説などがある。
- 成趣 … 味わい深くなる。趣深くなる。
門雖設而常關
門は設くと雖も常に関せり
- 門雖設 … 門は設けてあるけれども。
- 常関 … いつも閉め切っている。世俗との交渉がないこと。訪問客がないこと。
策扶老以流憩
策もて老いを扶けて以て流憩し
- 策扶老 … 杖をついて、年老いた身体を助けて歩く。「策」は杖。なお、「扶老」は竹の名で、「扶老」という杖をついて歩くと解釈する説もある。
- 流憩 … あちこちめぐっては、時に休息する。
時矯首而遐觀
時に首を矯げて遐観す
- 矯首 … 頭を上げる。
- 遐観 … 遥か遠くを眺めやる。『古文真宝』では「游観」に作る。こちらは、歩きまわって見物する。
雲無心以出岫
雲は無心にして以て岫を出で
- 雲無心以出岫 … 雲は無心に山の洞穴からわき起こる。「岫」は山中の岩穴。作者の何物にも束縛されない現在の心境の喩え。
鳥倦飛而知還
鳥は飛ぶに倦みて還るを知る
- 鳥倦飛而知還 … 鳥は飛ぶのに疲れて、自分のねぐらに帰っていくことを心得ている。「倦」は疲れる。
景翳翳以將入
景は翳翳として以て将に入らんとし
- 景 … 夕日。
- 翳翳 … 薄暗いさま。ほの暗いさま。
- 入 … 西の空に沈んでゆくこと。
撫孤松而盤桓
孤松を撫して盤桓す
- 孤松 … ただ一本だけ生えている松の木。一本松。
- 撫 … なでる。
- 盤桓 … ぐずぐずして、その場を立ち去りかねるさま。
〔第三段落〕
歸去來兮
歸去來兮
帰りなんいざ
- 歸去來兮 … さあ、帰ってきた以上は。
請息交以絕游
請う 交わりを息めて以て游を絶たん
- 請 … 「こう(らくは)~せん」と読み、「どうか~させてほしい」と訳す。自分の行動を相手へ誓願する意を示す。
- 息交 … (世間との)交際をやめる。
- 絶游 … (世間との)交遊を断ち切る。「游」は交遊。「息交」とほぼ同じ。
世與我而相遺
世と我と相遺る
- 与 … 「と」と読み、「~と」と訳す。「A与B」の場合は、「AとB与」と読む。「與」は「与」の旧字体。
- 相遺 … (世間と私とは)お互いに忘れてしまう。「遺」は忘れる。「相違」に作るテキストもある。
復駕言兮焉求
復た駕して言に焉をか求めん
- 復 … 「また」と読み、「もう一度」「再び」と訳す。
- 駕 … 馬車を走らせる。転じて、役人になる。出仕する。『詩経』邶風・泉水の詩に「駕して言に出遊す」(駕言出遊)とあるのに基づく。ウィキソース「詩經/泉水」参照。
- 言 … 語調を整える助字。「ここに」と読むが、とくに意味はない。
- 兮 … 音は「ケイ」。調子を整える助字。訓読しない。『楚辞』や楚調の歌に多く用いられる。
- 焉求 … 何を求めるのか、求めるものは何もない。反語。
悅親戚之情話
親戚の情話を悦び
- 親戚 … 身内。一族。
- 情話 … 人情のこもった話。
樂琴書以消憂
琴書を楽しみて以て憂いを消さん
- 琴書 … 琴を弾くことと、書物を読むこと。
- 消憂 … 心の憂いを晴らす。
農人告余以春及
農人 余に告ぐるに春の及べるを以てし
- 農人 … 農夫。
- 告余以春及 … 私に春が来たことを教えてくれる。
將有事于西疇
将に西疇に事有らんとす
- 西疇 … 西側の畑。「疇」は田畑。
- 有事 … 仕事が始まる。耕作が始まる。
或命巾車
或いは巾車を命じ
- 或 … ときには。あるときには。
- 巾車 … 幌をかけた車。
- 命 … 用意させる。支度をさせる。
或棹孤舟
或いは孤舟に棹さす
- 孤舟 … ただ一艘の舟。
- 棹 … 棹をさして舟を進める。
既窈窕以尋壑
既に窈窕として以て壑を尋ね
- 既~亦~ … ~もするし、~もする。並列関係を示す。
- 窈窕 … 奥深いさま。
- 尋壑 … 谷川に沿って行く。「壑」は谷。山中の窪んだ所。「尋」は、沿って。
亦崎嶇而經丘
亦た崎嶇として丘を経
- 崎嶇 … 山道の険しいさま。
- 経丘 … 丘を越えて行く。
木欣欣以向榮
木は欣欣として以て栄に向かい
- 欣欣 … 喜ぶさま。生き生きとしている様子。
- 向栄 … 草木が生い茂ること。または、花を咲かせようとすること。
泉涓涓而始流
泉は涓涓として始めて流る
- 涓涓 … 水がちょろちょろと流れるさま。
- 始流 … 流れ始める。
善萬物之得時
万物の時を得たるを善みし
- 得時 … 春のよき時節を得ている。
- 善 … 喜ぶ。
感吾生之行休
吾が生の行〻休するを感ず
- 生之行休 … 生命がまもなく終わろうとしていること。
〔第四段落〕
已矣乎
已矣乎
已んぬるかな
- 已矣乎 … 古くから「やんぬるかな」と読み慣わす。「ああ、どうしようもないことだ」「いかんともしがたい」「今となっては、どうにも仕方がない」等と訳す。
寓形宇內復幾時
形を宇内に寓すること復た幾時ぞ
- 形 … 肉体。
- 宇内 … この世。
- 寓 … 寄せる。仮住まいする。
- 復 … いったい。
- 幾時 … どれくらいの時間があるのか、いやどれほどもない。反語。
曷不委心任去留
曷ぞ心に委ねて去留を任せざる
- 曷 … 「なんぞ」と読み、「どうして~(する)のか、いや、~(し)ない」と訳す。反語。なお、ここでは「曷不」とあるので「どうして~しないのか」と訳す。
- 委心 … 心に委ねる。心を任せる。心の欲するままに。
- 去留 … この世から去ることと、この世に留まること。生死。また、「去留」を出処進退と解釈する説もある。
- 任 … 運命に任せる。
胡爲乎遑遑欲何之
胡為れぞ遑遑として何くにか之かんと欲する
- 胡為 … 「なんすれぞ」と読み、「どうして~(する)のか、いや~(し)ない」と訳す。反語。「何為」と同じ。
- 遑遑 … あわてるさま。忙しいさま。あわただしくて落ち着かないさま。
- 欲何之 … どこへ行こうとするのか。「之」は、行く。
富貴非吾願
富貴は吾が願いに非ず
- 富貴 … 金持ちや地位が高いこと。
帝鄉不可期
帝郷は期す可からず
- 帝郷 … 仙人の住む所。仙界。『荘子』天地篇に「彼の白雲に乗りて、帝郷に至らん」(乘彼白雲、至於帝鄉)とあるのに基づく。ウィキソース「莊子/天地」参照。
- 不可期 … 当てにすることができない。
懷良辰以孤往
良辰を懐いて以て孤り往き
- 良辰 … よい時節。
- 懐 … 「うれしく思う」「待ち望む」「懐かしむ」など、解釈が分かれる。
- 孤往 … ひとりで出かける。ひとりで山野を歩く。
或植杖而耘耔
或いは杖を植てて耘耔す
- 或 … ある時は。
- 植杖 … 杖を地面に立てる。『論語』微子第十八7に「其の杖を植てて芸る」(植其杖而芸)とある。
- 耘耔 … 草取りや土寄せをすること。農作業をすること。耘ると耔う。「耘」は、除草すること。「耔」は、草木の根もとに土をかけて育てること。
登東皋以舒嘯
東皋に登りて以て舒嘯し
- 東皋 … 東にある丘。または、東にある水辺の小高い所。「皋」は、丘・岸・沢地などの意味がある。
- 舒嘯 … ゆっくりと、のびやかに詩などを口ずさむこと。「舒」は、ゆっくりと、のびやかに。「嘯」は、口をすぼめて声を出すこと。
臨清流而賦詩
清流に臨みて詩を賦す
- 臨清流 … 清らかな川の流れを前に。
- 賦詩 … 詩を作る。
聊乘化以歸盡
聊か化に乗じて以て尽くるに帰し
- 聊 … とりあえずは。まずは。
- 乗化 … 自然の変化に従って。
- 帰尽 … 死へ帰り着こう。死んでゆこう。
樂夫天命復奚疑
夫の天命を楽しみて復た奚ぞ疑わん
- 天命 … 天から与えられた運命。天が与えた使命。
- 復奚疑 … いったい何を疑うというのか。
- 復 … いったい。
- 奚 … 「なんぞ~(ならんや)」と読み、「何を~しようか(いや~しない)」と訳す。反語の意を示す。
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