要領を得ず
要領を得ず
- 出典:『史記』大宛列伝(ウィキソース「史記/卷123」参照)
- 解釈:物事の肝心なところがはっきりしないこと。要は腰、領は襟首。衣服を持つとき、必ず腰と襟とを持つことからいう。
漢の武帝は、匈奴対策として西域の月氏国と同盟を結びたいと考えた。その使者として張騫が派遣されることとなった。張騫は途中、たちまち匈奴に捕らえられてしまった。その間、妻も与えられ、子どももできた。十余年の後、やっと逃げ出し、目的地の月氏国に到着した。しかし、月氏では国王が匈奴に殺され、その太子が新王となっていた。新王は大夏を服属させて宗主国となり、その地(大月氏国)に移り住んでいた。そこは肥沃で侵略する者もなく、平和であった。その上、漢から遠く離れていると思っていたので、彼らには漢と同盟して匈奴を討つ意志などまったくなかった。張騫は月氏国から大夏国まで行って説得を試みたが、月氏のはっきりした意志をつかむことができず、そこに一年ほど滞在し、帰国途中で再び匈奴の捕虜となったが、どうにか帰途についたという故事に基づく。
- 史記 … 前漢の司馬遷がまとめた歴史書。二十四史の一つ。事実を年代順に書き並べる編年体と違い、人物の伝記を中心とする紀伝体で編纂されている。本紀十二巻、表十巻、書八巻、世家三十巻、列伝七十巻の全百三十巻。ウィキペディア【史記】参照。
張騫、漢中人。建元中爲郎。是時天子問匈奴降者、皆言、匈奴破月氏王、以其頭爲飮器。月氏遁逃、而常怨仇匈奴、無與共撃之。漢方欲事滅胡。聞此言、因欲通使。道必更匈奴中。乃募能使者、騫以郎應募、使月氏。
張騫は、漢中の人なり。建元中に郎と為る。是の時天子、匈奴の降る者に問うに、皆な言う、匈奴、月氏王を破り、其の頭を以て飲器と為す。月氏遁逃して、常に匈奴を怨み仇とするも、与に共に之を撃つもの無し、と。漢方に胡を滅ぼすを事とせんと欲す。此の言を聞き、因りて使いを通ぜんと欲す。道必ず匈奴の中を更。乃ち能く使いする者を募るに、騫、郎を以て募りに応じ、月氏に使いす。
- 張騫 … ?~前114。前漢の外交家。成固(現在の陝西省漢中市城固県)の人。字は子文。武帝の命令で、匈奴を東西から挟撃するための同盟の使者として大月氏に派遣され、途中匈奴に捕らえられたが脱出して大月氏へ到着。同盟は成功しなかった。帰国途中で再び匈奴の捕虜となり、十三年目にして帰国できた。西域に関する知識をもたらして、東西貿易の道を開いた。ウィキペディア【張騫】参照。
- 漢中 … 漢中郡。現在の陝西省漢中市。ウィキペディア【漢中郡】参照。
- 建元 … 武帝の最初の元号。前140~前135。
- 郎 … 郎官。郎中令の属官。宮門の守備や皇帝の車騎充当を掌った。
- 天子 … ここでは、武帝を指す。
- 降者 … 投降した者。
- 月氏 … 西域にいた民族の名とその国家名。紀元前二世紀に匈奴に敗れ、中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになった。ウィキペディア【月氏】参照。
- 飲器 … 酒を飲む器。なお、便器とする説もある。
- 胡 … ここでは、匈奴を指す。
- 通使 … 使者を派遣して通交を結ぶこと。
- 更 … 通過する。
……大月氏王已爲胡所殺、立其太子爲王、旣臣大夏而居。地肥饒、少寇、志安樂。又自以遠漢、殊無報胡之心。騫從月氏至大夏、竟不能得月氏要領。
……大月氏王、已に胡の殺す所と為り、其の太子を立てて王と為し、既に大夏を臣として居る。地肥饒にして、寇少なく、志安楽なり。又た自ら以て漢に遠しとし、殊えて胡に報ずるの心無し。騫、月氏より大夏に至るも、竟に月氏の要領を得ること能わず。
- 大夏 … 国名。現在のアフガニスタン北部(当時のバクトリア)にあった。ウィキペディア【大夏】参照。
- 肥饒 … 土地がよく肥えていること。肥沃。
- 寇 … 外敵。侵略者。
- 殊無 … 「たえて~なし」と読む。全く~ない。

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