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寄韓鵬(李頎)

寄韓鵬
韓鵬かんぽう
李頎りき
  • 〔テキスト〕 『唐詩選』巻四、『全唐詩』巻一百三十四、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十二(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『古今詩刪』巻二十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、60頁)、『唐詩品彙』巻四十八、『唐人万首絶句選』巻三、他
  • 七言絶句。閒・還・山(平声刪韻)。
  • ウィキソース「寄韓鵬」参照。
  • 詩題 … 韓鵬という人物については不明であるが、詩の内容から推察して、今の山西省臨汾市辺りの県令をしていた人のように思われる。
  • 鵬 … 『唐人万首絶句選』では「朋」に作る。
  • 寄 … 詩を人に託して送り届けること。「贈」は、詩を直接手渡すこと。
  • この詩は、韓鵬という人物に贈ったもの。神仙へのあこがれを詠んでいる。
  • 李頎 … 690~751?。盛唐の詩人。本籍は趙州ちょうしゅう(河北省趙県)の人。開元二十三年(735)、進士に及第。新郷(河南省)の尉となったが、官を辞し、神仙を慕って隠棲生活を送ったという。ウィキペディア【李頎】参照。
爲政心閒物自閒
まつりごとすにこころしずかなればものおのずからしずかなり
  • 為政 … 政治を行うのに。政務を執り行うのに。『論語』為政篇に「まつりごとすにとくもってす」(爲政以德)とある。ウィキソース「論語/爲政第二」参照。
  • 間 … 心静かに、のんびりしているならば。閑に同じ。『万首唐人絶句』『古今詩刪』『唐詩品彙』『唐人万首絶句選』では「閑」に作る(二箇所)。
  • 物自間 … 物事すべてが自然に静かに治まってゆくものである。物は、事物。
朝看飛鳥暮飛還
あしたちょう くれかえ
  • 朝 … あさ。
  • 看 … 見る。
  • 飛鳥 … ねぐらを飛び立っていった鳥。
  • 暮飛還 … 夕暮れにまた飛び帰って来る。楊方の「合歓ごうかん五首 其三」(『玉台新詠』巻三)に「じんきたるをず、ちょうかえるをる」(不覩佳人來、但見飛鳥還)とある。ウィキソース「合歡詩」参照。
寄書河上神明宰
しょす じょうなる神明しんめいさい
  • 寄書 … 手紙を書き送る。
  • 河上 … 黄河のほとり。韓鵬の任地を指すが、また姑射山の関係から汾河のほとりの意もある。さらに河上公という言葉にも掛けている。漢の文帝の時、黄河のほとりに河上公という隠者が住んでおり、『老子』を愛読していたが、実は仙人であったという伝説を踏まえる。『神仙伝』河上公の条に「河上公は、其の姓名を知る莫し。漢の孝文帝の時、草を結びていおりを河の浜につくる。常に老子道徳経を読む。時に文帝、老子の道を好む。……帝、経中に於いて疑義有り、人能く通ずる莫し、侍郎裴楷奏して云く、陜州の河上に人有り、老子を誦す。即ち詔使を遣わして疑義する所をもたらし之に問わしむ。公曰く、道は尊く徳は貴し。遥かに問う可きに非ざるなり、と。帝、即ちよみし幸して之に詣る。公、庵中に在りて出でず。……公、即ちたなごころち坐して躍れば、冉冉ぜんぜんとして空虚の中に在り、地を去ること百余尺にして、虚空に止まる」(河上公者、莫知其姓名也。漢孝文帝時、結草爲庵於河之濱。常讀老子道德經。時文帝好老子之道。……帝於經中有疑義、人莫能通、侍郎裴楷奏云、陜州河上有人誦老子。即遣詔使賫所疑義問之。公曰、道尊德貴。非可遙問也。帝即嘉幸詣之。公在庵中不出。……公即拊掌坐躍、冉冉在空虛之中、去地百余尺、而止於虛空)とある。ウィキソース「神仙傳/卷八」参照。
  • 神明宰 … 神のように賢明な県令。神明は、賢くて神業のような働きをすること。宰は、地方長官。県令。ここでは韓鵬を指す。漢の班伯は定襄の太守となったとき、盗賊を十日間でみな捕えたため、神明と称された。『漢書』叙伝に「即ち伯を拝して定襄の太守と為す。……共に伯を諫む、宜しく頗る盗賊を摂録すべき、つぶさに本謀の亡匿する処をもうす。……じゅんじつことごとく得たり。郡中震栗しんりつし、みな神明なりと称す」(即拜伯爲定襄太守。……共諫伯、宜頗攝錄盜賊、具言本謀亡匿處。……旬日盡得。郡中震栗、咸稱神明)とある。ウィキソース「漢書/卷100上」参照。ウィキペディア【班伯】(中文)参照。また黄覇は潁川えいせんの太守となり、官吏と民衆はみな神明と称えたという。同じく循吏伝に「宣帝、詔を下して曰く、御史に制詔す、其れ賢良の高第揚州刺史霸を以て潁川の太守と為す。……其れ事を識り聡明なること此の如し、吏民出ずる所を知らず、みな神明なりと称す」(宣帝下詔曰、制詔御史、其以賢良高第揚州刺史霸爲潁川太守。……其識事聰明如此、吏民不知所出、咸稱神明)とある。ウィキソース「漢書/卷089」参照。ウィキペディア【黄覇】参照。また晋の陸雲は浚儀県(今の河南省開封市)の令となったとき、県中の人々はその善政を称えて神明と言ったという。『晋書』陸雲伝に「雲、あざなは士竜、……出でて浚儀の令に補す。……ここいて一県其れ神明なりと称す。……雲、乃ち官を去る。百姓追いて之を思い、形象を図画して、県社に配食す」(雲字士龍、……出補浚儀令。……於是一縣稱其神明。……雲乃去官。百姓追思之、圖畫形象、配食縣社)とある。ウィキソース「晉書/卷054」参照。ウィキペディア【陸雲】参照。
羨爾城頭姑射山
うらやむ なんじじょうとう姑射こややま
  • 羨 … 羨ましく思う。また羨爾は、「せんす」と読むこともできる。爾は助字。
  • 爾 … 君の(治める)。
  • 城頭 … 町の辺り。町の付近。城は、城壁で囲まれた町全体。城市。
  • 姑射山 … 一名藐姑射はこや山。今の山西省臨汾市の西北にある山。仙人が住んでいるという。『山西通志』山川、平陽府、臨汾県の条に「姑射山は県の西三十五里に在り」(姑射山在縣西三十五里)とある。ウィキソース「山西通志 (四庫全書本)/卷018」参照。また『山海経』東山経・東次二経に「又南三百八十里を、姑射の山と曰う。草木無く、水多し」(又南三百八十里、曰姑射之山。無草木、多水)とある。ウィキソース「山海經/東山經」参照。また『荘子』逍遙遊篇に「藐姑射の山に神人しんじん有りて居る。肌膚きふは氷雪の若く、しゃくやくとして処子の若し」(藐姑射之山有神人居焉。肌膚若冰雪、淖約若處子)とある。ウィキソース「莊子/逍遙遊」参照。
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