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為政第二 1 子曰爲政以德章

017(02-01)
子曰、爲政以德、譬如北辰居其所、而衆星共之。
いわく、まつりごとすにとくもってするは、たとえば北辰ほくしんところて、しゅうせいこれむかうがごとし。
現代語訳
  • 先生 ――「政治も良心的であれば、ちょうど北極星が動かずにいて、取りまかれるようだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「仁義道徳によって政治をすれば、たとえてみれば北極星がその位置を動かずすべての星がこれを中心として回転するようなあいにゆくものぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「徳によって政治を行なえば、民は自然に帰服する。それはあたかも北極星がその不動の座にいて、もろもろの星がそれを中心に一糸みだれず運行するようなものである」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 政 … 政治。
  • 徳 … 道徳。または有徳者。
  • 譬如 … たとえば~のようだ。
  • 北辰 … 北極星。
  • 居其所 … 北極星がいつも同じ所にいて動かないこと。
  • 衆星 … 多くの星。
  • 之 … 北辰を指す。
  • 共 … 向かう。
補説
  • 為政第二 … 『集解』に「凡そ廿四章」(凢廿四章)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「為政とは、人君の風俗政を為すの法を明らかにするなり。之を為政と謂えるは、後巻に云う、政とは正なり。子率いて正しくせば、孰か敢えて正しからざらん。又た鄭注周礼の司馬に云う、政は、正なり。政は不正を正す所以なり、と。前者に次する所以なり。学記に云う、君子如し民を化し俗を成さんと欲せば、其れ必ず学に由らんか、と。是れ先ず学びて後、乃ち政を為し、民を化す可きを明らかにす。故に為政を以て学而に次ぐなり」(爲政者、明人君爲風俗政之法也。謂之爲政者、後卷云、政者正也。子率而正、孰敢不正。又鄭注周禮司馬云、政、正也。政所以正不正也。所以次前者。學記云、君子如欲化民成俗、其必由學乎。是明先學後、乃可爲政化民。故以爲政次於學而也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「左伝に、学びて而る後に政に入ると曰う、故に前篇に次するなり。此の篇の論ずる所は、孝・敬・信・勇の政を為すの徳なり、聖賢・君子は政を為すの人なり。故に為政を以て章首と冠し、遂に以て篇に名づく」(左傳曰、學而後入政、故次前篇也。此篇所論、孝敬信勇爲政之德也、聖賢君子爲政之人也。故以爲政冠於章首、遂以名篇)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「凡そ二十四章」(凡二十四章)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『注疏』に「此の章は為政の要を言う」(此章言爲政之要)とある。
  • 為政以徳 … 『集解』に引く包咸の注に「徳なる者は、無為なり。譬えば猶お北辰の移らずして、衆星の之にきょうするがごとし」(德者、無爲。譬猶北辰之不移、而衆星共之)とある。また『義疏』に「此れ人君の政教を為すの法を明らかにするなり。徳とは得なり。言うこころは人君政を為すに、当に万物の性を得べし。故に徳を以てすと云うなり。故に郭象曰く、万物皆性を、之を徳と謂う。夫れ政を為すとは奚事なにごとぞや。万物の性を得。故に徳と云うのみ、と」(此明人君爲政教之法也。德者得也。言人君爲政、當得萬物之性。故云以德也。故郭象曰、萬物皆得性、謂之德。夫爲政者奚事哉。得萬物之性。故云德而已也)とある。また『注疏』に「政を為すの善は、徳を以てするにくは莫きを言う。徳とは、得なり。物得て以て生ず、之を徳と謂う。淳徳は散せず、為す無くして清に化せば、則ち政は善なり」(言爲政之善、莫若以德。德者、得也。物得以生、謂之德。淳德不散、無爲化清、則政善矣)とある。また『集注』に「政の言たるは正なり。人の不正を正す所以なり。徳の言たるは得なり。心に得て失わざるなり」(政之爲言正也。所以正人之不正也。德之爲言得也。得於心而不失也)とある。また宮崎市定は「爲政以德の四字は恐らく古語で、有德の君主の政治のあり方を言ったものであろう。そのような君主は別にあくせくと動きまわる必要がなく、百官や人民が君主の意を體して夫々の業務に勵むものなのである。そのさまは宇宙の星が北極星を中心として囘轉するような狀態さながらである」と言っている(『論語の新研究』172頁)。
  • 譬如北辰居其所、而衆星共之 … 『義疏』に「此れ政を為すに徳を以てするの君の為に譬えを為すなり。北辰とは、北極紫微星なり。所は、猶お地のごときなり。衆星は、五星及び二十八宿以下の星を謂うなり。北辰は一地に鎮居して移動せず。故に衆星共に之を宗として、以て主と為すなり。譬えば人君若し為す無くして、民を御するに徳を以てせば、則ち民共に之を尊奉して違背せざること、猶お衆星の北辰を共尊するが如きなり。故に郭象曰く、其の性を得れば則ち之に帰し、其の性を失えば則ち之にたがう、と」(此爲爲政以德之君爲譬也。北辰者北極紫微星也。所猶地也。衆星謂五星及二十八宿以下之星也。北辰鎭居一地而不移動。故衆星共宗之、以爲主也。譬人君若無爲、而御民以德、則民共尊奉之而不違背、猶如衆星之共尊北辰也。故郭象曰、得其性則歸之、失其性則違之)とある。また『注疏』に「譬は、況なり。北極之を北辰と謂う。北辰は常に其の所に居りて移らず、故に衆星共に之を尊ぶ。以て人君の政を為すに徳を以てし、無為清静なること、亦た衆人共に之を尊ぶにたとうるなり」(譬、況也。北極謂之北辰。北辰常居其所而不移、故衆星共尊之。以況人君爲政以德、無爲清靜、亦衆人共尊之也)とある。また『集注』に「北辰は、北極、天の枢なり。其の所に居るは、動かざるなり。共は、向かうなり。言うこころは衆星の四面にせんぎょうして之に帰向するなり。政を為すに徳を以てすれば、則ち為すこと無くして天下之に帰す。其の象此くの如し」(北辰、北極、天之樞也。居其所、不動也。共、向也。言衆星四面旋繞而歸向之也。爲政以德、則無爲而天下歸之。其象如此)とある。また吉川幸次郎は「星たちがその方向にと説く朱子の新注の説は、共の字の訓詁として適当でないであろう。きょうきょうの音通であるとし、星たちが北極星の方に向かっておじぎをし、挨拶をしている、と説く漢のじょうげんの説を、私はとりたい」と言っている(吉川幸次郎『論語 上』朝日選書)。なお「鄭玄の説」とは、『集解』に引く包咸の注のこと。『義疏』では「鄭玄曰」に作る。
  • 共 … 『義疏』では「拱」に作る。『説文解字』巻十二上、手部に「拱は、手をおさむるなり」(拱、斂手也)とある。斂手れんしゅは、きょうしゅ(両手の指を胸の前で組み、礼をする)の意。ウィキソース「說文解字/12」参照。
  • 『集注』に引く程頤の注に「政を為すに徳を以てし、然る後に為すこと無し」(爲政以德、然後無爲)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「政を為すに徳を以てすれば、則ち動かずして化し、言わずして信じ、為すこと無くして成る。守る所の者至簡にして、能く煩を御し、処る所の者至静にして、能く動を制し、務むる所の者至寡にして、能く衆を服す」(爲政以德、則不動而化、不言而信、無爲而成。所守者至簡、而能御煩、所處者至靜、而能制動、所務者至寡、而能服衆)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ言うこころは政を為すに徳を以てせば、則ち無為にして天下之に帰するなり。若し夫れ政を為すに徳を以てするを知らず、徒らに智力を以て之を持せんと欲せば、則ちろうじょうそう愈〻いよいよおさめて愈〻理まらず。此れ古今の患いなり。後世経済の学を講ずる者、これを之れ務むることを知らずして、徒に区区として儀章制度の間に求む。いやしきかな」(此言爲政以德、則無爲而天下歸之也。若夫不知爲政以德、徒欲以智力持之、則勞攘叢脞、愈理愈不理。此古今之患也。後世講經濟之學者、不知斯之務、徒區區求於儀章制度之間。鄙哉)とある。労攘は、気疲れ。叢脞は、こまごまとしていて、まとまりがないこと。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「為政とは、政をるなり。左伝の我死なば子必ず政をらんの如し。以徳とは、有徳の人を用うるを謂うなり。政を秉りて有徳の人を用うれば、労せずして治まる。故に北辰の喩え有り。……礼楽は道芸なり。道芸は外に在り。学んで徳を我に成す。故に身に得たりと曰う」(爲政者、秉政也。如左傳我死子必爲政。以德、謂用有德之人也。秉政而用有德之人、不勞而治。故有北辰之喩。……禮樂者道藝也。道藝在外。學而成德於我。故曰得於身)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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