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聖善閣送裴迪入京(李頎)

聖善閣送裴迪入京
聖善閣(せいぜんかく)にて裴迪(はいてき)の京(けい)に入(い)るを送(おく)る
李(り)頎(き)
  • 五言排律。欄・寒・歡・盤・看・難(上平声寒韻)。
  • ウィキソース「聖善閣送裴迪入京」参照。
  • 聖善閣 … 洛陽にあった聖善寺の楼閣。高彦休『唐闕史』に「東の聖善寺は、締構天下に甲たり」(東都聖善寺、締構甲於天下)とある。ウィキソース「唐闕史」参照。また聖善は、『詩経』邶風(はいふう)・凱風に「母氏(ぼし)聖善(せいぜん)なれど、我(われ)に令人(れいじん)無(な)し」(母氏聖善、我無令人)とあるのに基づく。ウィキソース「詩經/凱風」参照。また中宗が母の則天武后の菩提を弔うために聖善閣を建て、武后が鋳造した仏像を安置したという。劉餗『隋唐嘉話』に「中宗に至り武后の志を成さんと欲し、乃ち像を(けず)り短くせしめ、聖善寺の閣を建て以て之に居く」(至中宗欲成武后志、乃像令短、建聖善寺閣以居之)とある。ウィキソース「隋唐嘉話」参照。
  • 裴迪 … 716~?。盛唐の詩人。関中(陝西省)の人。字(あざな)は不詳。安禄山の乱の後、蜀州刺史、尚書郎などになったという。王維の詩友として知られる。ウィキペディア【裴迪】(中文)参照。
  • 入京 … 長安へ行くこと。
  • 送 … 見送る。
  • この詩は、裴迪が長安に行くことになり、洛陽の聖善閣で送別の宴を催し、そのはなむけとして詠んだもの。
  • 李頎 … 690~751?。盛唐の詩人。本籍は趙州(ちょうしゅう)(河北省趙県)の人。開元二十三年(735)、進士に及第。新郷県(河南省新郷市)の尉となったが、官を辞し、神仙を慕って隠棲生活を送ったという。ウィキペディア【李頎】参照。
雪華滿高閣
雪(せっ)華(か) 高閣(こうかく)に満(み)ち
  • 雪華 … 雪。雪を花に喩えていう。
  • 雪 … 『全唐詩』では「雲」に作り、「一作雪」と注する。
  • 高閣 … 屋根を高くかまえた建物。高殿(たかどの)。高楼。南朝斉の謝朓「郡に在りて病に臥し沈(しん)尚書に呈す」詩(『文選』巻二十六)に「高閣は常に昼も掩(とざ)され、荒堦(こうかい)には諍(そう)辞(じ)少(まれ)なり」(高閣常晝掩、荒堦少諍辭)とある。荒堦は、雑草の茂っている階段。諍辞は、訴えごと。ウィキソース「昭明文選/卷26」参照。
  • 満 … 雪がいっぱいに降り積もっているさま。『全唐詩』には「一作斂」と注する。『唐詩紀事』『唐百家詩選』では「斂」に作る。
苔色上勾欄
苔(たい)色(しょく) 勾欄(こうらん)に上(のぼ)る
  • 苔色 … 苔の色。苔の緑色。
  • 勾欄 … 回廊の手すり。勾は、曲がる。劉宋の段国『沙州記』(『説郛』巻六十一下)に「吐(と)谷(よく)渾(こん)、河上に於いて橋を作る。之を河(か)厲(れい)と謂う。長さ一百五十歩、勾欄甚だ厳飾す」(吐谷渾於河上作橋。謂之河厲。長一百五十步、勾欄甚嚴飾)とある。吐谷渾は、西晋末、青海一帯にあった国。663年、吐蕃に滅ぼされ種族は四散した。河厲は、河上に作った橋。厳飾は、立派に飾ること。ウィキソース「沙州記」「説郛 (四庫全書本)/卷061下」参照。
  • 上 … 這い上って覆っている。
藥草空階靜
薬草(やくそう) 空階(くうかい)静(しず)かに
  • 薬草 … 芍薬の植え込み。寺院の庭先に芍薬や牡丹を植えることが当時の風習であった。
  • 空階 … 人(ひと)気(け)のない階(きざはし)。
梧桐返照寒
梧(ご)桐(とう) 返(へん)照(しょう)寒(さむ)し
  • 梧桐 … 梧桐(あおぎり)。あおぎり科の落葉高木。樹皮は緑色、葉は手のひら形で大きく、豆に似た実がなる。街路樹として植えられる。碧(へき)梧(ご)。ウィキペディア【アオギリ】参照。
  • 返照 … 夕日の照りかえしの光。返景。返映。
清吟可愈疾
清吟(せいぎん) 疾(やま)いを愈(いや)す可(べ)く
  • 清吟 … 清らかに詩を吟ずれば。
  • 可愈疾 … 病気を治すことができる。三国魏の陳琳が諸書と檄文の草稿を作って太祖(曹操)に見せたところ、頭痛で苦しんでいた太祖がこれを読んで起き上がって、「此れ我が病を癒す」と言ったという故事に基づく。『三国志』魏書・阮(げん)瑀(う)伝の裴松の注に「典略に曰く、琳、諸書及び檄を作る。草成りて太祖に呈す。太祖先に頭風に苦しむ。是の日疾発す。臥して琳の作る所を読み、翕(きゅう)然(ぜん)として起ちて曰く、此れ我が病を愈す、と」(典略曰、琳作諸書及檄。草成呈太祖。太祖先苦頭風。是日疾發。臥讀琳所作、翕然而起曰、此愈我病)とある。ウィキソース「三國志/卷21」参照。
攜手暫同歡
手(て)を携(たずさ)えて暫(しばら)く歓(かん)を同(おな)じうす
  • 携手 … お互いに手を取り合って。
  • 暫同歓 … 少しの間いっしょに楽しもう。
墜葉和金磬
墜葉(ついよう) 金磬(きんけい)に和(わ)し
  • 墜葉 … 落葉(の音)。
  • 金磬 … 銅製の磬。磬は、「へ」の字形の打楽器で、吊るして打ち鳴らす。高く澄んだ音を出す。寺院の食事の合図などに使う。ウィキペディア【磬】参照。
  • 和 … 調和して響く。
饑烏鳴露盤
饑烏(きう) 露(ろ)盤(ばん)に鳴(な)く
  • 饑烏 … 飢えたカラス。
  • 露盤 … 寺院の塔の相輪(塔の頂上の金属で作られた部分の総称)の一番下にある四角な土台。ウィキペディア【相輪】参照。
伊流惜東別
伊(い)流(りゅう) 東(ひがし)に別(わか)るるを惜(お)しみ
  • 伊流 … 伊水のこと。河南省盧氏(ろし)県の東南の悶頓嶺に源を発し、東北流して洛陽を経て偃(えん)師(し)市の東で洛水(洛河)に注ぐ。伊河とも。『山海経』中山経・中次二経に「又(また)西(にし)二(に)百(ひゃく)里(り)を、蔓渠(まんきょ)の山(やま)と曰(い)う。其(そ)の上(うえ)に金(きん)玉(ぎょく)多(おお)く、其(そ)の下(した)に竹箭(ちくせん)多(おお)し。伊(い)水(すい)焉(ここ)より出(い)でて、東(とう)流(りゅう)して洛(らく)に注(そそ)ぐ」(又西二百里、曰蔓渠之山。其上多金玉、其下多竹箭。伊水出焉、而東流注于洛)とある。ウィキソース「山海經/中山經」「山海經 (四部叢刊本)/卷第五」参照。
  • 流 … 『全唐詩』には「一作川」と注する。『唐詩紀事』『唐百家詩選』では「川」に作る。
  • 惜東別 … 東へと流れる伊水のほとりで別れを惜しむ。
灞水向西看
灞(は)水(すい) 西(にし)に向(む)かって看(み)る
  • 灞水 … 川の名。霸水とも。関中八川の一つ。陝西省藍田県の東倒谷の中に源を発し、滻水(さんすい)と合し、渭水に注ぐ。『漢書』地理志、京兆尹の条の注に「霸水も亦た藍田谷より出でて、北のかた渭に入る。(師)古茲(じ)水(すい)と曰う、秦の穆公名を更(あらた)め、以て霸功を章(あきら)かにし、子孫に視(しめ)す」(霸水亦出藍田谷、北入渭。古曰茲水、秦穆公更名、以章霸功、視子孫)とある。『漢書評林』巻二十八(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 向西看 … 君は西のかた灞水のあたり、その向こうにある長安の都を眺めやる。
舊託含香署
旧(もと) 含香(がんこう)の署(しょ)に託(たく)す
  • 旧 … 以前。
  • 含香署 … 尚書省のこと。漢の刁(ちょう)存(そん)という尚書郎が、老齢のため天子に上奏するのに口臭を発するので、天子が鶏舌香という香を与えて口に含ませた。以後、漢の尚書郎は鶏舌香を含んで上奏する習わしになったという。『芸文類聚』人部、口の条に引く応劭の『漢官儀』に「侍中刁存、年老いて口臭し。帝、雞舌香を賜い、之に含ましむ」(侍中刁存、年老口臭。帝賜雞舌香、令含之)とある。ウィキソース「藝文類聚/卷017」参照。また『通典』職官典、尚書上、歴代郎官の条に「尚書郎、口に雞舌香を含み、其の事を奏する答対を以て、気息芬芳(ふんぽう)せしめんと欲するなり」(尚書郎口含雞舌香、以其奏事答對、欲使氣息芬芳也)とある。ウィキソース「通典/卷022」参照。
  • 託 … 仕える。仕官する。身を置く。託は、身がらを預ける。寄託する。
雲霄何足難
雲(うん)霄(しょう) 何(なん)ぞ難(かた)しとするに足(た)らん
  • 雲霄 … 雲の上。雲のある空。霄は、空の果て。ここでは、高い地位、高位高官に喩える。
  • 何足難 … 何も困難なことではないだろう。別に難しく思うことはなかろう。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻四(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百三十四(排印本、中華書局、1960年)
  • 『唐詩品彙』巻七十六([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『古今詩刪』巻十九(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 『唐詩紀事』巻二十([宋]計有功輯撰、上海古籍出版社、1987年)
  • 『唐百家詩選』巻五([北宋]王安石編、世界書局、1979年)
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