送儲邕之武昌(李白)
送儲邕之武昌
儲邕の武昌に之くを送る
儲邕の武昌に之くを送る
- 五言排律。情・城・傾・行・清・聲(平声庚韻)。
- ウィキソース「送儲邕之武昌」参照。
- 儲邕 … 李白の友人と思われるが、人物・事跡ともに不詳。
- 武昌 … 現在の武昌は、湖北省武漢市武昌区。ウィキペディア【武昌区】参照。当時の武昌は、現在の武昌区から東南へ約六〇キロメートル、湖北省鄂州市鄂城区を指す。『読史方輿紀要』湖広、武昌府、武昌県の条に「漢は江夏郡に属す。……唐亦た武昌県と為し、鄂州に属す」(漢屬江夏郡。……唐亦爲武昌縣、屬鄂州)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷七十六」参照。
- 之 … 行く。
- 送 … 見送る。
- この詩は、儲邕が武昌へ旅立つのを見送り、作者が若い頃、その辺りを放浪していたので、作者自身の追憶の情も込めて詠んだもの。安旗主編『新版 李白全集編年注釋』(巴蜀書社、2000年)によると、天宝十三載(754)、五十四歳の作。
- 李白 … 701~762。盛唐の詩人。字は太白。蜀の隆昌県青蓮郷(四川省江油市青蓮鎮)の人。青蓮居士と号した。科挙を受験せず、各地を遊歴。天宝元年(742)、玄宗に召されて翰林供奉(天子側近の文学侍従)となった。しかし、玄宗の側近で宦官の高力士らに憎まれて都を追われ、再び放浪の生活を送った。杜甫と並び称される大詩人で「詩仙」と仰がれた。『李太白集』がある。ウィキペディア【李白】参照。
黃鶴西樓月
黄鶴 西楼の月
- 黄鶴 … 黄鶴楼。江夏(今の湖北省武漢市武昌区)の黄鶴山(別名黄鵠山、俗称蛇山)の西北、長江を見下ろす黄鶴磯(磯は、川に突き出た小さな岩山の意)に建っていた楼閣。呉の黄武二年(223)の建立と伝えられ、何度も破壊と改修を繰り返してきた。現在の楼は、1985年、蛇山の頂上に再建されたもの。ウィキペディア【黄鶴楼】参照。黄鶴楼には、仙人が黄色い鶴(鵠)に乗ってここに立ち寄ったという伝説がある。『南斉書』州郡志下、郢州の条に「夏口城は黄鵠磯に拠る、世に伝う仙人子安、黄鵠に乗りて此の上を過ぐると」(夏口城據黃鵠磯、世傳仙人子安乘黃鵠過此上也)とある。ウィキソース「南齊書/卷15」参照。また『太平寰宇記』江南西道、鄂州、江夏県の条に「黄鶴楼は県の西二百八十歩に在り。昔、韋褘登仙し、毎に黄鶴に乗じ、此の楼に于いて駕を憩う。故に号す」(黄鶴樓在縣西二百八十歩。昔韋褘登仙、每乗黄鶴、于此樓憇駕。故號)とある。ウィキソース「太平寰宇記 (四庫全書本)/卷112」参照。
- 西楼月 … 西楼にかかる月かげ。
- 西楼 … 武昌城の西南隅に建てられた高楼。黄鶴楼を指す。南朝梁の何遜の「日夕江を望み、魚司馬を贈る」(『玉台新詠』巻五)に「洛汭何ぞ悠悠たる、起望西楼に登る」(洛汭何悠悠、起望登西樓)とある。洛汭は、洛水のみぎわ。ウィキソース「日夕望江贈魚司馬」参照。
- 西 … 『全唐詩』には「一作高」とある。
長江萬里情
長江 万里の情
- 長江万里情 … 長江の万里の流れを眺めて感じたわが思い。西晋の夏侯湛の「江上泛歌」(『古詩紀』巻四十)に「長江に臨んで不庭を討つ。江水は浩浩たり、万里を長流す」(臨長江兮討不庭。江水兮浩浩、長流兮萬里)とある。不庭は、朝貢しない者。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷040」参照。また『世説新語』任誕篇に「周曰く、吾は万里の長江の若し。何ぞ能く千里に一曲せざらんや、と」(周曰、吾若萬里長江。何能不千里一曲)とある。ウィキソース「世說新語/任誕」参照。
- 長江 … 中国中部を東西に流れる同国最大の川。下流部を揚子江という。長江全域を指して揚子江と呼ぶのは、我が国はじめ国際的な通称。ウィキペディア【長江】参照。
- 万里 … 万里の彼方まで。
春風三十度
春風 三十度
- 三十度 … 三十回もめぐって来た。すなわち三十年が経過したことをいう。
- 三 … 『唐宋詩醇』では「二」に作る。
空憶武昌城
空しく憶う 武昌城
- 空憶 … 空しく思い出しているばかり。
- 武昌城 … 武昌の町。
送爾難爲別
爾を送って別れを為し難く
- 爾 … 君。目下の人や親しい人を呼ぶ第二人称の言葉。
- 難為別 … 別れを告げがたい。容易に別れがたい。
銜杯惜未傾
杯を銜み 惜しんで未だ傾けず
- 銜杯 … 杯を口にあてたまま。銜は、口にくわえる。西晋の劉伶の「酒徳の頌」(『文選』巻四十七)に「先生、是に於いて方に甖を捧げ槽を承け、杯を銜み醪を漱ぐ」(先生於是方捧甖承槽、銜杯漱醪)とある。ウィキソース「酒德頌」参照。
- 杯 … 『文苑英華』では「盃」に作る。異体字。
- 惜 … 名残り惜しんで。
- 未傾 … まだ飲みほさずにいる。
湖連張樂地
湖は楽を張るの地に連なり
- 湖 … 湖南省北部にある巨大な湖である洞庭湖を指す。湖南省の四大河川である湘江・資水・沅江・澧水が南と西から流入する。北は長江と連なっている。ウィキペディア【洞庭湖】参照。
- 張楽地 … 黄帝が天上の音楽を演奏した場所。洞庭湖を指す。『荘子』天運篇に「帝、咸池の楽を洞庭の野に張る」(帝張咸池之樂於洞庭之野)とある。咸池は、黄帝が作ったという天上の音楽。ウィキソース「莊子/天運」参照。南朝斉の謝朓の「新亭の渚にて范零陵に別るる詩」(『文選』巻二十)に「洞庭は楽を張るの地、瀟湘には帝子遊ぶ」(洞庭張樂地、瀟湘帝子遊)とあるのに基づく。帝子は、堯帝の二人の娘、娥皇と女英のこと。ウィキソース「新亭渚別范零陵詩」参照。
山逐泛舟行
山は舟を泛ぶるの行を逐う
- 泛舟行 … 舟を泛べてゆく君の旅路。行は、旅に行くこと。旅。『春秋左氏伝』僖公十三年に「秦是に於てか、粟を晋に輸す。雍より絳に及ぶまで相継げり。之を命づけて汎舟の役と曰う」(秦於是乎、輸粟于晉。自雍及絳相繼。命之曰汎舟之役)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/僖公」参照。
- 泛 … 『宋本』『繆本』『王本』『唐詩品彙』『唐詩別裁集』では「汎」に作る。
- 逐 … 追いかけているようである。山並みがどこまでも続いているさま。
諾謂楚人重
諾は楚人の重んずるを謂い
- 諾謂楚人重 … ここでは季布の故事に基づく。楚の国の出身者である季布は、はじめ項羽に仕えたが、のち漢の高祖に仕えた。一度承諾すれば必ず実行し、前言を翻すことはなかったという。『史記』季布伝に「楚人の諺に曰く、黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず、と」(楚人諺曰、得黃金百斤、不如得季布一諾)とある。ウィキソース「史記/卷100」参照。
- 諾 … 承諾すること。
- 楚人 … 儲邕がこれから行く武昌は、昔の楚の国に属するため、楚の国の人である季布を取り上げている。
- 重 … 重んじる。
- 謂 … 思い出される。思い返される。『全唐詩』では「為」に作る。この場合、「諾は楚人に重んぜらる」と読む。
詩傳謝朓清
詩は謝朓の清きを伝う
- 詩 … 詩においては。
- 謝朓 … 464~499。南北朝時代、斉の詩人。陳郡陽夏(河南省太康付近)の人。字は玄暉。宣城(安徽省)の太守となったため、謝宣城という。一族の謝霊運・謝恵連とともに「三謝」と呼ばれる。『謝宣城集』五巻がある。ウィキペディア【謝朓】参照。
- 朓 … 『文苑英華』では「聎」に作る。
- 清 … 清麗さ。清新さ。『南史』謝朓伝に「朓、字は玄暉、少くして学を好み、美名有り。文章清麗なり。……朓、草隷を善くし、五言詩に長ず。沈約常に云う、二百年来、此の詩無きなり」(朓字玄暉、少好學、有美名。文章清麗。……朓善草隸、長五言詩。沈約常云、二百年來無此詩也)とある。ウィキソース「南史/卷19」参照。
- 伝 … 伝えられている。
滄浪吾有曲
滄浪 吾に曲有り
寄入棹歌聲
寄せて棹歌の声に入る
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻四(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
- 『全唐詩』巻一百七十七(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
- 『李太白文集』巻十六(静嘉堂文庫蔵宋刊本影印、平岡武夫編『李白の作品』所収、略称:宋本)
- 『李太白文集』巻十六(繆曰芑重刊、雙泉草堂本、略称:繆本)
- 『分類補註李太白詩』巻十八(蕭士贇補注、内閣文庫蔵、略称:蕭本)
- 『分類補註李太白詩』巻十八(蕭士贇補注、郭雲鵬校刻、『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:郭本)
- 『分類補註李太白詩』巻十八(蕭士贇補注、許自昌校刻、『和刻本漢詩集成 唐詩2』所収、略称:許本)
- 『李翰林集』巻十一(景宋咸淳本、劉世珩刊、江蘇広陵古籍刻印社、略称:劉本)
- 『李太白全集』巻十八(王琦編注、『四部備要 集部』所収、略称:王本)
- 『文苑英華』巻二百六十九(影印本、中華書局、1966年)
- 『唐詩品彙』巻七十四(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
- 『唐詩別裁集』巻十七(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『古今詩刪』巻十九(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、44頁)
- 『唐詩解』巻四十七(清順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『唐宋詩醇』巻七(乾隆二十五年重刊、紫陽書院、内閣文庫蔵)
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