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経下邳圯橋懐張子房(李白)

經下邳圯橋懷張子房
下邳かひきょうちょうぼうおも
はく
  • 五言古詩。家・沙(平声麻韻)、動・勇(上声腫韻)、風・公・空(平声東韻)。逐解換韻格。
  • ウィキソース「經下邳圯橋懷張子房」参照。
  • 詩題 … 『宋本』『繆本』には、題下に「淮泗」との注がある。
  • 下邳 … 現在の江蘇省徐州市邳州市。『旧唐書』地理志、河南道、徐州、下邳の条に「漢の下邳郡。げん東徐州に置く、周邳州に改む、隋廃す。武徳四年(621)、邳州に復す、下邳・たん・良城の三県を領す。貞観元年(627)、邳州を廃す、仍りて郯・良城の二県を省き、下邳を以てしゅうに属す。元和中(806~820)、復た徐州に属す」(漢下邳郡。元魏置東徐州、周改邳州、隋廢。武德四年、復邳州、領下邳、郯、良城三縣。貞觀元年、廢邳州、仍省郯、良城二縣、以下邳屬泗州。元和中、復屬徐州)とある。ウィキソース「舊唐書/卷38」参照。ウィキペディア【邳州市】参照。
  • 圯橋 … この地方の方言で土橋のことだともいい、下邳にある橋の名だともいわれるが、正確なところはよく分からない。『説文解字』巻十三下、土部に「東楚、橋を謂いて圯と為す」(東楚謂橋爲圯)とある。ウィキソース「說文解字/13」参照。また『水経注』沂水の条に「沂水は下邳県にいて北西に流れ、分かれて二水と為る。一水は城北に于いて西南してに入り、一水は城東をて県南より屈し、亦た泗に注ぐ、之を小沂水と謂う。水上に橋有り、徐・泗の間を以て圯と為す。昔張子房、黄石公に圯上に于いて遇う、即ち此処ここなり」(沂水于下邳縣北西流、分爲二水。一水于城北西南入泗、一水逕城東屈從縣南、亦注泗、謂之小沂水。水上有橋、徐、泗間以爲圯。昔張子房遇黃石公于圯上、即此處也)とある。ウィキソース「水經注/25」参照。
  • 張子房 … 漢の高祖(劉邦)の功臣、張良(?~前186)のこと。子房はあざな。名は良。蕭何・韓信とともに漢の高祖の三傑。代々韓の宰相の家柄であった。韓を滅ぼした秦に報復するため始皇帝を博浪沙で襲撃したが失敗し、一時下邳に潜伏した。そこで黄石老人から太公望の兵法書を授けられた。のちに高祖を助け、漢の統一に貢献した。ウィキペディア【張良】参照。『史記』留侯世家に「留侯張良は、其のせんは韓の人なり。たいの開地は、韓の昭侯・宣恵王・襄哀王にしょうたり。父へいは、王・悼恵王に相たり。悼恵王の二十三年、平しゅっす。しゅっして二十歳にして、秦、韓を滅ぼす。良、年わかく、未だ韓にかんせず。韓破るるや、良のどうは三百人あり、弟死すれども葬らず、悉く家財を以て客の秦王を刺すものを求め、韓の為にあだを報いんとす。大父と父が五世韓にしょうたりしを以ての故なり。良嘗て礼を淮陽わいように学び、ひがしして倉海君にまみえ、力士を得たり。鉄椎をつくる、重さ百二十斤。秦の皇帝の東游するや、良、客とともに狙い、秦の皇帝を博浪沙のうちに撃つ。誤りて副車にあたる。秦の皇帝大いに怒り、大いに天下にもとめ、賊を求むること甚だ急なるは、張良の故の為なり。良乃ち名姓をあらため、げて下邳にかくる。良嘗て間に従容として歩し、下邳の圯上に游ぶ。一老父有りて、かつて、良の所に至り、ことさらに其のくつを圯下におとし、顧みて良に謂いて曰く、じゅくだりてくつを取れ、と。良鄂然がくぜんとして、之をたんと欲す。其の老いたるが為にいて忍び、下りてくつを取る。父曰く、我にかせよ、と。良すでに為に履を取れり、因ってちょうして之を履かす。父、足を以て受け、笑いて去る。良ことに大いに驚き、随いて之をもくす。父、去ること里ばかりして、復た還りて曰く、孺子、教う可し。のち五日平明に、我とここに会せよ、と。良因って之を怪しみ、ひざまずきて曰く、だくと。五日平明に、良く。父已に先ず在り、怒りて曰く、老人と期するに、後るるとは何ぞや、去れ、と。曰く、のち五日早く会せよ、と。五日鶏鳴に、良往く。父又先ず在り。復た怒りて曰く、後るるとは何ぞや、去れ、と。曰く、後五日、復た早くきたれ、と。五日、良、夜未だ半ばならざるに往く。しばらく有りて、父もまた来る、喜びて曰く、当にかくの如くなるべし、と。一編の書をいだして曰く、これを読まば則ち王者の師と為らん。後十年にしておこらん。十三年にして孺子は我を済北せいほくに見ん。穀城山下の黄石は即ち我なり、と。遂に去り、他の言無く、復た見えず。旦日、其の書を視れば、乃ち太公の兵法なり。良因って之をとし、常に習い之をしょうどくす」(留侯張良者、其先韓人也。大父開地、相韓昭侯、宣惠王、襄哀王。父平、相釐王、悼惠王。悼惠王二十三年、平卒。卒二十歲、秦滅韓。良年少、未宦事韓。韓破、良家僮三百人、弟死不葬、悉以家財求客刺秦王、爲韓報仇。以大父父、五世相韓故。良嘗學禮淮陽、東見倉海君、得力士。爲鐵椎、重百二十斤。秦皇帝東游、良與客狙、擊秦皇帝博浪沙中。誤中副車。秦皇帝大怒、大索天下、求賊甚急、爲張良故也。良乃更名姓、亡匿下邳。良嘗閒從容步游下邳圯上。有一老父、衣褐、至良所、直墮其履圯下、顧謂良曰、孺子、下取履。良鄂然、欲毆之。爲其老彊忍、下取履。父曰、履我。良業爲取履、因長跪履之。父以足受、笑而去。良殊大驚、隨目之。父去里所、復還曰、孺子可敎矣。後五日平明、與我會此。良因怪之、跪曰、諾。五日平明、良往。父已先在、怒曰、與老人期、後何也。去。曰、後五日早會。五日雞鳴、良往。父又先在。復怒曰、後何也、去。曰、後五日復早來。五日、良夜未半往。有頃、父亦來、喜曰、當如是。出一編書曰、讀此則爲王者師矣。後十年興。十三年孺子見我濟北。穀城山下黃石即我矣。遂去、無他言、不復見。旦日視其書、乃太公兵法也。良因異之、常習誦讀之)とある。ウィキソース「史記/卷055」参照。
  • 張 … 『文苑英華』には、この字なし。
  • 懐 … 懐かしく思う。
  • この詩は、作者が下邳の圯橋を通りかかり、張良の昔を追慕して詠んだもの。安旗主編『新版 李白全集編年注釋』(巴蜀書社、2000年)によると、開元二十六年(738)、三十八歳の作。なお、他にも天宝四載(745)、四十五歳の作、また天宝五載(746)、四十六歳の作など、諸説あって確定できない。
  • 李白 … 701~762。盛唐の詩人。あざなは太白。蜀の隆昌県青蓮郷(四川省江油市青蓮鎮)の人。青蓮居士と号した。科挙を受験せず、各地を遊歴。天宝元年(742)、玄宗に召されて翰林かんりん供奉ぐぶ(天子側近の文学侍従)となった。しかし、玄宗の側近で宦官の高力士らに憎まれて都を追われ、再び放浪の生活を送った。杜甫と並び称される大詩人で「詩仙」と仰がれた。『李太白集』がある。ウィキペディア【李白】参照。
子房未虎嘯
ぼう いましょうせざりしとき
  • 子房 … 張良のあざな
  • 虎嘯 … 虎が吠えるように、英雄が志を得て活躍すること。嘯は、吠えること。『易経』乾の卦の文言伝に「雲は竜に従い、風は虎に従う」(雲從龍、風從虎)とある。ウィキソース「周易/文言」参照。また前漢の王褒おうほう「聖主賢臣を得るの頌」(『文選』巻四十七)に「虎うそぶきて谷風れつたり、竜おこりて雲気を致す」(虎嘯而谷風冽、龍興而致雲氣)とある。ウィキソース「聖主得賢臣頌」参照。また晋の陸機の「漢の高祖の功臣の頌」(『文選』巻四十七)に「竜はひんおこり、虎は豊谷ほうこくうそぶく」(龍興泗濱、虎嘯豐谷)とある。ウィキソース「漢高祖功臣頌」参照。
  • 虎 … 『古今詩刪』では「乕」に作る。異体字。
破產不爲家
さんやぶりて いえおさめず
  • 破産 … 財産を使いはたす。ここでは秦の始皇帝を殺すため、家財を使い尽くして刺客を求めたことを指す。
  • 不為家 … 家計のことを顧みない。
滄海得壯士
滄海そうかいに そう
  • 滄海 … 滄海君の所で。滄海君は、東夷(東方の異民族)の豪族の君長。『史記』留侯世家に「良嘗て礼を淮陽わいように学び、ひがしして倉海君にまみえ、力士を得たり」(良嘗學禮淮陽、東見倉海君、得力士)とあるのに基づく。ウィキソース「史記/卷055」参照。
  • 壮士 … 屈強な男。ここでは力持ちの刺客を指す。『史記』の「力士」に同じ。
椎秦博浪沙
しんついす 博浪はくろう
  • 椎秦 … 秦の始皇帝に鉄椎を投げつけた。鉄椎は、鉄鎚に同じ。鉄製のハンマーのこと。『史記』留侯世家に「鉄椎をつくる、重さ百二十斤」(爲鐵椎、重百二十斤)とある。ウィキソース「史記/卷055」参照。
  • 椎 … 『劉本』には「一作惟」とある。
  • 博浪沙 … 地名。現在の河南省新郷市原陽県。『太平寰宇記』河南道、陽武県の条に「博浪沙亭は、県の東南五里に在り、即ち張良が韓の為に仇を報いんとし、始皇を撃つの所なり」(博浪沙亭、在縣東南五里、即張良爲韓報仇擊始皇之所)とある。ウィキソース「太平寰宇記 (四庫全書本)/卷002」参照。また『史記』秦始皇本紀に「二十九年(前218)、始皇東游し、陽武の博狼沙の中に至りて、盗の驚かす所と為る」(二十九年、始皇東游、至陽武博狼沙中、爲盜所驚)とある。ウィキソース「史記/卷006」参照。
  • 博 … 『宋本』『繆本』『郭本』『文苑英華』『古今詩刪』では「愽」に作る。異体字。『劉本』には「一作傳」とある。
報韓雖不成
かんほうずること らずといえど
  • 報韓 … 韓の恩に報いようとした企て。
  • 雖不成 … 成功はしなかったけれども。
天地皆振動
てん みな振動しんどう
  • 天地皆振動 … 天も地もみな震え動いた。天下の人々が驚いたことをいう。『漢書』張良伝に「韓の為に仇を彊秦に報い、天下震動す」(爲韓報仇彊秦、天下震動)とある。ウィキソース「漢書/卷040」参照。
  • 振 … 『唐詩選』では「震」に作る。同義。
潛匿遊下邳
潜匿せんとくして 下邳かひあそ
  • 潜匿 … ひそみ隠れる。身をひそめる。
  • 下邳 … 上記参照。
  • 遊 … 決まった所に留まらず、ぶらぶらすること。
豈曰非智勇
ゆうあらずとわんや
  • 豈曰非智勇 … どうして智恵と勇気を兼ね備えていないなどと言えようか。
  • 豈 … 「あに~ん(や)」と読み、「どうして~しようか、いやしない」と訳す。反語の意を示す。
  • 智勇 … 智は、智恵・智略・智謀。勇は、勇気。
我來圯橋上
われ きょううえきた
  • 我 … 作者(李白)を指す。
  • 圯橋 … 上記参照。
  • 上 … 橋の上。
懷古欽英風
いにしえおもうて 英風えいふうした
  • 懐古 … 昔を懐かしんで。
  • 英風 … すぐれた風姿。『史記』留侯世家の論賛に「われ以為おもえらく、其の人かならかい奇偉きいなり、と。其の図を見るに至りて、じょうぼう、婦人好女の如し」(余以爲、其人計魁梧奇偉。至見其圖、狀貌如婦人好女)とある。ウィキソース「史記/卷055」参照。
  • 欽 … 尊敬して慕う。
唯見碧流水
る へきりゅうみず
  • 唯 … 「ただ~のみ」と読み、「ただ~だけ」「ただ~にすぎない」と訳す。限定の意を示す。『全唐詩』『文苑英華』『唐宋詩醇』では「惟」に作る。同義。
  • 碧流水 … 青緑色の川の流れ。ここでは小沂水を指す。
  • 流水 … 『文苑英華』では「水流」に作り、「集作流水」とある。
曾無黃石公
かつ黄石公こうせきこう
  • 曾無黄石公 … 黄石公の影さえ、まったくない。
  • 曾無 … 「かつて~なし」と読み、「決して~でない」と訳す。否定の強調の意を示す。「曾」は「すなわち」と読んでもよい。
  • 黄石公 … 秦末の隠士。生没年不詳。張良に兵法書を授けたといわれている。ウィキペディア【黄石公】参照。『史記』留侯世家の『正義』に「孔文祥云く、黄石公は、鬚・眉皆白く、すがたあかあかざを杖つき、赤きくつを履く」(孔文祥云、黃石公、鬚眉皆白、狀杖丹黎、履赤舄)とある。黎は、あかざ。茎は杖にする。ウィキソース「史記正義 (四庫全書本)/卷055」「史記三家註/卷055」参照。
歎息此人去
歎息たんそくす ひとりて
  • 歎息 … ああ嘆かわしいことよ。
  • 此人 … 張良を指す。
  • 去 … 世を去ってから。
蕭條徐泗空
蕭条しょうじょうとして じょむなしきを
  • 蕭条 … ひっそりとして物淋しい様子。うらさびしいさま。『楚辞』の「遠遊」に「やま蕭条しょうじょうとしてけものく、寂漠せきばくとしてひとし」(山蕭條而無獸兮、野寂漠其無人)とある。ウィキソース「楚辭/遠遊」参照。
  • 徐泗 … 徐は、徐州(江蘇省徐州市一帯)。泗は、泗州(江蘇省徐州市邳州市一帯)。下邳一帯の地を指す。上記「下邳」の注参照。
  • 空 … 空虚である。空しい。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻一(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
  • 『全唐詩』巻一百八十一(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
  • 『李太白文集』巻二十(静嘉堂文庫蔵宋刊本影印、平岡武夫編『李白の作品』所収、略称:宋本)
  • 『李太白文集』巻二十(ぼくえつ重刊、雙泉草堂本、略称:繆本)
  • 『分類補註李太白詩』巻二十二(しょういん補注、内閣文庫蔵、略称:蕭本)
  • 『分類補註李太白詩』巻二十二(蕭士贇補注、郭雲鵬校刻、『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:郭本)
  • 『分類補註李太白詩』巻二十二(蕭士贇補注、許自昌校刻、『和刻本漢詩集成 唐詩2』所収、略称:許本)
  • 『李翰林集』巻十五(景宋咸淳本、劉世珩刊、江蘇広陵古籍刻印社、略称:劉本)
  • 『李太白全集』巻二十二(王琦編注、『四部備要 集部』所収、略称:王本)
  • 『文苑英華』巻三百九(影印本、中華書局、1966年)
  • 『唐詩品彙』巻六(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
  • 『唐詩別裁集』巻二(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『古今詩刪』巻十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇8』所収、457頁)
  • 『唐詩解』巻四(清順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐宋詩醇』巻八(乾隆二十五年重刊、紫陽書院、内閣文庫蔵)
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