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送秘書晁監還日本国(王維)

送祕書晁監還日本國
しょちょうかん日本国にっぽんこくかえるをおく
おう
  • 五言排律。東・空・風・紅・中・通(上平声東韻)。
  • ウィキソース「送祕書晁監還日本國」参照。
  • 詩題 … 『極玄集』では「送晁監歸日本」に作る。
  • 秘書晁監 … 秘書監の晁衡、阿倍仲麻呂(698~770)のこと。中国名をちょうこう、またはちょうこうという。入唐にっとう留学生として唐の玄宗に仕え、中国で死んだ。李白や王維などと交際があった。秘書監は、宮中の図書を掌る秘書省の長官。ウィキペディア【阿倍仲麻呂】参照。『旧唐書』東夷伝に「開元の初め(713)、又た使いを遣わして来朝せしむ。因りて儒士にけいを授けられんことを請う。四門助教の趙玄黙に詔して、鴻臚寺に就きて之を教えしむ。……得る所のらいにて、ことごとく文籍をい、海にうかびて還る。其の偏使のそん仲満なかまろ、中国の風を慕い、因りて留まりて去らず、姓名を改めて朝衡と為し、仕えて左補さほけつ・儀王の友をたり。衡、京師に留まること五十年、書籍を好み、放ちてくにに帰らしむるも、逗留して去らず。……上元中、衡をぬきんでてさんじょう鎮南ちんなん都護とごと為す」(開元初、又遣使來朝。因請儒士授經。詔四門助教趙玄默就鴻臚寺教之。……所得錫賚、盡市文籍、泛海而還。其偏使朝臣仲滿、慕中國之風、因留不去、改姓名爲朝衡、仕歷左補闕、儀王友。衡留京師五十年、好書籍、放歸鄉、逗留不去。……上元中、擢衡爲左散騎常侍、鎮南都護)とある。錫賚は、上位者からの賜り物。賜賚に同じ。ウィキソース「舊唐書/卷199上」参照。
  • 晁 … 『蜀刊本』では「朝」に作る。「晁」は「朝」の古字。『顧可久注本』には「もと朝に作るは非なり」(舊作朝非)と注する。
  • 還日本国 … 日本へ帰る。この詩は、天宝十二載(753)、阿倍仲麻呂が同じく遣唐使の藤原清河きよかわらとともに帰国しようとし、その送別の宴で王維が詠んだもの。しかし、仲麻呂一行は遭難してベトナムに漂着した(このとき、死が伝えられ、李白は彼の死を悼んで「晁卿衡を哭す」という詩を詠んだ)。その後、仲麻呂は再び長安に戻って官僚となり、帰国は生涯叶わなかった。
  • 日本国 … 『旧唐書』東夷伝に「日本国は、倭国の別種なり。其の国、日のかたに在るを以て、故に日本を以て名と為す。或いは曰く、倭国自ら其の名のみやびやかならざるをにくみ、改めて日本と為す、と」(日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本爲名。或曰、倭國自惡其名不雅、改爲日本)とある。ウィキソース「舊唐書/卷199上」参照。
  • 國 … 底本および『唐詩品彙』『唐詩解』『唐詩別裁集』『古今詩刪』には「國」の字がない。
  • 還 … 『顧起経注本』には「一作歸」と注する。『文苑英華』では「歸」に作り、「集作還」と注する。
  • 王維 … 699?~761。盛唐の詩人、画家。太原(山西省)の人。あざなきつ。開元七年(719)、進士に及第。安禄山の乱で捕らえられたが事なきを得、乱後は粛宗に用いられてしょうじょゆうじょう(書記官長)まで進んだので、王右丞とも呼ばれる。また、仏教に帰依したため、詩仏と称される。『王右丞文集』十巻がある。ウィキペディア【王維】参照。
積水不可極
積水せきすい きわからず
  • 積水 … 海のこと。『荀子』儒効篇に「せきやまり、積水せきすいうみる」(積土而爲山、積水而爲海)とあるのに基づく。ウィキソース「荀子/儒效篇」参照。
  • 不可極 … 果てしなく広がっていて、極めようもない。『礼記』曲礼上篇に「楽しみは極む可からず」(樂不可極)とある。ウィキソース「禮記/曲禮上」参照。
安知滄海東
いずくんぞ滄海そうかいひがしらん
  • 安 … 「いずくんぞ~ん(や)」と読み、「どうして~(する)のか、いや~ない」と訳す。反語の意を示す。
  • 滄海 … 中国の東の青海原あおうなばら。その中に仙人が住む島があると伝えられた。滄は、蒼に同じ。前漢の東方朔『海内十洲記』に「滄海島は北海の中に在り、地は方三千里、岸を去ること二十一万里。海、四面にめぐる。島は各〻広さ五千里。水皆な蒼色、仙人之を滄海と謂うなり」(滄海島在北海中、地方三千里、去岸二十一萬里。海四面繞。島各廣五千里。水皆蒼色、仙人謂之滄海也)とある。ウィキソース「海內十洲記」参照。また『春秋穀梁伝』序に「孔子、滄海のおうりゅうするをる」(孔子覩滄海之横流)とある。ウィキソース「春秋穀梁注疏 (四庫全書本)/序」参照。
  • 東 … 青海原のさらに東、君(仲麻呂)の故国の辺り。日本を指す。劉宋の謝霊運「行田こうでんして海口かいこう盤嶼山ばんしょざんに登る」詩に「こうの極まりをわかつ莫し、誰か知らん 大壑たいがくの東」(莫辨洪波極、誰知大壑東)とある。行田は、農田巡視。海口は、川(永嘉江、現在の甌江おうこう)が海に流れ込む所。盤嶼山は、浙江省楽清市の西南にある山。洪波は、大波。極は、果て。弁は、見分ける。大壑は、大海。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷057」参照。
九州何處遠
九州きゅうしゅう いずれのところとお
  • 九州 … ここでは、中国の外にある九つの国。世界全体を指す。禹が中国を九つの州に区分した、いわゆる中国全土の意ではない。また、日本の九州地方の意でもない。『史記』孟子伝に「中国を名づけて赤県せきけんしんしゅうと曰う。赤県神州の内、自ずから九州有り。禹の序する九州是れなり。州のすうと為すを得ず。中国のほかに赤県神州の如き者、九あり。乃ち所謂九州なり」(中國名曰赤縣神州。赤縣神州內、自有九州。禹之序九州是也。不得爲州數。中國外如赤縣神州者九。乃所謂九州也)とある。赤県神州は、中国のこと。戦国時代の騶衍すうえんの語に基づく。ウィキソース「史記/卷074」参照。
  • 何処遠 … どこが一番遠いだろうか(きっと君の故国、日本であろう)。
  • 遠 … 『全唐詩』には「一作所」と注する。『極玄集』『王維集校注』では「所」に作る。『静嘉堂本』では「去」に作る。
萬里若乘空
ばん くうじょうずるがごと
  • 万里 … 君の故国へ帰る万里の船旅。
  • 万 … 『静嘉堂本』では「五」に作る。誤刻か。
  • 乗空 … 虚空を飛んで行く。頼りない様子。『列子』黄帝篇に「空に乗ずることじつを履むが如し」(乘空如履實)とあるのに基づく。実は、地のこと。ウィキソース「列子/黃帝篇」参照。
向國惟看日
くにむかって
  • 向国 … 故国(日本)に向かっては。
  • 惟看日 … ただ太陽の出る方角を目指すばかり。『新唐書』東夷伝に「咸亨かんこう元年(670)、使いを遣わして高麗を平らげしことを賀す。のちようやの音を習い、倭の名をにくみてあらためて日本と号す。使者自ら言う、国、日の出づる所に近ければ、以て名と為す、と」(咸亨元年、遣使賀平高麗。後稍習夏音、惡倭名更號日本。使者自言、國近日所出、以爲名)とある。夏音は、中国語。ウィキソース「新唐書/卷220」参照。
歸帆但信風
はんかぜまかすのみ
  • 帰帆 … 帰りゆく船。南朝梁の何遜「南に還る道中、劉諮議と別るるに送贈す」詩に「にわかに春流を逐いて返り、帰帆 家を望むを得」(遽逐春流返、歸帆得望家)とある。ウィキソース「南還道中送贈劉諮議別」参照。
  • 帆 … 『全唐詩』『顧起経注本』『趙注本』には「一作途」と注する。
  • 風信 … 風にまかせること。中唐の白居易「長恨歌」に「君臣 あいかえりみてことごとく衣をうるおす、東のかた都門を望みて馬にまかせて帰る」(君臣相顧盡沾衣、東望都門信馬帰)とある。ウィキソース「長恨歌」参照。
鰲身映天黑
鰲身ごうしん てんえいじてくろ
  • 鰲身 … 大海亀の胴体。鰲は、想像上の大海亀。海中に棲み、背に蓬萊山などの仙山を背負っているという。『爾雅翼』に「鼇は、巨亀なり」(鼇、巨龜也)とある。ウィキソース「爾雅翼 (四庫全書本)/卷31」参照。また『列子』湯問篇に「渤海の東、幾億万里なるを知らず、大壑たいがく有り。……其の中に五山有り。一に曰く、たい輿。二に曰く、えんきょう。三に曰く、ほう。四に曰く、えいしゅう。五に曰く、蓬萊ほうらい。……而るに五山のこんは、れんちゃくする所無く、常に潮波に随って、しょうし往還して、しばらくもとどまるを得ず。仙聖これみ、之をていうったう。帝、西(四)きょくに流れて、群聖の居を失わんことを恐れ、乃ちきょうに命じ、巨鼇きょごう十五をして、首を挙げて之を戴き、たがいに三番を為して、六万歳にして一たびかわらしむ。五山始めてとどまって動かず」(渤海之東、不知幾億萬里、有大壑焉。……其中有五山焉。一曰岱輿。二曰員嶠。三曰方壺。四曰瀛洲。五曰蓬萊。……而五山之根、無所連著、常隨潮波、上下往還、不得蹔峙焉。仙聖毒之、訴之於帝。帝恐流於西極、失羣聖之居、乃命禺彊、使巨鼇十五、舉首而戴之、迭爲三番、六萬歲一交焉。五山始峙而不動)とある。禺彊は、北海の神。ウィキソース「列子/湯問篇」参照。また『楚辞』天問に「ごう、山をいただいてべんするに、何を以てか之を安んずる」(鼇戴山抃、何以安之)とあり、その王逸注に「列仙伝に曰く、巨霊の鼇有り、蓬萊の山を背負いてべんして舞い、滄海の中に戯る。独り何を以てか之を安んずる、と」(列仙傳曰、有巨靈之鼇、背負蓬萊之山而抃舞、戲滄海之中。獨何以安之乎)とある。ウィキソース「楚辭章句/卷03」参照。
  • 映天黒 … 空を背景に黒々とその姿をうつす。
  • 天 … 『蜀刊本』では「晩」に作る。
魚眼射波紅
魚眼ぎょがん なみくれないなり
  • 魚眼 … 大魚の眼。『楚辞』七諫の「謬諫」に「魚眼としゅとを貫く」(貫魚眼與珠璣)とある。珠璣は、丸い宝玉と角張った宝玉。ウィキソース「楚辭/七諫」参照。また『隋書』倭国伝に「如意宝珠有り、其の色青く、大きさは雞卵の如くして、夜には則ち光有り、魚眼の精と云うなり」(有如意寶珠、其色青、大如雞卵、夜則有光、云魚眼精也)とある。ウィキソース「隋書/卷81」参照。また『大智度論』に「昔、五百のかく有り、海にって宝を採り、摩伽羅まから魚王ぎょおうう。口を開くに海水なかに入り、船去ること駃疾けっしつなり。船師、楼上の人に問う、汝なんをか見る、と。答えて言う、みつの日で、びゃくせん羅列し、水流れてはしおもむき、大なるあなに入るが如くなるを見る、と。船師言う、是れ摩伽羅魚王の口を開くなり。一は是れじつの日、両日は是れ魚の眼、白山は是れ魚の歯、水流れて奔り趣くは、是れ其の口に入るなり、と」(昔有五百估客、入海採寶、値摩伽羅魚王。開口海水入中、船去駃疾。船師問樓上人、汝見何等。答言、見三日出、白山羅列、水流奔趣如入大坑。船師言、是摩伽羅魚王開口。一是實日、兩日是魚眼、白山是魚齒、水流奔趣、是入其口)とある。估客は、商人。CBETA 電子佛典「T1509 大智度論卷/篇章 七」参照。
  • 魚 … 『全唐詩』『顧起経注本』『趙注本』には「一作蜃」と注する。『文苑英華』には「作蜃」と注する。
  • 射波紅 … 波を射るようにあかく輝くことであろう。
鄉樹扶桑外
きょうじゅ そうそと
  • 郷樹 … 故郷の木々。
  • 樹 … 底本では「國」に作るが、諸本に従った。
  • 扶桑 … 東方の島にあり、日の出る所にあると伝えられた神木の名。のち、その木の生えている土地をいう。転じて、日本を指す。『山海経』海外東経に「した湯谷ようこく有り。湯谷のほとりに扶桑有り、十日の浴する所なり、こくの北に在り。水中に居り、大木有り。九日下枝に居り、一日上枝に居る」(下有湯谷。湯谷上有扶桑、十日所浴、在黑齒北。居水中、有大木。九日居下枝、一日居上枝)とある。湯谷は、東の果ての、日が出ると想像した所。暘谷ようこくとも。黒歯は、黒歯国。住民がお歯黒をつけている国。ウィキソース「山海經/海外東經」参照。また『楚辞』離騒に「が馬をかんみずかい、たずなを扶桑にむすぶ」(飮余馬於咸池兮、揔余轡乎扶桑)とあり、その王逸注に「咸池は、日の浴する所なり。揔は、結ぶなり。扶桑は、日の払う所の木なり」(咸池、日所浴也。扶桑、日所拂木也)とある。ウィキソース「楚辭章句/卷01」参照。また『淮南子』天文訓に「日、暘谷ようこくに出で、かんに浴し、扶桑を払う、是れを晨明しんめいと謂う」(日出於暘谷、浴於咸池、拂於扶桑、是謂晨明)とある。晨明は、夜明け。ウィキソース「淮南子/天文訓」参照。また、前漢の東方朔『海内十洲記』に「扶桑は碧海の中に在り、地は方万里。上に太帝宮有り、太真東王父の所治する処なり。地に林木多く、葉は皆な桑の如し。又た椹樹ちんじゅ有り、長き者は数千丈、大いさ二千余。樹、両両りょうりょう根を同じくして偶生し、更に相依倚いいす。ここを以て名づけて扶桑と為す」(扶桑在碧海之中、地方萬里。上有太帝宮、太眞東王父所治處。地多林木、葉皆如桑。又有椹樹、長者數千丈、大二千餘圍。樹兩兩同根偶生、更相依倚。是以名爲扶桑)とある。所治は、己の治める地。ウィキソース「海內十洲記」参照。
  • 外 … (扶桑の木の)さらに向こう。
主人孤島中
主人しゅじん とううち
  • 主人 … その家のあるじであるあなたは。晁衡、仲麻呂を指す。ただし、この詩の序文に「ああ、帝郷の故旧を去りて、本朝の君臣にまみえんとす」(嘻、去帝鄉之故舊、謁本朝之君臣)とあるので、日本の天子を指す可能性もある。『史記』滑稽列伝、じゅんこん伝に「主人、こんを留めて客を送る」(主人留髡而送客)とある。ウィキソース「史記/卷126」参照。
  • 孤島 … 絶海にただ一つある島国。日本を指す。『説文解字』巻九下、山部に「海中に往往おうおう山の依止いしす可きもの有るを、㠀と曰う」(海中往往有山可依止、曰㠀)とある。ウィキソース「說文解字/09」参照。また『釈名』釈水篇に「海中居る可き者を、島と曰う。島は、到なり。人の奔到する所なり、亦た言うこころは鳥なり、物赴く所、鳥の下るが如きなり」(海中可居者、曰島。島、到也。人所奔到也、亦言鳥也、物所赴、如鳥之下也)とある。ウィキソース「釋名」参照。また『新唐書』東夷伝に「日本は、古えのなり。けいを去ること(一)万四千里にして、しんの東南にあたりて海中に在り。島にしてきょす。……左右には小島五十余り、皆な自ら国と名づけ、而して之にしんす」(日本、古倭奴也。去京師萬四千里、直新羅東南在海中。島而居。……左右小島五十餘、皆自名國、而臣附之)とある。京師は、唐の都、長安を指す。臣附は、臣下として従うこと。ウィキソース「新唐書/卷220」参照。
別離方異域
べつ まさいき
  • 別離 … 今ここで君とお別れして。「古詩十九首」(其一、『文選』巻二十九)に「きて重ねてく、君と生きながら別離す」(行行重行行、與君生別離)とある。ウィキソース「行行重行行」参照。
  • 異域 … 中国を遠く離れたよその地方。別の世界の人となること。前漢の李陵「蘇武に答うるの書」(『文選』巻四十一)に「生きては別世べっせいの人と為り、死しては異域の鬼と為る」(生爲別世之人、死爲異域之鬼)とある。ウィキソース「答蘇武書」参照。また、南朝梁の江淹「恨みの賦」(『文選』巻十六)に「君王を望むも何をか期せん、終に異域にぜつす」(望君王兮何期、終蕪絕兮異域)とある。蕪絶は、雑草に覆い隠されて消える。転じて、滅びること。ウィキソース「恨賦」参照。
音信若爲通
音信おんしん 若為いかでかつうぜん
  • 音信 … 「いんしん」とも読む。便り。手紙。南朝梁の沈約の楽府「白銅鞮歌」(『楽府詩集』巻四十八)に「若し音信を寄せんと欲せば、漢水東に向かって流れん」(若欲寄音信、漢水向東流)とある。ウィキソース「樂府詩集/048卷」参照。
  • 若為通 … どのようにして便りを送ったらよいのだろうか。
  • 若為 … 「いかでか」「いかんぞ」「いかんか」「いかにしてか」と読み、「どのようにして」「どうやって」と訳す。反問の意を表す。
  • 若 … 『文苑英華』では「苦」に作る。
  • 通 … (便りを)通わせる。送る。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻四(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百二十七(排印本、中華書局、1960年)
  • 『王右丞文集』巻五(静嘉堂文庫蔵、略称:静嘉堂本)
  • 『王摩詰文集』巻九(宋蜀刻本唐人集叢刊、上海古籍出版社、1982年、略称:蜀刊本)
  • 『須渓先生校本唐王右丞集』巻五(『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:四部叢刊本)
  • 顧起経注『類箋唐王右丞詩集』巻七(台湾学生書局、1970年、略称:顧起経注本)
  • 顧可久注『唐王右丞詩集』巻五(『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収、略称:顧可久注本)
  • 趙殿成注『王右丞集箋注』巻十二(中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1998年、略称:趙注本)
  • 『唐詩品彙』巻七十四([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩解』巻四十七(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩別裁集』巻十七([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『文苑英華』巻二百六十八(影印本、中華書局、1966年)
  • 『古今詩刪』巻十八(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収)
  • 『極玄集』(傅璇琮編撰『唐人選唐詩新編』、陝西人民教育出版社、1996年)
  • 陳鐵民校注『王維集校注(修訂本)』巻四(中国古典文学基本叢書、中華書局、2018年)
  • 松浦友久編『校注 唐詩解釈辞典』(大修館書店、1987年)
歴代詩選
古代 前漢
後漢
南北朝
初唐 盛唐
中唐 晩唐
北宋 南宋
唐詩選
巻一 五言古詩 巻二 七言古詩
巻三 五言律詩 巻四 五言排律
巻五 七言律詩 巻六 五言絶句
巻七 七言絶句
詩人別
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た行 は行 ま行
や行 ら行