孫子 用間篇
01 孫子曰、凡興師十萬、出征千里、百姓之費、公家之奉、日費千金。
孫子曰く、凡そ師を興すこと十万、出征すること千里なれば、百姓の費え、公家の奉、日に千金を費やす。
- 用間篇 … 武経本では「用間第十三」に作る。「間」は、間者。間諜。スパイ。この篇は、間諜を用いて敵の実情を事前に知ることの重要性を説いている。
- 興師十万 … 十万の大軍を動員する。
- 師 … 大軍。大部隊。「師団」の略。
- 興 … ここでは動員する。
- 出征千里 … 千里の遠くまで出征することになれば。
- 百姓之費 … 人民の出費。「百姓」は、国民。人民。民衆。「費」は、費用。出費。戦費。
- 公家之奉 … 政府の出費。「公家」は、国家。朝廷。君主の家。「奉」は、まかない。所有する財貨。出費。
- 日費千金 … 一日に千金も消費する。
内外騷動、怠於道路、不得操事者七十萬家、相守數年、以爭一日之勝。
内外騒動し、道路に怠り、事を操るを得ざる者七十万家、相守ること数年にして、以て一日の勝を争う。
- 内外騒動 … 国の内外ともに騒然となる。
- 怠於道路 … 物資の輸送のため、道路に疲れ果てる。
- 不得操事者七十万家 … 生業を営めなくなる者が七十万家にも達する。
- 相守数年 … こうして数年間も国と国とが対峙し合って。
- 以争一日之勝 … たった一日で最後の勝敗が決する。
而愛爵祿百金、不知敵之情者、不仁之至也。
而るに爵禄百金を愛みて、敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。
- 而 … 「しかるに」と読み、「それなのに」「ところが」と訳す。逆接の意を示す。
- 愛爵禄百金 … 間諜に爵位や俸禄や賞金を与えることを惜しんで。
- 爵禄 … 爵位と俸禄。官位と俸給。
- 百金 … 褒美の金。賞金。
- 愛 … 惜しむ。もったいないと思う。
- 不知敵之情者 … 敵国の実情を探ろうとしないのは。
- 不仁之至也 … 民衆に対して思いやりのないことである。
非人之將也、非主之佐也、非勝之主也。
人の将に非ざるなり、主の佐に非ざるなり、勝の主に非ざるなり。
- 非人之将也 … 人の上に立つ将軍としての資格がない。
- 非主之佐也 … 君主の補佐役としての資格がない。
- 非勝之主也 … 勝利の主としての資格がない。
故明君賢將所以動而勝人、成功出於衆者、先知也。
故に明君・賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出づる所以の者は、先知なり。
- 明君 … 賢明な君主。聡明な君主。
- 賢将 … 賢明な将軍。優れた将軍。賢い将軍。
- 所以動而勝人、成功出於衆者 … 軍を動かして敵に勝ち、誰よりも抜きん出た成功を収める原因は。「人」は、敵を指す。「所以」は、ここでは原因を指す。
- 先知也 … 予め敵の実情を知っているからである。
先知者、不可取於鬼神、不可象於事、不可驗於度、必取於人、知敵之情者也。
先知なる者は、鬼神に取る可からず、事に象る可からず、度に験す可からず、必ず人に取りて、敵の情を知る者なり。
- 先知者 … 予め敵の実情を知るというのは。
- 不可取於鬼神 … 神に祈って得られるものでもない。
- 鬼神 …ここでは祖先の霊魂の意ではなく、世界を創造したとされる神を指す。
- 不可象於事 … 過去の経験や出来事から類推して得られるものでもない。
- 事 … 過去の経験や事例。一説に、天界の事象。
- 象 … なぞらえる。類推する。
- 不可験於度 … 自然界の法則から推察して得られるものでもない。
- 度 … 天体を三百六十五等分した度数のこと。天の運行法則を指す。
- 験 … 試し計ること。
- 必取於人 … 必ず人からの情報に頼って。
- 知敵之情者也 … 敵の実情を知るものである。
02 故用間有五。
故に間を用うるに五有り。
- 用間有五 … 間諜を用いる方法に五種類ある。
有因間、有内間、有反間、有死間、有生間。
因間有り、内間有り、反間有り、死間有り、生間有り。
- 因間 … 現地の人間を間諜として利用する。
- 内間 … 敵国の官吏を買収して内通させる。
- 反間 … 敵国の間諜を寝返らせて利用する。
- 死間 … 死を覚悟の上で敵国に潜入し、偽の情報を流す。
- 生間 … 敵国から無事に生還して、敵情を報告する。
五間倶起、莫知其道、是謂神紀。人君之寳也。
五間倶に起りて、其の道を知ること莫き、是を神紀と謂う。人君の宝なり。
- 五間倶起 … 五種類の間諜が並行して諜報活動を行なう。
- 莫知其道 … 敵にはその仕組みを知られることがない。一説に、それぞれの間諜が自分の任務の道すじを知らない。
- 神紀 … 神妙な統轄法。霊妙な統御法。
- 人君之宝也 … 君主にとっての宝とすべきことである。
因間者、因其郷人而用之。
因間とは、其の郷人に因りて之を用う。
- 因其郷人而用之 … 敵国の村人を利用して働かせるものである。
内間者、因其官人而用之。
内間とは、其の官人に因りて之を用う。
- 因其官人而用之 … 敵国の官吏を買収して内通させるものである。
反間者、因其敵間而用之。
反間とは、其の敵間に因りて之を用う。
- 因其敵間而用之 … 敵国の間諜を寝返らせて使うことである。
死間者、爲誑事於外、令吾間知之、而傳於敵間也。
死間とは、誑事を外に為し、吾が間をして之を知らしめて、敵の間に伝うるなり。
- 為誑事於外 … わざと偽の情報を外で作り上げる。
- 令吾間知之 … それを味方の間諜に教える。
- 而伝於敵間也 … 敵の間諜に通告させるものである。
生間者、反報也。
生間とは、反り報ずるなり。
- 反報也 … 敵国から生還して、敵の情報を報告するものである。
03 故三軍之事、莫親於間、賞莫厚於間、事莫密於間。
故に三軍の事、間より親しきは莫く、賞は間より厚きは莫く、事は間より密なるは莫し。
- 故三軍之事 … そこで全軍の中では。
- 三軍 … 一国の軍隊。全軍。一軍は一万二千五百人。三軍は三万七千五百人。
- 莫親於間 … 間諜ほど君主や将軍と親密な間柄にある者はいない。
- 賞莫厚於間 … 恩賞も間諜より多く与えられる者はいない。
- 事莫密於間 … 任務も間諜が最も機密を要する。
非聖智不能用間。
聖智に非ざれば間を用うること能わず。
- 非聖智 … 優れた知恵者でなければ。
- 不能用間 … 間諜を利用することができない。
非仁義不能使間。
仁義に非ざれば間を使うこと能わず。
- 非仁義 … 慈しみの心を持ち、行いが道理にかなった人物でなければ。
- 不能使間 … 間諜を使いこなすことができない。
非微妙不能得間之實。
微妙に非ざれば間の実を得ること能わず。
- 非微妙 … 微妙な部分まで察知する洞察力がなければ。
- 不能得間之実 … 間諜の報告から真実を読み取ることができない。
微哉微哉、無所不用間也。
微なるかな、微なるかな、間を用いざる所無し。
- 微哉微哉 … 何と微妙なことよ。
- 無所不用間也 … 軍事に間諜を用いないところはない。
間事未發而先聞者、間與所告者皆死。
間事未だ発せずして先ず聞こゆれば、間と告ぐる所の者とは皆死す。
- 間事未發而先聞者 … 間諜が集めた情報が、まだ外部に発覚するはずのない段階で、外部から聞こえてきた場合は。
- 間与所告者皆死 … 間諜と知らせてきた者とを、ともに殺してしまわなければならない。
04 凡軍之所欲擊、城之所欲攻、人之所欲殺、必先知其守將左右謁者門者舍人之姓名、令吾間必索知之。
凡そ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所は、必ず先ず其の守将・左右・謁者・門者・舎人の姓名を知り、吾が間をして必ず索めて之を知らしむ。
- 軍之所欲撃 … こちらが攻撃しようと思っている敵の軍。
- 城之所欲攻 … こちらが攻めようと思っている敵の城。
- 人之所欲殺 … こちらが殺したいと思っている敵の人物については。
- 守将 … 守備にあたっている将軍。
- 左右 … 将軍の左右に仕えている者。側近。
- 謁者 … 謁見を取り次ぐ者。取り次ぎ。
- 門者 … 門番。門衛。
- 舎人 … 雑務をする者。雑役係。従者。
- 令吾間必索知之 … 味方の間諜に命令して、さらにそれらの人物について詳しく調べさせる。
必索敵人之間來間我者、因而利之、導而舍之。
必ず敵人の間の来りて我を間する者を索め、因りて之を利し、導きて之を舎す。
- 必索敵人之間來間我者 … 我が国にやって来て、こちらの情報を探っている敵国の間諜を必ず見つけ出す。武経本では「必索敵間之來間我者」に作る。
- 因而利之 … その間諜に利益を与える。
- 導而舎之 … 巧みに誘ってこちらにつかせる。「舎」は、とどめる。敵国からこちらに寝返らせること。
故反間可得而用也。因是而知之。
故に反間は得て用う可きなり。是に因りて之を知る。
- 故反間可得而用也 … こうして反間として使うことができる。
- 反間 … 敵国の間諜を寝返らせて利用する。
- 因是而知之 … この反間によって敵情がわかる。
故郷間内間可得而使也。因是而知之。
故に郷間・内間得て使う可きなり。是に因りて之を知る。
- 郷間内間可得而使也 … こちらの郷間や内間として使うことができる。
- 郷間 … 現地の人間を間諜として利用する。「因間」と同じ。
- 内間 … 敵国の官吏を買収して内通させる。
- 因是而知之 … この反間によって敵情がわかる。
故死間爲誑事、可使告敵。因是而知之。
故に死間誑事を為して、敵に告げしむ可し。是に因りて之を知る。
- 死間為誑事 … 死間を使って偽の情報を作る。
- 死間 … 死を覚悟の上で敵国に潜入し、偽の情報を流す間諜。
- 可使告敵 … 敵に偽の情報を告げさせることができる。武経本では「主必曰敵」に作る。
- 因是而知之 … この反間によって敵情がわかる。
故生間可使如期。
故に生間期の如くならしむ可し。
- 生間可使如期 … 生間を期日通りに帰ってこさせることができる。
- 生間 … 敵国から無事に生還して、敵情を報告する間諜。
五間之事、主必知之。
五間の事、主必ず之を知る。
- 五間之事 … 五種類の間諜がもたらす情報。
- 主必知之 … 君主は必ずこれを知っている。
知之必在於反間。
之を知るは必ず反間に在り。
- 知之必在於反間 … こうした情報を知るために最も重要なものは反間である。
- 反間 … 敵国の間諜を寝返らせて利用する。
故反間不可不厚也。
故に反間は厚くせざる可からざるなり。
- 故反間不可不厚也 … だから反間は必ず厚遇しなければならない。
05 昔殷之興也、伊摯在夏。
昔、殷の興るや、伊摯、夏に在り。
周之興也、呂牙在殷。
周の興るや、呂牙、殷に在り。
故惟明君賢將能以上智爲間者、必成大功。
故に惟だ明君・賢将のみ能く上智を以て間と為す者にして、必ず大功を成す。
- 惟 … ただ。武経本にはこの字なし。
- 明君 … 賢明な君主。聡明な君主。
- 賢将 … 賢明な将軍。優れた将軍。賢い将軍。
- 能以上智為間者 … 優れた知恵者を間諜に起用する。
- 必成大功 … 必ず大きな功績を成就することができる。
此兵之要、三軍之所恃而動也。
此れ兵の要にして、三軍の恃みて動く所なり。
- 此兵之要 … この間諜こそが戦争の要である。
- 三軍之所恃而動也 … 全軍がそれを頼りに行動するものである。武経本には「之」の字なし。
- 三軍 … 一国の軍隊。全軍。一軍は一万二千五百人。三軍は三万七千五百人。
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