孫子 九地篇
- 01 孫子曰、用兵之法、有散地、……
- 02 所謂古之善用兵者、能使敵人……
- 03 凡為客之道、深入則専、主人……
- 04 故善用兵者、譬如率然。……
- 常山の蛇勢
- 呉越同舟
- 05 将軍之事、静以幽、正以治。……
- 06 凡為客之道、深則専、浅則散。……
- 07 是故不知諸侯之謀者、不能預……
- 08 施無法之賞、懸無政之令、……
- 09 故為兵之事、在於順詳敵之意。……
- 始めは処女の如く、後は脱兎の如し
01 孫子曰、用兵之法、有散地、有輕地、有爭地、有交地、有衢地、有重地、有圮地、有圍地、有死地。
孫子曰く、兵を用いるの法に、散地有り、軽地有り、争地有り、交地有り、衢地有り、重地有り、圮地有り、囲地有り、死地有り。
- 九地篇 … 武経本では「九地第十一」に作る。
- 用兵之法 … 戦闘を行なう場合の原則。
- 散地 … 兵士たちが故郷を懐かしんで離散しやすい土地。
- 軽地 … 兵士たちが浮ついた気持ちになりやすい土地。
- 争地 … 敵と奪い合いになる土地。
- 交地 … 敵と味方が交錯する土地。
- 衢地 … あちこちへ通じている土地。
- 重地 … 兵士たちが重苦しい気持ちになりやすい土地。「軽地」に対して言う。
- 圮地 … 軍を進めにくい土地。
- 囲地 … 囲まれた土地。
- 死地 … 敗北しやすい土地。
諸侯自戰其地、爲散地。
諸侯自ら其の地に戦うを散地と為す。
- 諸侯自戦其地 … 諸侯が自国の領地内で戦う場合、その戦場となる所を。
- 其地 … 武経本では「其地者」に作る。
- 散地 … 兵士たちが故郷を懐かしんで離散しやすい土地。
入人之地而不深者、爲輕地。
人の地に入りて深からざる者を軽地と為す。
- 入人之地而不深者 … 敵の領地に侵入して戦う場合、敵国の内部に深く侵入していない所を。「人」は、敵国を指す。
- 軽地 … 兵士たちが浮ついた気持ちになりやすい土地。
我得則利、彼得亦利者、爲爭地。
我得れば則ち利あり、彼得るも亦た利ある者を争地と為す。
- 我得則利 … 味方が奪い取れば味方に有利となる。
- 則 … 武経本では「亦」に作る。
- 彼得亦利者 … 敵が奪い取れば敵に有利となる所を。
- 争地 … 敵と奪い合いになる土地。
我可以往、彼可以來者、爲交地。
我以て往く可く、彼以て来る可き者を交地と為す。
- 我可以往 … こちらから行くことができる。
- 彼可以来者 … 敵もこちらに来ることができる所を。
- 交地 … 敵と味方が交錯する土地。
諸侯之地三屬、先至而得天下之衆者、爲衢地。
諸侯の地三属し、先に至れば天下の衆を得る者を衢地と為す。
- 諸侯之地三属 … 諸侯の領土と三方で接していて。
- 先至而得天下之衆者 … 先に到着すれば天下の人々をも掌握できる所を。
- 衢地 … あちこちへ通じている土地。
入人之地深、背城邑多者、爲重地。
人の地に入ること深く、城邑を背にすること多き者を重地と為す。
- 入人之地深 … 敵の領地に深く侵入して。「人」は、敵を指す。
- 背城邑多者 … 敵の都市を背後にして戦わねばならぬ所を。
- 城邑 … 都市。「都邑」とほぼ同じ。
- 重地 … 兵士たちが重苦しい気持ちになりやすい土地。「軽地」に対して言う。
行山林、險阻、沮澤、凡難行之道者、爲圮地。
山林・険阻・沮沢を行くこと、凡そ行き難きの道なる者を圮地と為す。
- 行山林 … 武経本には「行」の字なし。
- 険阻 … 険しい場所。「嶮岨」とも書く。
- 沮沢 … 湿地帯。沼沢地。沮洳とも。
- 難行之道者 … 行軍し難い土地を。
- 圮地 … 軍を進めにくい土地。
所由入者隘、所從歸者迂、彼寡可以擊吾之衆者、爲圍地。
由りて入る所の者隘く、従りて帰る所の者迂にして、彼寡にして以て吾の衆を撃つ可き者を囲地と為す。
- 所由入者隘 … 入っていく道が狭く。
- 隘 … 道が狭いこと。
- 所従帰者迂 … 退却するには回り道をしなければならず。
- 迂 … 回り道。
- 彼寡可以撃吾之衆者 … 敵が少ない人数で味方の大軍を攻撃できるような土地を。
- 囲地 … 囲まれた土地。
疾戰則存、不疾戰則亡者、爲死地。
疾く戦えば存し、疾く戦わざれば亡ぶ者を死地と為す。
- 疾戦則存 … 迅速に奮戦すれば生き残れるが。
- 不疾戰則亡者 … 迅速に奮戦しなければ全滅する土地を。
- 死地 … 敗北しやすい土地。
是故散地則無戰、輕地則無止、爭地則無攻、交地則無絶、衢地則合交、重地則掠、圮地則行、圍地則謀、死地則戰。
是の故に散地には則ち戦うこと無く、軽地には則ち止まること無く、争地には則ち攻むること無く、交地には則ち絶つこと無く、衢地には則ち交わりを合わせ、重地には則ち掠め、圮地には則ち行き、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。
- 散地則無戦 … 兵士たちが離散しやすい土地では戦ってはならず。
- 軽地則無止 … 兵士たちが浮ついた気持ちになりやすい土地では止まってはならず。
- 争地則無攻 … 敵と奪い合いになる土地ではもし敵が先に占領していたら攻撃してはならず。
- 交地則無絶 … 敵と味方が交錯する土地では部隊相互の連絡を密にしていなければならず。
- 衢地則合交 … あちこちへ通じている土地では諸侯と同盟を結ぶ。
- 重地則掠 … 兵士たちが重苦しい気持ちになりやすい土地では食糧を掠奪する。
- 圮地則行 … 軍を進めにくい土地ではすばやく通過する。
- 囲地則謀 … 囲まれた土地では策略をめぐらす。
- 謀 … 武経本では「説」に作る。
- 死地則戦 … 敗北しやすい土地では決戦するのみである。
- 死 … 武経本では「戎」に作る。
02 所謂古之善用兵者、能使敵人前後不相及、衆寡不相恃、貴賤不相救、上下不相収、卒離而不集、兵合而不齋。
所謂古の善く兵を用うる者は、能く敵人をして前後相及ばず、衆寡相恃まず、貴賤相救わず、上下相収めず、卒離れて集まらず、兵合して斉わざらしむ。
- 所謂 … 世間で一般に言われている。世に言う。いわゆる。武経本にはこの字なし。
- 古之善用兵者 … 昔の戦闘に巧みな人。昔の戦上手。
- 能使敵人前後不相及 … 敵の先鋒部隊と後衛部隊との連絡ができないようにさせる。
- 衆寡不相恃 … 大部隊と小部隊とが互いに助け合えないようにさせる。
- 恃 … たのむ。あてにする。
- 貴賤不相救 … 身分の高い者と低い者とが互いに救えないようにさせる。
- 上下不相収 … 上官と部下とが互いに助け合えないようにさせる。
- 卒離而不集 … 兵士が離散して集まらず。
- 兵合而不斉 … 兵士が集まっても戦列が整わないように仕向ける。
合於利而動、不合於利而止。
利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる。
- 合於利而動 … 敵の戦闘態勢が味方に有利な状況であれば戦闘を開始する。
- 而 … 「すなわち」と読み、「そうであれば」と訳す。「則」と同じ。
- 不合於利而止 … 味方に不利な状況であれば戦闘を開始しない。
敢問、敵衆整而將來。待之若何。
敢えて問う、敵衆く整いて将に来らんとす。之を待つこと若何、と。
- 敢問 … あえてお尋ねします。思い切って質問します。
- 敵衆整而将来 … 敵が大勢で整然として攻めてこようとしている。
- 待之若何 … これをどのように迎え撃てばよいだろうか。
曰、先奪其所愛、則聽矣。
曰く、先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん。
- 先奪其所愛 … まず敵の大切にいているものを奪取すれば。
- 則聴矣 … こちらの言うことを聞き入れるだろう。
兵之情主速。
兵の情は速やかなるを主とす。
- 兵之情主速 … 戦闘の要諦は迅速を旨とする。
乗人之不及、由不虞之道、攻其所不戒也。
人の及ばざるに乗じ、虞らざるの道に由り、其の戒めざる所を攻むるなり。
- 乗人之不及 … 敵の不備につけ込む。敵の隙に乗じる。
- 由不虞之道 … 敵の思いもよらない奇策を使う。
- 攻其所不戒也 … 敵の警戒していない所を攻撃する。
03 凡爲客之道、深入則專、主人不克。
凡そ客たるの道は、深く入れば則ち専らにして、主人克たず。
- 為客之道 … 敵国に侵入して攻撃する場合の道理として。「客」は、敵国に攻め入る我が軍を指す。
- 深入則専 … 深く敵国に侵入した時は、味方は団結して。
- 主人不克 … 敵は勝てない。「主人」は、敵国の軍を指す。
掠於饒野、三軍足食。
饒野に掠むれば、三軍食足る。
- 掠於饒野 … 敵の豊かな土地から食糧を略奪すれば。
- 饒野 … 豊かな土地。豊饒な平野。
- 三軍足食 … 全軍の食糧は間に合う。
謹養而勿勞、併氣積力、運兵計謀、爲不可測、投之無所往、死且不北、死焉不得、士人盡力。
謹み養いて労すること勿く、気を併せ力を積み、兵を運らして計謀し、測る可からざるを為し、之を往く所無きに投ずれば、死すとも且つ北げず、死焉んぞ得ざらん、士人力を尽くす。
- 謹養而勿労 … 慎重に兵士たちを休養させ、無駄に疲労させない。
- 併気積力 … 士気を高め、戦力を蓄える。
- 併 … 武経本では「并」に作る。
- 運兵計謀 … 軍を動かし、計略をめぐらす。
- 為不可測 … 敵の思いもよらない作戦を実行する。
- 投之無所往 … 軍を敵と戦う以外に行き場のない状況に投入する。
- 死且不北 … 兵士は死んでも敗走することはない。
- 死焉不得 … どうして必死の覚悟での死闘が実現されないことがあろうか、いや実現される。
- 士人尽力 … 兵卒たちは死力を尽くすことになる。
兵士甚陷則不懼、無所往則固、深入則拘、不得已則鬪。
兵士甚だ陥れば則ち懼れず、往く所無ければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う。
- 兵士甚陥則不懼 … 兵士たちはあまりに危険な状況に陥ると、かえって恐怖を忘れる。
- 無所往則固 … 行き場のない状況になると、決死の覚悟を固める。
- 深入則拘 … 敵国に深く侵入すると、心が一つに収束されて一致団結する。
- 深入 … 武経本では「入深」に作る。
- 拘 … とらえられる。拘束される。心が一つに収束される。一説に、動きが取れなくなる。
- 不得已則闘 … 戦うしかない場合には必死に戦う。
是故其兵不修而戒、不求而得、不約而親、不令而信。
是の故に其の兵修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信なり。
- 其兵不修而戒 … 兵士たちは教えなくても自ら規律を守る。
- 不求而得 … 将軍が求めなくても力を発揮する。
- 不約而親 … 軍規で拘束しなくても親しみ合う。
- 不令而信 … 将軍が命令を下さなくても信頼を裏切らない。
禁祥去疑、至死無所之。
祥を禁じ疑いを去れば、死に至るまで之く所無し。
- 禁祥去疑 … 占いや迷信ごとを禁じ、兵士に疑念の心を起こさせないようにすれば。
- 至死無所之 … 死ぬまで心を他所に奪われることがない。
吾士無餘財、非惡貨也。
吾が士に余財無きも、貨を悪むに非ざるなり。
- 吾士無余財 … 我が方の兵士たちが余分な財貨を持たないのは。
- 非悪貨也 … 財貨を持つことを嫌っているからではない。
無餘命、非惡壽也。
余命無きも、寿を悪むに非ざるなり。
- 無余命 … 命さえ投げ出すのは。
- 非悪寿也 … 長生きすることを嫌っているからではない。
令發之日、士卒坐者涕霑襟、偃臥者涕交頤。
令発するの日、士卒の坐する者は涕襟を霑し、堰臥する者は涕頤に交わる。
- 令発之日 … 決戦の命令が下された日。
- 士卒坐者涕霑襟 … 兵士で座っている者は涙で襟を濡らす。
- 涕霑 … 武経本では「沸
」に作る。
- 偃臥者涕交頤 … 横になって寝ている者は涙が頬を伝ってあごまで流れる。
- 偃臥 … 横になって寝る。
- 頤 … あご。「顎」と同じ。
投之無所往者、諸劌之勇也。
之を往く所無きに投ずれば、諸・劌の勇なり。
04 故善用兵者、譬如率然。
故に善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。
- 善用兵者 … 戦争に巧みな者。
- 譬如率然 … 譬えて言うと率然のようなものである。
- 率然 … にわかなさま。ただし、ここでは蛇の名。
率然者、常山之蛇也。
率然とは、常山の蛇なり。
- 常山之蛇 … 常山に住む蛇。
- 常山 … 山の名。五岳の北方に位する恒山のこと。ウィキペディア【恒山】参照。
擊其首則尾至、擊其尾則首至、擊其中則首尾倶至。
其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。
- 撃其首則尾至 … 頭を撃つと尾が助けにくる。
- 撃其尾則首至 … 尾を撃つと頭が助けにくる。
- 撃其中則首尾倶至 … 中腹を撃つと頭と尾とがともに助けにくる。
敢問、兵可使如率然乎。
敢えて問う、兵は率然の如くならしむ可きか、と。
- 敢問 … あえてお尋ねします。
- 兵可使如率然乎 … 軍隊をこの率然のように動かすことができましょうか。
- 兵 … 武経本にはこの字なし。
曰、可。
曰く、可なり。
- 可 … それはできる。
夫呉人與越人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、如左右手。
夫れ呉人と越人と相悪むも、其の舟を同じくして済り風に遇うに当りては、其の相救うや左右の手の如し。
- 夫 … そもそも。文の冒頭に置いて話題の転換の意を示す。
- 呉人与越人相悪也 … 呉の人と越の人とは互いに憎み合う仲である。
- 呉人 … 呉国の人。国の下に「人」がつく場合は「じん」とは読まず、「ひと」と読む慣習がある。
- 越人 … 越国の人。
- 当其同舟而済遇風 … 同じ舟に乗って川を舟で渡るとき、強風にあった場合には。
- 而濟 … 武経本では「濟而」に作る。
- 其相救也 … 互いに助け合う様子は。
- 如左右手 … 左右の手のようである。左右の手が互いに助け合い、かばい合うということ。
是故方馬埋輪、未足恃也。
是の故に馬を方べ輪を埋むるも、未だ恃むに足らざるなり。
- 方馬埋輪 … 馬を並べてつなぎ、戦車の車輪を土の中に埋めて陣固めをしても。
- 未足恃也 … まだ頼りとするには十分ではない。
齋勇若一、政之道也。
勇を斉えて一の若くするは、政の道なり。
- 斉勇若一 … 兵士たちを奮い立たせ、勇敢な軍隊として統一させるには。
- 政之道也 … 将軍の政治指導によるものである。
剛柔皆得、地之理也。
剛柔皆得るは、地の理なり。
- 剛柔皆得 … 強い者も弱い者も、みな存分の働きをするには。
- 地之理也 … 地勢の道理によるものである。
故善用兵者、攜手若使一人、不得已也。
故に善く兵を用うる者は、手を携えて一人を使うが若きは、已むを得ざらしむればなり。
- 善用兵者 … 戦争に巧みな者。
- 携手若使一人 … 手をとって一人の人間を使いこなすかのように、軍を自在に動かすのは。「攜」は「携」の正字。
- 不得已也 … 軍隊がそうならざるを得ないように仕向けるからである。
05 將軍之事、靜以幽、正以治。
将軍の事は、静かにして以て幽く、正しくして以て治まる。
- 将軍之事 … 将軍たる者の務めは。
- 静以幽 … 表面は物静かで、内面は奥深くて窺えない。
- 正以治 … 厳正に処理されるので、軍隊は整然と統治される。
能愚士卒之耳目、使之無知。
能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。
- 能愚士卒之耳目 … 兵士の耳目をくらます。兵士の認識能力を無力化する。
- 使之無知 … 将軍がすることを兵士が読めないようにする。
易其事、革其謀、使人無識。
其の事を易え、其の謀を革め、人をして識ること無からしむ。
- 易其事 … 軍の行動目標を変える。
- 革其謀 … 軍の作戦計画を変える。
- 使人無識 … 兵士たちには将軍の真の意図を気づかれないようにする。「人」は兵士を指す。
易其居、迂其途、使人不得慮。
其の居を易え、其の途を迂にし、人をして慮ることを得ざらしむ。
- 易其居 … 軍の駐屯地を転々と変える。
- 迂其途 … 行軍する道をわざと遠回りに行く。
- 使人不得慮 … 兵士たちに真の行き先を推測されないようにする。
帥與之期、如登高而去其梯、帥與之深入諸侯之地、而發其機、焚舟破釜、若驅羣羊、驅而往、驅而來、莫知所之。
帥いて之と期すれば、高きに登りて其の梯を去るが如く、帥いて之と深く諸侯の地に入りて、其の機を発すれば、舟を焚き釜を破り、群羊を駆るが若く、駆られて往き、駆られて来るも、之く所を知る莫し。
- 帥与之期 … 軍隊を率いて、決戦の時が来たならば。
- 如登高而去其梯 … 高い所に登らせて、そのはしごを取り外してしまうように。
- 帥與之深入諸侯之地 … 軍隊を率いて、諸侯の領地に深く侵入して。
- 而発其機 … 決戦に踏み切るときは。
- 焚舟破釜 … 今まで乗っていた舟を焼き払い、今まで使っていた釜を打ち壊す。武経本にはこの字なし。
- 若駆群羊 … 羊の群れを追いやるように。
- 駆而往、駆而来 … 兵士たちは追いやられて行ったり来たりする。
- 莫知所之 … どこに向かっているのかわからない。
聚三軍之衆、投之於險、此謂將軍之事也。
三軍の衆を聚め、之を険に投ず。此れ将軍の事と謂うなり。
- 聚三軍之衆 … 全軍の兵士を結集して。
- 投之於険 … 彼らを危険な場所に投入する。
- 此謂将軍之事也 … これを将軍たる者の務めと言う。
- 謂 … 武経本にはこの字なし。
九地之變、屈伸之利、人情之理、不可不察。
九地の変、屈伸の利、人情の理、察せざる可からず。
- 九地之変 … 九つの地勢に応じた変化。「九地」は、散地・軽地・争地・交地・衢地・重地・圮地・囲地・死地を指す。
- 屈伸之利 … 軍を進撃させたり撤退させたりの利害。
- 人情之理 … 人情の自然な道理。人情の機微。
- 不可不察 … 十分わきまえなければならない。
06 凡爲客之道、深則專、淺則散。
凡そ客たるの道は、深ければ則ち専らに、浅ければ則ち散ず。
- 為客之道 … 敵国に侵入して攻撃する場合の道理として。「客」は、敵国に攻め入る我が軍を指す。
- 深則専 … 深く侵入すれば兵士たちは一致団結する。
- 浅則散 … 浅いときは兵士たちの心が散漫になり、逃げ帰ろうとする。
去國越境而師者、絶地也。
国を去り境を越えて師する者は、絶地なり。
- 去国越境而師者 … 自国を離れ、国境を越えて軍を率いて戦う所は。「師」は、ここでは戦を起こす。征伐する。
- 絶地 … 孤立した土地。
四達者、衢地也。
四達する者は、衢地なり。
- 四達者 … 道が四方に通じている所は。
- 達 … 武経本では「通」に作る。
- 衢地 … あちこちへ通じている土地。
入深者、重地也。
入ること深き者は、重地なり。
- 入深者 … 敵国に深く侵入した所は。
- 重地 … 兵士たちが重苦しい気持ちになりやすい土地。「軽地」に対して言う。
入淺者、輕地也。
入ること浅き者は、軽地なり。
- 入浅者 … 敵国に浅く侵入した所は。
- 軽地 … 兵士たちが浮ついた気持ちになりやすい土地。
背固前隘者、圍地也。
背は固にして前は隘なる者は、囲地なり。
- 背固前隘者 … 背後が険しく、前方が狭い所は。
- 囲地 … 囲まれた土地。
無所徃者、死地也。
往く所無き者は、死地なり。
- 無所往者 … どこにも行き場のない所は。「徃」は「往」の異体字。
- 死地 … 敗北しやすい土地。
是故散地吾將一其志。
是の故に散地には吾将に其の志を一にせんとす。
- 散地吾将一其志 … 兵士たちが離散しやすい土地では、兵士たちの心を一つにまとめようとする。
輕地吾將使之屬。
軽地には吾将に之をして属かしめんとす。
- 軽地吾将使之属 … 兵士たちが浮ついた気持ちになりやすい土地では、部隊間の連携を密にしなければならない。
爭地吾將趨其後。
争地には吾将に其の後ろに趨かんとす。
- 争地吾将趨其後 … 敵と奪い合いになる土地では、急いで敵の背後に回らなければならない。
交地吾將謹其守。
交地には吾将に其の守りを謹まんとす。
- 交地吾将謹其守 … 敵と味方が交錯する土地では、念入りに守備を固めていく。
衢地吾將固其結。
衢地には吾将に其の結びを固くせんとす。
- 衢地吾将固其結 … あちこちへ通じている土地では、諸侯との同盟を固く結ぶ。
重地吾將繼其食。
重地には吾将に其の食を継がんとす。
- 重地吾将継其食 … 兵士たちが重苦しい気持ちになりやすい土地では、食糧の補給を確保する。
圮地吾將進其塗。
圮地には吾将に其の塗に進まんとす。
- 圮地吾將進其塗 … 軍隊を進めにくい土地では、すばやく通り過ぎるようにしなければならない。
- 塗 … 武経本では「途」に作る。
圍地吾將塞其闕。
囲地には吾将に其の闕を塞がんとす。
- 囲地吾将塞其闕 … 囲まれた土地では、味方の逃げ道を塞いで兵士に必死に戦わせる。
- 闕 … 武経本では「
」に作る。
死地吾將示之以不活。
死地には吾将に之に示すに活きざるを以てせんとす。
- 死地吾将示之以不活 … 敗北しやすい土地では、戦う以外に生き残れないことを認識させようとする。
故兵之情、圍則禦、不得已則鬪、過則從。
故に兵の情、囲まるれば則ち禦ぎ、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う。
- 兵之情 … 兵士の心情としては。
- 囲則禦 … 包囲されれば抵抗する。
- 禦 … ふせぐ。逆らって抵抗する。
- 不得已則闘 … 戦う以外に方法がないときは必死に戦う。
- 過則従 … 切羽詰まれば将軍の命令に従順になる。一説に、敵が通り過ぎた時は追撃する。
07 是故不知諸侯之謀者、不能預交。
是の故に諸侯の謀を知らざる者は、預め交わること能わず。
- この文は「軍争篇」にも見える。
- 不知諸侯之謀者 … 近隣諸侯たちの胸の内を知らなければ。
- 不能預交 … 前もって諸侯たちと親交を結ぶことができない。
- 預 … あらかじめ。前もって。「予」と同じ。武経本では「豫」に作る。「豫」は「予」の旧字。
不知山林險阻沮澤之形者、不能行軍。
山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。
- この文は「軍争篇」にも見える。
- 険阻 … 険しい場所。「嶮岨」とも書く。
- 沮沢 … 湿地帯。沼沢地。沮洳とも。
- 形 … 地形。
- 不能行軍 … 軍を進めることができない。行軍することができない。
不用郷導者、不能得地利。
郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。
- この文は「軍争篇」にも見える。
- 不用郷導者 … その土地の道案内を用いなければ。
- 郷導 … 道案内。
- 不能得地利 … 地形がもたらす利益を得ることができない。
四五者、不知一、非霸王之兵也。
四五の者、一を知らざれば、覇王の兵に非ざるなり。
- 四五者 … これらのうち。通説では、四と五で九となり、九地を指す。
- 不知一 … 一つでも知らないことがあるようでは。武経本では「一不知」に作る。
- 非霸王之兵也 … 天下の諸侯を征服する覇者の軍隊ではない。
夫霸王之兵、伐大國、則其衆不得聚、威加於敵、則其交不得合。
夫れ覇王の兵、大国を伐てば、則ち其の衆聚まるを得ず、威、敵に加うれば、則ち其の交わり、合することを得ず。
- 伐大国 … 大国を討伐するときには。
- 其衆不得聚 … 大国の兵士たちは集結することができず。
- 威加於敵 … 敵に威圧を加えれば。
- 其交不得合 … 敵国は他国と同盟することができない。
是故不爭天下之交、不養天下之權、信己之私、威加於敵。
是の故に天下の交わりを争わず、天下の権を養わず、己の私を信べ、威、敵に加わる。
- 不争天下之交 … 諸侯の国と同盟を結ぶことを敵国と競ったりせず。
- 不養天下之権 … 天下の覇権を築き上げなくても。
- 信己之私 … 自分の欲望の思うがままに振る舞って。
- 威加於敵 … 威勢が敵国に加わっていく。
故其城可拔、其國可隳。
故に其の城抜く可く、其の国は隳る可し。
- 其城可拔 … 敵の城を陥落させることができる。
- 其国可隳 … 敵の国を滅ぼすことができる。
- 隳 … 破る。崩す。土壁が崩れ落ちることを示す。「堕」の俗字。
08 施無法之賞、懸無政之令、犯三軍之衆、若使一人。
無法の賞を施し、無政の令を懸け、三軍の衆を犯うること、一人を使うが若し。
- 施無法之賞 … 規定外の褒賞を与える。
- 懸無政之令 … 非常措置の命令を掲げる。
- 犯三軍之衆、若使一人 … 全軍の兵士たちを一人を使うように動かすことができる。
犯之以事、勿告以言。
之を犯うるに事を以てし、告ぐるに言を以てすること勿かれ。
- 犯之以事 … 軍隊を動かすときは、任務を命じるだけにする。「之」は「三軍之衆」を指す。
- 勿告以言 … その理由を詳しく説明してはならない。
犯之以利、勿告以害。
之を犯うるに利を以てし、告ぐるに害を以てすること勿かれ。
- 犯之以利 … 軍隊を動かすときは、利益になることだけを告げる。
- 勿告以害 … 害になることを告げてはならない。
投之亡地、然後存、陷之死地、然後生。
之を亡地に投じて然る後に存し、之を死地に陥れて然る後に生く。
- 投之亡地、然後存 … 軍隊を全滅するような状況に投げ込んで、はじめて存続する。
- 陥之死地、然後生 … 軍隊を死滅するような状況に陥れてこそ、はじめて生きのびる。
夫衆陷於害、然後能爲勝敗。
夫れ衆は害に陥りて、然る後に能く勝敗を為す。
- 夫衆陥於害 … そもそも兵士たちは危険な状況に陥ってこそ。
- 然後能為勝敗 … はじめて死力を尽くして奮戦するものである。
09 故爲兵之事、在於順詳敵之意。
故に兵を為すの事は、敵の意に順詳するに在り。
- 為兵之事 … 戦争を行なう上で大切なことは。
- 在於順詳敵之意 … 敵の意向に従いつつ、敵の意図を十分に把握することである。
- 順詳 … 敵の意向に従いつつ、敵の意図を詳らかに知ること。
- 於 … 武経本にはこの字なし。
并敵一向、千里殺將。
敵に并せて向かうさきを一にし、千里にして将を殺す。
- 并敵一向 … 敵の意図に合わせて、敵の目的地を目指す。
- 千里殺將 … 千里先の遠方でも、敵の将軍を討ち取る。
此謂巧能成事者也。
此を巧みに能く事を成す者と謂うなり。
- 此 … 武経本では「是」に作る。
- 巧能成事者 … 巧妙に戦争をうまく成し遂げた者。戦上手。
- 者也 … 武経本にはこの字なし。
是故政舉之日、夷關折符、無通其使、厲於廊廟之上、以誅其事。
是の故に政挙がるの日、関を夷め符を折りて、其の使を通ずること無く、廊廟の上に厲しくして、以て其の事を誅む。
- 政挙之日 … 開戦が決められた日。宣戦布告の日。「政挙」は、開戦の政令が行われること。
- 夷関 … 関所を封鎖する。「夷」は、ここでは閉鎖するの意。
- 折符 … 旅券を破棄して無効にする。「符」は、割り符。ここでは関所を通過するための旅券。
- 無通其使 … 敵の使節の往来を禁じる。
- 厲於廊廟之上 … 朝廷の宗廟において、厳しく軍議を行なう。
- 以誅其事 … 作戦計画を決定する。
敵人開闔、必亟入之、先其所愛、微與之期、踐墨隨敵、以決戰事。
敵人開闔すれば、必ず亟かに之に入り、其の愛する所を先にして、微かに之と期し、践墨して敵に随い、以て戦事を決す。
- 敵人開闔 … 敵が隙を見せたら。
- 開闔 … 扉を開く。転じて、隙を見せる。
- 必亟入之 … 必ず速やかに侵入する。
- 亟 … 「すみやかに」と読み、「すみやかに」「急いで」と訳す。
- 先其所愛 … 敵が大切にしている所に先制攻撃をかける。
- 微與之期 … 隠密裡に行動する。
- 践墨随敵 … ここでは敵の行動に従って味方も行動する。
- 以決戦事 … 決戦し、勝敗を決する。「戦事」は、戦争という出来事。
是故始如處女、敵人開戸、後如脱兎、敵不及拒。
是の故に始めは処女の如く、敵人戸を開き、後には脱兎の如くにして、敵拒ぐに及ばず。
- 始如処女 … 最初は処女のように従順に振る舞う。
- 敵人開戸 … 敵が侵入口を開ける。敵を油断させる。
- 後如脱兎 … 後には罠から逃げ出す兎のようにすばやく攻撃する。
- 敵不及拒 … 敵は防ぐことができない。
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