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危うきこと累卵のごとし

危(あや)うきこと累卵(るいらん)のごとし
  • 出典:『史記』范雎蔡沢列伝(ウィキソース「史記/卷079」参照)、『韓非子』十過(ウィキソース「韓非子/十過」参照)、他
  • 解釈:卵を積み重ねたように、いつ崩れるかわからないような、きわめて危険な状態のたとえ。「累卵の危うき」とも。
     戦国時代、魏(ぎ)の范雎(はんしょ)は、はじめ諸侯の間を遊説していたが、家が貧しいためにその旅も続けられず、取り敢えず魏の中大夫須(しゅ)賈(か)に仕えていた。ある日、須賈の供をして斉(せい)へ行ったとき、斉の襄(じょう)王(おう)が、范雎が学問もあり雄弁家であるということを聞き、金十斤と牛肉と酒を贈ったが、范雎は辞退して受け取らなかった。このことを知った須賈は激怒し、てっきり范雎が斉に内通したものと考えた。そして范雎に牛肉と酒は受け取らせ、金十斤は返させた。魏に帰国してから、須賈はこのことを宰相の魏(ぎ)斉(せい)に告げた。魏斉によって范雎は残酷な刑に処せられ、肋骨を折られて簀(す)巻きにされ、厠(かわや)に放置されるという屈辱を受けた。その後、辛うじて逃げ出し、友人の鄭(てい)安平(あんぺい)のもとで怪我が治し、張(ちょう)禄(ろく)と名を変えた。ちょうどその頃、秦の使者の王稽(おうけい)という謁者(えっしゃ)(取次役)が魏に赴いていた。鄭安平は王稽に面会し、范雎を推薦し、秦国に亡命できるよう売り込み、無事逃がした。王稽は秦の昭襄(しょうじょう)王(おう)(昭王とも)に使者の役を無事終えて帰国したことを報告し、「魏の国に張(ちょう)禄(ろく)先生という賢者がおり、世に聞こえた雄弁家です。その先生が『秦王の国は卵を積み重ねたように、いつ崩れるかわからないような危険な状況にあり、私を採用すれば安定させることができます。しかし、手紙ではそのやり方をお伝えできません』と申すので、車に乗せて連れてきました」と言ったという故事に基づく。その後、范雎は昭襄王に仕えて、遠交近攻(遠い国と仲良くし、近い国を攻める)の策を献じ、ついに宰相にまで出世した。
  • 韓非子 … 二十巻五十五篇。戦国時代末期の思想家で、厳格な法治主義を唱え、信賞必罰を行うことを主張した韓(かん)非(ぴ)(?~前233)の著作を中心に、のちの法家一派の論を加えたもの。法による富国強兵と君主権の確立が説かれている。ウィキペディア【韓非子】参照。
  • 史記 … 前漢の司馬遷がまとめた歴史書。二十四史の一つ。事実を年代順に書き並べる編年体と違い、人物の伝記を中心とする紀伝体で編纂されている。本紀十二巻、表十巻、書八巻、世家三十巻、列伝七十巻の全百三十巻。ウィキペディア【史記】参照。
〔史記、范雎伝〕
魏有張祿先生。天下辯士也。曰、秦王之國、危於累卵。得臣則安。然不可以書傳也。臣故載來。
魏(ぎ)に張(ちょう)禄(ろく)先生(せんせい)有(あ)り。天(てん)下(か)の弁(べん)士(し)なり。曰(いわ)く、秦王(しんおう)の国(くに)は、累卵(るいらん)よりも危(あや)うし。臣(しん)を得(え)ば則(すなわ)ち安(やす)からん。然(しか)れども書(しょ)を以(もっ)て伝(つた)う可(べ)からざるなり、と。臣(しん)、故(ゆえ)に載(の)せて来(きた)れり、と。
  • 書 … 手紙。
  • 載来 … 車に乗せて連れて来ました。
〔韓非子、十過〕
故曹小國也、而迫於晉楚之間、其君之危猶累卵也。
故(ゆえ)に曹(そう)は小(しょう)国(こく)にして、晋(しん)・楚(そ)の間(あいだ)に迫(せま)る、其(そ)の君(きみ)の危(あや)うきこと猶(な)お累卵(るいらん)のごときなり。
  • 累卵 … 積みかさねた卵。
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