黄鶴楼送孟浩然之広陵(李白)
黃鶴樓送孟浩然之廣陵
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る
- 七言絶句。樓・州・流(平声尤韻)。
- ウィキソース「黃鶴樓送孟浩然之廣陵」参照。
- 詩題 … 『劉本』『唐詩別裁集』『唐文粋』では「送孟浩然之廣陵」に作る。『万首唐人絶句』(両種とも)では「送孟君之廣陵」に作る。『宋本』『繆本』には、題下に「江夏岳陽」とある。
- 黄鶴楼 … 江夏(今の湖北省武漢市武昌区)の黄鶴山(別名黄鵠山、俗称蛇山)の西北、長江を見下ろす黄鶴磯(磯は、川に突き出た小さな岩山の意)に建っていた楼閣。呉の黄武二年(223)の建立と伝えられ、何度も破壊と改修を繰り返してきた。現在の楼は、1985年、蛇山の頂上に再建されたもの。ウィキペディア【黄鶴楼】参照。黄鶴楼には、仙人が黄色い鶴(鵠)に乗ってここに立ち寄ったという伝説がある。『南斉書』州郡志下、郢州の条に「夏口城は黄鵠磯に拠る、世に伝う仙人子安、黄鵠に乗りて此の上を過ぐると」(夏口城據黃鵠磯、世傳仙人子安乘黃鵠過此上也)とある。ウィキソース「南齊書/卷15」参照。また『太平寰宇記』江南西道、鄂州、江夏県の条に「黄鶴楼は県の西二百八十歩に在り。昔、韋褘登仙し、毎に黄鶴に乗じ、此の楼に于いて駕を憩う。故に号す」(黄鶴樓在縣西二百八十歩。昔韋褘登仙、每乗黄鶴、于此樓憇駕。故號)とある。ウィキソース「太平寰宇記 (四庫全書本)/卷112」参照。
- 孟浩然 … 689~740。盛唐の詩人。李白の友人。襄陽(湖北省)の人。名は浩、浩然は字。若い頃、科挙に及第できず、諸国を放浪した末、郷里の鹿門山に隠棲した。四十歳のとき、都に出て張九齢や王維らと親交を結んだが、仕官はできなかった。その後、張九齢が荊州(湖北省)の長史(地方長官の属官)に左遷されたとき、招かれて従事(輔佐官)となったが、まもなく辞任し、江南を放浪した末、郷里に帰ってまた隠棲生活に入り、一生を終えた。多く自然を歌い、王維と並び称される。「春眠暁を覚えず」で始まる「春暁」が最も有名。『孟浩然集』四巻がある。ウィキペディア【孟浩然】参照。
- 広陵 … 揚州(今の江蘇省揚州市)の古称。ウィキペディア【広陵郡】【揚州市】参照。『中国歴史地図集 第一冊』(地図出版社、1982年、国学导航「楚越:广陵」45~46頁③6)、『中国歴史地図集 第五冊』(地図出版社、1982年、国学导航「元和方镇图:扬州」38~39頁③5)参照。天宝元年(742)、揚州は広陵郡となったが、乾元元年(758)、また揚州に戻された。『旧唐書』地理志、淮南道、揚州の条に「天宝元年、改めて広陵郡と為す。旧に依って大都督府とす。乾元元年、復た揚州と為す」(天寶元年、改爲廣陵郡。依舊大都督府。乾元元年、復爲揚州)とある。ウィキソース「舊唐書/卷40」参照。なお『太平寰宇記』巻一百二十三の記述も同じ。ウィキソース「太平寰宇記 (四庫全書本)/卷123」参照。孟浩然は開元二十八年(740)に亡くなっているので、ここでは広陵郡のことを指していないことがわかる。
- 之 … 目的地に向かって行くこと。
- この詩は、作者の友人である孟浩然が広陵(今の江蘇省揚州市)に行くのを黄鶴楼で見送って詠んだもの。安旗主編『新版 李白全集編年注釋』(巴蜀書社、2000年)によると、開元十六年(728)、二十八歳の作。
- 李白 … 701~762。盛唐の詩人。字は太白。蜀の隆昌県青蓮郷(四川省江油市青蓮鎮)の人。青蓮居士と号した。科挙を受験せず、各地を遊歴。天宝元年(742)、玄宗に召されて翰林供奉(天子側近の文学侍従)となった。しかし、玄宗の側近で宦官の高力士らに憎まれて都を追われ、再び放浪の生活を送った。杜甫と並び称される大詩人で「詩仙」と仰がれた。『李太白集』がある。ウィキペディア【李白】参照。
故人西辭黃鶴樓
故人 西のかた 黄鶴楼を辞し
- 故人 … 古くからの友人。旧友。死んだ人のことではない。ここでは孟浩然を指す。
- 西 … 「にしのかた」と読む。黄鶴楼が西の方向にあるのでこう言った。西にある。西方にある。
- 辞 … 辞去する。別れを告げる。『万首唐人絶句』(万暦刊本)では「辤」に作る。異体字。
煙花三月下揚州
煙花 三月 揚州に下る
孤帆遠影碧空盡
孤帆の遠影 碧空に尽き
- 孤帆 … ただ一艘浮かんで見える舟の帆。ここでは孟浩然が乗っている舟を指す。
- 遠影 … 遠ざかって影のようにかすかに見える姿。
- 影 … 『宋本』『繆本』『王本』には「一作映」とある。
- 碧空 … 青空。
- 空 … 『唐詩三百首』『全唐詩』『宋本』『繆本』『万首唐人絶句』(両種とも)『唐文粋』では「山」に作る。『王本』でも「山」に作り、「蕭本作空」とある。
- 尽 … 消える。
- 孤帆遠影碧空盡 … 南宋の陸游の『入蜀記』には「太白、此の楼に登り、孟浩然を送るの詩に云う、孤帆遠く碧山に映じて尽き、惟だ見る長江の天際に流るるを、と。蓋し帆檣の遠山に映ずるは、尤も観る可く、江行の久しきに非ざれば、知る能わざるなり」(太白登此樓、送孟浩然詩云、孤帆遠映碧山盡、惟見長江天際流。蓋帆檣映遠山、尤可觀、非江行久、不能知也)とある。帆檣は、帆柱。ウィキソース「入蜀記/卷5」参照。
唯見長江天際流
唯だ見る 長江の天際に流るるを
- 唯 … 「ただ」と読み、「ただ~だけである」「ただ~にすぎない」と訳す。通常は「ただ~のみ」と読むが、ここでは「のみ」を省略している。『唐詩選』『唐詩別裁集』では「惟」に作る。同義。
- 長江 … 中国中部を東西に流れる同国最大の川。下流部を揚子江という。長江全域を指して揚子江と呼ぶのは、我が国はじめ国際的な通称。ウィキペディア【長江】参照。阮籍「詠懐詩十七首 其の十七」(『文選』巻二十三)に「湛湛たる長江の水、上に楓樹の林有り」(湛湛長江水、上有楓樹林)とある。ウィキソース「詠懷詩 (湛湛長江水)」参照。
- 天際 … 空のはて。水平線の彼方。謝朓の「宣城に之かんとして、新林浦を出で、版橋に向う」(『文選』巻二十七)に「天際に帰舟を識り、雲中に江樹を弁つ」(天際識歸舟、雲中辨江樹)とある。ウィキソース「之宣城出新林浦向板橋」「昭明文選/卷27」参照。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
- 『唐詩三百首注疏』巻六下(廣文書局、1980年)
- 『全唐詩』巻一百七十四(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
- 『李太白文集』巻十三(静嘉堂文庫蔵宋刊本影印、平岡武夫編『李白の作品』所収、略称:宋本)
- 『李太白文集』巻十三(繆曰芑重刊、雙泉草堂本、略称:繆本)
- 『分類補註李太白詩』巻十五(蕭士贇補注、内閣文庫蔵、略称:蕭本)
- 『分類補註李太白詩』巻十五(蕭士贇補注、郭雲鵬校刻、『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:郭本)
- 『分類補註李太白詩』巻十五(蕭士贇補注、許自昌校刻、『和刻本漢詩集成 唐詩2』所収、略称:許本)
- 『李翰林集』巻十三(景宋咸淳本、劉世珩刊、江蘇広陵古籍刻印社、略称:劉本)
- 『李太白全集』巻十五(王琦編注、『四部備要 集部』所収、略称:王本)
- 『万首唐人絶句』七言・巻二(明嘉靖刊本影印、文学古籍刊行社、1955年)
- 趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十三(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)
- 『唐詩品彙』巻四十七(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
- 『唐詩別裁集』巻二十(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、54頁)
- 『唐詩解』巻二十五(清順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『唐宋詩醇』巻六(乾隆二十五年重刊、紫陽書院、内閣文庫蔵)
- 『唐文粋』巻十五上(姚鉉撰、明嘉靖刊本影印、『四部叢刊 初編集部』所収)
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