是れならば津を知らん
是れならば津を知らん
- 出典:『論語』微子第十八6(ウィキソース「論語/微子第十八」参照)
- 解釈:孔丘なら(道を説くほどの人だから)、渡し場ぐらい知っているだろう。隠者長沮の言葉。「津」は、川の渡し場。
- 論語 … 孔子(前552~前479)とその門弟たちの言行録。四書の一つ。十三経の一つ。二十編。儒家の中心的経典。我が国へは応神天皇の代に伝来したといわれている。ウィキペディア【論語】参照。
長沮桀溺耦而耕。孔子過之、使子路問津焉。長沮曰、夫執輿者爲誰。子路曰、爲孔丘。曰、是魯孔丘與。曰、是也。曰、是知津矣。
長沮・桀溺耦して耕す。孔子之を過ぎ、子路をして津を問わしむ。長沮曰く、夫の輿を執る者は誰と為す。子路曰く、孔丘と為す。曰く、是れ魯の孔丘か。曰く、是れなり。曰く、是れならば津を知らん。
- 詳しい注釈と現代語訳については「微子第十八6」参照。
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