管仲微かりせば、吾其れ被髪左衽せん
管仲微かりせば、吾其れ被髪左衽せん
- 出典:『論語』憲問第十四18(ウィキソース「論語/憲問第十四」参照)
- 解釈:もし管仲がいなかったら、われわれは野蛮な異民族に征服されて、彼らの風俗であるざんばら髪に着物を左前に着ていただろう。管仲は、はじめ斉の公子糾に仕えていたが、その後、君主の座を争って桓公が糾を殺し、管仲も捕らえられたが、親友の鮑叔牙の推挙で敵である桓公に仕えて宰相となった。このことを踏まえ、子貢が孔子に「管仲は仁者とは言えないのではないか」と質問したとき、孔子が答えた言葉。
- 論語 … 孔子(前552~前479)とその門弟たちの言行録。四書の一つ。十三経の一つ。二十編。儒家の中心的経典。我が国へは応神天皇の代に伝来したといわれている。ウィキペディア【論語】参照。
子貢曰、管仲非仁者與。桓公殺公子糾、不能死。又相之。子曰、管仲相桓公、霸諸侯、一匡天下。民到于今受其賜。微管仲、吾其被髮左衽矣。豈若匹夫匹婦之爲諒也、自經於溝瀆、而莫之知也。
子貢曰く、管仲は仁者に非ざるか。桓公、公子糾を殺すに、死する能わず。又之を相く。子曰く、管仲桓公を相けて、諸侯に覇たらしめ、天下を一匡す。民今に到るまで其の賜を受く。管仲微かりせば、吾其れ被髪左衽せん。豈に匹夫匹婦の諒を為すや、自ら溝瀆に経れて、之を知るもの莫きが若くならんや。
- 詳しい注釈と現代語訳については「憲問第十四18」参照。
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