五十にして四十九年の非を知る
五十にして四十九年の非を知る
- 出典:『淮南子』原道訓(ウィキソース「淮南子/原道訓」参照)
- 解釈:五十歳になってはじめて、これまでの人生である四十九年間の過ちを悟る。人生を振り返り反省してみると、後悔だらけである。何歳になっても自己を改めれば向上していくことができる。
- 淮南子 … 前漢時代の思想書。二十一巻。漢の劉安(前179~前122)編。道家思想を基本に、諸家の思想や学説が総合的に記述されている。ウィキペディア【淮南子】参照。
凡人中壽七十歳、然而趨舍指湊、日以月悔也、以至於死。
凡そ人の中寿は七十歳、然り而して趨舎指湊、日よりして以て月となれば悔み、以て死に至る。
- 中寿 … 長寿の人を上・中・下の三段階に分けて呼んだときの中位を指す。
- 然而 … 「しかりしこうして」と読み、「それにもかかわらず」と訳す。
- 趨舎指湊 … 出処進退。「趨舎」「指湊」は、どちらも進むことと、とどまること。
故蘧伯玉年五十、而有四十九年非。
故に蘧伯玉は年五十にして、四十九年の非有り。
- 蘧伯玉 … 衛の大夫。姓は蘧。名は瑗。伯玉は字。ウィキペディア【蘧伯玉】参照。
何者、先者難爲知、而後者易爲攻也。
何となれば、先んずる者は知を為し難く、後るる者は攻を為し易ければなり。
- 知 … 知ること。
- 攻 … 見極めること。
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