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麦秀の嘆

麦(ばく)秀(しゅう)の嘆(たん)
  • 出典:『史記』宋微子世家(ウィキソース「史記/卷038」参照)
  • 解釈:亡国の嘆き。故国が滅亡し、荒れ果てた様子を嘆き悲しむこと。麦秀は、麦の穂が伸びて荒れ果てた様子のたとえ。
     殷の紂(ちゅう)王(おう)は、叔父の箕子(きし)ら一族の諫(いさ)めも聞かず、暴虐の限りを尽くしたため国を滅ぼしてしまった。箕子は狂人のふりをして身を保ち、のちに周の武王の諮問に答えて九か条からなる政治の要諦を語り、やがて朝鮮の王に封(ほう)ぜられた。その後、箕子は周に入朝する途中、殷の都の跡を通り過ぎ、荒れ果てた宮殿の辺りに麦が穂を出しているのを見て悲しみ、「麦秀の詩」を作って歌った。殷の人たちはこの詩を聞き、みな涙を流したという故事に基づく。
  • 史記 … 前漢の司馬遷がまとめた歴史書。二十四史の一つ。事実を年代順に書き並べる編年体と違い、人物の伝記を中心とする紀伝体で編纂されている。本紀十二巻、表十巻、書八巻、世家三十巻、列伝七十巻の全百三十巻。ウィキペディア【史記】参照。
其後箕子朝周、過故殷虚。感宮室毀壞、生禾黍、箕子傷之。欲哭則不可。欲泣爲其近婦人。乃作麥秀之詩以歌詠之。
其(そ)の後(のち)、箕子(きし)、周(しゅう)に朝(ちょう)し、故(もと)の殷(いん)の虚(きょ)を過(す)ぐ。宮(きゅう)室(しつ)毀(き)壊(かい)し、禾(か)黍(しょ)を生(しょう)ずるに感(かん)じ、箕子(きし)之(これ)を傷(いた)む。哭(こく)せんと欲(ほっ)すれば則(すなわ)ち不可(ふか)なり。泣(な)かんと欲(ほっ)すれば其(そ)れ婦(ふ)人(じん)に近(ちか)しと為(な)す。乃(すなわ)ち麦(ばく)秀(しゅう)の詩(し)を作(つく)り、以(もっ)て之(これ)を歌(か)詠(えい)す。
  • 箕子 … 殷の紂王の叔父。紂王の暴政を諫(いさ)めたが聞きいれられず、狂人をよそおって身を保った。のちに周の武王に迎えられて朝鮮に封ぜられ、箕子朝鮮の始祖となった。ウィキペディア【箕子】参照。
  • 禾黍 … 稲ときび。
  • 虚 … 宮殿のあと。墟に同じ。
  • 哭 … 大声をあげて泣く。
  • 泣 … 声を出さずに涙を流して泣く。
  • 近婦人 … 女々しいこと。
  • 歌詠 … 節をつけて歌うこと。
其詩曰、麥秀漸漸兮、禾黍油油。彼狡僮兮、不與我好兮。
其(そ)の詩(し)に曰(いわ)く、麦(むぎ)秀(ひい)でて漸漸(ぜんぜん)たり、禾(か)黍(しょ)油油(ゆうゆう)たり。彼(か)の狡僮(こうどう)、我(われ)と好(よ)からず、と。
  • 漸漸 … 麦がじわじわと伸びるさま。
  • 油油 … 盛んなさま。光沢があるさま。
  • 狡僮 … 悪童。紂王を指す。
  • 不~好 … 相入れなかった。我が諫めを聞かなかった。
所謂狡僮者、紂也。殷民聞之、皆爲流涕。
所謂(いわゆる)狡僮(こうどう)とは、紂(ちゅう)なり。殷(いん)の民(たみ)之(これ)を聞(き)き、皆(み)な為(ため)に涕(なみだ)を流(なが)す。
  • 紂 … 殷の最後の王。名は辛。夏(か)の桀(けつ)とともに暴君の代表。ウィキペディア【帝辛】参照。
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