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大学 伝六章

01 所謂誠其意者、毋自欺也。
所謂いわゆるまことにすとは、みずかあざむきなり。
  • ウィキソース「四書章句集註/大學章句」参照。
  • 誠其意 … 自分の思いを誠実にする。自ら修めることの第一歩である「自ら修める」とは、自分を反省し、修養に努めること。朱注には「其の意を誠にすとは、自ら修むるのはじめなり」(誠其意者、自脩之首也)とある。
  • 毋自欺也 … 自分で自分を欺いてはいけないということである。朱注には「は禁止の辞。自ら欺くと云うは、善を為して以て悪を去るを知りて、而も心の発する所未だ実ならざる有るなり」(毋者禁止之辭。自欺云者、知爲善以去惡、而心之所發有未實也)とある。
如惡惡臭、如好好色。
あくしゅうにくむがごとく、こうしょくこのむがごとし。
  • 如悪悪臭 … (悪事を憎むこと)くさいにおいを忌み嫌うように。
  • 如好好色 … (善を好むこと)美しい色を好き好むようである。
此之謂自謙。
これみずかこころよくすとう。
  • 自謙 … 自分自身が心地よく満足する。朱注には「謙は、こころよきなり、足るなり」(謙、快也、足也)とある。
故君子必愼其獨也。
ゆえくんかならひとりをつつしむなり。
  • 慎其独 … 自分だけが知っている心の状態を慎む。「独」は、他人は知らないが自分だけは知っているという境地。自己の内なる道徳性を指す。朱注には「独とは、人の知らざる所にして、己の独り知る所の地なり。言うこころは、自ら修めんと欲する者は、善を為して以て其の悪を去るを知れば、則ち当にまことに其の力を用いて、其の自ら欺くを禁止し、其の悪を悪むは則ち悪臭を悪むが如くし、善を好むは則ち好色を好むが如くし、皆務めて決去して、求むれば必ず之を得て、以て自ら己に快足せしむべし、徒らに苟且こうしょ以て外にしたがいて人のためにす可からず、となり。然れども其の実と不実とは、蓋し他人の知るに及ばざる所にして、己独り之を知る有る者なり。故に必ず之をここに謹み、以て其のいくつまびらかにす」(獨者、人所不知而己所獨知之地也。言欲自脩者知爲善以去其惡、則當實用其力、而禁止其自欺、使其惡惡則如惡惡臭、好善則如好好色、皆務決去、而求必得之、以自快足於己、不可徒苟且以徇外而爲人也。然其實與不實、蓋有他人所不及知而己獨知之者。故必謹之於此以審其幾焉)とある。「決去」は、訣別。「苟且」は、一時のがれ。かりそめ。「幾」は、細かいきざし。
02 小人閒居爲不善、無所不至。
しょうじん 間居かんきょしてぜんし、いたらざるところし。
  • 小人 … 教養がなく、人格が低くてつまらない人。
  • 間居 … 特にすることもなく、一人でいること。「閑居」に同じ。朱注には「間居は、独り処るなり」(閒居、獨處也)とある。
  • 不善 … 道徳上善くないこと。正しくないこと。悪事。
  • 無所不至 … どんなことでもやってしまう。
見君子、而后厭然、揜其不善、而著其善。
くんて、しかしてのち厭然えんぜんとして、ぜんおおいて、ぜんあらわす。
  • 見君子 … (小人が)君子を見ると。君子に会うと。
  • 厭然 … 覆い隠すさま。朱注には「厭然は、しょう閉蔵へいぞうの貌」(厭然、消沮閉藏之貌)とある。「消沮」は、衰えること。「閉蔵」は、知られないように隠すこと。
  • 揜其不善 … 自分の悪事を覆い隠す。「えん」は覆う。「えん」と同義。
  • 著其善 … 善いところを見せようとする。
人之視己、如見其肺肝然、則何益矣。
ひとおのれること、肺肝はいかんるがごとしかれば、すなわなんえきかあらん。
  • 人之視己 … 他の人が自分を見ることが。
  • 如見其肺肝然 … 肺や肝臓まで見通すようならば。
  • 肺肝 … 肺と肝臓。転じて、心の奥底。物事の真相を見抜くことの喩え。
  • 如~然 … 「~のごとくしかり」と読み、「~のようである」と訳す。比較して判断する意を示す。「若~然」も同じ。
  • 則何益矣 … (心のなかで自分の悪事を隠したところで)何の利益があろうか。
此謂誠於中、形於外。
これうちまことあれば、そとあらわるとう。
  • 誠於中形於外 … 自己の内面が誠実であれば外面に現れる。
故君子必愼其獨也。
ゆえくんかならひとりをつつしむなり。
  • 慎其独 … 自分だけが知っている心の状態を慎む。「独」は、他人は知らないが自分だけは知っているという境地。自己の内なる道徳性を指す。
  • 朱注には「これは小人のいんに不善を為して、陽に之をおおわんと欲するは、則ち是れ善の当に為すべきと、悪の当に去るべきとを知らざるに非ざるも、但〻ただただ実に其の力を用うる能わずして、以てここに至るを言うのみ。然れども其の悪をおおわんと欲するも、ついおおう可からず、善を為すといつわらんと欲するも、ついいつわる可からざれば、則ちた何の益か之れ有らんや。此れ君子の重ねて以ていましめと為して、必ず其の独りを謹む所以なり」(此言小人陰爲不善、而陽欲揜之、則是非不知善之當爲與惡之當去也。但不能實用其力以至此耳。然欲揜其惡而卒不可揜、欲詐爲善而卒不可詐、則亦何益之有哉。此君子所以重以爲戒、而必謹其獨也)とある。
03 曾子曰、十目所視、十手所指、其嚴乎。
そういわく、じゅうもくところ十手じっしゅゆびさすところげんなるかな、と。
  • 曾子 … 孔子の弟子で、姓はそう、名はしんあざな子輿しよ。ウィキペディア【曾子】参照。
  • 十目所視、十手所指 … すべての人がそう認めるところ。多くの人の判断が一致するところ。多くの人の批判は、厳しく正しいことの喩え。「十目」は、十人の人の目。多くの人の目。衆目。「十手」は、十人の人の手。多くの人の手。
  • 其厳乎 … 厳正で恐れ慎むべきである。
  • 朱注には「此を引きて以て上文の意を明らかにす。言うこころは、幽独ゆうどくの中なりと雖も、其の善悪のおおう可からざることかくの如く、おそる可きこと之れ甚だし、となり」(引此以明上文之意。言雖幽獨之中、而其善惡之不可揜如此、可畏之甚也)とある。
04 富潤屋、德潤身。心廣體胖。
とみおくうるおし、とくうるおす。こころひろたいゆたかなり。
  • 富潤屋 … 財産ができると、住居が立派になる。
  • 徳潤身 … 徳が身についてくると、自然に品位が備わってくる。
  • 心広体胖 … 心が広大で、身体もゆったりしている。朱注には「はんは、安舒あんじょなり」(胖、安舒也)とある。「安舒」は、ゆったりとして、安らかなさま。
  • 朱注には「言うこころは、富は則ち能く屋を潤す。徳は則ち能く身を潤す。故に心にさく無ければ、則ち広大寛平にして、体つね舒泰じょたいなり。徳の身を潤す者然り、となり。蓋し善の中にちて外にあらわるる者かくの如し。故にまたこれを言いて以て之を結ぶ」(言富則能潤屋矣。德則能潤身矣。故心無愧怍、則廣大寬平、而體常舒泰。德之潤身者然也。蓋善之實於中而形於外者如此。故又言此以結之)とある。「愧怍」は、恥じること。「舒泰」は、ゆったりとして、安らかなさま。「安舒」に同じ。
故君子必誠其意。
ゆえくんかならまことにす。
  • 誠其意 … 自分の思いを誠実にする。「意」は、心。思い。意識。気持ち。
右傳之六章、釋誠意。
みぎでんろくしょうまことにするをしゃくす。
  • 誠意 … 自分の心に偽りを持たず、誠実な状態にすること。八条目の一つ。
  • 釈 … 解釈したものである。
  • 朱注には「経に曰く、其の意を誠にせんと欲すれば、先ず其の知を致す、と。また曰く、知至りてのち意誠なり、と。蓋し心の体の明、未だ尽くさざる所有れば、則ち其の発する所、必ずまことに其の力を用うる能わずして、苟焉こうえんとして以て自ら欺く者有り。然れども或いはすでに明らかなれどもここつつしまざれば、則ち其の明らかなる所もまた己の有に非ずして、以て徳に進むの基と為る無し。故に此の章のむねは、必ず上章を承けて通じて之を考えよ。然る後以て其の力を用うるの始終、其の序の乱す可からずして、功のく可からざる、かくの如きを見る有らんと云う」(經曰、欲誠其意、先致其知。又曰、知至而后意誠。蓋心體之明、有所未盡、則其所發、必有不能實用其力、而苟焉以自欺者。然或已明而不謹乎此、則其所明又非己有、而無以爲進德之基。故此章之指、必承上章而通考之。然後有以見其用力之始終、其序不可亂、而功不可闕如此云)とある。「苟焉」は、無意味。
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