大学 伝三章
- 01 詩云、邦畿千里、惟民所止。
- 02 詩云、緡蠻黄鳥、止于丘隅。……
- 03 詩云、穆穆文王、於緝煕敬止。……
- 04 詩云、瞻彼淇澳、菉竹猗猗。……
- 05 詩云、於戯前王不忘。……
- 右伝之三章、釈止於至善。
01 詩云、邦畿千里、惟民所止。
詩に云う、邦畿千里、惟れ民の止まる所、と。
- ウィキソース「四書章句集註/大學章句」参照。
- 詩 … 『詩経』商頌・玄鳥篇の一節。朱注には「詩は、商頌の玄鳥の篇」(詩、商頌玄鳥之篇)とある。ウィキソース「詩經/玄鳥」参照。
- 邦畿 … 王の住む都を中心とした領域。朱注には「邦畿は、王者の都なり」(邦畿、王者之都也)とある。
- 千里 … 千里四方の地。
- 惟 … 「これ」と読み、「これぞ」「これこそ」と訳す。語調を転じて強調する意を示す。「維」と同義。
- 民所止 … 民衆の止まり住む所。朱注には「止は、居るなり。言うこころは、物各〻当に止まるべき所の処有り、となり」(止、居也。言物各有所當止之處也)とある。
02 詩云、緡蠻黄鳥、止于丘隅。
詩に云う、緡蠻たる黄鳥、丘隅に止まる、と。
子曰、於止、知其所止。可以人而不如鳥乎。
子曰く、止まるに於いて、其の止まる所を知る。人を以てして鳥に如かざる可けんや、と。
- 子曰 … 朱注には「子曰く以下は、孔子の詩を説けるの辞なり。言うこころは、人当に止まるに当たる所の処を知るべし、となり」(子曰以下、孔子說詩之辭。言人當知所當止之處也)とある。
- 於止 … ウグイスが止まる時においては。
- 知其所止 … 止まるべき場所をわきまえている。
- 可以人而不如鳥乎 … 人でありながら鳥にも及ばないでよかろうか。
03 詩云、穆穆文王、於緝煕敬止。
詩に云う、穆穆たる文王、於、緝煕にして敬して止まる、と。
- 詩 … 『詩経』大雅・文王篇の一節。朱注には「詩は、文王の篇」(詩、文王之篇)とある。ウィキソース「詩經/文王」参照。
- 穆穆 … 徳が高いさま。朱注には「穆穆は、深遠の意」(穆穆、深遠之意)とある。
- 於 … ああ。感嘆詞。朱注には「於は、歎美の辞」(於、歎美辭)とある。
- 緝煕 … 光り輝き続けているさま。朱注には「緝は、継続するなり。熙は、光明なり」(緝、繼續也。熙、光明也)とある。
- 敬止 … 敬の状態を保持して、止まるべき所に止まっている。朱注には「敬止は、其の敬せざる無くして、止まる所に安んずるを言うなり」(敬止、言其無不敬而安所止也)とある。
爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信。
人の君と為りては仁に止まり、人の臣と為りては敬に止まり、人の子と為りては孝に止まり、人の父と為りては慈に止まり、国人と交わりては信に止まる。
- 為人君、止於仁 … 君主となっては仁を拠り所とする。
- 為人臣、止於敬 … 臣下となっては敬を拠り所とする。
- 為人子、止於孝 … 人の子となっては孝を拠り所とする。
- 為人父、止於慈 … 父となっては慈しみを拠り所とする。
- 与国人交、止於信 … 国の民と交際しては信頼を拠り所とする。
- 国人 … 国の民。国民。都の人々。
- 朱注には「此を引きて、聖人の止まるは、至善に非ざる無きを言う。五者は乃ち其の目の大なる者なり。学者此に於いて、其の精微の蘊を究め、而して又類を推して以て其の余を尽くせば、則ち天下の事に於いて、皆以て其の止まる所を知る有りて疑う無し」(引此而言聖人之止、無非至善。五者乃其目之大者也。學者於此、究其精微之蘊、而又推類以盡其餘、則於天下之事、皆有以知其所止而無疑矣)とある。
04 詩云、瞻彼淇澳、菉竹猗猗。有斐君子、如切如磋、如琢如磨。瑟兮僩兮、赫兮喧兮。有斐君子、終不可諠兮。
詩に云う、彼の淇澳を瞻れば、菉竹猗猗たり。斐たる君子有り、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し。瑟たり僴たり、赫たり喧たり。斐たる君子有り、終に諠る可からず、と。
- 詩 … 『詩経』国風・衛風・淇澳篇の一節。朱注には「詩は、衛風淇澳の篇」(詩、衞風淇澳之篇)とある。ウィキソース「詩經/淇奧」参照。
- 淇澳 … 淇の川の隈。「淇」は川の名前。淇水。「澳」は隈。川の流れが湾曲し、入り込んで奥まった所。『詩経』では「奧」に作る。朱注には「淇は、水の名。澳は、隈なり」(淇、水名。澳、隈也)とある。
- 瞻 … 見る。「見」に同じ。
- 菉竹 … 緑の竹。『詩経』では「綠竹」に作る。
- 猗猗 … 美しいさま。朱注には「猗猗は、美盛の貌」(猗猗、美盛貌)とある。
- 斐 … 文才があること。朱注には「斐は、文ある貌」(斐、文貌)とある。「文」は、文章の意。
- 切・琢 … 「切」は、骨や角を刀やのこぎりで切ること。「琢」は、玉や石を槌や鑿で打ち割って形を作ること。朱注には「切は刀鋸を以てし、琢は椎鑿を以てす。皆物を裁して形質を成さしむるなり」(切以刀鋸、琢以椎鑿。皆裁物使成形質也)とある。
- 磋・磨 … 「磋」は、鑢で磨いたり、鉋で削って滑らかにすること。「磨」は、砂や石で磨くこと。朱注には「磋は鑢鐋を以てし、磨は沙石を以てす。皆物を治めて其をして滑沢ならしむるなり。骨角を治むる者は、既に切して復た之を磋す。玉石を治むる者は、既に琢して復た之を磨す。皆其の治の緒有りて、益〻其の精を致すを言うなり」(磋以鑢鐋、磨以沙石。皆治物使其滑澤也。治骨角者、既切而復磋之。治玉石者、既琢而復磨之。皆言其治之有緒、而益致其精也)とある。「鑢鐋」の「鑢」は、やすり。「鐋」は、かんなの意。
- 瑟 … 厳密なこと。朱注には「瑟は、厳密の貌」(瑟、嚴密之貌)とある。
- 僴 … 力強い様子。朱注には「僩は、武毅の貌」(僩、武毅之貌)とある。
- 赫 … あかあかと輝くさま。朱注には「赫・喧は、宣著盛大の貌」(赫喧、宣著盛大之貌)とある。
- 喧 … 明るいさま。
- 諠 … 忘れる。朱注には「諠は、忘るるなり」(諠、忘也)とある。
如切如磋者、道學也。
切するが如く磋するが如しとは、学を道うなり。
- 学 … 学問のこと。講義を聞いたり、討論を重ねたりして学ぶこと。朱注には「学は、講習討論の事を謂う」(學、謂講習討論之事)とある。
- 道 … 言ったものである。朱注には「道は、言うなり」(道、言也)とある。
如琢如磨者、自脩也。
琢するが如く磨するが如しとは、自ら修むるなり。
- 自修 … 自分を反省し、修養に努める。朱注には「自ら修むとは、省察克治の功なり」(自脩者、省察克治之功)とある。
瑟兮僩兮者、恂慄也。
瑟たり僴たりとは、恂慄なり。
- 恂慄 … 恐れおののくこと。朱注には「恂慄は、戦懼なり」(恂慄、戰懼也)とある。「戦」は、戦く。「懼」は、懼れる。
赫兮喧兮者、威儀也。
赫たり喧たりとは、威儀
なり。
- 威儀 … 礼儀正しく威厳のある態度。朱注には「威は、畏る可きなり。儀は、象る可きなり」(威、可畏也。儀、可象也)とある。
有斐君子、終不可諠兮者、道盛徳至善、民之不能忘也。
斐たる君子有り、終に諠る可からずとは、盛徳至善にして、民の忘るる能わざるを道うなり。
- 盛徳至善 … すぐれた徳をそなえ、最高の善にふみ止まっている君子。「盛徳」は、すぐれた徳。立派な徳。「至善」は、最高の善。至極の善。究極の善。
- 民之不能忘 … 民衆は忘れることができない。
- 朱注には「詩を引きて之を釈すとは、以て明徳を明らかにする者の至善に止まるを明らかにす。学を道うと自ら修むとは、其の之を得る所以の由を言う。恂慄と威儀とは、其の徳容の表裏の盛を言い、卒りは乃ち其の実を指して之を歎美するなり」(引詩而釋之、以明明明德者之止於至善。道學自脩、言其所以得之之由。恂慄威儀、言其德容表裏之盛、卒乃指其實而歎美之也)とある。
05 詩云、於戲前王不忘。
詩に云う、於戯、前王忘れられず、と。
君子賢其賢、而親其親、小人樂其樂、而利其利。
君子は其の賢を賢として、其の親を親とし、小人は其の楽しみを楽しみとして、其の利を利とす。
- 君子・小人 … ここでは君子は後世の賢人や王を指し、小人は後世の民衆を指す。朱注には「君子は其の後賢・後王を謂い、小人は後民を謂うなり」(君子謂其後賢後王、小人謂後民也)とある。
- 賢其賢 … 賢者を賢者として敬う。前王の賢明さを敬う。
- 親其親 … 前王の身内を身内として敬う。
- 楽其楽 … 前王が楽しみとされたことを楽しむ。
- 利其利 … 前王が残された利益を利益として受け収める。
此以沒世不忘也。
此を以て世を没するも忘れられざるなり。
- 没世不忘 … 前王が世を去っても忘れ去られない。
- 朱注には「此に言うこころは、前王の民を新たにする所以の者は至善に止まり、能く天下後世をして一物も其の所を得ざる無からしむ。所以に既に世を没するも人〻之を思慕し、愈〻久しくして忘れられず、となり。此の両節は、詠歎淫佚にして、其の味深長、当に之を熟玩すべし」(此言前王所以新民者止於至善、能使天下後世無一物不得其所。所以既沒世而人思慕之、愈久而不忘也。此兩節、詠歎淫佚、其味深長、當熟玩之)とある。「淫佚」は、ここでは溢れているの意。
右傳之三章、釋止於至善。
右伝の三章、至善に止まるを釈す。
- 止於至善 … 最高の善にふみ止まること。「至善」は、最高の善。至極の善。究極の善。
- 釈 … 解釈したものである。
- 朱注には「此の章の内、淇澳の詩を引くより以下は、旧本には誤りて誠意の章の下に在り」(此章內自引淇澳詩以下、舊本誤在誠意章下)とある。
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