婕妤怨(皇甫冉)
婕妤怨
婕妤怨
婕妤怨
- ウィキソース「婕妤春怨」参照。
- この詩は、前漢の成帝(在位前33~前7)の寵愛を受けていた班婕妤が、寵愛を失ったことを嘆いている様子を詠んだもの。班婕妤は、前漢の女官で詩人。婕妤は官名(後宮における側室の称号)。班況の娘。名は未詳。成帝の寵愛を受けて女官となったが、のちに帝が趙飛燕姉妹を寵愛するようになったため、退いて皇太后に仕えた。詳しくは、前出の王維「班婕妤」詩の語釈参照。
- 詩題 … 楽府題の一つ。前漢の成帝の寵愛を失った班婕妤の怨みが主題。『全唐詩』では「婕妤春怨」に作り、「一本春の字無し」(一本無春字)と注する。『万首唐人絶句』では「倢伃春怨」に作る。『四部叢刊本』『唐五十家詩集本』では「婕好怨」に作る。
- 皇甫冉 … 716?~770?。中唐の詩人。姓は皇甫(二字姓)。潤州丹陽(江蘇省丹陽市)の人。字は茂政。天宝十五載(756)、進士に及第。無錫(江蘇省無錫市)の尉に任命され、最後は右補闕に至った。弟は皇甫曾。『唐皇甫冉詩集』七巻がある。ウィキペディア【皇甫冉】参照。
花枝出建章
花枝 建章より出で
- 花枝 … 花咲く枝。南朝斉の謝朓「江水曹と浜干に至りて戯る」詩(『古詩紀』巻七十一、『玉台新詠』巻四・宋刻不収では詩題を「江水曹に別る」に作る)に「花枝聚まりて雪の如く、蕪糸散じて猶お網のごとし」(花枝聚如雪、蕪絲散猶網)とある。蕪糸は、乱れ茂った蔦葛。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷071」「別江水曹」参照。また、南朝梁の元帝「別詩二首」(『玉台新詠』巻九・宋刻不収)の第一首に「別れ罷わりては 花枝も共に攀かず、別れし後は 書信 相関わらず」(別罷花枝不共攀、別後書信不相關)とある。ウィキソース「別詩 (蕭繹)」参照。
- 建章 … 建章宮。天子のおられる御殿。太初元年(前104)、前漢の武帝によって未央宮の西に建てられた。ウィキペディア【建章宮】(中文)参照。『史記』孝武本紀に「其の後二歳、……是に於いて建章宮を作る。度りて千門万戸を為る」(其後二歳、……於是作建章宮。度爲千門萬戶)とある。其の後二歳とは、ここでは太初元年を指す。ウィキソース「史記/卷012」参照。また『漢書』武帝紀に「太初元年、……二月、建章宮を起つ」(太初元年、……二月、起建章宮)とある。ウィキソース「漢書/卷006」参照。また『読史方輿紀要』陝西二、西安府、長安県の条に「建章宮は、府の西南二十里、故の未央宮の西南、上林苑の中に在り。周回二十里なり」(建章宮、在府西南二十里、故未央宮西南上林苑中。周回二十里)とある。周回は、周囲。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十三」参照。
- 出 … ここでは、花咲く枝が建章宮から延び出ているさま。
鳳管發昭陽
鳳管 昭陽より発す
- 鳳管 … 鳳凰の鳴く音に似た簫または笙の音。ウィキペディア【簫】【笙 (中國)】参照。南朝梁の沈約「楽游苑に侍宴し、徐州刺史を餞す 応詔」詩(『古詩紀』巻八十四)に「沃若として龍驂を動かし、参差として鳳管を凝らす」(沃若動龍驂、參差凝鳳管)とある。沃若は、若々しくて美しいさま。龍驂は、龍が引く車。転じて皇帝の乗る車。参差は、簫の管が長短ふぞろいなさま。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷084」参照。また、隋の虞茂の楽府「四時白紵歌二首」(『楽府詩集』巻五十六)の第二首「長安の秋」に「環を揺がし佩を動かして層城を出で、鵾弦鳳管 新声を奏す」(搖環動佩出層城、鵾弦鳳管奏新聲)とある。佩は、玉佩。おびだま。鵾弦は、琴絃のこと。新声は、新たな調べ。ウィキソース「樂府詩集/056卷」参照。
- 昭陽 … 宮殿の名。昭陽殿。前漢の成帝の寵愛を受けた趙昭儀(昭儀は、側室の称号)が住んだ所。趙昭儀は、成帝の皇后趙飛燕の妹で、名は合徳。はじめ趙飛燕が成帝の寵愛を受けていたが、のちに妹の趙昭儀に成帝の寵愛が移った。従って正しくは妹の趙昭儀のいた所であるが、唐人は姉の趙飛燕のいた所と考えた。『漢書』外戚伝、孝成趙皇后の条に「上、飛燕を見て之を説び、召して宮に入れ、大いに幸せり。……皇后既に立ち、後、寵少しく衰え、而して弟絶だ幸せられ、昭儀と為る。昭陽舎に居す」(上見飛燕而説之、召入宮、大幸。……皇后既立、後寵少衰、而弟絶幸、爲昭儀。居昭陽舍)とある。弟は、ここでは女弟。妹のこと。ウィキソース「漢書/卷097下」参照。また『西京雑記』巻一に「趙飛燕、皇后と為るや、其の女弟は昭陽殿に在り」(趙飛燕爲皇后、其女弟在昭陽殿)とある。ウィキソース「西京雜記/卷一」参照。また、後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「昭陽特に盛んにして、孝成に隆んなり」(昭陽特盛、隆乎孝成)とある。孝成は、前漢の成帝の諡号。成帝の代の意。ウィキソース「西都賦」参照。
- 昭 … 『四部叢刊本』では「朝」に作る。
- 発 … ここでは、笛の音が響いてくること。
借問承恩者
借問す 恩を承くる者
- 借問 … ちょっとお尋ねしますが。三国魏の曹植の楽府「七哀の詩」(『文選』巻二十三、『玉台新詠』巻二では「雑詩五首其一」、『楽府詩集』巻四十一では「怨詩行二首其二」と題す)に「借問す歎ずる者は誰ぞと。言う是れ客子の妻なりと」(借問歎者誰。言是客子妻)とある。客子は、旅人。ウィキソース「七哀詩 (曹子建)」参照。
- 承恩者 … 今、天子の寵愛を受けている人。趙飛燕を指す。恩は、ここでは寵愛の意。南朝陳の徐陵「侍宴」詩(『古詩紀』巻一百十)に「恩を承けて下席を予かる」(承恩豫下席)とある。こちらの恩は、天子の恩寵。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷110」参照。
雙蛾幾許長
双蛾 幾許か長き
- 双蛾 … 一対の蛾眉。美しい二つの眉。蛾眉は、蛾の触角のような三日月形の美しい女性の眉のこと。南朝梁の何敬容「舞を詠ず」詩(『古詩紀』巻一百)に「風に因りて且く一顧し、袂を揚げて双蛾を隠す」(因風且一顧、揚袂隱雙蛾)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷100」参照。また、南朝梁の沈約の楽府「昭君の辞」(『玉台新詠』巻五、『楽府詩集』巻二十九)に「茲に於いて九逝を懐き、此れより双蛾を斂む」(於茲懷九逝、自此斂雙蛾)とある。九逝は、何度も故郷へ思いを馳せること。双蛾を斂むとは、左右の眉を寄せる。転じて、悲しむさま。ウィキソース「昭君辭 (沈約)」参照。また、南朝梁の范靖の妻の楽府「映水曲」(『玉台新詠』巻十、『楽府詩集』巻七十七)に「軽鬢浮雲を学び、双蛾初月に擬す」(輕鬢學浮雲、雙蛾擬初月)とある。軽鬢は、軽くほつれた女性の鬢髪。初月は、三日月。ウィキソース「映水曲」参照。
- 幾許長 … どれほど長い眉をしているのかしら。当時、眉が長いほど美人とされたので、女性は競って眉を長く画いたという。ここでは、どれほど私よりも美人なのか、という意も含んでいる。『古今注』巻下、雑註巻七に「魏の宮人好んで長眉を画く」(魏宮人好畫長眉)とある。ウィキソース「古今注」参照。また、三国魏の曹植「洛神の賦」(『文選』巻十九)に「雲髻峨峨として、脩眉聯娟たり」(雲髻峨峨、脩眉聯娟)とある。洛神は、洛水の女神。雲髻は、女性の美しい髻(髪を頭上でぐっと束ねた所)。雲のように高く結い上げる。峨峨は、高くそびえている様子。脩眉は、細長く美しい眉。聯娟は、眉が長く美しいさま。ウィキソース「洛神賦」参照。また「古詩十九首」(『文選』巻二十九)の第十首に「河漢 清くして且つ浅し、相去ること復た幾許ぞ」(河漢清且淺、相去復幾許)とある。河漢は、天の川。雲漢に同じ。ウィキソース「迢迢牽牛星」参照。
詩型・韻字
- 五言絶句。
- 章・陽・長(下平声陽韻)。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻二百四十九(排印本、中華書局、1960年)
- 『唐皇甫冉詩集』巻六(『四部叢刊 三編集部』所収)
- 『皇甫冉集』巻下(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
- 『万首唐人絶句』五言・巻十三(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
- 『唐詩解』巻二十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『唐詩品彙』巻四十一([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
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