答李澣(韋応物)
答李澣
李澣に答う
李澣に答う
- ウィキソース「答李澣」参照。
- この詩は、友人の李澣が楚の地方から手紙を寄せてきたのに対し、それに返答して詠んだもの。孫望編著『韋應物詩集繋年校箋』(中華書局、2002年)によると、広徳二年(764)から大暦四年(769)までの間、作者が洛陽の丞であった頃の作。
- 詩題 … 三首連作のうちの第三首。『唐詩解』では第一首と第三首を収録し、「答李澣二首其二」に作る。
- 李澣 … 作者の友人。陶敏/王友勝校注『韋應物集校注』(上海古籍出版社、1998年)によると、永泰元年(765)に洛陽の主簿(文書や戸籍、人事・行政事務などを掌る属官)となった人物であるという。
- 答 … 詩を「贈」られ、または「寄」せられた者が、これに対して詩をもって答えること。ここでは、李澣からの手紙が作者の元へ届き、それに返事を書いたもの。
- 韋応物 … 736~791?。中唐の詩人。長安(陝西省西安市)の人。滁州(安徽省)刺史や江州(江西省)刺史等を歴任したが、最後の官が蘇州刺史だったので、韋蘇州と呼ばれた。自然を対象とした詩が多く、自然詩人といわれた。『韋江州集』十巻、『韋蘇州集』十巻がある。ウィキペディア【韋応物】参照。
林中觀易罷
林中 易を観ること罷み
- 林中観易 … 林の中で『易経』を読み、天地陰陽の道理を観察すること。易は、『易経』の略。周代の占いの書で、五経の一つ。陰陽の二元を組み合わせた六十四卦によって、自然と人生との変化の道理を解説した書。『易経』屯卦に「鹿に即いて虞无く、惟だ林中に入る」(即鹿无虞、惟入于林中)とあるのを踏まえる。鹿に即くとは、鹿を追い求めること。虞は、虞人。山林や沼沢のことを掌る役人。ウィキソース「周易/屯」参照。
- 罷 … 終わる。やめる。
溪上對鷗閒
渓上 鷗に対して間なり
- 渓上 … 谷川のほとり。上は、ほとり。盛唐の王維「寒食城東即事」詩(『全唐詩』巻一百二十五)に「渓上の人家 凡そ幾家ぞ、落花 半ば落つ 東流の水」(溪上人家凡幾家、落花半落東流水)とある。寒食は、寒食節。冬至の日から数えて百五日目の日。陽暦で、四月四日か五日にあたる。この日の前後三日間は火を使うことを禁じ、煮炊きした食事をしない風習があった。即事は、その場の事柄や景色をそのまま歌った詩。ウィキソース「寒食城東即事」参照。
- 対鷗 … カモメと対坐して無心の境地を楽しむこと。海辺に住む人が、日頃カモメの群れと無心に遊んでいたが、ある日父の言いつけで捕まえに行くと、カモメはまったく近づいてこなかったという寓話を踏まえる。『列子』黄帝篇に「海上の人に、漚鳥を好む者有り。毎旦海上に之き、漚鳥従って游ぶ。漚鳥の至る者、百住にして止まず。其の父曰く、吾聞く、漚鳥皆な汝に従って游ぶ。汝取り来れ、吾之を玩ばん、と。明日海上に之くに、漚鳥舞いて下らず」(海上之人、有好漚鳥者。每旦之海上、從漚鳥游。漚鳥之至者、百住而不止。其父曰、吾聞、漚鳥皆從汝游、汝取來、吾玩之。明日之海上、漚鳥舞而不下也)とある。百住は、数えて百の意。住は、数に同じ。ウィキソース「列子/黃帝篇」参照。
- 間 … のどかに暮らす。「閑」に同じ。
楚俗饒詞客
楚俗 詞客饒し
- 楚俗 … 楚国の風俗。『史記』貨殖伝に「楚には則ち三俗有り。……衡山・九江・江南の豫章・長沙は、是れ南楚なり。……南楚は辞を好み、巧説にして信少なし」(楚則有三俗。……衡山、九江、江南豫章、長沙、是南楚也。……南楚好辭、巧説少信)とある。巧説は、ことばが巧みなこと。信少なしとは、信用に欠けること。ウィキソース「史記/卷129」参照。
- 詞客 … 詩文の作家。ここでは、『楚辞』を作った屈原や宋玉を指す。盛唐の杜甫の詩「古跡を詠懐す五首」(『唐詩三百首』)の第一首に「羯胡 主に事うるも終に無頼、詞客 時を哀しみて且つ未だ還らず」(羯胡事主終無賴、詞客哀時且未還)とある。羯胡は、北方の異民族。ここでは、安禄山・史思明などを指す。終に無頼とは、結局は当てにならないの意。ウィキソース「詠懷古跡五首之一」参照。
- 詞 … 『全唐詩』『四部叢刊本』『唐五十家詩集本』『宝永刊本』『唐詩解』『唐詩品彙拾遺』では「辭」に作る。
- 饒 … 多い。東晋の陶潜「庚戌の歳、九月中、西田に於いて早稲を穫る」詩(『陶淵明集』巻三)に「山中には霜露饒く、風気も亦た先んじて寒し」(山中饒霜露、風氣亦先寒)とある。ウィキソース「庚戌歲九月中於西田穫早稻」参照。
何人最往還
何人か最も往還する
- 何人 … 「なんぴと」と読み、「どんな人」と訳す。『詩経』小雅・何人斯に「彼 何人ぞ、其の心孔だ艱し」(彼何人斯、其心孔艱)とある。斯は、詩のリズムを整える助字。ウィキソース「詩經/何人斯」参照。また『論語』述而篇に「伯夷・叔斉は何人ぞや」(伯夷叔齊何人也)とある。伯夷・叔斉は、周初の賢人兄弟。父が弟の叔斉を跡継ぎにしようとしたが、叔斉は兄の伯夷に譲ろうとし、ついに二人とも国を去り、文王を慕って周に行った。しかし、周の武王が殷の紂王を討ったことを、不義であると諫言した。さらに周の穀物を食することを拒み、二人とも首陽山に入って餓死した。清潔・正義の人の代表とされる。ウィキソース「論語/述而第七」参照。
- 往還 … 行き来する。人と交際すること。劉宋の顔延之「始安郡より都に還るとき、張湘州と巴陵の城楼に登りて作る」詩(『文選』巻二十七)に「万古 往還を陳じ、百代 起伏を労せり」(萬古陳往還、百代勞起伏)とある。始安郡は、現在の広西チワン族自治区桂林市あたり。都は、建康(現在の江蘇省南京市)。張湘州は、湘州刺史の張邵。巴陵は、巴陵郡。現在の湖南省岳陽市あたり。往還・起伏は、興亡・盛衰という世の移り変わりの姿。陳ずとは、並べること。転じて、繰り返すこと。労すとは、倦み疲れるほどに多かったこと。ウィキソース「昭明文選/卷27」参照。
余説
三首連作「李澣に答う」の第一首と第二首は、次の通り。
其一
孤客逢春暮 孤客 春暮に逢い
緘情寄舊遊 情を緘じて 旧遊に寄す
海隅人使遠 海隅 人使遠く
書到洛陽秋 書は到る 洛陽の秋
其二
馬卿猶有壁 馬卿 猶お壁有るに
漁父自無家 漁父 自ら家無し
想子今何處 子 今 何処にぞと想うに
扁舟隱荻花 扁舟 荻花に隠れん
其一
孤客逢春暮 孤客 春暮に逢い
緘情寄舊遊 情を緘じて 旧遊に寄す
海隅人使遠 海隅 人使遠く
書到洛陽秋 書は到る 洛陽の秋
其二
馬卿猶有壁 馬卿 猶お壁有るに
漁父自無家 漁父 自ら家無し
想子今何處 子 今 何処にぞと想うに
扁舟隱荻花 扁舟 荻花に隠れん
詩型・韻字
- 五言絶句。
- 閒・還(上平声刪韻)。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻一百九十(排印本、中華書局、1960年)
- 『韋江州集』巻五(『四部叢刊 初編集部』所収)
- 『韋蘇州集』巻十(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
- 『(須溪先生校本)韋蘇州集』巻五(宝永三年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩8』所収、汲古書院、1975年)
- 『唐詩解』巻二十三(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『唐詩品彙拾遺』巻四([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
- 孫望編著『韋應物詩集繋年校箋』巻一(中国古典文学基本叢書、中華書局、2002年)
- 陶敏/王友勝校注『韋應物集校注』巻五(中國古典文學叢書、上海古籍出版社、1998年)
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