長信草(崔国輔)
長信草
長信の草
長信の草
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻六、『全唐詩』巻一百十九、『楽府詩集』巻四十三・相和歌辞、『文苑英華』巻二百四、趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻二(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)、『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、50頁)、『唐詩品彙』巻三十九、他
- 五言絶句。生・行(平声庚韻)。
- ウィキソース「長信草」参照。
- 詩題 … 長信宮に生えた草。『全唐詩』には「一作長信宮、一作婕妤怨」とある。『楽府詩集』では「婕妤怨」に作る。『唐詩紀事』では「長信宮」に作る。『文苑英華』では「長信宮」に作り、「一作婕妤怨」とある。『万首唐人絶句』では「長信艸」に作る。艸は草と同じ。
- 長信 … 長信宮。漢の宮殿の名で皇太后の御所。東宮ともいった。班婕妤は成帝(在位前33~前7)の寵愛を受けて女官となったが、のちに帝が趙飛燕姉妹を寵愛するようになったため、退いて長信宮に住む皇太后に仕えた。
- この詩は、帝の寵愛を失い、長信宮に退いた班婕妤の嘆きを詠んだもので、いわゆる閨怨詩である。班婕妤の「自ら悼むの賦」(『漢書』外戚伝)に「共養を東宮に奉じ、長信の末流に託し、共に帷幄を洒埽す」(奉共養于東宮兮、託長信之末流、共洒埽於帷幄兮)とあるのに基づく。ウィキソース「自悼賦」「漢書/卷097下」参照。
- 崔国輔 … 生没年不詳。盛唐の詩人。山陰(浙江省紹興)の人。一説に呉郡(江蘇省)の人ともいう。字は不詳。開元十四年(726)、進士に及第。集賢院直学士・礼部郎中を歴任した。天宝十一載(752年)、御史大夫の王鉷が死罪となり、その近親者であったので連座して竟陵(今の湖北省天門市)の司馬(郡の属官)に左遷された。楽府の短い詩を得意とした。ウィキペディア【崔国輔】参照。
長信宮中草
長信宮中の草
- 長信宮中草 … 長信宮の庭に生える草。
- 草 … 『万首唐人絶句』では「艸」に作る。同義。
年年愁處生
年年 愁処に生ず
- 年年 … 年ごとに。
- 愁処 … 愁いのあるところ。長信宮は、班婕妤が帝の寵愛を失って退いたところであるから。
- 處 … 『古今詩刪』では「」に作る。異体字。
- 生 … 草が生えること。
時侵珠履跡
時に珠履の跡を侵し
- 時 … 時には。『全唐詩』では「故」に作り、「一作時」とある。『楽府詩集』では「故」に作る。こちらは「故らに」と読み、「わざと」と訳す。『文苑英華』では「爲」に作り、「一作時又作故」とある。
- 珠履 … 玉で飾った履物。天子の履物。班婕妤の「自ら悼むの賦」に「俯して丹墀を視ては、君を履綦に思い、仰いで雲屋を視ては、双涕横流す」(俯視兮丹墀、思君兮履綦、仰視兮雲屋、雙涕兮橫流)とある。丹墀は、宮中の階段のそばの土を赤く塗り固めた所。履綦は、靴ひも。靴の飾り。ウィキソース「自悼賦」参照。また『史記』春申君伝に「春申君の客三千余人。其の上客は皆珠履を躡み、以て趙の使いを見る」(春申君客三千餘人。其上客皆躡珠履、以見趙使)とある。ウィキソース「史記/卷078」参照。
- 侵 … 入り込む。ここでは草が埋め尽くすこと。『説文解字』巻八上、人部に「侵は、漸進なり」(侵、漸進也)とある。ウィキソース「說文解字/08」参照。
不使玉階行
玉階をして行かしめず
- 玉階 … 玉をちりばめた階段。宮殿のりっぱな階段。班婕妤の「自ら悼むの賦」に「華殿は塵つもり玉階は菭むす。中庭は萋として緑草生ず。広室陰りて帷幄暗く、房櫳虚しくして風泠泠たり」(華殿塵兮玉階菭。中庭萋兮綠草生。廣室陰兮帷幄暗、房櫳虛兮風泠泠)とあるのに基づく。ウィキソース「自悼賦」参照。
- 階 … 『文苑英華』では「堦」に作る。異体字。
- 不使~行 … 通れなくしてしまう。
- 使 … 「~(をして)…(せ)しむ」と読み、「~に…させる」と訳す。使役を表す。
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